黙示録の兵士たち①
さしものリーンズィも、ディオニュシウスの挙動が明らかに異常であることに気付いていた。
攻撃された瞬間に時間を遡り、自分の反撃が一方的に成立する位置に――相対者が攻撃を仕掛けるその致命的な一瞬の隙を狙い、過去の時点で確定している死角へと移動している。
どのように観測しても、そのようにしか見えない。論理的な反駁の余地が無い。
理屈に合わない。
肯定してはならない時間連続体の
自分が有利な状態へと状況を組み替える不滅者や、自分に選択可能な可能世界から都合の良い未来を選び取るケットシーとも異なる、因果律を嘲笑うかのような超越権能。
盲目にして白痴、脳髄を持たず、ただ不滅不朽の外套、調停防疫局の旗に燃え盛る蒼い炎を抱え、無貌の騎士は極めて短い過去と未来を、時間という平面に穿たれた穴を擦り抜けるかの如く移動する。
世界の在り方それ自体を歪めていく……。
このような悪性変異体は、存在してはならない。
「……違う」
リーンズィはか細い声を吐き出して、瞼を細める。
既に限界を迎えつつあるヴァローナの瞳で、真相を見通そうとした。
何か己自身の理解に誤りがあるように感じられてならない。身に降りかかる危機をも忘れそうになるほどの強烈な違和感が、ディオニュシウスにはあるのだ。
「アポカリプスモードは……これのことでは、ないのだろう、ヴォイド」
無論、悪性変異体と化したヴォイドにはもはや言葉など届かない。
ならば、その問いかけは自分自身の深奥、アルファⅡモナルキアとしての全権によって構築されるデータベースに対して響く己の声に他ならない。
「ユイシス、アポカリプスモードはこの程度の能力なのか? ……なの?」
『この程度とは? 定義が不明です』金色の髪をした天使の幻影が鼻先で嘲笑する。『統合支援AIは回答する必要を理解しません』
「今は私こそがアルファⅡモナルキア。回答を拒否する理由はないはず」
『否定。回答を拒否しているのではありません。当機は貴官の質問を理解していないのです』
統合支援AIと問答をしている間にも、波濤の如く塔の群れが打ち寄せる。
虚空から現れては去っていく首無し騎士の軍勢。
同じ外観、同じシリアルを持つ全く異なる同一個体の群れが、風景を埋め尽くす冒涜の塔を、根こそぎに切り裂いて破壊していく。
一つの時間連続体に同時に同位体が出現する可能性は無い、とはシィーの言葉だったか。
もっともらしく聞こえた理屈が、こうも容易く破却されている。
どうであれ、これならばアルファⅡウンドワートの救援に向かうことも可能だ。
海を割る預言者のように異形の騎士どもが塔の波を打ち砕いてくれる。
アポカリプスモードを起動するしか無いと裁定を下した、かつての自分――認知機能をロックして、そのまま消え去ってしまったエージェント・アルファⅡ――ただ一人だった頃の自分の計画は、きっと、正しい。
しかしリーンズィは言い知れぬ違和感に苛まれていた。
この、目に見える表層が、首の無い巨大な騎士の群れが、アポカリプスモードの本質とはとても思えないのだ。
リーンズィは言語化する以前から凄まじい吐き気を感じていた。肉体が何かを直観している。奇妙な確信があるのだ。
より致命的な何かが進行している。
何か取り返しの付かない自体が始まってしまっている……。
限界を超えて、リーンズィはヴァローナの瞳に願う。
使用者に見たいものを見せる権能。それは広大無辺なアルファⅡモナルキアのシステム事態に対しても有効だった。アクセス可能な領域に関してインデックスを入手できないのであれば、状況を入力し、自体を解決可能なパスが存在する領域を直接視れば良いのだ。
だが、計画上のスペックを確認しても、それがあらゆる攻撃に対応可能な全自動報復兵器であるという以上の事実は分からなかった。
武装は不朽結晶連続体で構築された刀身に限られ、それ以外の構成要素は全て飾りのようなものだ。
戦闘には決して向かない個体であるにも関わらず、常に先手を取るというその常軌を逸した能力によって、絶対的な制圧性能を獲得している。
だがそれは上っ面の情報に過ぎない、本質からはほど遠い!
別のアプローチからの検証を試行する。
では何故アポカリプスモードの使用は忌避されるべきなのか? 自問する必要さえ無い。このような存在をデザインするアポカリプスモードが、忌まわしい機能であるのもは明白だ。調停防疫局は永劫の苦痛の中で藻掻き苦しむ定めにある悪性変異体を決して許容しない!
