黙示録の兵士たち②

「騎士団って何?」ケットシーはにじにじしながら首を傾げる。「ポジションはどっち。敵? 味方?」


「確か彼らは……」


『そうそう、彼らはどうも<時の欠片に触れた者>を追いかけてるみたいなんだ』

 都市焼却機フリアエの声音を真似たユイシスが、空中にアバターを遊ばせながら記録を再生する。

『報告。現状での敵対意思は不明です』


 やはり、これが噂に聞いていた渉猟騎士団なのか。

 リーンズィはおずおずと、周囲の破滅的騒音に負けない程度の声を張り上げた。


「……その、いきなり私の仲間が投げ飛ばして申し訳ないのだが! 私は調停防疫局のエージェント、最終全権代理人、アルファⅡモナルキアだ。貴官の所属と目的を問う」

 左腕ガントレットのスタン装置から威嚇の火花を放ちながら誰何した。

「何をしに現れた!?」


 そして、正体不明機が背にしている破壊の風景を目の当たりにする。

 粉砕され、塔が乱立するばかりとなった己らの背後の荒涼たる有様に気付き、戦慄とともに問いかける。


「そして、どうやって……ここに来たの?」


 死地の只中だ。

 ディオニュシウスの刃が押し寄せてくる塔を片端から破損情報へと変換しているにせよ、彼の刃が届かない範囲内では、復元も増殖も問題なく続いている。

 通常のスチーム・ヘッドであれば、そもそもここに至れないはずなのだ。

 不朽結晶連続体で構成された塔に跳ね飛ばされて終わりだろう。

 それなのにこの鈍重そうな旧式スチーム・ヘッドは、何故か平然としてここに現れたのだ。


 ウェールズ王立渉猟騎士団らしき機体は両手を広げ、その見窄らしい装備を晒して、無言のうちに敵で無いことをアピールしてきた。そして答えた。


「urhhh…謌代�↓謨オ蟇セ縺ョ諢乗昴�縺ェ縺�」


「なに?」リーンズィはきょとんとした。


「変な音がしてるけどこれ何?」ケットシーも眉根を寄せた。


 変な音、というのは事実だ。

 喉に穴が空いた兵士が末期に漏らした呻き声のようですらある。


「別の言語体系の宇宙から来たのか……?」


「その方は『敵対の意思はない』と仰っています」

 ミラーズが不意に歌うのを中断して翻訳結果を告げた。

「リーンズィ、あなたが矛を降ろしても問題はありません」


「彼の言葉が分かる……の?」


『発音が極端に悪いだけと推測』

 ユイシスがミラーズの傍で嘲笑う。

『レーゲントならば言語の壁など容易いものです』


「urhhh…蜿榊ソ懊′驕輔≧縲ょ菅縺溘■縺ッ謨オ縺ォ縺ェ繧峨↑縺�」


 無抵抗な素振りで、なおも言葉を重ねてくるのだが、リーンズィにはやはり意味が分からない。


「すまない。私には君が何を言っているのか理解出来ない」


 渉猟騎士団は粘着質な唸り声を上げながら、己のヘルメットの前面、顔面を覆う遮光バイザーに手を掛けた。

 そして、その内側を晒した。

 ケットシーが露骨に眉を顰めた。

 リーンズィもまた、その異様な有様に言葉を失う。


 あるべきものが無かった。

 目も鼻も口も、人間として備えているべき器官が一切無い。

 そもそも貌と呼べる物がなく……。

 消化器のような肉の管が、ヘルメットに沿って。

 押し込められている。ただ、それだけだ。

 それら肉の管は群れを成して蠢き、捻転し、歯車の如く絡み合い、汁を零して、ぐちゃぐちゃと粘つく音を立てながら、湯気を上げるのみで、視聴覚についての機能を持っているようには思われない。

