狂奔のランゼ

壬生諦

狂奔 0

 王城、城下の街、村……離れて広い草原の上にいる。

 私たちには迅速に大地を駆ける手段などなく、膨大な魔法で敵拠点を急襲する術も持たない。私を先頭に、決戦に赴く覚悟の男たちが号令を待ち佇む。

 夜明けが最も『奴ら』の弱い時間帯と判明した。既に境界線を越えているのに荒ぶる様子もまだない。ただ私たちを待ち構えている。

 対して並みの人類で構成された私たちという集団は違い、当たり前に昇る陽を浴びて、当たり前に目を細めていた。

 やることは明白。号令なんていつでも良かったけど、この島国が新たな未来を切り開くための聖戦であるのなら今が最適だと思うも、大軍の指揮を執るなんて初めてだったから急に大声を上げることが出来ず、私は一言……。

「狂奔の……」

 小さくそう呟いた。

 望んでこの場所にいる。十五歳の娘が人類の存亡を占う生存競争の代表者だなんて、どれだけの事情が重なっても狂気に他ならない。世も末、そう言うらしい。

 そんな一般的な感性にあやかり、私も緊張を感じていた。敗れれば国が滅ぶどころか残された人類にも明日はない。それほどの重責を受けて、育ち切っていないこの身が悲鳴を上げている。

 ……断じてそういうワケではない。

 理想を遂げたこと、決戦というのに未だ不明な敵勢力の底、その他あらゆる理由が混在して、それらを整理し終えないままこの地に立ってしまっている故のツケなのだと思う。

 しかし、この不安も彼から聞かされたおまじないにより、やっぱりどうでもいいことだと断定できる。呟きは誰の耳にも届いていなかったから、いつもみたく難しい論理で噛み付かれずに事なきを得る。

 後ろに並ぶ武装した男たちの大半が実戦経験豊富で、混沌の時代を終わらせるために立ち上がった正しい人たち。この島国で最後の王族となった私は、皆より優れた権威があるものの、それでも私こそが彼らを尊敬して止まない。

『以前』の戦争と『現在』の戦争。両方を経てここまで生き残った若手ばかりの騎士団員たち。

 事実、埋め合わせのため駆り出された衛兵たち。

 そして、奴隷剣闘士などという不名誉な扱いにまで落ちてもなお、矜持を見失わなかった真に高潔な異端たち。

 彼らと、彼らの長を率いて私は最後の戦いに臨む。聳える敵の根城を見据えている。今、この瞬間こそが私の夢見た時間なんだ。

 戦いたい。とにかく戦いたい。私はね、ずっと一番槍になりたかったの。

 狂い切ることが出来なかったから、亡き家族や私の味方をしてくれた彼らにまで矛先を向けるわけにもいかず、反抗的な態度を落としどころにしてきた。

 それでも、きっかけを手に入れると時間は加速し、早々に解決すべき人対人の諍いをいくつも放置して戦地へ飛び込んだのだ。逃げ癖のままに。

 全ては自分が納得するため。大切な人もいるけど、国とか未来とか正直まだよく分かっていない。この先も分かる気がしない。この戦いに勝利して凱旋を果たせば、最高の救世主として祭り上げられるのかもしれないけど、それにもあまり関心がない。

 せっかく夢を叶えたのに、煮え切らない気持ちは私を更なる憂鬱へ誘う。やっと自由になれたのに、境遇が私をのろくする。

 何より敵が悪い。敵なのだから問答無用で処せばいい。……そのつもりだけど、まるで全てが彼の筋書き通りのようで悔しい。勝利の先に、おそらく歓喜はない。未来を望む者たちの代表が私というのも、どこまでが私の意志によるものなのか釈然としない。

