処刑台行進曲⑤

 あるいはリリウムシスターズや全盛期のキジールなら、同程度の服従を強いるコマンドを出力出来るのかもしれない。

 それでもこの短い音節にまで意味を圧縮するのは不可能だろう。

 この希代の聖なる言葉、神の時代にのみ許された言語に晒されて、しかし眠りに誘われるべき少女、ケットシーは、眠らなかった。当然の帰結だ。調停防疫局製スチーム・ヘッドならば、バックアップとして別の人工脳髄を備えている。そして原初の聖句は一つの<言葉>しか塗りつぶせない。二個以上の正常な人工脳髄、独自の<言葉>を並列して二つ以上駆動させている機体に対しては、多くの場合無効となる。調停防疫局はその事実をとうの昔に突き止めている。


 調停防疫局製シグマ型ネフィリムであるケットシーにも、形なき災禍たる原初の聖句への対策は当然に施されている。

 水兵服の少女はふらふらと数歩よろめいて、しかし唱えられた聖なる言葉に毅然として反抗した。

 震える手でトツカ・ブレードを構え、切っ先をロングキャットグッドナイトへと向ける。

 戦意を喪わぬ少女へ、猫のレーゲントはどこか悲しげな視線を注ぐ。


「猫の愛を知らぬ人。まだ眠れないのですね。あなたを憐れに思います。憎しみや怨み、破綻した妄想さえ無ければ、あなたも永遠の夢の中で猫と戯れる幸せな一人になれるのに。では、仕方がありません。


 言葉一つで、今度は機能停止していたスチーム・ヘッドたちが再起動していた。

 状況を認識出来ていない。自分たちが意識を失っていた事実も忘れて、二十倍速の世界へと帰還してくる。

 状況を理解しないままケットシーたちを見下ろし、『あれ、あのレーゲント壊されてなかったか?』『っていうかレーゲントが何でこんな前線に……』『だいたい誰だあいつ? 見たこと無いぞ』などと暢気に困惑を分け合っている。


「これは、裁きの黒猫です」


 睨み付けてくるケットシーに対して、ロングキャットグッドナイトはあくまでも無感情に言葉を重ねた。


「このうちに秘められた使徒を安寧の眠りから解き放つことを、残念に思います。ですが、これが聖なる猫による戒め、その力となる道を選んだ彼の使命……」


 少女は再度唱えた。



 加速した世界に、再びの沈黙が降りる。

 今度は長くは続かなかった。


 スチーム・ヘッドの誰かが言った。『……思い出した』


『思い出した……』


『思い出した、思い出したぞ……』


 今朝見た悪夢に再び魘されるかのように、兵士たちは悲鳴を漏らした。


『ヴォイニッチの不滅隊! 不滅隊だ! あいつは不滅隊のレーゲントだ!』


『そうか! 不滅者<ナインライヴズ>だ! 何しにこんなところに来てんだよ!!』


『お、俺たちを始末しに来たのか?! なんで?!』


『なんでこんなことに……』


『嘘だろ、聞いてねぇぞ、こんなの! 殺されるのは承知だが壊されるつもりで参加したわけじゃねぇ!』


『に、逃げないと……! 逃げないと……!』


 ケルゲレンまでもが後退りして、少しでもロングキャットグッドナイトから距離を取ろうとした。

 しかし指揮官だった者としての意地からか、本格的な逃走に至ることはしなかった。

 猫を掲げたまま何か言葉を唱え続けているそのレーゲント、レーゲントに似た何かに向けて、己の胸に鰭に似た装甲を当て、仮想の声を張り上げる。


『ど、どうか私の懇願を聞いてはもらえないか! 大主教ヴォイニッチの使徒が一人、使殿とお見受けする! 貴官に作戦目的と行動内容を問う! 何故こんな場所に!? 我々は平和的に活動している! 不死病患者への略取も、不毛な同士撃ちも、とっくの昔に取りやめているのだぞ! 殲滅の指令など出るはずがない! 違うか?!』


