シルバー・バレット②

 アポカリプスモードの起動は確かに有力な選択肢だ。全ての問題を究極的に解決することだろう。

 問題は、その実態が調停防疫局の活動理念と丸きり食い違っているということだ。


 リーンズィとしては、多少の犠牲を払ってでも、この局面を無視したかった。

 アポカリプスモードなど決して使用してはならないと断じたかった。

 自殺を空想した人間が、それ以降永久に自殺を可能な選択肢に含めてしまうのと同様だ。

 これを使ってしまっては、常に選択肢にアポカリプスモードが浮かぶことになるのだから。


『本格稼働は避けたい。K9BSやダブルクロスモードでどうにか拘束する……というのはどうだろうか、どう? 不死病患者の再生と同じで、生命に直接影響が及ばない範囲なら、復元も起こらないかも』


『一理ある。ならばアポカリプスモードの準備のみ進行する。完了まで500000ミリ秒。エルピス・コア、オンライン。出力安定のためにリソースを優先投入。右腕部悪性変異体の自動操縦は困難。生命管制機ユイシスにコントロールを要請』


『<青い薔薇>、制御権を受諾しました』


『ま、待って……500000ミリ秒?!』

 リーンズィは瞠目した。

『アポカリプスモードの起動って、そんなにかかるのか? かかるの!?』


『えっと、500000ミリ秒って何秒?』

 ミラーズがぼんやりとして首を傾げた。

『あたしたちが細切れにされるより短いの?』


 あまりにも長すぎる。

 増援無しでは到底食い下がれる時間では無い。


『ダブルクロスモードとの併用は可能だ。まず私が打って出る。リーンズィはコロネーション・プロトコルの準備を』


 ヴォイドに応じ、女の声が告げる。


『<青い薔薇>、オーバードライブ実行』


 巨躯の兵士の右腕を構成する魂無き青い茨が、狩りの時間に猛り狂い、輪郭を震動させ、おぞましくも猛々しい歓喜の声を停滞した空間に響かせる。


 それらは凍り付いた空気を押し退ける波濤となって道路を抉り地下へ潜り込んだ。

 地下構造は既に音紋解析でスキャンを終えている。光すら射さぬ干からびて久しい下水道に植物に擬態した変異体の濁流が迸り爆発的に増殖した青い薔薇は自己崩壊しながらエネルギーを生産。

 意識の介在しない暗渠から、幾百の槍となって組木細工の騎士を襲った。


 ケットシーの変幻自在の剣戟を受けながら前進を進めていたベルリオーズは、驚異的な結晶純度の装甲でこれを凌ごうとしたが、波の如く弾けた蔓の群れが、今度は装甲の隙間へと殺到する。

 生体部分が露出しているなら、これを狙わない手は無い。

<青い薔薇>は本能的に己が苗床とすべきモノを理解している。


 ベルリオーズの奇々怪々な変形、自分自身を何か便利な七つ道具としか思っていないかのような無軌道で破壊的な跋扈。

 それを支えているのは、莫大な機関出力でも刃を備えた高純度不朽結晶の鎧でも無い。細やかに、しかしダイナミックに張り巡らされた、生体組織の繊維束である。あるいはそれは肉ではなく、何か粘菌演算器のような生物機械なのかもしれないが、いずれにせよ命は命であろう。

 青い薔薇は生命に同化して汚染し、変異を強制して、自己安定化のための苗床に仕立てる。


『ぬうう……これは……これはなんだ。いや、見たことがある……青い薔薇……薔薇とは、いったいなんだったか……』


 ケットシーは、既に過去、この技を見ているし、こうして発動した未来も見ている。だから巻き込まれることはない。

 その期待通り、華奢な肉体と長く伸びた白い脚で巧みに重心を操りながら鮮やかな身のこなしで宙を返り、間合いから外れていた。


 異形の狼も展開した刃の結界を巻き戻そうとするが間に合わない。ベルリオーズの生体組織は瞬く間に蔦に貫かれ茨に楔を打たれ、四方へ打ち出された結晶線維により、ボディを外骨格ごと締め上げられた。

 通常ならもはや挽回は不可能。青い薔薇は種子を散らし、花を散らし、冬空に狂える神の奇跡が蒼白の花弁となりて咲き誇り、無限の花で葬送を飾り続ける。

 果たして組木細工の狼は完全に身体を拘束され、ひとまずはその場に固定された。


 リーンズィは首を傾げる。


『上手く行きすぎている……?』


 正直なところ、この一手で拘束が完成するとは信じていなかったのだ。

 しかし現実にはあまりにも上手く運んでしまった。


 ベルリオーズはケットシーのオーバードライブには対応出来る。

 なのに、どうして青い薔薇のオーバードライブには対抗できないのか?