「はぁ……」

 溜め息を吐き、激しく首を横に振り、それから槍の石突で緑の地を叩く。苛立っているように映ったかもしれない。

 ゴーン!と音が響き、元から静かだった男たちが更に沈黙を意識する。

 遠く正面の敵勢力だけでなく、明後日の方角を眺めていた者たちの視線も全て自分の背中に集っているのを感じる。中には眼力で動物の肝を凍らせられる威圧感の持ち主もいるから私でも気付ける。

 全く頼もしい限り。敵が物言わない怪物ではなく彼らのように真っ当な猛者だったら、それが最も理想的な条件だったと思う。

 覚悟は全員済んでいる。戦えない者と、戦ってほしくない者は置いてきたのだから。それを承知の上で……。

「どうした?まさか臆したか?ここに至ってようやくまともな感性を獲得したのか?」

 私の右後ろに立つ真の司令塔。かつては父上の側近だった重鎮のオルダルが煽る。私のあらゆる言動に否定的だった彼もようやく諦め、編成も私に委任してくれたけど、態度はこれまで通りのよう。

 いがみ合うばかりだった。私だってまだ認めていない。嫌い。隙あらば虐げ返してやるつもり。

 しかし、それらも今では貴重な思い出として美化されてしまった。欲していた黒き鎧の騎士・ザイが、左後ろで私より巨大な黒鉄の斧を肩に乗せて毅然としているのも、オルダルの采配がなければ実現しなかった事かもしれない。

 軟禁されていたとはいえ、それでも様々な出来事があった六年間。戦力を揃える以前に、戦うことを制限されてきた日々だったのに、今では全て許せてしまえるほどの充足を得ている。


 ――正しい闘争は、私には出来ませんでした。


 ここに至るまでが長かった。だから、これから始まる楽しい時間は、あっという間に終わってしまうのでしょう。

 敵の数を削げば削ぐほど終わりに近付くのが戦い。興味深い夢から覚めていくように。

 そう考えると酷く憶病になって、昔みたく刺激のない日常に帰結するだけの未来が怖ろしく思えて……。

 そんな自分一人の不安を紛らわせるためだけに、私は鬨の声を上げることにした。


「進軍を開始する!目標、蛇の塔!この惨劇の主格を討つ!阻むものは全て排除せよ!敵は人外の獣ばかり、情け無用!名もなき英雄たちよ、私に続けぇぇぇぇぇぇっ!」


 私の疾走と、続く男たちのスタートはほとんど差がなかった。性格も美学もそれぞれだけど、皆この時を待ち侘びていたのだと分かる。

 不安を紛らわせるため、蓄えた怒りを発散できるきっかけを求めていたんだ。

 王城より草原を抜けて最奥、岸壁の傍に突如出現した、木の枝に絡む蛇を連想させる石造りの塔。それはそのまま『蛇の塔』と呼ばれるようになった。

 そこから放たれる魔力は凶暴な獣を育み、人々の心をも蝕んだ。父上、三人の兄たち、騎士団の精鋭たちも、呆気なく呑まれた。

 私たちが人類存続の最後のカード。第三次蛇の塔調査隊。

 巨大で黒い毛並みの獣たちは、私たちの接近に気付き同じように突撃してくる。いくつかは塔の入り口前に固まっているものの、全三十の黒点が緑一色だった草原へ流れ出るのは悍ましい。

 そして、両軍は衝突した。

 せっかくだから、そこはザイにも譲りたくなく……敵先頭の頭蓋を穿ち、早速戦果を一つ稼ぐ。既に終わっている生命に改めて引導を渡す。

 もう後がないというのに、これまでがそうだったように、私は限られた幸福な時間を存分に堪能することに決めた。

 もう誰も私を止められない。小娘だからと侮る愚か者はもういない。

 自分の倍大きい怪物に都度勝負を仕掛ける。勝てば先へ、負ければ屍。

 なんて分かりやすい。こんなにも潔い世界があったなんて……。こんな快楽から私を遠ざけていたなんて、みんなの方がよっぽど狂ってますよ。

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