処刑台行進曲③

『息切れというものを起こしておくべきじゃろうが』

 良いようにいなされ続けるケルゲレンが悲鳴を上げた。

『ふざけておる、切り裂くという行為の具現者か!』


 異常なのはそもそも一連の回避行動において敵対者の動きをいちいち視認していないということだった。

 全ての機体が厭と言うほど同じ動揺を味わっていた。完璧に対応されているというのに、あちらはこちらのことなど眼中に無い。

 黒曜石のような視線は恍惚に潤んで、唇は歓喜の吐息を漏らして緩み、身体動作の一つ一つが芝居じみている。そして、余人には見えぬスクリーンでも眺めているような無関心さと空虚極まる油断が常に少女を付きまとっていた。

 それなのに単純打撃の一発を成立させることさえ誰も成功していない。


 出力が危険域に達したヴォイドから救援要請の合図があった。ケットシーの相手をケルゲレンたちに任せ、リーンズィはボロボロの両腕でヴォイドを抱えて凶刃の射程範囲外に逃れようとした。


蒸気抜刀じょーきばっとー……』

 

 宙返りする形で瞬時に反転したケットシーのトツカ・ブレードの刃が背中を追いかけたが、横合いから飛びかかったミラーズが危ういところでそれを弾く。


 ミラーズの援護を頼みに、数十ミリ秒は安全だろうと言える位置まで退避し、廃屋の外壁にヴォイドをもたれかけさせる。

 そこからさらにケルゲレンたちに援護を任せ、ミラーズも離脱した。

 ミラーズはカタナを投げ出し、泣きそうな顔でヴォイドに寄り添い、しかし厳しい口調で叱責した。


『ヴォイド! いくらあなたがリーンズィじゃないって言っても、あたしはそんな無茶をしてほしくはないわ。あなたは理解しないかも知れないけどね』


『ケットシーの戦闘能力を確認する必要があった。オルタ・ドライブでも振り切れない。おそらく通常倍率では同じフィールドにすら立てないだろう』

 崩壊した体組織を冷却剤として重外燃機関から強制排出しながらヴォイドが報告する。

『ウンドワート級のスチーム・ヘッドと認定する』


『理解を超えている。何故あんな動きが可能なのだ? 可能なの?』


『後のことはお願いね、リーンズィ』


 ミラーズが空中で止まっている折れた刃を握り、凜と胸を張って、その小さな背中を二人に向け、ケットシーの方を向いた。

 今度はケルゲレンたちが限界に近い。ミラーズに盾のような役目をさせるのは忍びなかったが、ライトブラウンの髪の少女は己の役目に徹すること選んだ。ミラーズの背中を見送る。そうして、両腕の再生に注力しつつ、死力を尽してケットシーの動きを見極めようとした。

 このままでは勝機が無い。

 負荷によって瞳の変色が始まっているのが分かる。それでも思考能力が認識に追いつかない。

 理解は常に後追いで、殺すつもりで放たれた一撃を自分が避けられるという未来を、どうしても思い描くことが出来ない。

 ユイシスの声が脳裏に響く。


『報告。目標スチーム・ヘッド、ケットシーのオーバードライブは、限定的に三百倍を超えています』


 三百倍。その速度に達した世界をどうやって知覚しているのか、何故人外の領域に到達した身体が自己崩壊を起こさないのか、何一つ説明が出来ない。

 確かに、戦闘用スチーム・ヘッドは外観上人間の形を保っているだけで、他の不死病患者とは幾分か肉体の構造が異なる。特にオーバードライブを使用するたびに筋組織や神経系は強化されていくため、あるいは究極的には、三百倍に加速した世界にも適応可能なのかも知れない。

 それでも白刃を煌めかせて舞い踊る細身の儚い少女こそがその究極形態なのだとは、とても信じられなかった。


『根本的に……人体の構造を維持したまま<青い薔薇>のオーバードライブを避けられるはずがない。人間の視神経や脳に許された認知能力では目で追うことさえも……まさか彼女も未来予測演算を行っている?』


 リーンズィの推測に、ヴォイドは否定の信号を返した。


『ケットシーの人工脳髄は、シィーの人工脳髄と同等の仕様だと予想される。未来予測演算のような機能の存在は想定しにくい。傍証として、超高速機動中の彼女の身体運動における人工脳髄依存率は極めて低い。ウンドワートのように生体脳髄の防壁が停止する予徴が無く、ハッキングを受け付けない。さすがに体組織の再生と変異抑制にはリソースを割いているようだが』