どのような目的であれ、己自身の手で不死病患者を新たな悪性変異体へと、終わらない苦悶にのたうつ悪夢へと変えてしまったのだから、濫用を避けるべきであるという方針は正常である……。
だが表層的な事象を集積しても、これではやはり「アポカリプスモードとは、強力な悪性変異体をデザインする程度の機能である」としか結論できない。
そう、単なる機能だ。
濫用は出来ないにせよ、機能の域を出ない。
本能的な嫌悪の出所にはなり得ない……。
リーンズィを焦らせるのは無知ではなく、自分の内側に設けられた空白である。
確信していた。
何か恐ろしい認識の欠如を抱えている。
かつての自分が、何の目的で、何を恐れてこの機能の使用を拒んでいたのか、リーンズィには分からないままだ。
さらにアプローチを変更する。
ディオニュシウスが出現する度に意味不明なデータが送信されてくるのに、気付いていないわけではない。あるいはこの不可解なデータを手当たり次第に解析していけば、答えに辿り着けるのではないか。
ふと、柔らかな感触が手指を楽しませた。
リーンズィの露出した右手、アルファⅡモナルキアのガントレットに包まれていない真っ白な手指に、金色の髪をした少女の指が絡まっている。
ミラーズ。いつでもリーンズィに寄り添ってくれる愛しい人。
花と糖蜜を混ぜたような甘く狂おしい香りが渦巻く風に乗って鼻先に届く。
慰めてくれているのだろうか?
そうではない、という確信があった。
ようやくヴァローナの瞳が、それを見つけた。
事態を決定的たらしめるための糸口を。
新たな隻腕の首無しの騎士が、アルファⅡモナルキア・ヴォイド、あるいはかつてドミトリィと呼ばれたエージェントの成れの果てが現れる度……その悪性変異体の体内にある首輪型人工脳髄が、行動ログを転送してきている。
調停防疫局標準の方式で圧縮されたそれを展開すると、リーンズィの記憶領域に見も知らぬどこかの記憶が書き込まれる。
1999年、お前は旅客機の中で目を覚ます。進んでいる。首の無い騎士を見て乗客たちは戸惑いの声を上げる。武装した男が銃を向けて来たため自動的に斬り殺した。真っ二つになった人体から血液が噴き上がり、血煙を割るように悲鳴が上がる……コックピットに押し入ろうとしている男の一人がお前に気付き小銃を乱射する。不滅であるその身に銃弾は通じない。流れ弾が乗客を何人かに命中した。そのまま前進する。ドアごと武装集団を横一文字に斬る。男どもは二つに分かれて崩れ落ち、反対側からドアを押さえていた副操縦手も同じ有様で落命した。生き残った機長は青ざめた顔で見つめている、お前の燃え盛る蒼い炎、その剥き出しの眼球を。お前は座席をその場から一歩も動くこと無く全て見た。お前の花嫁はここにいない。金色の髪をした女が頭を抱えて震えている。似ているが違う。お前の花嫁はここにいない。
お前は次の可能性世界へ向かう……。
1993年。冬の日。お前はどこかの邸内で目覚める。屋敷を彷徨い、電話を掛けている年若い男を斬り殺す。電話口の向こうから怪訝そうな女の声が聞こえる。聞き覚えはあるがもう何も思い出せない。何故そうなったのかお前は理解しない。怯えた顔をした少女が物陰からお前を見上げている。お前の花嫁ではない。
お前は次の可能性世界へ向かう……。
1998年の春の日。お前は穴蔵の娼館で目覚める。青白い炎に照らされて、刃を片手に彼女をにやにやと眺めていた男たちがお前に気付き、傲然とする。刃を振るわれるが死にはしない。不滅だからだ。背後から突いて殺す。悲鳴を上げて飛びかかってくる男たちを機械的に殺害する。少女が騎士様、と誰かの名を呼ぶ。似ているが違う。お前の花嫁では無い。
お前は次の可能性世界へ向かう……。
全ては混沌としていた。
点と点、虚無と虚無である。
規則性の無い点に線を引いて繋げても、現れるのは自己連続性の崩壊した画家が描いた自画像のような、見るも無惨な壊れた記憶のみだ。
無数の断片、無数の断続的な記憶、無数の殺戮が淡々と積み上げられていく。
新たなディオニュシウスが出現する度に、こうした残光のような曖昧な記憶が増えるのだ。
それらはあまりにも脈絡が無かった。
全ての記憶にミラーズ/キジールと似た容姿の女性が登場しており、直接的な暴力に晒されているか、あるいは危機に瀕しているのだが、突然現れたディオニュシウスが、敵対者を例外なく殺害する。
大まかな流れだけは一致しているものの、それ以外の点はまるきり状況が異なる。
矛盾の無い時系列へと整理することさえ出来ない。
リーンズィは考える。ヴォイドの言い様からして、ディオニュシウスを駆動させているのはドミトリィ――オリジナルのエージェント・ドミトリィの感情だ。
迷妄の果てに選択可能だったかも知れない空想世界を組み上げて、その架構現実を自身の瞬間的移動の部品として利用しているのではないか?
