祭礼のために
不滅者ベルリオーズ①
『ベルリオーズはそれほどの機体なのか?』
問いかけに、全自動機関式散弾銃の動作を確認しながらイーゴが応答した。
『継承連帯全体を見渡しても比肩する機体は少ない。少なくとも生前の――ああなってしまう前のベルリオーズは、間違いなく一流だった』
イーゴが何もない場所に向かってトリガーを引くと、くぐもった音が響き発射ガスとともに命中すれば人体を挽肉へ貶める弾丸が、酷く緩慢な、牧歌的な速度で射出され、そのまま空間へ置き去りにされた。
発砲に反応したのはケットシーだ。
シュバ、と無意識的な動きでトツカ・ブレードを構え直した彼女を、グリーンとケルゲレンが宥めた。「違うんじゃよー」「出番まだですよ、僕たち前座ですからね。今は逃げる時です」「逃走という言葉はヒナの脚本にない!」「ワシらの脚本にはあるんじゃなぁ」「そうなの?」「そうなんですよー」「そうなんだ」「そうなのだなぁ」「分かった。プロなので割り切ります」
ケットシーは疑うと言うことを知らない様子で逃走に納得した。あるいは自分自身の見聞きしている『テレビ』の中では嘘に意味がないと確信しているかのようだった。
『とにかく、あの見たこと無い犬……狼っぽいパペットが、今回のオオトリ?』
ケットシーが額の鉢巻の布をぬらりぬらりと靡かせながら背後を振り返る。
全速力で撤退していく解放軍のスチーム・ヘッドを、ベルリオーズと呼ばれる巨体が猛追している。天も地も知らぬとばかりの出鱈目な四つん這いで走行する異形。触れるもの全てを粉砕し、時に転げ、時に足場を叩き潰して、我武者羅に追い縋ってくる鬼気迫る威容には、怪物以外のどんな形容も相応しくない。
標準的なパペットと比較して特異なのは、全身の装甲それ自体が切断装置として機能するよう鋭利に加工されている点だ。さらには手足も胴体も奇怪なほど長く作られており、人間を模した身体構造をしていない。ケットシーの目には波打つ大百足の如き関節が全身に備わっているという奇異な有様も、克明に映っていることだろう。
装甲の内側に悪性変異を利用したものと思しき筋肉束があるのも気がかりだったが、何故かリーンズィの視界にはその旨の警告が表示されていなかった。
『フェンリル型……だったか。聞いたことがないスチーム・パペットだ』
水を向けるとペンギン級スチーム・ヘッドは駆ける仕草のまま溜息を表現するノイズで応えた。
『少数生産の特務機じゃよ。その少数生産というのも、以前のベルリオーズから聞いた話じゃから、実際には分からん。あいつしかおらんのではないか?』
そうしながらケルゲレンは、古めかしい紙製の地図、汎クヌーズオーエの黄ばんだ手書きの紙を格納スペースから取り出して広げる。
風圧でクシャクシャと潰れかかるが、実体のある紙の地図には、えにも言われぬ頼もしさがある。電磁嵐が吹き荒れ、目に見える何もかもがすり替えられていくこの都市で唯一信用に足る不確かな地図。潰れて乾燥していた紙魚が転げ落ち猛スピードで後方へ飛んでゆく。穴だらけの紙面にレンズを向けて、コルトによる都市焼却に対して再配置されたのが標準的な地形であることを再確認し、周囲の機体にハンドサインを送る。
彼の指示はライトの明滅や電信といった多様な手段で遅滞なく集団に伝播していった。
撤退ではなく転進。
敗走ではなく迎撃のための後退。
進路はこのままで、控えている本隊に、あのベルリオーズなるスチーム・パペットをぶつける算段だと知れた。
堅実な選択ではある。ただ、今こうして必死に逃走している集団とて、前時代的な軍隊ならば容易く食い破れる規格外の戦力である。
それに加えて、「今はそういう場面だ」と敏にして繊細なる狂気で以て正確に読み取ったらしいケットシーが、なし崩し的に解放軍側についているのだ。