 体内組織の再構築を終えたヴォイドが姿勢を立て直す。

 悪性変異進行率は依然として100%。アルファⅡモナルキアの現在の仕様では200%からが変異危険域だが、100%であっても当然安全圏からは大きく外れている。

 同じことをリーンズィが実行していれば、ヴァローナと名乗っていた少女の肉体は完全に変異してしまった後であろう。


 観察をしているうちにも、ケルゲレンとミラーズは連携を取り、圧倒的強者に嬲られる役を交代していく。

 リーンズィとしては腹部にゆっくりと(加速した世界でゆっくりも何も無いが)斧槍の破片をねじ込まれそうになった記憶が苦々しく、ミラーズがそんな目に遭わされては我慢が出来ないところだったが、ケットシーが無表情と恍惚の狭間といった表情で僅かにこちらを見てウィンクしてきたので、何をどう考えたものか分からなくなった。

 もうあんな真似はしないという合図だろうか。

 かといってミラーズを細切れにされても困るのだが。


『……とにかく。私よりもケットシーの人工脳髄の方が優れている?』


『基礎設計に関しては、シグマ型ネフィリムは優秀だ。十分な装備と優秀な人格記録媒体プシュケ・メディア、そして活動に適した肉体があれば、最終的なスペック上はアルファシリーズにも匹敵し得る。彼女はその中でもさらに生命管制特化の型かも知れない』

 ヴォイドは一貫してミラーズの心配をしなかった。

『シィーから取得した情報によれば、シグマ型高性能人工脳髄は、使用者の特性に応じて性能をチューニングが可能だ。オーバードライブ用の身体制御や射撃管制装置を採用せず、再生と変異抑制だけに機能を集約させれば、あるいは部分的に我々以上の水準に仕上げることも可能だろう』


『オーバードライブ機能が、無い? しかし現象に対する説明がつかない。生来のオーバードライブを、機械的なオーバードライブで補助しているように見える』


『説明は既に成された。生体脳の機能だ』


『オーバードライブのかなりの部分を生体脳が代行しているのは理解している』


『理解していない。。より正確には、可能な動作の一部がオーバードライブ同然の領域に達している。あれはケットシー、葬兵ヒナ・ツジ個人のオーバードライブであって、人工脳髄の要素が最初から存在しない』


 右腕を空にしていたヴォイドのバイザーが紫電を反射した。アルファⅡモナルキアの最上位修復機構たる架構代替再生においてはまず、最初に虚空に神経伝達の電流が放出される。骨肉はその電撃を追って、最初から切断された事実など無かったかのように出現する。


『……そんなものは人間ではあり得ない』


『人間ではないのだ。それが結論だ。死にさえしないなら、補助なく音速の世界へ入門可能な真性の怪物だ。彼女のオーバードライブは、不死の獲得によって開花した彼女個人の才能に過ぎないのだ。ただ、青い薔薇による蓋然性障壁を突破された点を考慮すると、それすらも彼女の本質の一端に過ぎない』


『……メガロマニアじみた妄想の通りに、自在に身体操縦が可能だとでも?』


『おそらくそれ以上だ。コントロール可能なのは身体だけではない、と推測するのが妥当だろう。想像できることは、必ず実現可能である……くだらない空想理論だ。しかし、おそらくケットシーはその空想理論を体現している。彼女は自分に有利な未来に辿り着くための手段を一足飛びに理解しているのではないか』


『望む未来への道筋を理解し、実行出来る……? そのような変異体だということ?』


『悪性変異の兆候は検知出来ない。しかし極めて特殊な生体脳の持ち主であることは間違いないだろう。生前からそうだった可能性もある。特異な才能なのだ。どれもこれも一度死んで再生したとき、即ちコストを無視出来る不死となって、始めて花開く天稟だ。一秒か、二秒か……予め選択できる未来はその程度だろう。ウンドワートや我々の未来予測演算よりも範囲は狭い。しかし生体脳由来の能力は濫用が可能だ。そして世界が仮想では無い分、誤差も少ない。電力消費も気にしなくて良い……』