「ですが、ここに猫はいます」少女は夢見るように応えた。「これは裁きの黒猫なので。ここに、裁きはあります」


 再生する機会をようやく掴んだイーゴががばりと身を跳ね上げた。


誰何すいかしている場合か! さっさと逃げろ! 全機に通達! 逃げるんだ!』

 全ての回線に対して警告を発した。

『裁きの黒猫は第六の戒め、ベルリオーズの猫だ! 厄介な相手だが、第六で済んでいるうちにナインライヴズから逃げるしかない! ヴェストヴェストが出たらオーバードライブを使う余裕は無いんだぞ!』


『何をする気か知らないけどっ!』


 ケットシーが猫を掲げる少女を両断する。

 断面から脳髄や臓物を零しながらロングキャットグッドナイトは倒れ、何事も無かったかのように復活した。

 復活した、という表現すら事実に即していない。切り裂かれた事実自体が過去から消去されたかの如くであり、ロングキャットグッドナイトには、まさしく何事も起きていないのだ。


『ヒナは何を見てるの……!? 確かに斬ってるのに! 手応えもある! 殺した時の景色が見える! このスチーム・ヘッドは死んでないといけないのに』ケットシーは嘔吐くような仕草で後ずさる。『なのに生きてる。マモノでもありえない、何なの!』


『みんな、どうかしたのか? 何故そんなに彼女を恐れている?』


 リーンズィも状況を飲み込めず、ロングキャットグッドナイトと他の機体との間で、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 不死身性が明らかに他の機体とは異なるが、それだけのこと。

 だというのに、武器を構え、あるいはもう既に逃走を開始している友軍。

 何に怯えているのか、心底から不思議だった。

 きっと予想外の聖句を浴びさせられて、混乱しているのだ。

 彼らを落ち着けさせるために、知る限りの言葉を投げかける。


『何故ここにいるのかは分からないが、彼女は無害な存在だ。私も何度かロングキャットグッドナイトにはお世話になっている。とても優しくて猫の好きな少女だ。そんなに怯える必要は……』


 四本の腕で体を跳ね上げたグリーンがケットシーを抱えて飛び退いた。


『そんな表層の概念はどうでもいいんです、暢気にしている場合じゃないんです! そっちのセーラー服もほら早く! ぶっ潰されてしまいますよ!』


 攻撃以外は予知できないのか、ケットシーは『何をするの! 急に触らないで!』と控えめにじたばたしたが、リーンズィやミラーズごと抱えられると『あっ……お邪魔します……』と恥ずかしげな声を出して大人しくなった。

 密着されるのが苦手らしい。


『う……?』ようやく覚醒したミラーズが怪訝そうに声を上げる。『え、これは何事なのですか? いつのまにかグリーンに抱っこされてる……』


『グリーン、私は走れる。ミラーズを頼む』

 愛しい少女の肢体を預けながら、自分自身は腕の中からまろび出て、さらに問う。

『いったい何なのだ? 何なの? あのレーゲントの何を恐れている?』


『レーゲントなんかじゃないんです! あれはです! 不死病患者ですらないんです! 勝てるわけが無い! 不滅者なんですよ! 全ての戦闘行為の強制停止を主張するヴォイニッチの手下、よりにもよってナインライヴズです! 媒体の潰し合いをしない限り小競り合いの延長で済む、そんな私たちスチーム・ヘッドとは、まるで別格の存在なんです!』


『でも斬れる! 斬ったもの!』と不服そうにケットシー。『ヒナはまだ負けてない! むしろもう勝ってた! リテイクを要求しにいく!』


『無駄じゃ、あきらめろ!』ヴォイドに肩を貸しながら、ケルゲレンもロングキャットグッドナイトに背を向けていた。『風景に刃が通じないのと同じじゃよ。形の無い言葉はどうやっても切断できん! 言詞甲冑ワードローブは存在核が保証されている場合には無限に再生する!』


存在核確立済自己言及式テスタメント・言詞駆動人造脳髄トーキングヘッド! テスタメントだとか何だとか呼んでますけど、とにかくあの人、ナインライヴズには実体が無いんです! 原初の聖句を使って自分自身を不死病の因子で編み直した<ことば>の変異体です! ああ、以前の大粛清のときに認識をロックされてそのままだったんだ……! 彼女の存在に気付いていれば、のんびりなんてしていなかったのに!』