彼女は時折リーンズィやミラーズに熱に浮かされた視線を向けてきたが、しかし明らかに興味をベルリオーズの方に移していた。
人間の枠組みから大きく外れたマニューバを見せている異形の機体が余程珍しいのか、すっかり夢中である。逃走して尺を稼ぐ、そういう場面だ、と認識していなければ、反転して殺しに向かっていたところだろう。少なくとも突然に周囲の解放軍を斬り殺し始めるといった凶行は、警戒する必要がなさそうだった。
解放軍側の誰かが彼女に攻撃を仕掛ければ無論のこと即座の反撃があるだろうが、解放軍側の戦力にしても今は完全にケットシーからマークを外し、ベルリオーズのみを警戒している。
つまり、ある種の共闘関係が成立していた。
共闘と言うにはあまりにも漠然としていて、保証と呼べるものは何もなかったが、この場にベルリオーズの味方がいないのは確実だった。
戦力差は歴然である。
ベルリオーズは確実に異常な機体だ。実際に戦わずともアルファⅡモナルキアにも充分に理解出来る。ロングキャットグッドナイトの死と復元を目の当たりにしている。
彼女は損傷を修復するのではなく、欠落した情報を補填するかのごとくに、復活をして見せた。
ベルリオーズはそんな彼女に連なる機体である。
何もない空間、あるいはヴォイドの観測ミスでなければ彼女の猫の中から現れた。不死病が質量保存や熱力学を一部で無視しているのは常識だが、限度というものがある。調停防衛局でもあのような異常な現象はERRORRRRRRRRRR。エラー。アクセス権限がありません。記録が記録がな記録記録ががががが記録がない。記録がない。記録がなかった。
その時点で警戒して然るべき相手だとは認識出来ているのだが、それでもこの戦力差で制しきれない相手とは思えなかった。
『ケルゲレン、やはり警戒のしすぎでは?』
『いくら警戒しても足りん。フェンリル型というのは、要するにF型じゃ。A~Gまでの記号は、どういうわけか型式としては一般機には割り振られておらん。アルファⅡもそうじゃ。そちらではどうか不明じゃが、継承連帯では全自動戦争装置による直々のオーダーで生産された機体であるぞ。ベルリオーズもウンドワートとは同じ工廠の出身じゃ。成立経緯や前歴は異なるのであろうが、おそらくおぬしらアルファⅡとも同郷であろ』
『私の歴史にはあんな機体はいなかったと思うが……』
『肯定。調停防疫局のスチーム・ヘッド製造計画において、F型なる機体は成立していません。ただし設計案として同コンセプトの機体は登録されています』
『ふむ。それでもケットシーほど桁外れの性能ではないはず。包囲してしまえば……』
『そうではない。あいつら、テスタメント・ヘッドはな、
幽かに全身を振動させている兵士の一団がケルゲレンに接近してきた。
『ケルゲレン殿、ていあんが……いる。いるじゃない。ある』
通常の発話を忘却しかけているらしいその機体は言った。
常時オーバードライブ機だ。ヘルメットの壊れた風防から眼球が露出しており、焦点の定まらない乾いた瞳が蠕動している。
『我々カイロス隊が足止めを、する……』
『馬鹿を言うな』ケルゲレンは地図を仕舞いながら唸った。『ケットシーと違って、やつは人格記録媒体を避けてはくれんのだぞ』
思わぬ言葉にリーンズィは瞠目した。
『えっ……ケットシーは人格記録媒体の破壊を避けていたのか!? いたの!?』
うずうずチラチラと背後を見ている当の本人に視線を向ける。
『君の目的はスチーム・ヘッドの破壊では……』
ケットシーは小首を傾げた。
『どうして? ヒナはスチーム・ヘッドを殺すの。破壊じゃない。スチーム・ヘッドを助けたいから殺すの。壊したら救えない。分からない?』
不思議そうに黒曜石の瞳を煌めかせる。
