処刑台行進曲④
『1000ミリ秒』
ヴォイドが不意に進言する。
『アポカリプスモードレベル1発動まで1000ミリ秒かかるが、それ以外に選択肢は無いと思われる』
『しかしアポカリプスモードは――いや、それ以前に、1000ミリ秒も君を守ることは出来ない』
制服姿の可憐な葬兵は、長大なカタナを突きつけて宣告する。
『調停防疫局のエージェント! 今、ここに決闘を申し込む。一対一とはもはや言わない。悪鬼の群れを引き連れて、一心不乱にかかってくるが良――』
「ケンカですか?」
その刃の示す先に。
見知らぬ少女が佇んでいた。
少女の胸で抱えられた黒猫がにゃーと気の抜けた鳴き声を上げた。
沈黙の帳が降りた。
誰もが思考を停止した。
これは誰だ?
いつからそこにいた?
ケットシーとその凶刃に注目していなかった者など一人もいない。
だというのに、誰もその少女の到来に気付かなかった。
『え――?』
さしものケットシーも、突然の闖入者に戸惑った様子だった。
『ん……あれ? どなたですか? 一般の方?』
「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」
少女は黒い猫を掲げた。
「これは和睦の使者にして裁きの代行者である黒猫、ベルリオーズです。セーラー服の美しい人。わたしキャットは、聖なる猫の代理人としてあなたに言葉を伝えに来ました。刃の冷たさではなく猫のぬくもりをこそ知るべきなのです。どうか凶器を置いて少しだけ猫を抱っこして、憩ってみると良いのです。猫のふわふわは太陽の暖かさ。猫たちの国から漏れ出た柔らかな慈愛なので」
『ど、どうも、ロングキャットグッドナイトさん……今大事な場面なので邪魔をしないで。撮り直しになっちゃう』
「剣もいつかは折れるもの。さりとて猫は不滅です。世界の半分は猫なので。今こそ猫と向き合い、和解するときです。戦いは何も生みません。理想郷がなくても、本当の敵なんていなくても、猫はここにいるのです」
『これ、そういう番組じゃないんです。ぶらり旅とかじゃなくて……本当に何をしに来たの。ヒナのファンの人? そうでなければ、あの金髪の綺麗な子とか、スタイルの良い茶髪の人のお友達? あとで時間は作ってあげるから……』
「聖なる猫の導きを信じるのです。猫の裁きが訪れる前に、この悲しみの戦いを終わらせるのです。猫モフモフ30日権もプレゼントします。あなたの身の安全も、わたしキャットが保証します」
『え、ええ……?』ケットシーは怯んだ!
『猫の人がケットシーを圧倒している……!』とリーンズィが感嘆の声を漏らし、ミラーズは『会話が成り立ってない度合いがより酷い方が、雰囲気でもって相手を威圧しただけではありませんか……?』と至極醒めた物言いをした。
ケットシーが返答に窮してどうしたものか悩んでいる隙に、ロングキャットグッドナイトは、高く、高く、猫を掲げた。
小さな体をぐぐ、と背伸びしながら、猫を持ち上げる。
愛らしい手の中、厳粛な面持ちの黒猫がにゃーと鳴き、周囲に集まっている九匹の猫も唱和する。
「猫と和解するのです!」
にゃー。にゃーにゃー。にゃー!
『えっと……』ケットシーは怯んだ!
