シルバー・バレット①
少女は目を開く――
自己切断された腕部は大蛇の首の如くのたうち装甲を飾りて生え揃うつるぎの爪がアスファルトを搔くや否や割れ裂けて千々に分かれ地に落ちて砕けた鏡にも似て四散し大小様々の触覚状の器官へ変じ蠢いて地に食らいつき跳ね上がり勇躍/蓋然性の壁は致命の斬撃/相手をただ切り刻むだけの粗野な暴風/虚空を翻る黒いスカートの裾=無垢にして無傷、無数の刃の先端が掠めるも円月の太刀に払われ、返す刃の煌めきが攻守を寸時逆転させる/上下逆一つの軌跡は須臾の時空に身を躍らせる少女の呼吸に応じ己の線引く残光さえも裂いて二つが三つに三つが五つに果ては弧を引く七つの閃光へと変じて致死の首飾りとなり巨人の怪物の腕に巻き付き白銀の装甲を切断痕で飾る/刻まれた腕は虚空へと掻き消え消え去った時間を追いかけるようにして手足の欠けるところの無い組木細工の異形の巨体が迫り関節を引き延ばした手足を四方八方へと伸張/軌道上の建造物は裂かれ先端のクローが錨となって灰朽ちて神錆びた廃オフィスの深奥までをぶち抜いて固定=鈴生りの白刃に少女の黒い眼差しが乱反射する/剣の鏡/剣の鏡/剣の鏡/剣の鏡、剣が連なり八卦を形作り閉じ込められた少女の運命を占う、刃の結界、捉えられた黒髪の少女はただ蒸気の奔流に身を任せ黒い蝶のようにひらりひらりと身を躱しただ蒸気甲冑から噴き出した白煙の痕跡のみが鎧の刃に触れて裂かれ一滴の血も与えることはなく屍蝋じみた肌の美姫の革靴の靴底は刃の腹平らかなる側面を踏みにじり赤らむ膝を撓めるや宙返りをして次々に刃の群れを渡る姿/鳥の骨組み/無毀なる剣/踊る姿は黒羽の蝶/十拳の剣は鏖殺の結界を擦り抜ける=無限の剣、無限の鏡、狭まる剣は鏡面世界に乱反射する日没の地平線、剣の軍勢は光あれと金属の擦れ合う金切り声で賛美を奏で少女を逃がさず結界で引き絞り轢殺せんとベルリオーズは鎧を複雑怪奇に組み替えて結界を伸縮=少女は嗤う、吐息の甘く匂い立つ蒸気を舌先で舐める/背面跳びの要領/迫り来る剣の断頭台/断頭台/断頭台/断頭台……見透かされた未来図/図であれば線を引くべし。可能である世界は全て実現する/死線を歪めて少女は踊る/アシスト用蒸気甲冑のフレームで/柔肌を晒す腕の腹で/切断を免れる角度で脚を絡め/逃走ではなく闘争を/結界の内側=絶対必殺の射程圏内=脇に構えたトツカ・ブレード/『かちゃり』と少女の赤い舌先が無音の鍔鳴りを真似る/『
――少女は目を閉じる。
ライトブラウンの髪の少女、リーンズィは、眩暈に似た感覚を覚えた。
眼前で何が起きているのか、処理が追い付かない。
戦闘経験の蓄積、オーバードライブの倍率がどうという次元では無い。
ケットシーとベルリオーズの戦闘が理解出来ない。
彼らは明らかに人間存在が留まるべき領域から逸脱している。
リーンズィとて、アルファⅡモナルキアの性質とも異なる、通常のスチーム・ヘッドにはない特別な機能を持っている。
『見たいものを見る』絶対知覚、<ヴァローナの瞳>だ。
ただ、それらはあくまでも少女の肉に押し込まれたリーンズィという偽りの魂、人間足るべしと定められたその器に依拠したものだ。
ヴァローナの瞳に捉えられないものは事実上、存在しない。
眼前の刃の暴風も当然に知覚してはいるが、しかし流れ込んでくる情報の密度が高すぎる。リーンズィの処理能力では異常極まりない攻撃の応酬をリアルタイムで理解出来ないのだ。時間をおけば分析できるがそれでは意味が無い。
――調停防疫局のエージェントとしてケットシーを放ってはおけない。そう勇んで、進路を転換してはみた。
結局のところ、手出しのしようが無い。
海兵服姿の美しいサムライと、不滅の鎧で魂を覆う異形の狼の苛烈極まる剣舞踏。絡み合う円環はさながら己の尾を食む一匹の竜であり、その完結した攻防に割り込む隙などどうして見つけられようか。
そんなリーンズィの戦慄と躊躇を余所に、ヴォイドたちは粛々と準備を進めていた。