『わ、分からない。彼女は只者では無いと思っていたが……逃げる必要が?』


『あります! 彼女は調です! 全ての粛清をコルトがやったわけじゃない、キュプロクスの突撃隊の本隊はむしろ彼女によって駆逐された! 敵味方問わずぐちゃぐちゃにされたんです! 急がないと……もし第一の戒め、ストレンジャーまで開放されたら全滅ですよ! 一人もここから帰れなくなる!』


 全速力で去っていく無数の背中に向かって、少女は感情の無い言葉を編んで歌を紡ぐ。


「ベルリオーズ。安らかな猫の眠りからあなたを解き放つことをどうか赦して下さい。今、この地は血に濡れています。猫のぬくもりは人のぬくもり。そのぬくもりがひとつ、喪われてしまいました。その罪は購われなければなりません。ハレルヤハ、人の世に魂の安らぎがありますように。猫たちの国に久遠の安らぎがありますように……言詞抜錨。、第六の戒め、処刑台の不滅者、ベルリオーズ!」


 黒猫がふしゃーと凶暴な唸り声を上げながら宙に浮かび、木っ端微塵に弾け飛んだ。

 否、黒猫は拡張され、展開され、裏返っていた。

 そうあれかしと願われ、紡がれた機能のまま、内包した世界で冷たい現実を融解させていた。

 晒された内側にはおおよそ猫には相応しくない複雑なメカニズムが詰め込まれている。三つの連なる心臓、未接続の状態で残置された不朽結晶装甲、古生代の巨獣じみた異様な筋肉、デスマスクのような意匠のフルフェイスヘルメット。

 それは複雑に輪転する巨大な歯車として微睡み、魂無き猫の内部を輪転している。

 それは猫という概念をアンカーとする一つの特異点だった。


 世界の半分は猫である。

 人間は夢を見る。

 ならば、どんな人間でも猫として、仮初めの夢に封じることが出来る。


 それがロングキャットグッドナイト、不滅者<ナインライヴズ>の信じている世界である。



 ばちん、と泡のように猫の面影が弾けた。

 世界は反転した。

 そうあれかしと望まれた夢の黒い猫は掻き消える。

 さりとてその命は消えていない。

 内包する世界を夢見て、これまでとは反対に、人知の及ばぬ事象の綻び、言葉の紡ぐ円環の微睡みへと落ちて行ったのだ。


 かくして、泡沫の夢の座を替わり、異形の怪物が目覚めて常世に落ちた。

 立ち並ぶ建造物が数十の関節を持つ長大な四肢を受け止めて崩落し、四つん這いの、装甲された獣が、加速された時間の中で、しかしゆっくりと身をもたげる。


『対抗……オーバードライブ検知……20……オーバー……ドライブ……? オーバードライブとは……何だったか……う……あ、アアア? 殺しているのか? 誰か、殺しているのか……? まだ、殺しているのか…………?』


 鋼の獣は朦朧とした声を漏らす。

 鎧を着込んだ巨大な胴体の奥で、人工的な変異を重ねられた歪な三つの心臓が、不揃いな鼓動を開始する。その身を震わせる。


『分かるぞ。死んだな。誰か死んだな? 死んだな? 誰かが殺されたな。殺したな。殺したなあああああ? 殺す、な……殺す、な……殺す……な……殺すな、殺すな、殺すな、殺すな、殺すな、殺すな殺すな殺すな殺すな殺すな殺すなあああああああああああああああああああああああああああ!!!! AAAAAAAAAAAAAAAAAAGH!!!』


 胸部拡張骨格内部に搭載された重蒸気機関が起動。

 獣の如き巨人の騎士は二足によって立ち上がり、過剰な数の関節を持つ異形の肉体を反り返らせて、音無き世界に咆哮を上げた。

 続けて外付けの重外燃機から急速発電を示す血煙が猛然と噴出する。


『何故殺す? 殺すのが悪だと何故分からない? 私は理解したぞ。殺すことが悪なのだと理解したぞ……。殺して殺されて、殺して殺されて……そうしたら終わりは全滅しかないだろうがよおおおおおおおおお、クソがよオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 支離滅裂な電波を垂れ流しながら怒りにまかせて手近な建造物を一つ叩き切った。その四肢は余さず刃としての機能を付与しされていた。