『スチーム・ヘッドの悪性変異体が一番強くて悲惨。ヒナはマモノたちと沢山戦ったから分かる。スチームヘッドはみんな苦しんで、苦しんで、泣きたくなって、しかも終われない。その苦しみから解放してあげるのが葬兵の使命』
『リーンズィ、理解していなかったのか? 本気で壊す気なら、数は揃えなくて良いだろうが』イーゴが注釈を加えた。『こちらの損害をある程度許容した上で捕縛、ないし無力化する。壊すのは無しだ。スチーム・ヘッド同士で本気の潰し合いをするのは最悪だ。最悪を避けるためにこれだけの機体を投入している。……人格記録媒体の破壊は基本的に禁忌だ。やりすぎだってことだな。<首斬り兎>もそれは心得てるというのは、襲撃された機体が悉く生還したことからも明らかだった。ただ壊すだけならどうにかして都市焼却に巻き込めば良かったんだ』
『その割にはこちらの戦力が物凄い速度で撃破されていた……』
『……まぁな』
リーンズィははっとした。
『それも作戦? 後学のために教えてほしい』
がっちゃがっちゃと忙しなくプラズマ発生器の脚部を回しつつグリーンがお手上げのポーズをした。
『いや、ケットシーさんが強すぎただけです。プライドがボロボロですよ』
『強いのは当然。ヒナに負けるのは名誉。あとでサインほしい?』
『いらんです』
『ユイシス、そうなの? 本当に今まで人格記録まで壊された機体はいない?』
『肯定。これまでの戦闘において、エージェント・ヒナは一貫して解放軍戦力のスチーム・ヘッドの、その肉体と装備の破壊のみを目的としています。人格記録媒を直接的に破壊した事例はありません』
『あんなに殺す殺す言っているのに……』
『ひどい誤解がある』ヒナは少しだけ不機嫌そうだった。『葬兵は人を殺す。人を、マモノとか怪物じゃなくて、ヒトのまま終わらせるために、殺すの。変わってしまった不死病患者をただの人間として眠らせるために頑張るの。死んで、怪物になって、永久に苦しみ続ける、そんなのは絶対に許してはいけない。お墓の下で眠れないなら、せめて安楽のうちに立ち尽くすべき。苦しみを取り除いてあげるのが葬兵のお仕事。スチーム・ヘッドも形は違うけど同じ苦痛に追いかけられてる。マモノになる前に止めてあげないといけない』
『そうなのか。そうなの』
リーンズィは釈然としなかったが、とにかく一応の納得を示した。
『しかしウンドワートといい、みんな何か必死に戦いすぎでは……』
ちら、とリーンズィは目を向ける。
『君たちもそうだ。危ないことを何故したがる?』
カイロス隊のスチーム・ヘッドは沈黙して、リーンズィたちを眺めていた。ケルゲレン隊に含まれる少女達が麗しいせいもあるだろう。異様なスチーム・パペットから退避している最中には似つかわしくない、和やかな雰囲気で、手の届かない宝石でも眺めるかのような眼差しで、じっと見つめていた。
ケルゲレンが語りかける。
『……なぁ、カイロス。こんな程度で良いんじゃよ。真剣になりすぎるな。疲れ果てたスチーム・ヘッドに善いことなど何もない。死に急ぐのをやめんか? 誰も喜ばんぞ』
『我々は……喜ぶ。我々は少なくとも破壊される覚悟で来た……常時オーバードライブ機は欠陥が多すぎる平時は他の機体とこうして会話することさえ出来ないのだからああ涙が出そうだこれほど長い間ほかの誰かと話したのはいつぶりだろう?』そのスチームヘッドは感極まったらしく一息に言葉を紡いだ。『人間の時間から取り残されることの恐怖が分からないだろうお前たちには。狂ってしまった時計を何時間観ていられる? そこには時間など無い人間の生きる時間など。どのみちヘカントンケイルに永久停止措置をしてもらう予定だったのだここで破壊されても構わないのだベルリオーズと相対することの意味は知っている我々だって彼ほど強くはない心も武器も強くはないのだ永劫の狂気に身を委ねるなど。だからこそ彼に最後を委ねたいたとえ永久に魂が喪われるとしても我々はそうあれかしと唱えるだけだ』