 

『見事な手際じゃな』


 唐突に背後から声を掛けたのはケルゲレンだ。

 リーンズィはびっくりして振り向きざまに彼の頭を標識から切り出して作った槍で打ち据えたが、特に効果は無く、槍の先端だけが砕けた。

 よくよく見ればケルゲレンだけでなくグリーンやイーゴ、そして軽装の戦闘用スチーム・ヘッドがあちらこちらに居座っている。

 残存部隊がいたのだ。

 全体からしてみればごく一部だが、リーンズィには驚きだった。


『どうしてここに? 逃げるのが一番だったはず……』


『全員で逃げるのなら、意味がある。相手は常にワシらの背後にしかついてこないし、そしてベルリオーズのオーバードライブ倍率は、ワシらのオーバードライブ以上の速度は出せない。つまり過酷ではあるが、コントロールが可能なのじゃよ』


『てっきり尻尾を巻いて逃げているだけだと……』


『計画的尻尾巻きじゃよ。しかし、ここでオヌシらが足止めを買って出て、生き抜いたことで若干狂いが生じた。部隊が分かれたせいで、ナイン・ライヴズ――ロングキャットグッドナイトが、どこにヴェストヴェストを解放するのかが全く読めんようになった。どこにもでも現れうるわけじゃな。ワシらは、最大級の危険が出現した事実を正確に共有しあわないといかん。つまり、ただ分散するのではなく、狼煙を上げる役目が、分隊ごとに必要になる』


 蔦に絡まれて藻掻き苦しむベルリオーズを眺めながら、ケルゲレンはレンズの奥で目を細めた。


『……誰か毛先一本ほどでもベルリオーズを知っているものはおるか? 正しいあやつの姿が見えているものは』


『む、とても分かっている』

 リーンズィは茨に拘束された歪んだ人型の大鎧を指差した。

『物理破壊が通じない。この拘束もいつまで保つか分からない』


『それは<不滅者>全般の特性に過ぎん。ベルリオーズはさらにその上を行く。独自の機構の全容が分からないままでは、どんな手練れも最後は裂かれて終いじゃよ』


 いつの間にやらリーンズィの傍に戻ってきていたケットシーが上気したかんばせで「うんうん」と頷いた。『うおっ』『わっ』『速っ!』と兵士たちが動揺に声を上げたが、エージェント・シィーの愛娘はどこ吹く風だ。


『ヒナにも分かる。すごいお金が掛かってる……こう、リアルタイムVFX。どれだけの予算が動いてる企画なの?』


『な、なんでそんなにテレビにしたいんじゃ……』


『何度殺しても殺せない。でも不死殺しのケットシーは良い感じに来週ぐらいに倒せるのであったー。つづく……これで今週は終わりにする?』


『この世界はテレビでは無いのじゃが……』


『仕方が無いわよ、ケットシーには現実が見えていないんだから』

 ミラーズが刃を頬に当てて首を傾げる。

『可能性のある未来を予知して無理矢理引き寄せる力、だっけ。すごい祝福よね』


 ケルゲレンが傾注を促す意味で咳払いをする。


『ともかくじゃ、問題は現在のベルリオーズの性質にある。あやつは破壊出来るが、破壊出来ない。というのは、あやつにはもはや、元手となった肉体や蒸気甲冑、人工脳髄といったものが、存在せんからだ。原初の聖句によって編まれた目的意識がそれらを取り込んで拡張し、自己の恒常性を一定の範囲内で複雑化させておる。要するに目的意識が尽きるまで本当に不滅なんじゃ。いくらでも巻き戻る。それ故に言詞甲冑ワードローブと呼ばれておる。言葉は刀では切り落とせんじゃろ?』