 全ての部位が蠕動しながら移動しており、胴体部分へと移動していく管もある。

 頭部と認識出来たのは、ヘルメットという外骨格で縁取られているがために起きる錯覚だったのだ。

 おおよそ人間性から最も遠い生命の様式だった。

 不死病患者らしい花の香りのする匂いがなければ、嘔吐感を催すほどに醜悪な光景である。

 リーンズィが声だと認識していたのは、そうした腸管の如き臓物の隙間を通って吐き出される、何らかの呼気であるらしかった。

 ヴァローナ由来の生理的嫌悪感が全身を突き抜ける。あまりにも衝撃的だったため、リーンズィが無意識にこの異物に撃ち込むための有機再編骨針弾の弾頭を選択していると、騎士団員は大儀そうに肉の管を蠢かせ、流路を変形させながら、今度こそ何事か発した。


「え……ぜんつぉだ。……トキノかケェらにフレた……モの……」


「……と、時の欠片に触れた者……?」


 平静を取り戻したリーンズィが憶測混じりに復唱すると、骨董の外骨格が頷きの動作を見せる。


「ついぜき……し……ていrう……」


「リーンズィリーンズィ、これどうするの? なんか悪役っぽいしヒナが斬る? 斬れると思うし」


「で、でも敵対の意思は無いと……」


「ヒナは詳しいから分かるけど、意志がどうとかとじゃなくてこんなのは悪役でしかあり得ない造形。完全に怪人。しかも子供が見たらクレームになるやつ。BPO怖いし早く殺そ?」


「さすがに放送倫理を恐れて殺す方が倫理的に問題なのでは……」


 発声に疲れたのか、騎士団員はバイザーを閉じてしまった。

 塔と騎士の狂乱から身を守るためかも知れないし、少女二人の反応があまり良くなかったのを気にしたのかも知れない。

 代わって、ぎこちなく両腕を動かして、パントマイム混じりのジェスチャーを送ってきた。


『解析。国際手話と類似した動きです。解析結果を表示します』


 古めかしいスチーム・ヘッドのすぐ傍に、ユイシスが【誤検知して、ここに来てしまった】と翻訳案をリアルタイムで書き加えていく。


【その悪性変異体の反応が<時の欠片に触れた者>に類似しているためだ。実際に観測して、脅威度が警戒水準に達していないことを確認した。現時点で、我々に貴官を攻撃する意図は無い】


「敵ではないのだな?」


 口で言いながら、物理演算を有効化したユイシスにアシストされるがまま、手話で以て応答する。


「猫の手も借りたい状況で、しかし猫は信じられない。これ以上敵まで増えてはどうしようかと思った」


 不要な文言であるが、とにかく伝えられるがまま動作する。ミラーズの香りまで再現した上で背後から体を抱かれ、あれやこれやとボディタッチされているため、リーンズィは少しもどかしい思いをすることになった。

 塔と騎士が際限の無い矛盾の螺旋を描き、得体の知れぬスチーム・ヘッドと対面している状況でやることではないと内心で抗議するが、『肉体の緊張が基準値を超えているためです』と囁かれては対抗出来ない。

 ユイシスがふざけていないという確証はないが、異形の騎士団員は満足げなジェスチャーを返してきた。


【そうだ。手話が通じるようで安心した。この状況下でユーモアを発することが可能なら、その首の無い変異体の制御も問題ないだろう。先ほどの問いについてだが、申し訳ないが、所属は現在開示できない】


 動きに淀みはないが、じっと見ていると、どうしても先ほどまで外界に晒されていた管の群れが脳裏にチラついた。

 おそらく、このスチーム・ヘッドに人間らしい肉体は存在していない。

 蒸気甲冑の内部には、頭と同じく肉の管がぎっしりと詰まっていて、それが外骨格を操って、普通の人間のように振る舞っているのだ。本能的な忌避感を惹起するおぞましい光景ではあるが、しかし騎士団員の動作は、信頼性の高い知性があることを示唆していた。


【可能世界の消費的選択は、隣接する可能世界の汚染である。際限ない射程の拡大は不可知領域における事態の深刻化を招く。我々はその警告に訪れたと解釈して欲しい】


 そうして騎士団員の機体の指差す先に、顔の無い騎士、かつてヴォイドであり、ドミトリィだったものの妄念に身を任せた骸の騎士、ディオニュシウスがいる。

 塔と対峙すると同時に塔の背後に現れて剣を振るい、元から存在した個体は虚空へと掻き消える。

 破綻した因果律の展開が、至極当然のように維持されているさまは、甚だ異常であるにせよ、異形のスチーム・ヘッドが言うには、危険度は<時の欠片に触れた者>に遠く及ばないらしい。

 しかし、何故ディオニュシウスと<時の欠片に触れた者>と比較するのか?