 刃から火花を散らし黒髪と金髪で二色の巴を描いていたミラーズが、リーンズィとヴォイドの会話に対して困惑の声を上げた。


『二人とも、待ってくれる?! どういうこと?! え……これ何か理由があるの?! 全然わけが分からないのですが!』


 ミラーズの攻撃には殺意というものが存在しないが相手も同様だった。

 相手を戦闘不能にするという意志が全く感じられない。

 もっとも、ミラーズには少なからず相手を止めようという気概がある。彼女は静かに憤っていた。戦好きとは言えないミラーズだったが、それでもスチーム・ヘッドたちが次々に斬殺されることには腹をすえかねていたらしい。彼女を止めなければならない、という義務心があるようだった。

 ところが、ケットシーには意志どころか高揚と恍惚以外の感情が無い。

 言動の全てから只ひたすらに現実感が欠落している。

 そして、リーンズィは答えの切れ端を掴んだ。


『彼女は……この現実をそもそも見ていない……?』


 何を見ているのかは分からない。

 言うなれば彼女は今・ここという画面を見ずに、少し先の未来が表示されたモニタを眺めているのではないか。

 それがどのような視座なのか、リーンズィたちには知るよしも無い。

 言うなれば予知能力者。

 そんな常識外れの存在が知覚している世界など、誰が理解出来ようか。


 リンクを通じて、刃で対話するミラーズの動揺が伝播してくる。

 シィーの技能を以てしてもケットシーの機動に一向に追従できていない。雑多に軌道を変動させながら斬りかかるミラーズの刃が迫るたび、ケットシーは舞踏家のような優雅さで足を運ぶ。あるいはスカートの裾を広げながら紙一重の間合いへ退きあるいは胸を反らして首筋から刃を遠ざけあるいは運動アシスト用外骨格の外殻部でいなしあるいは腕を覆う不朽繊維の布で滑らせあるいは柔肌の拳で刃の腹を払い除けあるいは革靴の爪先でミラーズの胸を押して宙に返り蒸気の圧力を変えて跳び蹴りを狙う。

 ミラーズも似通った機動でケットシーと渡り合っていたがそれは選択と逡巡、反射によって生じた行動であり、ケットシーのそれとは全く異なる。


 不朽結晶製の刃同士がぶつかる瞬間もあるにはある。

 しかしそれは防御や攻勢といった戦術上の必然では無い。

 腕部の再生を終え、ヴォイドの護衛に回っているリーンズィからはそれがありと見て取れた。

 少しばかりの蒸気機関を背負っただけの制服姿の少女に過ぎぬケットシーの剣捌きや体運びには迷いが無い。

 それどころか思考している形跡すら無い。

 あらゆる行動が決断的でありそこには一枚の紙を差し挟む余地すら見当たらない。予定調和という概念が少女の鋳型に注がれて生まれて息吹を得たとでもいうかの如き不自然なまでの自然さ。あたかも一度来た平原の道を再度辿る行商人の如き揺らぎの無い確信が行動原理を貫いて、関節を駆動させ、筋肉を突き動かす。

 身に染み込ませた殺陣、演舞の類を完璧にこなしているかのようだ。

 一見してミラーズと打ち合いが成立しているように見えるのも、そのようにケットシーが振る舞っているからにすぎない。


 ここでの一太刀はミラーズには避けられない。そう見えた一合が無数に存在した。

 そのたびにリーンズィとケルゲレンは救援に入るべく合図を送り合った。

 だが現実にはミラーズが回避や防御に成功してしまう。


 ケットシーが『自分は攻撃を失敗する』という未来を選び取っているからだ。

 合理的理由など一辺もありはしないが、リーンズィには何となく理由が分かっていた。

 見栄えがするから、まだ殺さない。


 動きがあまりにも自然なため、意識させられる場面が少ないが、ケットシーには聖歌隊のレーゲントが己の美貌を誇示する時のようなポーズを取っている瞬間がある。おそらく金色の髪を振り乱すミラーズと艶やかな黒い髪の自分が、刃ごしに交わることに、存在しないテレビのための撮れ高があると思い込んでいる。

 実際に、客観的に見れば見惚れるような光景ではあるだろう。余裕があればの話だが。


 消費した電力をある程度回復させたケルゲレンとグリーンに防戦を託し、今度こそミラーズがその場を離脱。

 ヴォイドとリーンズィのところに戻ってきた。加速した時間の中で人間の限界を遙かに超えた活動を行った肉体からは、甘い香りのする湯気が上がっている。

 停滞した空間でもはっきりと分かる、脳が蕩けそうになるような魅惑的な香りだ。


『つ、疲れる……エコーヘッドになってから結構重労働よね、あたし……。それで、結局あの子には何が出来るの? ピョンピョン卿っぽさを感じたのですけど。未来予測演算を使っているのでしょうか』