『しかし……自殺行為だ。それを善しとは言えん』
『ケルゲレンはファデルからの信任も厚い軍団でも上位に位置する』
『で、あっても、機能停止を前提とした突撃を認める権限は無い。そしてワシが頷かないのは、ワシに権限が無いからでもない。そんなことは、誰にも言えないのだ。どれだけ過酷な状況であるにせよ、お前は滅び去っても善い、などと言うことは、誰にも出来んのだ』
『しかし分かるだろうケルゲレン分かるだろうクイックシルバーにはなりたくない悪性変異体にはなりたくないそんなものにはなりたくないんだなりたくない仲間を襲いたくない自分のままで終わりたい終わりたいんだ自分じゃ無くなる前にそもそも常時オーバードライブ機はテスタメントとの戦いでは不利だそれは我々が一番よく分かってる』
気付けば同様の外装の機体が群れを成している。
六機で構成されるカイロス隊の面々は目配せした。誰しもが疲れ果てていた。プロテクターを継ぎ接ぎにして可動性だけを重視した簡素な蒸気甲冑。幾度となく斃れ、致死の傷を負ったのだろう。顔面を保護する仮面は揃ってどこかしら剥落しており、覚醒と混濁の淵を彷徨う不眠症患者じみた瞳が曖昧な虚空をなぞる。加速された時間の中で線を引く濃淡の無い墨めいた黒。
ケットシーの瑞々しい瞳と比べてあまりにも鬱屈としたその色彩。
『では死ぬためでは無い死ぬためではなく我々は任務ではなく己らの意思によって己ら自身の意識の継続を毀損するために戦う戦う結果として死ぬのだ壊れるのだこわれこわれこわれ許すか?』
『……止められない。止められないとも』ケルゲレンは首を振った。『どのみち、他の十戒もじきに目覚める。ヴェストヴェストが起動すれば、カイロス隊は我々が機能停止させねばならん。仲間殺しと自殺の黙認、どちらが悲惨なのか、ワシには判断出来ん……』
黒い淀みのような苦々しい沈黙が降りてきた。不意に景色が様相を変えたように感じられてリーンズィは戸惑った。逃げ続けているだけ。風景は変われども、色彩は一貫している。燃え尽きた後の命無き灰の都市。だというのに、カイロス隊の周囲には、何か目には見えぬ暗幕が降ろされていて、一層暗く、くすんで見えた。
眠りを覚ますように、ヴォイドに抱き上げられていた黄金の髪の少女が声を上げた。
『待ってください。黙って聞いておりましたが、仲間が死を望むというのに、それを見過ごすというのですか?』
目元を険しくしてケルゲレンを問い質す。
それから、カイロス隊を見渡した。
『苦しみは、分かります。永劫の孤独、人ならざる鼓動に従って生きるのは苦痛ではありましょう。たましいを手放すという選択は、誠の心からの願いなのでしょう。あなたがたに罪はありません。ですが、それを見過ごすというのは、道に反する行いです。どのような道も、これを善しとはしないでしょう』
カイロス隊が応えた。
『我々は間違えているのだろうしかし我々は最初から間違えていたのだ加速された時間に永久に留まるという選択自体が誤りだった終わりのない加速についての覚悟が足りなかった覚悟したつもりでいたしかしそれは覚悟ではなかったのだ無限の時間に釣り合う覚悟では』
『いくら覚悟をしても足りないということをワシらは知らなかったんじゃな。なぁ、ミラーズ、ワシらは常時オーバードライブ機が狂い果てるところを何度も見てきた。その結末を避けたいと望むのは当然のことじゃ。何者も選択を阻むことは出来ん』
『ならば代わってこの私が、あなたがたが口にすべき言葉を唱えましょう。命を捨ててはなりません。偽りの魂と言えども、その魂にすら神の御国に迎えられる輝かしい道が許されているのです。その最後は安逸の揺り籠か、さもなければ美しい真っ赤な炎となって終わるべきなのです。自殺しに向かうだなんて、他の誰が許そうとも、この私が許しません』