 ディオニュシウスとあの超越存在に何の関わりがある?

 アポカリプスモードとはいったい何なのだ?


 ……リーンズィは不意に眩暈を覚えた。

 サイコサージカルアジャスト、精神活動を外科的に抑制することで感情が閾値を超えて活性化することを防ぐオプションの起動が提示されたが、拒否する。

 ヴォイドはリーンズィに、独自の感情を持つ機体になって欲しいと願っていた。

 感情は脆弱性だ。時に判断能力を鈍らせ、肉体を怯懦で縛り、逃避のために非合理的な選択を行わせる。

 しかし、それこそが標になると理解していた。

 恐怖と畏怖無しでアポカリプスモードと向き合うことは出来ない――恐怖と畏怖だけが、その認識を正しいものへと変えていくのだろう。


 己が無意識のうちに棄却していた可能性に、向き合うべきが来ていた。

 この異形のスチーム・ヘッド――ウェールズ王立渉猟騎士団と仮称される機体は、都市焼却機フリアエが証言していた通り、<時の欠片に触れた者>を追跡している。まずそれは間違いない。

 そして時空間を自在に移動・操作する悪性変異体を追跡するには、同様の手段が必要であろうから、ウェールズ王立渉猟騎士団も相似の権能を持つはずだ。


 突如として出現したのは、文字通り『時空間を移動してきたから』に他なるまい。

 非人間的な存在形式も、そのために極端にチューニングされたものだろうと漠然と予測が付いた。外観から察する限りにおいて、性能は到底戦闘に耐え得るものではないが、通常なら実現し得ない機能を搭載しているのであれば、話は異なる。

 見た目こそ奇異だが、騎士団員は間違いなく他のスチームヘッドよりも高位の存在だ。

 それが「ディオニュシウスは<時の欠片に触れた者>と似ている」と言っている。


 脳裏に誰かの声が響く。

 アルファⅡモナルキアに装填された無数の人格記録媒体の声が。

 ……アポカリプスモードは、原則として、絶対に解放されてはならない……。


 全ての糸が繋がるまで、時間はかからなかった。

 手遅れであることは見るまでも無い。

 平穏な時間軸は既に事切れて、屍をさらしている。

 それらは最初から撓みの無い首吊りの縄で、そこにはとっくの昔に、世界が吊るされていたのだ。


「ミラーズ。急ごう。手遅れの世界が増えてしまう前に」


 背中を押してミラーズに囁きかける。

 金色を髪をかき上げて、香りを嗅ぎ、それからまた泣き出しそうな声で「急ごう」と繰り返す。


「心配してはいけません」ミラーズは慈しむ声で唱える。「何があっても、大丈夫だから。あなたが恐れるのであれば、幾らでも歌を歌いましょう。ずっとあなたの傍にいて、その手を握り締めましょう。だから、お願い――思い詰めないでね、リーンズィ。あたしの一番新しい愛し子……」


「私たちは、そう。きっと何があっても大丈夫」


 リーンズィは弱々しい声で頷いた。そして目を伏せた。


「でも私たちの外側は、違うのだ……」


 ライトブラウンの髪の少女の内心に芽生えたその迷妄を振り切るようにして、ミラーズは高らかに声を張り上げる。

 歌に誘われた貌の無い騎士は前進を再開し、刃の傘となって塔の存在を否定していく。


 リーンズィは意志決定の優越により統合支援AIを呼び出し、震える声で問うた。


「ディオニュシウスの出現と消滅は――カタストロフ・シフトの応用だな?」


 カタストロフ・シフトはアルファⅡモナルキアに固有の機能だ。

 自身に高危険度の悪性変異体の因子を埋め込み、任意のタイミングで発芽させて、<時の欠片に触れた者>による機械的な隔離処置を利用し、滅亡した異世界への移送を強制させる。

