第一章 分岐点④

 フィリオをむかえておよそ二年が過ぎ、私は十歳の誕生日を迎える直前、母の生家である公爵家に遊びに来ていた。

 本来なら王城で盛大なパーティーを開く予定だったが、それが出来ないと知ってひどく立腹した母が私とフィリオを連れて公爵家に帰ったのである。

 アヌカルンダ各地では、三カ月ほど前からなぜかじゆうがいが多くなっており、父は視察やその処理でぼうきわめていた。

 そんな時だからこそせいこんの持ち主である私のお祝い事は盛大に行い、国民に安心して貰うのだという母の意見と、国民が不安に感じているこんな時に寄りわず、大切な税を国民のためではなくパーティーに使えば、不満は私に向かいかねないという父の意見は平行線を辿たどり、結局折り合いの付かないまま当日を迎えてしまった。

 母がフィリオも一緒に連れてきてくれたことを私は喜んでいたが、今にして思えば、おそらくフィリオの誕生日と私の誕生日との、所謂いわゆる「格の違い」を見せつけたかったのだと思う。

 そうして公爵家では盛大なパーティーがもよおされたが、王である父への悪口雑言が飛びい、私はいたたまれずフィリオをさそって慣れた川遊びへと連れ出した。

 しかし、慣れというものこそが恐ろしいと、当時の私は知らなかった。いや、知っていても理解はしていなかったのである。

 護衛たちが周囲の安全かくにんをしている中、フィリオは子犬が川で流されているところを発見し、そのままその子犬を助けようとして川に入ってしまった。川を知らない七歳の義弟は、川の急な流れに足を取られて一歩も動けなくなってしまう。そして子犬を抱えたまま川で立ち往生するしかないフィリオにいちはやく気づいた私は、一番取ってはならない行動を起こしたのだ。

「フィリオ! 今そっちに行くから、動いてはよ!」

「お義姉ねえ様、こちらは危険ですから大人を……」

 川の流れの速さも深さもわからないというのに、ドレス姿のままフィリオを助けようとして自分まで川に入り、おぼれてしまったのである。

「きゃ……!」

 ずる、と川底のぬめりに足を取られた私は見事にてんとうして、そのまま川の勢いとれたドレスの重みに負け流されそうになる。

「お義姉様!」

 しかし、たおれたひように川底にドレスを引っ掛けたらしく、私は流されずにすんだと同時に、起き上がることも出来なくなってしまった。

 ゴボゴボゴボ、と口からき出された空気が玉となり顔の周りにいくつも出来ては消えた。川の水が口から、鼻から入って来て、苦しくて、苦しくて、死んでしまう……! と思った時だ。

 まるで地上にいるかのようにつうに息が出来るようになり、私は自分を生かすために存在する空気を必死で吸いながら、ゲホゴホ、とせた。

「レア王女殿でん、ご無事ですか!?」

 ざぱり、と私の身体からだはすぐに引き上げられ、自分が助かったことを理解する。そしてひとしきり咽せながら、抱え上げられた状態で辺りを見回し、フィリオをさがした。

「フィリオ! フィリオ!」

「レア王女殿下、フィリオ殿下もご無事ですよ」

「お義姉様……良か……た……」

 フィリオをいたほかのが私のほうへけ寄りその無事を確認させてくれたが、フィリオはそのあとすぐに気を失った。

 こうして護衛騎士が駆け付け私たちはことなきを得たのだが、表面上は私たち二人が無事で良かったとがしらを押さえていた母の第一声は、「それで、レアに水のほうかくせいしたのかしら?」という期待に満ちたものだった。

 魔法とは、その素質のある者が生命の危機におちいった際、ごくまれに取得できる能力のことである。

「いいえ、レア王女殿下は覚醒後の発熱なども見当たりませんし、護衛騎士がすぐに救い出したので命があやうくなるほどの危機ではなかったのかもしれません」

 公爵家の主治医がそう答えた時の、母のつまらなそうな顔はよく覚えている。

 ただ、事故の原因はフィリオだったと知った母のいかりは相当なものだった。

 から上がった私がいなくなったフィリオを捜して公爵家の中をウロウロしていると、かんだかい母の声と何かを激しくたたく音が遠くからひびいてきて、公爵家にある地下室の存在を初めて知った。うすぐらせんの階段を下りていくと、母のげつこうする声がはっきりと耳に入ってくる。