『だが誰かが向かわねばならないベルリオーズはじきにおいついてくる振り切ることは絶対に出来ないベルリオーズは諦めないからだ首目がけて落ちてくるギロチンの刃のようにまっすぐ我々を終わらせにくる逃げられはしないのだ。ならばもはや未来の無い我らが幾ばくかの刹那でもその脚を止めるこれは道理だ』
『道理は言葉です。ことばであって、真実ではありません』
『運命は追いついてくる逃げも隠れも出来ない行き先が一つならば好ましい道を選ぶことに何の咎がある』
『咎はありません。でもそこに祈りがないのでは、あまりにも救われないわ』
リーンズィは彼らの論争をほとんど気に留めていなかった。カイロス隊の発言意図について、リーンズィは判断すべき立場にない。
調停防疫局としては、未感染の人間に対してならともかくとして、見も知らぬスチーム・ヘッドに対して、身を守れとも、思いを遂げろとも、言うことが出来ない。
基本的にはメディアから再生された存在は生命ではないし、拡大解釈して考えたとしても、当人らが満足しており、組織がその選択を肯定するならば、調停防疫局には介入の余地が無い。
ただ、ミラーズが悲しそうにしているのを見ていると、胸のうちが軋むし、カイロスたちがきっと道義的にあるまじき選択をしようとしているのだろう、という程度の理解は出来る。
だがそれ以上に気がかりなのが、ベルリオーズが巨体とは不釣り合いな割合で増速を続けている、というおぞましい事実のほうだ。
運命や生命倫理に関する問題はともかくとして、この中で最も正しくベルリオーズを見ているのは、カイロス隊だろう。
自殺行為にせよ何にせよ、誰かが攻撃を仕掛けてベルリオーズの脚を遅らせない限り、後方の戦力と合流する前にあの怪物に追いつかれるのは間違いなかった。
ベルリオーズは、合理的に考えれば高速移動など不可能な機体だ。一般的にパペットは見た目よりも軽快に活動するものだが、これは軽量化が容易な不朽結晶でフレームを構築しているためである。いかな大柄なパペットでも、人工筋肉の素材にまで不朽結晶を採用すれば――リアクターや人工脳髄の性能次第ではあるものの――スチーム・ヘッドと比較しても遜色がないレベルまで敏捷性は上昇する。
現に、<首斬り兎>捜索に参加した戦闘用のスチーム・パペットは、現在の全速後退に、問題なく追従している程だ。
しかしベルリオーズは、そうした先進的で、デジタル化の進んだ機体とはわけが違った。不朽結晶だけで作られた機体では無いのだ。生体の筋繊維と思しきものを内部工事に採用している様子であるから、軽量化のしようが無い。
端的に言えば相当に重いはずだった。生体筋肉ならではの利点もあるにはあるが、重たい肉の鎧とカラクリに縛られている以上、機動力という点では劣っているべきだ。
それがどういうわけか、振り切れていない。
距離を縮められる一方だ。
最適経路を全速力で撤退している解放軍側よりも、あちらが機動力で優位に立っている。
蒸気機関を二機以上搭載しているのはリーンズィにも確認できる。膨大な機関出力がこの出鱈目な移動速度を支えているのだと考えるのは道理だが、相手は単に四足でアスファルトを搔いて進んでいるのだから、出力だけでは現実を解決出来ない。
出鱈目に這いずり回っているだけにしか見えないその動作の一つ一つが、合理性に裏打ちされている。そう考えるべきだろう。最適な進路を最適な破壊によって開拓し、そしてそれらの動作に対して、綿密に出力を調整してエネルギーロスを最小限に抑えている。言わば最適化された狂気だ。
いよいよベルリオーズの蒸気機関の唸り声が、引き延ばされた世界に響き渡る。
地獄で鳴り響く鐘のような