『シークエンス1、リローデッド。準備はよろしいですか?』
『アポカリプスモード、起動』
『エラー。現在、最終意思決定権はエージェント・リーンズィに委託されています』
ヴォイドは脚を止めたまま、重外燃機関から噴出する血煙に身を任せていた。機関の荒々しい脈動が大気を揺るがし、バイザーの奥で二連二対のレンズを爛々と輝かせている。
見知らぬ次元、見知らぬ宇宙からやってきた異様な生き物にように見えた。
『リーンズィ』
バイザーの黒く濁った銀色の世界が、不意に背後の少女を振り返った
『君は何を定める』
『……本当にやるしかないのか。ないの、ヴォイド……?』
言いながらリーンズィは、短槍で道路脇の手頃な標識のポールを切断し、短槍を捨てた。
スチーム・ヘッドとの戦闘ではおおよそ役に立たない即席のなまくらな大槍を両手で握る。
不朽結晶は不滅の物体だ。いかなる武器であれ、構成要素は不朽結晶で複製・置換してしまった方が優れるのは言うまでもない。
だが目標が物理的なダメージを受け付けないのであれば、破壊力も耐久力も不要だった。それよりはリーチがあった方が良い。
少しでも敵を遠ざけたいと強く願った。
『エージェント・リーンズィ、準備はよろしいですか?』とユイシスが冷たい声で尋ねる。
『……いつだって私の準備は万全なのだな。万全なの』
不機嫌そうに返事をする。
申し訳程度に先端を尖らせたその粗末な槍を構えながら、いざ戦端に飛び込もうとして、脚がつんのめる。肉体が恐怖に拒絶を叫ぶ。
ライトブラウンの髪の少女は、真空の宇宙で息を飲む。対峙した道の先には、荒れ狂う人型の暴風が、狂った時計の歯車の速度で不規則にのたうっている。サイコ・サージカル・アジャストが機能していないことが心底心細かった。
ミラーズはと言えば、形の良い眉を顰め、高機動蒸気甲冑の加圧を進め、小さな体に爆発的な推力を溜め込んでいる。
号令があれば、弾丸の速度で我が身を打ち出すだろう。
古き大主教、最初のリリウム、かつてキジールの名を冠していた金色の髪の少女。清冽にして蠱惑、穏健にして辛辣。かつて多くの人々を歌で久遠の平穏、不死の白痴の虚無へと誘った彼女もまた、精神機能は人工脳髄の作用により、外科的に怯懦や迷妄といった感情をカットされ、これ程までに狂気的な難敵を前にしても、心のうちはフラットなままだ。
しかし、エージェント・リーンズィは、アルファⅡモナルキアの核たる機能であるそれを、封じられていた。
己の混乱、怯えに満ちた無加工の感情を、そのままのスケールで扱う以外に選択肢は無く、とにかく瞼の無い瞳のように、時々刻々と形を変える迷宮の如き巨人を直視するほか無い。
そんな彼女だからこそ、理解が出来ていた。
どのように戦力評価をしても、リーンズィやミラーズではベルリオーズには対応不可能だった。
現にケットシーの、人知を超越した技術から繰り出される斬撃の連続すら功を奏していない。
悉く凌がれ、あるいはダメージを復元されてしまい、スチーム・ヘッド部隊への接近を遅滞させる任務を、充分に果たしているとは言えない。
『
平静を装う涼やかな囁きも、いささか疲弊しているように思われた。
確かに尋常ならざるタフネスと機動力の持ち主だ。クヌーズオーエ解放軍を単騎で翻弄していたのだから卓抜した戦士なのだろう。
事実、ベルリオーズの行進に単騎で食い下がっている。
だがそれもそう長くは続かないと見えた。いくら三百倍加速が可能であろうと、狂える狼の騎士の世界観には損耗という言葉がおそらく存在していない。
言わば永久に終わらない積み木崩し。眠ることを知らない規格外の存在が相手では、必ずケットシーの消耗が勝る。
ベルリオーズは、決して無敵では無い。『復元』が無限に使えるとはリーンズィには思えなかった。理不尽な復活さえ無ければ、ケットシーとアルファⅡモナルキアだけで撃破することは出来る。
だがいつになれば復活しなくなる?
どれほど刃を滑らせれば活路が開けるのだ?