『ペンが剣よりも強いやつ、だね』ヒナは頷いた。


『うむ。原初の聖句で<言葉>を上書きして活動を鈍らせるぐらいしかないのだから、そういうふうにも言えるかもしれん』


 蔦に巻かれて唸り狂うベルリオーズを前にして、ケルゲレンは溜息を吐く。


『面倒なのは他の不死病患者と違って、不滅者の復活、復元とも言うが、あれは肉体の破損ではなく目的意識の阻害によって生じるという点じゃな。そして復元は目的意識遂行の妨げになる事象をパージし、あるべき行動と差し替えるという形で実行される……あの薔薇の拘束もじきに解けるじゃろう。さてリーンズィ、これまでの時間があれば何が出来る? ワシらはボーッと突っ立って、講釈を垂れている。そんなのろまな目標に対して、あの新鋭スチーム・パペットの成れの果ては何をしてくる?』


『……最大火力の使用』

 リーンズィはハッとしてミラーズを抱きかかえ、回避の姿勢をとった。

『みんな、退避しろ!』


 果たしてベルリオーズは拘束されていた時間を『無かったことにして』あるべき姿へと回帰する。


 茨は消えた。

 永久に咲き誇る青い薔薇は『そうであるという記述』と共にどこか知らぬ言葉の狭間へ滑り落ちた。

 組木細工の騎士は四肢を獣の如く伸ばし、重外燃機関から血煙を吐いている。


 大開きになった顎の奥。

 胸部に仕込まれたプラズマ発生器が煌々と光を発していた。

 周囲の空間に電磁波の嵐が吹き荒れ、リーンズィは直感的に磁界の檻、不可視の焼却炉の只中に放り込まれたのだと察した。


『これがベルリオーズの全身可変刃に次ぐ特性、あらゆる状況から範囲焼却を実行できる殲滅力じゃよ。粘菌筋肉質を利用すれば発動の演算もエネルギー流路の設定もスムーズじゃからな。チャージに三秒も四秒もかかる機体とは全く異なる』


『ケルビムウェポンか!? ダメだ、もう避けきれな――』


『避ける必要はないんじゃよ』

 ケルゲレンは頷いた。

『誰にでも予測が可能な、いっそ稚気じみた攻撃手段の選択――この機会を逃す手段はないんじゃからな』


『では、何か秘策が?』


『いいや。しかし、あの御方は。ケルビム・ウェポンは諸刃の剣じゃよ……尋常な機体ならば、計算リソースの大半をそこに注ぎ込まねばならぬ。大きすぎる隙じゃ。百度殺すにも十分な隙を、あの御方は見逃さない』


 ――それは、銀色の銃弾だった。

 彼方より飛来した銀色の銃弾が、巨獣を貫いた。


 リーンズィには、それは長く尾を引く鋭利な光としか見えなかった。そしてその光が赤い涙のごとく残光を残すのを見た。

 新たな線が空間を走ることはない。光は、気付けば既にそこにあった。何故なら須臾の間に現実世界へ穿たれた楔こそが彼女だからだ。

 ケルビムウェポンの動力源たる生体融合炉は基盤を崩され、磁界はあっけなく崩壊した。

 飛来した――おそらくは凄まじい距離をひと息に跳躍してきたその機体は、身体構造を組み替えて逃れようとするベルリオーズを食い散らかすかのごとくバラバラにしていく。


 その機体は、ベルリオーズよりも純粋に、獣に近かった。あるいは人間に近かった。獣の意匠を施された鎧。魂を装甲したベルセルク。ベルリオーズはラグなく復元して蛇腹状の手足を振るっていたが、全て切断され粉砕され、それどころか逆に反撃をストレートに打ち込まれている。

 さらなる一撃が巨獣の胴を貫き心臓を握りつぶしさらには突き込まれた右腕部の電磁投射砲が爆風を呼び覚ましベルリオーズの背中の重外燃機関をも破壊した。

 装甲で四肢を延長した体躯はどこかしら華奢だったが、そのパペットにしては細い線の姿を知覚出来るのは、途切れ途切れの時間の中でだけだ。

 加速した時間であってさえ、視覚不可能な攻撃が、一方的に繰り返される。


 ケットシーの可能世界選択とは性質が異なる。

 白昼夢の狩場で遊ぶがごとき残虐。

 その兎の耳のような多機能センサを保つスチーム・パペットの、逆関節の具足が撓むのをリーンズィは見た。

 見た、と思った瞬間には既に次の殺戮が吹き荒れてベルリオーズのボディを散華させている。

 砕け散ったベルリオーズは全く異なる地点にその存在を復元させ、それまでのダメージを消去して再びケルビムウェポンの発射態勢に入っていた。

 赤熱する大気。

 生きとし生ける全てを焼却する暴虐の兵器は既に起動している。

 射線上の全てが焼き尽くされるまで5ミリ秒。


『やはりぃ……発条仕掛けの頭では、ろくな戦闘機動が思いつかんようじゃなぁ? そうであろうとも! 所詮は冗長な言語の群れに過ぎぬ塵芥、くだらぬ大技の無策の乱射が限界よなぁ!』