 ミラーズというアンカーを持たないリーンズィが使用すると帰還不能な自殺行為と成るが、極めて特異な機能だ。


「一方でディオニュシウスは、それが単独で出来る。自分の意志で転移が可能なんだ」


 即ち、他の時間枝の能動的移動が可能なのだ。

 この点ではあの時空間を操作する悪性変異体、七つの眼球を持つ炎上する影と類似である。

 ユイシスのアバターは、ミラーズと同一の、それでいて、本来優しげな顔立ちの彼女とは決定的に異なる冷笑的な美貌で、『肯定します』と耳打ちする。


『ディオニュシウスと貴官の差異として、ディオニュシウスは可能世界に対し、独力でアンカーを投じ、世界間移動を実行可能です。正確に言えば、応用であるのは貴官のカタストロフ・シフトの方です』


「単独で時空間を移動出来るが、しかし何の標も無く時間枝という大海に乗り出すことは出来ない。使用するアンカーは『キジール』……ドミトリィが生涯にわたって思い続けた、彼の罪だ」


『肯定します。ディオニュシウスは近似する可能世界の彼女、特に生命の危機に瀕している分岐宇を検索し、無作為に転移します』


 塔の不滅者ヴェストヴェストが塔の津波となって押し寄せる度、致命的な衝突と破壊を経験する前に、ディオニュシウスが相手から見て完全に死角となる場所に出現して、攻撃を受ける前に反撃を実行する。

 目に見える現象は、それだけだ。

 単純に過去へ遡って結果を書き換えているようにも見える。


「しかし、この理解も正しくないのだ」


 貌の無い騎士の受け止めきれなかった瓦礫を、ガントレットで打ち払う。


「直接過去へ跳躍しているわけでは無い……


 リーンズィは今や全ての真相を見通している。

 ディオニュシウスから送られてくる謎の行動ログは全て『彼が実際に実行してきた任務』なのだ。ヴォイド=ドミトリィ=ディオニュシウスは、リーンズィを守るために行動しているわけでは無い。

 さらに言えば、自分自身が攻撃されたことに対する報復として攻撃を実行しているのとも異なる。

 鍵となるのはアンカー、目指すべき座標として設定されている彼の花嫁の同位体……ミラーズだ。

 ディオニュシウスが斃れればミラーズに危害が及ぶ、その可能性を検知した近隣の可能世界のディオニュシウス……それがドミトリィなのか、他の何かなのかは分からないが……それがミラーズを救助するために、どこかの世界から転移してくるのだ。

 否、否、それすら正確ではない。!


 ディオニュシウスは、ありとあらゆるミラーズ/キジールを守るために、時空間を跳躍し続ける。

 今・ここなどという縛りは無い。

 射程は無限だ。機会は無限だ。終点が存在していない!

 即ちディオニュシウスとは、単一にして無限の群体。リーンズィたちの前に現れて塔を打ち払うのは、時間連続体を観測する変異体、ウィルオーウィスプの燃え上がる炎の目を手繰って、無限の可能性世界のいずれかからミラーズの救援のため転移してきた、連続性すら定かならぬ、同一にして異なる、見知らぬわけもない、名状しがたい存在形式のなのである。

 おそらく彼らは、どこで、どのようなミラーズが、何故危機に瀕しているかといった事情は、一切斟酌しない。ただ可能性を無作為に抽出して、無限回の試行を行っているのだとリーンズィには分かる。


 途方も無い能力である。目的達成のために、近隣の可能世界から自分自身を招集できるのであれば、ディオニュシウスを撃破する方法は事実上存在しないことになる。まさしく無限の軍勢、欠けることの無い狂気の赤い月のようである。誰も天体から逃げることは出来ない……。