『猫の人が勝ちそうな気がしてきた……それにしても、彼女もオーバードライブが出来たのか? いつのまにこんなところに?』
リーンズィは違和感を覚えた。
『でも、しかし、あれ……?』
『惑わされてはならない』
ヴォイドが警告を発した。
『二十倍速の世界で肉声で発話するのは不可能だ。二十倍速で動ける猫も存在しない』
リーンズィには、ヴォイドの言葉が一瞬理解出来なかった。
それは言語化の網を潜ろうとする、しかし余りにも明白な異常。
ロングキャットグッドナイトは、何も変わっていない。
それがおかしいのだ。
二十倍速は多くの戦闘用スチーム・ヘッドの限界点である。
専用の装備と適性がなければ踏み入ることの出来ない世界だ。
だというのに、ロングキャットグッドナイトは、攻略拠点でリーンズィたちの前に現れた時と一寸も変わらぬままで――。
しかも、声音にも、彼女の猫たちにも、声に変化が無い。
聞こえてくる声は無線ではなく、まさしく生きている声なのだ。
解放軍戦力について何も知らないためだろう、相対しているケットシーはまだその異様さに気付いていない。
『問答は無用。邪魔をするというのなら、一刀のもと叩き切るのみ――! あ、でも猫を盾にするのは卑怯。死なせちゃうと視聴率落ちるからやめてくれませんか……?』
「人よりも猫の死を恐れるのですか。なげかわしいことですが、猫が好きなのは良いことです。猫を愛するように人も愛するのです」
『やっぱり動物は殺すと可哀相だから……猫は、うん、好き。犬も好きだけど。ヒナも人間以外は殺したくない……ヨミガエリと違って殺すと死んじゃうし……』
「ハレルヤハ。猫の道を知る者は愛を知るのです。さぁ、どうか猫をその手に。猫は太陽のポカポカから毛皮を作ると言われています。冷えて凍えたその手指を、猫のぬくもりが優しく融かすでしょう……」
『猫……猫……ネコチャン……でもね』
トツカ・ブレードの刃先が天を向いた。
『そんなの、騙されるわけ無い』
ケットシーの頭上に影が落ちるが、影がその身に達するまでも無く彼女は消えていた。
音も無く飛来する簡易人工脳髄搭載型追尾誘導貫通弾を予知していたのだ。
飛び退いたその場を大槍が貫いた。
反応されなければ少女の肩部から下腹部までを貫通する進路だ。
人間大の大槍は狙いを外したと見るや
保存していたエネルギーを解放して再び猛然と突進を再開。
だがトツカ・ブレードは既に少女の両手に握られている。
上位オーバードライブに突入した彼女は、致命の槍の再反転を許さない。そのまま高純度不朽結晶のトツカ・ブレードで槍を呆気なく切り刻み、無力化してしまった。
『二度も三度も見た狙撃。避けるのは簡単。工夫が無い』
そして振り抜いた刃はまだ停止していない
『見え透いた陽動。猫まで盾にして、その卑怯さには吐き気がする。もう容赦しないから』
ケットシーは流れる水のような素早さでロングキャットグッドナイトの背後に回り込んだ。
一閃。
猫っ毛のレーゲントの首が、ぼとりと、牡丹の花のように地に落ちた。
行進聖詠服など何の役にも立たなかった。
掲げられていた猫はそのままに、両手両足、胸部や胴体が滅多斬りにされ、無数の肉片と化し、重力に引かれて落下する。
ロングキャットグッドナイトは最後の言葉を漏らす間もなく物言わぬ肉塊の山となる。
アスファルトに粘性の血液が降り注ぎ、かつて少女だったそれは、物言わぬ血肉と内臓の溜まりと成り果てた。
ロングキャットグッドナイトは、死んだ。
リーンズィは悲鳴を上げた。
だが二十倍速の世界では声を出すことさえ出来ない。
『いい加減スナイパーも始末しないと気分が悪い。もう殺すね』
ケットシーはオーバードライブを発動してコンテナの着弾した廃ビルに潜り込み、新しい大型機関兵器を持ち出してきた。
既にスナイパーの潜伏位置は特定していたのだろう。
無数の大型カタナ弾を装填したその最新型ネネキリマルは、明らかに超長距離戦に特化していた。
『
廃屋の窓から突き出された砲身から、フルサイズのカタナ弾が電磁加速により連続射出された。
簡易人工脳髄搭載型追尾誘導貫通弾と同じく空中で幾重にも軌跡を変えながら一つの方角へと飛翔していき、目標地点上空でさらに針状の不朽結晶弾を展開して電磁射出。弾頭の雨が一帯へ降り注いだ。
それは狙撃ではなく、あるいは爆撃ですらなかった。
範囲一体を例外なく貫徹する冷酷な破壊の暴威、剣の雨であり、回避する余地は無かった。
大眼鏡と一体化した狙撃装置にしがみついていたハンター・ハンコックは、その破局の雨が降り注ぐのを黙って受け入れた。猫が好きだった。生前はアレルギー体質のせいで殆ど触れたことが無かったが、不死病患者の肉体を得てからは克服できた。尤も、猫が地上に存在したのはあらゆる病から免れた不滅の肉体を手にいれてから僅かな時間だったが。
それがために判断を誤ったのだ、とハンターは嘆息する。
あと一拍でもトリガーのタイミングを遅らせれば、命中させられていたという確信があった。だがレーゲントの連れている猫が斬られるかもしれないという恐れが気持ちを逸らせた。
不朽結晶連続体の雨が突き刺さった。
街から一つの建造物群が丸ごと喪われた。