似た様態として考えられるのは、やはりベルリオーズやヴェストヴェストといった不滅者たちだろう。
不滅者についても、外部化した理想的可能性世界を足がかりにして、そこで自己復元を実行していると仮定すれば据わりは良い……。
そんな迷走する思考を解きほぐすかのように、強く、強く手を握り締めながら、傍らの少女が身を寄せてきた。
「ねぇ、リーンズィ。リーンズィには、あの方の行いが、騎士様の流浪が、愚かに見えるのでしょう。いいえ、事実として、そうなのです。救いようが無いほどに愚かで……いかなる異邦の地を見渡しても、あの御方ほど愚かしい夢を抱いているものは、数えるほどしかいないのです」
吹き荒ぶ破壊の風に、ミラーズの歌うような声が紛れる。
清らかな声にはいっそ悲嘆が滲んでおり、紡がれる辛辣な言葉とは裏腹の、胸を焦がす色が棚引く。金色の髪をした天使は、ついに手にできなかった宝石箱が踏みにじられ、暗澹たる蛍光の灯の下、輝くばかりの無数の粒子と成り果てた宝物の、その残骸を眺めるようにして、じっと目を伏せている。
「ええ、ええ。何が騎士様なものですか。ドミトリィは本当に勝手な人よ、散々に夢を見させて……結局あたしを助けてはくださらなかった。今も自分勝手な夢に耽って、ひとりよがりで……今こうして、救われなかった私がいるのに、どうしてあたしを救うことなど能いましょうか。けれども……私はあの御方を信じます。もはや救われない、憐れな少女だった頃の私を追い求めるあの御方を、信じます。賢者たちよ、知者たちよ、私があの御方を信じるのは……彼自身が、それが可能であると、信じていないからです。だからせめて、私だけは信じてあげないといけないのです……」
そう結んで、ミラーズは、かつてドミトリィに愛されたその少女は、声を張り上げた。
「
辿々しいリズム、混沌とした語句の連続。
韻律さえまともに備わっていない。
しかし、それは確かに頌歌だった。
原初の聖句によって編まれた、神の威光を、愚かなる騎士の蛮行を、世に知らしめるための言葉だった。
隻腕の異邦の騎士に捧げられたその歌に、しかし、ディオニュシウスの反応は微かだ。
ほんのひととき、その炎上する蒼い巨大な眼球、過去未来現在の別を持たない剥き出しの知覚器官が、ミラーズの金色の髪をありありと照らし出した。
視界に【ディオニュシウス:コード認証に成功】の文字列が踊る。
エージェント・ミラーズは原初の聖句を利用して確実に異邦の騎士の行動原理への介入を果たしていた。
ミラーズの体温が、リーンズィの手から離れた。
リーンズィの動揺を余所にして、死と退廃の入り交じる行進聖詠服、そのねじくれた衣装、不滅にして不朽の服の裾元をはためかせ、少女の白い脚、装甲されたブーツの爪先が瓦礫を踏む。
少女は無力だった。
しかし、体のラインを薄らと浮かせる薄い布きれは、あらゆる弾丸に対して不屈である。ホルダーには斬れぬ物のないカタナを吊るし、四肢に拘束具の如く纏わり付くアシスト用強化外骨格は、彼女に人外の機動力を与える。
そのいずれも塔の不滅者ヴェストヴェストと対面しては砂礫の城壁に過ぎない。
只一度の接触で破滅する。
風の渡る稲穂のような、豊かな黄金の髪をした少女の肉体は、きっとその塔の津波に耐えられない。絶崖にぶつかった小舟よりも容易く、壊れて、散り果てるだろう。
だというのに、少女は笑いかける。「ついてきてください、リーンズィ」と脳髄を蕩けさせる超常の声が心臓を震わせる。
「何があっても大丈夫。怖いことなんて一つもありませんよ。騎士様がいらしてくれました……」
誰の目にも分かる無謀な前進であった。
しかし奇妙な確信がある。
非論理的であることは自覚している。
聖句で洗脳されているのかも知れない。ミラーズへの愛慕が、思考を曇らせているのかも知れない。
だがどうしても信じてしまう。
ライトブラウンの髪の少女は、重外燃機関に懸吊したフルフェイスヘルメットをガントレットの左手で確かめながら、誘われるがままについていく。
無秩序な破壊の嵐を渡る少女の前には、常にディオニュシウスがいる。