 ケットシーですら斬りかかるのを躊躇うのであるから、その脅威度の異常性は疑う余地が無い。彼女がそれを実行に移したとき、どうなるのかは分からない。

 ヒナが可能世界を見通して数瞬先の未来を確定する前に無貌の騎士が首を刎ねるのか、それともヒナがその可能性さえ見越して先手を打つのか……。


『推測。最も恐ろしいのは矛盾し合う二つの能力が相互に連鎖して、無限の分岐を生み出してしまうことです。ヒナを殺害するために数十億のディオニュシウスが現れるかも知れません』


 ただし、これらの人の領域を逸した性質すら、アポカリプスモードの本質では無い。


「ユイシス。どうか君に分かるのならば教えて欲しい。――ディオニュシウスが転移するのは、彼女が、ミラーズ……キジールになる少女が存在する座標のみだろうか?」


『肯定します。アンカーを用意しなければ、転移自体が不可能です』


「そう。それじゃあ次の確認……」


 リーンズィはからからになった喉に、唾を流し込む。


「転移先の世界に、不死病が存在するかどうかは、識別している?」


『否定します』

 怜悧な声で統合支援AIが耳を甘く噛んでくる。

『ディオニュシウスが識別するのは、彼の花嫁の存在の可否と危機のみです』


 これで確定した。


 ディオニュシウスの本質は、不死病という概念の播種にこそある。


 不死病は、伝染する。

 不死病がどのような病と結合し、変異がどれほど進んでいるかによって程度は上下するが、不死病患者、ひいてはスチーム・ヘッドが活動しているだけでも、周囲の健康な人間に感染が及ぶ可能性がある。

 アルファⅡモナルキアのように重外燃機関の冷却に大量の血液を使用する機体はそれだけで危険だ。そして全身が不死病による重篤な変異を迎えているステージ2、悪性変異体においては、感染拡大のリスクはステージ1の比にならない。


 悪性変異体が忌まれるのは、単にその戦闘能力や外観の無残さに依るものではない。

 出現すれば爆発的に不死病による汚染の拡大を加速させるからだ。

 そしてそこがリーンズィのカタストロフ・シフトと、ディオニュシウスのカタストロフ・シフトの決定的な差異であった。

 リーンズィの場合、使用するのはあくまでも偽陽性反応であり、実際に悪性変異を起こすことは無い。さらに、実際の移動経路を用意する<時の欠片に触れた者>は、滅亡後の世界を選択してくれる。

 移動先の世界は既に滅亡しているがために感染が拡大する恐れは無く、防疫措置を講じる必要も無い。


 だが、ディオニュシウスには、転移先の世界を保護するための機能は一切備わっていないのだ。

 複数の悪性変異を組み合わせたディオニュシウスが、不死病拡散のキャリアとして優秀なのは疑いようも無い。悪性変異体と接触すれば即感染するというわけではないにせよ、花嫁を救うという到達不可能な目的に対し、試行回数は無限に積み重ねられている。

 いずれかの可能世界においては、やがてキジールとなる少女、それに害を成す者を斬り、その人物を不死病患者として蘇生させているはずだ。

 あるいは己の花嫁の同位体さえも汚染しているかも知れない。


 さらには、その世界から退去する際の手順にも疑問が残る。

 例えば自身を構築する要素を分解して消去、量子化された情報のみを別の時間枝に転送して肉体を再構築している場合、去った地には不死病で汚染された微粒子が充満することとなるのでは……?


 単に因果率を歪めているだけではない。

 事態はより深刻で、悪質だった。首無しの騎士が己の妄執を叶えるために転移を重ねれば重ねるほど、彼の花嫁を救おうとすれば救おうとするほど……近接する可能世界のうち、特に汚染の進んでいない領域が、崩壊していく。

 大抵の世界には不死病の因子が存在している。

 どの世界にも不死病が発生するリスクはある。

 だがそうした病や混乱とは無縁のまま終焉を迎える時間枝も、やはり無限に存在すると想定される。

 ディオニュシウスが現れた時、そうした本来なら清浄であるべき時間枝が、彼の花嫁の同位体を有するという理由だけで、自動的に汚染されてしまう。永久に不死の病などと言うものは出現しないし、それに起因する破滅的な最終戦争が勃発することもない、そんな安寧の宇宙が、ディオニュシウスが立ち寄ったと言うだけで、歪められてしまう。