ハンター・ハンコックは、感情無き剣の雨を浴びせられて、装甲を粉砕され、脳髄を貫かれ、生体を細切れのミンチにすり替えられ、誰の目にも止まることなく破壊されて、死んだ。
『これで撮影がスムーズに進められるね』
『ロング、ロングキャット……グッドナイト……猫の人、そんな……』
ケルゲレンから手渡されていた短槍を握っていることさえ出来ない。
リーンズィは膝から崩れ落ちそうになり、その視界は急速に色を失っていき――
猫たちがにゃーと鳴いた。
「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」
突如聞こえてきたその声で我に返った。
少女は猫を抱えて佇んでいる。
「挨拶は基本ですので。おはようございます、カタナの人。美しい刃の人。どうして猫を拒むのですか?」
ハンターが範囲攻撃によって落命したらしい事実さえ、誰しもの認知から欠落していた。
とうのケットシー自身までもが何が起きているのかを受容しきれていない。
『あ……』ケットシーは推論を重ね、不都合な事実に行き着いたらしい。『二十倍速の世界でいくら人間を切り刻んでも……それらが地面に墜落するまでには長い長い時間が必要になる……残骸がぼとぼと山積みになってたから……だからあんなふうになるはずない。さっきのは、まぼろし? どういうカラクリ……? でもどうでもいい。あなたはもういらないから』
ケットシーが跳躍し、猫を掲げるロングキャットグッドナイトの肉体を瞬く間に刃で分割した。
首を蹴り飛ばして壁の染みに変え、心臓や臓器を丹念に踏みしだく。
『これで今度こそ終わり――』
「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」
『……!?』
切り刻まれたはずのロングキャットグッドナイトが平然とそこに立っていた。
ぶちまけられた血も臓物もどこにもない。
聖詠服に乱れはなく、傷など見当たらない。
悲劇など起こっていないかのような平静。
墓標の如き誘導弾の残骸だけが前後の文脈を辛うじて維持している。
『え……?』
ケットシーがこれまでに無いほど大きな隙を見せているのは間違いない。
だが誰も動くことが出来ない。
あまりにも異常な光景が目の前で展開されている。
ぐぐ、と伸びをしながら猫っ毛のレーゲントは黒猫を持ち上げる。
「不思議に思うことはないのです。猫は常に朝日とともに世界に訪れるものなので。世界のどこかに朝があり、朝あるところに猫はいます。全ては半分猫で出来て」
言い切る前に今度こそ徹底的な斬撃がロングキャットグッドナイトを襲った。
もはや猫を避ける工夫などなかった。少女の肉体は猫ごと冷たい刃に晒された。
頭部は二十個の破片に分割され、首から下は微塵の肉片になるまで切り刻まれ、周囲一帯が血の海に変わり、「おはようございます、ロングキャットグッドナイトです」と少女が猫と現れた。
『あ……え……何……?』
ケットシーは初めて恐怖の感情を滲ませた。
カタナを振るう手を止めて飛び退いて距離を取る。
『いったいどういう……あなたも、マモノ、なの?』
リーンズィにも理解が出来ない。
ロングキャットグッドナイトは間違いなく斬り殺されている。だがそのたびに前後の死を無視するかのように五体満足な姿で戻ってくる。
不死病患者としてあるべき再生のプロセスすら踏まえていない。
「いいえ、いいえ。聖なる猫のしもべです。しかし、わたしキャットは悲しみに満ちています。あなたは、殺してしまいました」
『殺したけど、死んでない。あなたはまだ、生きてる。こんなに斬ったのになんで……』
「いいえ、遠くの塔にいた、遠めがねの人を殺しました。なげかわしいことです。敵ではなく猫を見ていた心優しい友人の死をわたしは悼みます。かの名高き猫を知るもの、偉大なるモーセは言いました、『汝、殺すことなかれ』。預言者の言葉は猫の言葉です。わたしキャットは十の戒めに従い、あなたに罰を与えなければなりません……」
少女は唱えた。
「
認識を補完する言詞の風が吹くのを、偽りの魂は見た。
周囲のスチーム・ヘッドが一斉に昏倒した。
ある者は倒れ伏せ、ある者は外骨格に支えられて立ち竦んだまま意識を途絶えさせた。
リーンズィやミラーズも同様だったが、二人のエージェントに関してはアルファⅡモナルキア・ヴォイドからの支援ですぐに復帰することが出来た。
ミラーズは『聖句……?』とまだ朦朧としていたが、リーンズィの復帰は素早い。
ヴォイドからのデータ共有で辛うじて現状認識を活性化させる。
大規模な原初の聖句が発動したのだ。
数十機のスチーム・ヘッドを同時に機能停止させる異常な聖句が。
これほど図抜けた強制力を持つ聖句を操るレーゲントを、リーンズィはこれまで記録していない。ロングキャットグッドナイトの<言葉>はヴァローナの人工脳髄を用いた簡易な防壁など呆気なく貫通してしまった。
リーンズィは脳裏に反響する聖句をユイシスの補正で無力化し、果敢にもその言葉を直視する。
しかし、極めて短い。
たった一言だ。
だというのに、比類無いほどの力があるという矛盾。
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