その無貌の騎士、狂乱のうちに機械的に反撃を繰り返す悪性変異体は、途切れがちな聖句、辿々しい舌遣いの、稚拙でちぐはぐな神へ捧ぐ言葉に釣られるようにして、ミラーズに随伴している。
無数の騎士、無数の貌の無い騎士、無数の形骸の騎士が、無数の騎士の骸が、彼女に害を為す存在が迫る度に現れ、切り裂く以外には何の機能も有さないその腕で障害を排除し、ミラーズを垣間見、そして己の花嫁では無いと理解して、どこかへ去っていく。
今・ここではない、いつか・どこかのミラーズ……。
ミラーズに似た誰かを救助した行動ログだけを残して。
ふらふらと歩いているうちに、リーンズィのすっかり赤く染まった瞳が、振り返ることも無いまま、違和の出所を見つけ出した。
無言で追従してくるケットシーだ。
プリーツスカートに海兵服、最低限の運動アシスト装備を身につけただけの姿は可憐で、平時であれば写真の中で腰掛けて微笑んでいるのが似合いの、繊美な少女ではあるが、その本性は狂気にこそある。
余人にはうかがい知れないカメラを気にして動き、強者と見れば存在しない視聴者のために斬りかからざるを得ず、対話をするポーズを維持しながら、妄言を並べて執拗に攻撃を加える。
どこをとっても迷惑な性分ではあったが、ヴェストヴェストのような破壊の化身にさえ臆せず突貫していく程なのだから、大した戦狂いである。
それがどういうわけか、ディオニュシウスにだけは、決して手出しをしようとしない。これまでの傾向を考えれば「
耳を傾ければ、ちりん、ちりんと、落ち着き無くカタナを抜き差しし、大型不朽結晶刀剣の鯉口に吊るした鈴を、手慰みに鳴らしているのが聞こえてくる。
しかし実際に抜き放つ気配がない。
ますます確信の度合いが深くなる……。
ますます不吉になる……。
ますます致命的な事象、その鮮血の色合いが濃くなる……。
リーンズィは重外燃機関に阻まれながら苦労して振り返り、父の腕でも抱きしめるようにしてカタナを抱えている黒髪の少女人形、非人間的な美貌の、東洋のスチーム・ヘッドに問うた。
「君は何故あの悪性変異体に攻撃しない?」
「リーンズィはとっても悪い機体」
血の気の薄い唇がぶつぶつと不服を連ねる。
「スチーム・ヘッドから産まれたマモノが一番恐ろしい。それが分かっていて、自分であんな危険なマモノを産んだ」
「それについては弁解のしようが無い」
リーンズィは素直にしょんぼりとした。
予想通りケットシーはそれ以上追求をしてこない。しつこく口論しても視聴率にならないと思っているのだろう。
「しかし、あれと斬り合おうとは思わないの?」
ケットシーはヴェストヴェストから吹き付ける暴風を浴び、黒曜石から削り出したような髪を靡かせながら、首を振った。
「斬れる未来が見えないから、斬らない」
『賢明な判断だと当機は評価します』
宙空に現れたユイシスが、ケットシーに寄りかかり、彼女の人形のような生気の無い肌に指を這わせつつ、口の端を歪ませる。
『可能であると確信出来ない事象は、実行できない。可能世界の選択という希有な才能を持つ貴官の、数少ない弱点です』
「何もかもヒナの思うとおりになる。だって主人公はヒナだもん」溜息を一つ。「だから分かるの。もしもあのマモノを、楽にしてあげようとしたならば……その瞬間、ヒナは後ろからあのマモノに斬られる」
ミラーズに手を引かれて進むにつれて、塔の暴威は物理的圧力となって認知宇宙に降りかかり、強烈な過負荷で視界を狭窄させていく。
それは単に巻き上げられた塵埃によるものではなく、認知世界に降り積もる澱のように思われた。宇宙から降り注ぐ霧のように思考を圧迫してくる。何もかもが遠のいて、現実感を失い、色褪せていくいくような錯覚に襲われる……。
【警告:不明な熱源の接近を検知】の文字がリーンズィの拡張視覚に躍る。【距離:0メートル】
奇妙な数値だ。
リーンズィは首を傾げる。
「誤検知か、友軍では?」
「センサ類では既に捕捉。現在、IFFを確認できません」
「スタンモード、レディ」