『ああ、ああ、アアアアアアア。もうたくさんだ……殺すな! 殺すな、殺すなああああああああ! あああああ? どいつもこいつもォォォ、なんで殺すんだ!? そんなに殺すのが偉いのか?! 殺す以外に脳味噌が無いのか? あああああああああああ? 殺すために生まれきたぁ? 冗談じゃない、冗談じゃない、冗談じゃない! そんなための不死じゃなかっただろうがよおおおおおおおおおおおおおおお! ええ!? そうだろう!? なぁ、おい、誰か返事をしてみろ! 返事をしろ!』


「落ち着くのです、ベルリオーズ」


『殺すな! 殺す! 死ね』


 さっと両手を伸ばしたロングキャットグッドナイトへと、獣の意匠の腕部が叩き付けられた。

 押し潰されて死亡し、即座に復活したロングキャットグッドナイト。

 自身がまさに斬殺された事実など意にも介していない様子で、一目散に逃げて行く解放軍の兵士たちの方向を指差した。


「今、この地では無為な争いが芽吹いています。夢に捕らわれた無限の逃走に荒れ果てた心なので……。誰もが猫たちのモフモフを求め、しかしそのぬくもりを拒んでいます。疲れ果てて、眠れずにいるのです。だからこそ、平和をこそ真に愛するあなたの言葉が必要なのです」


『死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!』


 何度も何度も少女は磨り潰されて死んだ。

 何度も何度も何度も何度も少女は復活した。


「聞くのです、ベルリオーズ。それがあなたの使命なので。猫のぬくもりを拒絶した彼女の剣を折らなければ、いかなる言葉も通じません。誰もが彼女を殺し、彼女に殺されることに夢中なのです。殺人を否定し、殺人の否定のためにその全存在を捧げたあなにだからこそ、託せる願いがあります、第六の戒め。猫の騎士の一人、ベルリオーズ」


『猫の騎士……?』


 鋼の怪物は動きを止めた。六つの巨大な眼球がぎょろぎょろと蠢き、少女を見下ろし、それからスチーム・ヘッドの残骸が散乱する周囲を確認した。


『ここは……知らない戦場だ。私は何を……? ここはどこだ? ああ、そこの君は……君は誰だったか……』


『わたしキャットは猫の影、ただその淵を歩く者なので。無理に思い出さなくてもよいのです。目標はケットシーという少女です。彼女を殺し、殺すのを止めねばなりません。猫を愛し、人を愛せない悲しみ。それは殺さなければ消し去ることが出来ないので。どうか彼女に、殺人が如何に悪であるかを説いて頂きたいのです」


『あああああ……思い出した。思い出した、思い出した、思い出した、思い出したぞ。もちろんだアムネジア。そういう契約だ。私は契約を果たす。人の世には安らぎが必要なのだ』

 俄に我に返ったらしいベルリオーズが拡張心肺から血潮の臭気を孕んだ息を噴出した。

『これ以上同胞同士で血を流す意味などありはしない。助け合うべきなのだ。だから、殺す者には、教えてやらないといけない……人が殺人から解放された世界に辿り着くためには、ひたすら殺し続けるしかないもんなアアアアアアアア? アアアア? 殺してやる、これ以上殺さないように、殺してやる、殺してやる! 殺してやるぞオオオ! 一匹残らずぶっ殺してやる! 死ね、死ね、死ねえええええ!』


 蛇腹状の関節を持つ腕で壁を伝い、蒸気噴射をめちゃくちゃに濫用しながら急加速を始める。

 弾き飛ばされてロングキャットグッドナイトはまた死に、復活した。

 そして、残りの九匹の猫たちと、猛然と駆けていくその背中を見送った。


 壊れた鋳型から作られた出来損ないの狼のごときスチーム・パペットは、名をフェンリル型ベルリオーズという。

 クヌーズオーエ解放軍のかつてのトップエースの一人にして、殺人を忌み嫌い、殺人を憎み、殺人に心を痛め、殺人と闘い、やがて全てを捨てて――猫の夢を守る騎士になる道を選んだ。

 殺人を撲滅するために虐殺を実行する、破綻した狼。

 彼は、狂っていた。

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