 二連二対の赤い眼光。

 兎の兵士は偏執的に装甲を重ねられた腕部を展開。

 無骨な装甲から飛び出したコイルから電磁の衝撃波が放たれた。

 成立する寸前だった磁界は再び霧散し、ベルリオーズが『お前は……誰だったか』と呟いた瞬間にはその頭部に五本の爪が叩き込まれている。

 装甲を呆気なく貫徹する不可知にして不可避の速攻。

 もはや間合いを離すことすら難しい距離で、今度は兎の騎士の腕部に搭載されたケルビムウェポンが起動した。

 電波が頭に流れ込む。

 老人の声がせせら笑う――。


『悲しい、悲しいぞ、魂なき兵士。もはや丸きりレーゲントの犬では無いか! 犬は兵士でない。騎士でも勇士でもありえない。所詮は雑兵よ、ベルリオーズ。今のお前は犬畜生も同然じゃ。何も考えぬ兵士は、こうして殺され続けるのが似合いなのだ。オヌシは不滅になって……本当に愚かになったのう? 少しは骨のある男だったというのに……さて、必殺の一撃とは、こう使うのだ。骨身を焦がして思い出すが良い!』


 閃光が迸り、ベルリオーズが体の内側から焼き尽くされて絶叫する。

 次に逃れたのは空中だったが兎の騎士の追撃が早い。

 逆関節の具足が蹴った建造物が跳ね回った衝撃を追いかけて崩れていく。

 一方的に手足も首も胴体も何もかも切り離されたベルリオーズは瞬時に復元を実行、ケルビムウェポンの発動を敢行しようとしたが、やはり磁界は霧散させられ、無意味な電磁波となって周囲へ散り消える。

 返礼とばかりに鋭利な爪の先に展開される灼熱/灼熱/灼熱/局所的相転移の連続による多重焼却。

 ベルリオーズはただのたうち回り、回避に徹しようとするが、しかし兎の騎士は猟犬の如く追い縋る。

 爪を鳴らし、電磁投射砲で歌い、神の業火を降ろしながら、ただの一時も不滅者を連鎖する責め苦から逃がさない。



 兎の兵士はひたすら殺して、殺して、殺して、殺して、殺し続ける。

 あまりにも圧倒的な光景に、リーンズィはしばし呆然としてしまった。

 あの恐るべきベルリオーズが、何も出来ないまま無限に屠られ続けているのだ。

 ケットシーはきらきらと目を輝かせてその神速の歩法、殺戮技工の数々を明らかに知覚し、うずうずしながらトツカ・ブレードを握り締めている。

 ミラーズは『なるほどなるほど……ここでリーンズィにかっこういいところを見せたいのね』などと一人で納得していた。


『デイドリーム・ハントによる未来予測……?』


『それだけではない。あの御方の最大出力オーバードライブは、人工脳髄に依存しているのだ』


 ケルゲレンは炎と血煙とを纏う勇士に跪き、頭を垂れた。


『言わば機械たちの時間をあの御方は生きている。生体脳を使っておらん。オーバードライブとは生者の技法、己が身を崩壊させることで引き出す力。きやつら不滅者はそれに相乗して加速するだけの傀儡にすぎん。死を拒絶し、他者の脳髄に宿る<ことば>に演算を委託しなければ存在を維持出来ない言語性変異体テスタメントでは、あの御方の真に孤高なるオーバードライブ、機械の時間に身を委ねる献身の戦闘機動には干渉が出来ん。そうとも、あの御方はこのような怪物を狩るために生まれてきた……我が主、我らが模範、我ら解放軍最高の兵士……』


 リーンズィはその赤い涙の軌跡を残す兎の騎士を知っている。


 人類文化継承連帯所属。

 機関式高性能人工脳髄先進技術検証機。

 その唯一の完成機にして、最後の実戦配備モデル。


 アルファⅡウンドワートだ。

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