音声入力に従ってリーンズィの左腕が雷光を纏う。
「こんなものでどうにかなるとも思わないけど」
そうこうしている間に、ケットシーが突然の接触に電撃的に反応した。
背後から掴みかかってきたそれの腕を、彼女は瞬時に肩に担ぎ、関節をひしいだ。
「蒸気抜刀、
腕部圧縮蒸気噴射孔から蒸気を噴射しつつ掌底を打ち込み、機関震動をダイレクトに浸透させて、内部構造を麻痺させる。
それだけに飽き足らず、ウンドワートから受けた攻撃から学習したのか、少女ケットシーは遅滞なく巴投げの姿勢に入った。
カタナを固定具のように扱って謎めく腕を抱きかかえ、器用なバランス感覚でくるりと転げた。
終始振り返ることすらせず、華奢な白い脚を根元まで晒しながら綺麗な弧を空へ描き、あっという間に闖入者を地面に打ち倒した。
さらには、背後の彼が握っていた、長物らしき武器を、その手から蹴って、離してみせることまでした。
東洋にて最強、葬兵の第一位という自称は、決して誇張では無いらしい。
何の気配も無く出現したそれを、あっさりと無力化してしまうその手際は曲芸の域だ。
「後ろからいきなり肩を掴むのは常識的に考えて失礼」
転げる動きのまま白い脚で鎧の腕を絡め取り、関節を破壊的にロックする。
「ヒナは優しいし編集の都合もあると思うから殺さないであげたけど、これが旧日本自治区のエド・イラなら、切り捨てごめんなさいだった。優しい現代社会の市民感情、ひいてはテレビの前の皆の素朴な気持ちに感謝すべき」
ケットシーの妄言など聞こえてはいない。
打ち倒され、引き回されたそれは、もがきながら、言葉にならない言葉を叫ぶ。
それは、スチーム・ヘッドだった。
そして飛び抜けて旧式だった。
アルファⅡモナルキアも局所の防御にのみ特化した古い設計思想の機体だと揶揄されるが、それよりもさらに形式が古いと断定出来る。
全身装甲型の蒸気甲冑を纏ってはいるものの、生産性を高めるための合理化も、機能向上のための複雑化も、その機体には存在しない。
博物館に飾られているような年代物の騎士甲冑に耐熱・耐水のための増加装甲をたっぷりと施して、運動補助用の強化外骨格をどうにかして取り付けて、それに改造したドラム缶を背負わせればこうなるだろうというような、無闇に野暮ったい外見をしている。
「暴れないで。変なところ触らないで」
理不尽なことを言いながらケットシーが視線を向けてくる。
「これ誰。ヒナは解放軍に詳しくないから分からないけどキャストの人?」
ケットシーは拘束を緩めない。
増殖し続ける塔よりも、消滅・出現を繰り返すディオニュシウスよりも、手の届く範囲に突如現れたその機体を警戒しているらしく、関節のロックを緩める様子が無い。
「私に聞かれても……」
先導するミラーズの手を逆に引き返し、脚を止めるよう促す。
ディオニュシウスの進軍もまたそこで停止し、淡々と分裂、あるいは時間遡行しながら、塔の波を裁き続ける。
リーンズィはとにかくウンドワートを助けるのを優先しようと考えを切り替えていたのだが、突然の闖入者に対して、いらぬリソースを配分する羽目になってしまった。
とは言え、なるほど、観察してみると、その機体には相応の価値が備わっているようにも思われた。
「これは……解放軍……か……?」
かなりの戸惑いがあった。
援護に駆けつけた機体という可能性もあるにせよ、その機体に全く見覚えがない。
少なくとも<首斬り兎>の討伐に投入された群には含まれていなかった。全ての機体のデータを持っているわけではないが、これまでに見たことが無いという確信がある。あまりにも形式が古すぎるためだ。見れば忘れるはずがない。
ミラーズが歌を奏で、狂気の騎士が剣を振るう。
その背後で、リーンズィとケットシーは正体不明の闖入者をどうしたものか、視線を絡ませ、無言で合意を図ろうとしていた。
ライトブラウンの髪の少女は赤い瞳でそのスチーム・ヘッドをまじまじと眺めた。
一拍遅れて、拡張視覚に【所属不明】の字が浮かぶ。やはり解放軍の機体では無いようだ。