「お前が! お前なんかがレアを危険にさらして! レアは女王になる子なのよ、お前なんかとは価値が違うの!!」

 同時に、ビシリ、とさきほども聞こえてきた何かを強く叩き付ける音。私はその大きな音にいつしゆん身をすくめながらも、むしろ気はいた。

 早く、早く……助けないと。

「レアに何かあったら、その身体を八つきにしてけものに食わせたとしてもつぐなえないわ!」

「ご、ごめんなさい……っ」

 母のり声のあとに、フィリオの悲鳴のような謝罪の声が聞こえてくる。

 ポゥとあかりの漏れたその部屋に急いで駆け込み、そしてその部屋の中の痛ましい光景を目にしてゾワリととりはだが立った。

 母は、上半身はだかにさせたフィリオの小さな背中にようしやなくむちを入れていたのだ。

 そしてり上げられた母の手が降ろされると理解した瞬間、私は考えるより先に、二人の間に飛び込んだ。

 激痛。服を着ていてもなお、一本の熱された金属が押し当てられたのではないかというような痛みが背中に走る。

「レア!」

 母の悲鳴のようなさけび声を無視して、後ろからめたフィリオの小さな身体からそっとはなれた。

「お義姉様……?」

「フィリオ、だいじよう?」

 灯りに照らされたフィリオの白いはだには蚯蚓みみずれが幾筋も走り、そこから血がにじんでいるのが見えて血の気が引く。

「お義姉様こそ……っ、今、僕の代わりに……!」

 自分のほうが私の何倍も痛い思いをしたはずなのに、たった一回叩かれただけの私の心配をするフィリオを前にしてなみだで視界がうるむ。

「レア、下がっていなさい。これは教育です」

「お願いですお母様、これ以上はやめてください。私が悪かったのです」

 私は母に頭を下げてうつたえる。しかし、母は何を言っているのかわからない、といった表情でかたを竦め、ただ首をかしげた。

「何を言っているの、レアは悪くないに決まっているじゃないの」

「そうですお義姉様。お義姉様は悪くありません」

 フィリオは目に涙をかべながらも、痛みをけんめいえていた。

 その健気けなげな姿に私のるいせんが先にゆるみ、涙がほおを流れてぽたぽたとゆかにいくつものみを作る。

 ちがう、逆だ。私だけが悪いのだ。自分の浅はかな行動のせいで、母にはむすめくすかもしれないというきようあたえ、フィリオには受けなくてもいいばつを受けさせた。

「フィリオ、おそくなってごめんなさい。よくまんしたわね、すぐにりようしましょう」

「レア」

「申し訳ありません、お母様。罰なら私があとで受けますから」

 母の制止を無視して、私はフィリオの背中にはさわらないように、ふらつく彼の小さな身体を支えて立たせる。私のじやに興が冷めたのか、教育に良くないと思ったのか、満足したのか、ともかく母は大人しく引き下がってくれた。

「仕方ないわね。レアにめんじて、今日はここまでにするわ。けれどもフィリオ、覚えておきなさい。お前の命、レアにささげることはあっても、その逆があってはならないのよ」

「はい。ごめんなさ……申し訳ありませんでした、おう殿下」

 母はフィリオを家族にむかえても、お義母かあさまと呼ばせることをしようがい許さなかった。

 川の中で立ち往生するフィリオを見た時、冷静な判断が下せなかった自分の浅はかな行動のせいで、フィリオの背中と心に大きな傷を作ってしまったと私はもうせいする。

 部屋にもどったあとすぐ蚯蚓腫れを起こしたえんしようおさえる外用薬をったが、フィリオはその後発熱して三日間んでしまった。

 こうして私の十歳の誕生日は苦い散々な思い出になってしまったため、以来私とフィリオは母をげきしないよう、二人で仲良く、けれどもひっそりと日々を過ごした。

 母は私をとことん管理したがり、私が希望したアカデミーには通わせず、ディボルフこうしやく家でお世話になっている家庭教師をつけた。

 母は、私が母にはんこうしたり未来の王として相応ふさわしくない態度をとったりしなければ、こころおだやかでじゆうじつした日々を送っているように見えた。自分でたびたびお茶会を開いては自分の家門のばつである貴族の夫人やれいじようを招き、社交界における自分のえいきよう力に満足していたのである。

 そのまま何事もなければ、母にかくされたへんしゆう……おうかんへの並々ならぬ執着があらわになることもなく、家族みな幸せになったかもしれない。

 大きな変化が起きたのは、フィリオが我が家族の一員になってから七年が経過し、十三歳になったころ

 フィリオの背中に、同じ時代には二人以上発現しないと考えられていた、せいこんが現れてからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私を殺す義弟を籠絡しようと思います 関谷れい/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