緊張して思考を巡らせるリーンズィ。
ミラーズが刃を加速された時間の中に手放し、そっと彼女の二の腕を抱いた。
ふわふわの金髪から漂う甘やかな香りと柔らかな感触が、恐慌状態にある精神を僅かに落ち着かせる。
『何があっても大丈夫よ、リーンズィ』と正邪の入り交じる媚笑。『何があっても大丈夫』
その言葉は、冷たくも温かい手指となって、リーンズィの心の襞をゆっくりと撫でた。
存在しない呼吸を整え、冷静であれと唱える。
考えるべきは、どう戦うか、ではない。
何故戦っているのか、だ。
そもそも、あのベルリオーズという機体は、何故スチーム・ヘッド部隊を狙っているのだろう。
リーンズィは不意に違和感を覚える。
ベルリオーズがロングキャットグッドナイトの命令を受けて活動しているのは確実だ。まさしくケットシーによる殺人を咎めるために呼び出されたのだ。
だとすれば、標的はケットシーに限定されると考えるのが妥当だ。
『殺すな! 殺すな! 殺すな! 死ね!』
不愉快そうにノイズを撒き散らす組木細工の巨人は明らかに『殺人』に反応して災厄をもたらす存在だ。殺すなと怒りながら、他のスチーム・ヘッドに対しても無差別攻撃を行なう。それは矛盾ではないのか?
あの和やかな猫の使徒の前でスチーム・ヘッドを殺してしまったのは、ケットシー以外に存在しない。ロングキャットグッドナイトはそれを咎めて事に及んだのだ。ケットシーに戒めを、と。
聖なる猫の使徒が下したと推測される命令からも、ベルリオーズの言動から推定される目的意識からも、他の機体を狙う必要性が導けなかった。
今まさに彼と刃を交えているケットシーさえ撃破できれば良いはずなのだ。
意識はただ彼女にのみ注がれるべきであり、攻撃の応酬の合間に強引に前進を続ける意味が不明だ。
まさか、と怖気の感覚が人工脳髄から吐き出される。
まさか……。
狼の騎士ベルリオーズには、機体の区別など。
ひとつも付いていないのではないか……?
ケットシーが誰なのか分からないまま、とにかく破壊活動を続けているのでは?
任務の遂行を至上とし、ある種の自己の拠り所とするスチーム・ヘッドにあるまじき暴走ぶりではあるにせよ、ケットシーを鎮圧あるいは破壊せよという命令を、肝心のケットシーの情報を一切与えられないまま実行しているのだとすれば、この無差別ぶりにも一応の説明はつく。
ケットシーがどこの誰だか知らないし興味も無いが、とにかく目に付いたスチーム・ヘッドを全て破壊すればその任務――ケットシーを罰するという目的は満たされる、ベルリオーズはそう考えているのかもしれない。
あるいは、元より誰かと誰かを識別する能力など無いとも考えられた。
ロングキャットグッドナイトはこの恐るべき怪物を解き放っただけで、命令を下すような権限は持っていなかった、という可能性も有り得るだろう。
ぞっとするような想像だ。ならば、捕捉可能な全てのスチーム・ヘッドを破壊するまで、この暴走は終わらない可能性さえ出てくる。
絶対に止めなくてはならない、とリーンズィは悟った。
少なくとも、可能な限りの足止めは誰かがせねばならない。それが道理だ。
調停防疫局のエージェント、リーンズィの務めだ。
だが、道理などというものは、肉体の感じる恐怖を和らげてはくれない。
ヴァローナの遺した美しい少女の肉体は、無意識的な恐怖に強張り、身体操縦に遅延が生じている。
『う、く……どうしたものか、どうしよう……』
『起きろ、リーンズィ。眠っている暇はない。私たちにそんな時間はもう残されていない』
ヴォイドがリーンズィの顔を覗き込む。
『あの怪物を止めなければならない』
『だけど、どうやって? 私たちがあの領域に割って入れると?』
応答は無い。
暗澹たる沈黙に、少女の声が突き刺さる。
『蒸気抜刀――
二度、三度、四度、五度とケットシーの姿が虚空を渡る。振るわれる大太刀は不可視の宇宙を渡る一条の雷光であり、氷面の刀身は欠落した世界の欠片を映して照り返す。
ヴァローナの瞳を稼動させても人間の動きではない。まるで水平方向に落ちる稲妻のよう。
海兵服姿の少女は左右に跳ね両腕を大きく広げながら蒸気の奔流に後押しされて宙を舞う。黒いセーラー服のスカートがはためく。ひらりひらりと羽ばたく死を告げる黒い蝶だ。
恍惚の只中ではあろうが、その潤んだ目は我を喪わず、しかと敵を捕らえている。