無限に増殖するのではないかと思われる異形の塔、意味不明な情報ノイズを撒き散らす、因果律を無視した首なし騎士と比較すれば、無害そうではある。
しかし、異質さで言えばそのスチーム・ヘッドも同等だ。
それほどに
もがきつつ、機体各所から蒸気を薄らと漏らしているが、それでもケットシーを振りほどくことに成功していない。
ケットシーの拘束がいくら完成されたものであっても、所詮は生命管制特化型の出力である。真の戦闘用スチーム・ヘッドならば、少女の股関節に痛撃を見舞い、間髪入れず己の肉体の関節破壊を厭わずに跳ね上がって、反撃に転じている頃だ。
ただ、それが全く出来ていない。華奢な少女に背中から跨がられ、俯せのまま、じたばたとしている。時折体を起こすことに成功しかけるのだが、瞬間的に出力を高めたケットシーにあっさりと組み伏せられてしまう。
どうやら瞬発力で劣っているらしい。
こうした性能上の欠陥は純粋蒸気駆動型に特有のものだが――とリーンズィは困惑のうちに思慮する。スチーム・ヘッドの主眼点は身体性の拡張にあるため、緊急時には単なる枷になりかねないこの方式は、黎明期の機体にしか採用されていないのだ。
巨躯を誇るパペットにおいてはそれでも使い出があるため、改修も無く運用が続けられるケースがあるのだが、スチーム・ヘッドとしては例外なく骨董品と言っても良い。
「敵では……ないのでは?」
とりあえずは、自分たちには無害そうに思われた。突然の出来事に心を乱してしまったが、いつまでも拘束して立ち止まっているわけにも行かない。
こうしている間にもウンドワートへの援護の有効性はどんどん低くなっているのだ。
「だって、攻撃の意図があるなら、初手から武器を振り回せば良い。肩を掴むに留めてきたのなら平和的な意図があると消極的に推測する……ケットシー、拘束を解くべき」
「リーンズィはかしこい」うんうん、とケットシーが頷いた。「ヒナもそう思う。これで何かあっても二人の責任と言うことでお願いします。放送事故の秘密の共有……」
ケットシーがするりと身を離して、大型不朽結晶剣の抜刀姿勢に入る。
そのスチーム・ヘッドはようやく自由になった片腕も使って、ゆっくりと身を起こした。
不意打ちに特化した武装も持っているようには見えず、リーンズィはもどかしい気持ちでその緩慢な動作を観察した。
そして、見た。
頭部の形状は騎士甲冑とも異なり、やはり印象としては潜水士や宇宙飛行士のそれに近く……。
ヘルメットに、竜の刻印。
リーンズィは目を見開く。
そのスチーム・ヘッドの頭部の半分に、赤い竜の刻印が施されている。
アルファⅡモナルキアに施された調停防疫局の紋章と似た文様が、そこにはっきりと見て取れる。
視線を彷徨わせる。そのスチーム・ヘッドが取り落とした、長柄の武器と思われたものは、戦端に穂を備える
材質は不朽結晶連続体。結晶純度こそ低いが、思想的には調停防疫局と同様のものが覗える。
そこにもやはり赤い竜があしらわれている……。
「何なのだ……何なの?」
もちろん、それは調停防衛局の御旗とは明らかに異なる。
彼らの竜は行軍の最中と言ったような有様で、世界地図を背にして鎮座する蛇竜のエンブレムとは、似て非なるものだ。
彼らが積極的戦闘を目的にした組織の成員であることが伝わってくる。
リーンズィは深層領域から関連する記憶を引き出した。
赤土の荒野で、給仕服姿の黒髪の乙女が、拗ねたような貌で嗤っている……。
>でも、似た旗は何度も見た覚えがあるよ。ウェールズ王立渉猟騎士団っていう集団が持ってる。
>うん、改めて検証すると、赤い竜が描かれているところしか似てないかな。
>彼らが何という組織なのかも、本当は知らないんだ。
>騎士っぽい姿をしていて、ウェールズの国旗みたいなものを掲げて歩いてるから、僕が勝手にそう呼んでるのさ。
「ウェールズ王立渉猟騎士団……?」
あの恐るべき殺戮兵器に言われていた通りの外観に思えた。
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