仮にここが加速された世界で無ければ、リーンズィは嫌悪で怖気を覚えているだろう。スチーム・パペットが接近しつつあると言うのも適切とは思われない。何か得体の知れないおぞましいものを運ぶ、朽ち果てた国の軌道車、その線路の上に立ち入ってしまったかのような。
『時間が無い。じかんが、ない。時間が無い』
カイロス隊が唱和する。
『時間が無い。時間が無い。調停防疫局のミラーズ我々は貴官の配慮に感謝する、その祈りに感謝する、偽りの魂と言えども再びの死が虚しいものであってはならない。これはまさしく真実であれば、我々はまさしく松明となる』
カイロス隊の隊長らしき機体が呟いた。
『ベルリオーズは暗がりから飛び出す短刀だ。だから、我々が見えるようにする。ありありとした赤で照らして見せよう。以て我々は任務を達成する』
『私は認めないと言っているんです!』
我慢できなくなったのか、ヴォイドの腕の中から飛び降りながら、ミラーズが一際大きいな声を発した。瓦礫を飛び跳ねて避けるカイロス隊に訴えかける。
『これから無為に死ぬと告げる者を放っておくことなんて――!』
『大丈夫。ミラーズちゃん、心配は要らない。ヒナも行く』
ケットシーの革靴がアスファルトを切り裂き、トツカ・ブレードを突き刺して急減速した。
巻き込まれそうになった同行スチーム・ヘッドが危ういところでそれを回避する。
陽炎の如くにゆっくりと塵埃を立ち上らせながら、ケットシーは身を翻して、宣戦を布告する身振りで、大太刀の切っ先を、迫り来る暴威に突きつけた。
『誰も死なない。だってヒナが大活躍してあのすごいやつを倒してしまうから。みんなはその後で殺してあげるからケンカしないで? 綺麗に、痛くないように、首を刎ねてあげる』
剣呑な言葉を並べながら、少女は優しげな眼差しをカイロス隊に向けた。
『分かるよ。眠いんだよね。ずっと起きてる、だから眠い。それだけのこと。当たり前のこと。みんな眠りたいだけ。ヒナが葬ってあげる。二度と目覚めなくて良いように』
『ありがたい。それならば誰にも反論はない。ないだろう。ないだろう? ないだろう? ないだろう? 我々はあのおぞましい剣の娘と、真っ赤な美しい火になる。ただ無意味に死ぬのではない』
『ああもう、止めても無駄だというのなら、エージェント・ヒナ、その人たちの偽りの魂をどうか散らさせないで』
ミラーズは振り返らない。
『お説教が必要みたいだから!』
『えー、殺しちゃうのに』
『そんなのいつでも出来るでしょう。先にお説教です! 魂の後には安寧が残されているべきなのですから』
ケルゲレンはヒナの参戦にも難色を示したが、あまり執拗に止めようとしなかった。
リーンズィとしては、ケットシーの実力が伴えばカイロス隊が敗北する要素はなくなるだろうと予想していた。
カイロス隊には、おそらくどの道を進んでももう未来など無い。戦うのをやめるという決意のようで、それはきっとミラーズの言葉でも曲げられない。
だが最後は安らかなものになるだろう。きっとケットシーは美しい一太刀で彼らを眠らせる。
常時オーバードライブしている機体が喪われるのは解放軍としては痛手ではあろうが、それでも不可逆的な変質を遂げてメディアが破損したり、悪性変異体たるクイックシルバーへ変貌するよりは遙かに良い結末だ。
『止めはせんよ。そこまで言うのならばのう。……しかしケットシー、おぬしは気をつけよ。ベルリオーズは、おそらくおぬしだけを見ているぞ。何故ならおぬしがベルリオーズを認識して、駆動させている一人だからじゃ』
『何の意味?』少女は首を傾げた。『何かの暗示?』
『違う、そのままの意味だ、ケットシー。今以上のオーバードライブは使用するな』イーゴが捕捉する。『テスタメント・ヘッドは我々の認識する速度で動く』
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