眼下ではベルリオーズの狼の頭部が切断されていた。
腹部から胸部にかけて刃が通過した痕跡がある。
トツカ・ブレードなる不朽結晶剣の刃渡りよりも長い傷が付けられているように見受けられたが、この際些事だ。
これでベルリオーズの頭部のセンサ類と、胴体に格納したリアクターは破壊されたはずだ。
通常のスチーム・パペットであればこの時点で恒常性を崩されて軽くとも前後不覚、下手をすれば機能停止の状態へと転落する。
だがベルリオーズの突撃は一向に止まらない。首を切り落とされたと見えるや、組木細工の騎士ベルリオーズもまた、世界が瞬きをするのと同じ速度で復元を実行した。
そればかりか、不可知領域の加速世界で身体構造はまたも複雑怪奇に組み替えられていおり、復元を実行した瞬間とは全く異なる姿勢と角度から攻撃を繰り出してきた。
撃破された瞬間と復活した瞬間で、攻撃態勢がすり替えられている理不尽。攻撃を身に浴びるのみだったはずの巨人は摂理を無視して不可知の時間の中で姿勢を整え、失われた時間の中で好き勝手に跳ね回り、一瞬で攻守を逆転させている。
ただし、出鱈目具合はケットシーも大差はなく、時間を遡って過程を書き換えるが出来るとでも言わんばかりに、この秩序の崩壊した攻防に平然と追従している。
奇妙なことに、不可知の世界で彼らは全く違和感なく攻防のやり取りをしているようだった。
リーンズィは推測する。
ケットシーの不可知領域への加速に合わせて、ベルリオーズもまた破綻した肉体で対抗オーバードライブを起動させている?
理屈は未だ分からないが、ケットシーが三百倍加速の世界に突入したのと同時に、ベルリオーズもまた同レベルの加速を行っているのだとすれば、二人が当たり前のように火花を散らしているのは納得できるような気はする。
ただし、ベルリオーズのたちが悪いのは、撃破された瞬間と復元が完了した瞬間は、別に連続している必要がないらしいということだ。
つまり自分にとって一方的に有利な状態を構築してから再スタートが可能な様子なのだ。
肉体を苛む苦痛から逃れようとする不死病患者の特性には一応合致するが、さりとてスチーム・ヘッドとしては破格の特性である。
ケルゲレン曰く、ベルリオーズはそれでも生前よりも今の方が弱いらしい。
確かに十全な知性が備わっている状態でこの複雑怪奇な全身奇剣を振るっていれば、また違った強さがあるに違いない。
しかしここまで常識を無視した挙動をされて、弱いも何もあるまい。
ただただ理不尽だ。
言わずもがな、この闘争に参加する場合、アルファⅡモナルキアが相手をしなければならないのは、ケットシーと同レベルの機動力と、ケットシー以上に予測が困難な攻撃手段を所持する……そんな冗談のような存在ということになる。
ケットシーに加勢せねばならないという合理的判断と、不可能だ、という直感がせめぎあう。
なにせ、アルファⅡモナルキアはケットシーほど俊敏には動けない。
実態がどうであれ、与えられた機能がどうであれ、アルファⅡモナルキアは決して純戦闘用スチーム・ヘッドではない。これまではどうにか『副産物』を利用して仲間たちと連携してこれた。
だが自らを唯一の存在にまで成熟せしめた本物、この世界に無二の超一流を相手に出来るほど高性能では無い。
そんな熟練兵たちとまともに戦闘している現状が間違いなのだ。
リーンズィの思考を読み取ったのか、ヴォイドが言った。
『アポカリプスモードを起動すれば対抗手段は作成できる』
声はあくまで平静だ。感情などとうの昔に捨て去ったのだろう。
ベルリオーズの巨体を押さえ込むには、やはりそれしかあるまい。
どれほど平静に振る舞おうとも、アルファⅡモナルキア・ヴォイドでも単騎ではベルリオーズと戦えない。
ケットシーの真似事も出来ない。
出来るのは、禁忌の箱に手を伸ばすことだけ。
ヴォイドが告げる。
『エージェント・リーンズィに勧告。最小の犠牲で最大の成果を。公平な判断を要請する』
刀ではためく黒い蝶、ケットシーと、狂気の世界で変容と復元を繰り返すベルリオーズ。
殺人的な二つの暴風は確実に接近しつつある。
悩んでいられる時間は短い。
この加速した世界では、一秒すら長すぎるのだから。
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