 人の在り方が、尊厳に対する攻撃も同然の方法で、果てしなく歪められていく……。


 汚染され、呪縛され、その地は終わらぬ不死に冒されるのだ。

 なるほど、近似の可能世界を利用した因果律改変による局地殲滅は、完璧だ。

 撃破不能、移動経路特定不可の悪性変異体をコントロール出来るのならば、戦力としてこの上ない。

 だがその本質は戦闘では無い。

 


「アポカリプスモードは……」


 リーンズィは震える舌で、唇を、己の汗を舐め取る。痺れるほどに甘く、そこでようやく自分が、恐怖していることに気付いた。

 しかし、意を決して、己自身に刻み込むように、結論を舌先に結ぶ。


「アポカリプスモードは、不死病を、他の時間枝にまで伝播させるために存在している……。そうなのだな、ユイシス。見も知らぬ人間たちに、不滅と不朽を約束する。不滅であることを押し付けるための機能なんだ。回避不能の災厄を! 復活と審判、死と復活の運命を、無差別にばらまく……。その担い手を生み出す性質こそが、アポカリプスモードの本性だ……強力な変異体を生み出すのは副次的な機能に過ぎない」


『肯定します。よくできました、と言いましょうか。よしよしでもしてほしいですか。まぁ五十点ぐらいの回答ですが』電子の精霊、ユイシスは両手を広げて微笑んだ。『。それこそがアルファⅡモナルキアの使命なれば、この程度は序の口と申告して差し上げます』


「そうだとしても、到底、許容できない。不死病の猛威を無関係な世界にまで射程に捉えてはならない。その道を選ばなかった世界を、我々は保護しなければならない」

 リーンズィは決然として言い切った。

「一刻も早くこの非人道的な現象を停止しなければ。ウンドワートを援護し、早急にディオニュシウスの失活化を実行する」


 その時、背後で剣戟の音が響いた。

 見れば、ケットシーがダイ・カタナを抜き放ち、解放軍のスチーム・ヘッドを切り裂いている……。


 リーンズィは声を荒げて静止したが、よくよく見ると、それはスチーム・ヘッドではない。

 真っ二つに切断されたはずの機体は即座に復元を実行し、『行動を阻害されていなかった』という仮定でしかあり得ない場所へと瞬時に移動して、再度ケットシーに接近しつつある。


 新たな不滅者、『猫の戒め』に連なる存在だ。それが無数に出現している。

 スチーム・ヘッドにしか見えないが、それら謎の機体群は、塔の影から泡のように湧き出しつつあった。


『推測。ケルゲレンたちの側で何か動きがあったのでしょう』


 ケットシーが、飛びかかるその機体へもう一太刀を浴びせる寸前、奇怪なことが起こった。

 不滅者が消えた。


 リーンズィの意識をヴァローナの瞳が導く。

 やや遠間にいたはずの旗持ちの騎士団員がケットシーのすぐ傍に移動しており、そして赤い竜の旗の穂先で、不滅者を刺し貫いて、高く掲げている。

 何が起こったのか、リーンズィの目にも映らなかった。

 さしものケットシーも人形のような顔に冷や汗を浮かべている。


 ただ突然に、結果だけが出現していた。

 渉猟騎士団は、旧型機だ。

 とてもオーバードライブが可能な機体には見えない。

 仮にそれを起動していたとすれば不滅者たちも同速度で動作を開始していたはずだ。

 だがそのような形跡は一切無い……。


『推測。該当機体は時空連続体の運行を何らかの機能で停止したものと推測されます』


「時間を止めたということか? そんなことが可能なのか!?」


『出来ているため、可能なのでしょう』


「ヒナよりも速い……?」ケットシーは不服そうに呟く。「嘘。ヒナの方が速いもん」


【助力が必要と判断する】

 不滅者を遠心力で遠くへ放り、片手だけのジェスチャーとパントマイムで伝えてくる。

【その悪性変異体にさらに変異されては問題になる。必要ならば我々は、我々を招聘する。救援要請を受諾する準備は出来ている】


 新たに出現した猫の戒め、スチーム・ヘッド型の不滅者の群れは、見るからに反応が鈍かった。

 復元機能を使おうとも取るに足らない。下手をすれば非戦闘員ですら封殺できるかもしれない。不滅者になれば生前よりも能力が低下するという言説は正しいようだ。

 ヒナにせよ騎士団員にせよ、これらに後れを取ることはあるまい。

 ただし、如何せん数が多い。

 無数の塔、無数の影から、数え切れない数の不滅者が湧き出てくる。


「恩に着る。助力を要請する。ヒナ、その騎士とともに防衛を!」


 ケットシーは先手を取られたことが余程堪えたのか、無言でカタナの柄を握り締め、返事をする代わりに数体の不滅者を瞬きの間に切り捨てた。

 手足の末端を斬るのみ。復元を実行させない精妙な剣捌きは、しかしオーバードライブに頼るところでは無い。

 騎士団員はその動きを興味深そうに観察していた。

 そうして、不意に旗を掲げ、目には見えぬアルゴナウタイの船に向けるが如く、旗を振るった。


『不明なスチーム・ヘッドの出現を検知しました』


 それらの軍勢は音もなく、光も無く、気配も無く、静謐のうちに訪れた。

 乱立する塔の一つに旗が棚引く。張り付いた兵士の、片方の手には槍。生身の単眼を一つだけ備えたヘルメットが地表を睥睨している。無数の不滅者が越冬雀の早贄めいて塔に串刺しにされている……音もなく不滅者の背後に現れて甲冑の手で手足を引き千切り、アスファルトにばらまいている影がある。装甲の施されていない蒸気甲冑の下で肉の管が蠢いているのが見える……高速移動型の不滅者は、止まった時間の中で追い縋って羽交い締めにされ、首を捻られ、ヘルメットから吐き出した管で脳髄を冒されている。両腕は鎧の圧迫で圧壊。騎士団員の胸の中、復元をするための空間自体が封殺されている……オーバーフローを迎えた不滅者たちは煙を噴き上げて溶けて落ち、猫の形をした幻想がくるくると宙を舞い落ちて着地する。

 それから暢気に伸びをして、どこかに去っていく。


 不滅者たちは無力だった。

 何かをする前に、淡々と、この不可思議な軍勢、ウェールズ王立渉猟騎士団によって無力化されていく。

 奇妙な兵士たちが、瞬殺無音の現象を引き連れて、次々と集結しつつある……。

 時間移動――そして、時間停止。

 考えてみれば単純な権能だった。

 鋭敏な感覚と可能世界の選択によって、後の後からでさえ先を取るケットシーが、一度でも背後を許してしまったのだ。

 それもあの瞬間、実際に時間が止まっていたのだと考えれば説明が付く。


 予測としては荒っぽく、些か荒唐無稽ではあるが、このような機能でも無ければ、<時の欠片に触れた者>の追跡など到底叶うまいーーしかし、この程度の機能では、やはり、叶うまいという憐れみも覚える。

 結局の所、彼らもまた、永久に届かない目標に向かって飛翔する、無謀なイカロスに過ぎないのかも知れない。

 須臾の剣士、不滅の軍勢、時間軍とでも言うべき異形が、吹き荒ぶ塔の嵐の狭間を駆け巡る中、リーンズィは己のが生み出した怪物を止めるために、嵐の中央部に向かって進み続けた。

 災厄を撒き散らす花嫁の騎士、無貌のディオニュシウスを先頭にして、聖なる乙女に手を引かれ、虚無の中枢へと、一直線に……。



 かくして、<首斬り兎>討伐に始まる一連の混乱は、にわかに混沌の坩堝、決戦の様相を呈し始めていた。

 程なくこのクヌーズオーエは戦果に飲まれ、四方世界は破滅の渦へ落ちて行くだろう。

 しかし、世には確かに存在するのだ。

 そうあれかしと望まれて産まれた、調停のための、真なる聖女が。

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