 ヴォイドは要約して伝えた。


『彼女には……望む未来への道を見る力が備わっている』


『えっと、予言者ってこと? 未来を予言できたらこんなに早く動けるの? このプシュプシュ蒸気が出るやつ使って一生懸命がんばってるのに全然追いつけないのですけれど。あと接触するたびに秘匿回線で「その顔かわいい」「もうちょっと脚を広げて見せて」「ここでカメラに向かって笑うとファンが増える」「胸がやわらかい。ブラはしてないの?」とか意味不明で卑猥なことを言われました』


 ミラーズは掌で顔の汗をごしごしと拭きながら憮然としていた。

 やはりそういうことをする機体なのだ。リーンズィは無言でミラーズの頭を撫でた。可哀相だった。


『違う。あれだけ動けるのは、たぶん別の才能なのだな、なの。生まれながらこの動きが出来る素地があったのだと思う』


『何よ、それ。そんなのズルでしょ。ズル。ズルです! 可愛くて未来が見えて素早く動けるの? あの少女は幾つの恩寵を賜っているというのですか!』


『綺麗で可愛くて幾つも才能をもらっているのはミラーズも同じだと思う』

 

 リーンズィが素朴な感想を述べる。

 ミラーズが照れたような声で『ありがとうございます、リーンズィは優しいですね』などと仲睦まじい返事をている間にも、ケルゲレンとグリーンはもうペースを奪われていた。


『じゃれてる場合じゃ無いと思うんじゃが! これ結局対処法が無いのではないか!?』


 リーンズィたちの議論は逐一ケルゲレンたちにも共有されている。それだけに絶望の気色が強まっていた。如何なる手段の攻撃も、容易く迎撃されるか、そもそも行動の起こりの段階で的確に潰されてしまう。

 勝利の確信を掴めと言う方が困難である。自分たちよりも圧倒的に迅く、身のこなしが常人離れしていて、しかも推定の域を出ないが未来予知まで可能なのだ。

 グリーンは倒立姿勢と直立姿勢を細かく切替ながらひたすら不意打ちの機会を探っていた。

 四本のアームを不規則に動かし、死角から秘蔵の仕込み武器の弾丸を発射しても、予め脚本でも渡されていたいたかのような不自然な挙動で、それが当たり前だとでもように回避されてしまう。あろうことか一発を蹴り返されてグリーンの装甲に傷が入る羽目になった。


『うわー、躱されるだろうなって思ってましたけど、無理でしょうこれ。これもしかして「無敵」ってやつじゃないんですかね』


 常に複数のスチーム・ヘッドが攻撃し続けているというのに刃が肌に触れることさえない。そればかりか伏兵として超高速再生の機会を伺っているイーゴまで定期的に頸部を切断されて攻撃を封じられている。彼の再生に掛かる時間だけで無く、簡素な外観に整えた蒸気甲冑ギアにスチーム・ヘッド制圧用の特殊兵器を満載しているのを見抜いているらしい。


 ケットシーに特別の余裕があるわけでは無い。

 手加減をしている自覚も無いのだろう。

 だが譫言じみたナレーションを時折ぽつりぽつりと漏らしている。


『敵は防疫帝国の幹部であるシィーの寵愛を受けた美少女と暗黒改造を施された凶暴スチーム・ヘッドたち。果敢に挑むケットシーであったが、でも正義なので負けない。しかし少女たちが深く愛し合っていることを知って苦悩する……大義のためとは言え、愛らしくも蠱惑的な花を手折る悪行に、果たして女神は微笑むのか!? いける……このシーズンいける! 視聴率取れる! 玩具も売れるしみんな元気になる!』


 第一分隊が全滅していないのは、ひとえにリーンズィとミラーズという存在をケットシーが何か重要な人物と勝手に見做しており、一方的に手心を加えているからだ。

 もはや全機がそのどうしようもない現実を痛感していた。

 この結節点を過ぎれば凶刃は容赦なく己らの首を離断せしめるという確信すらも。


 見渡せば、他の分隊や支援要員も着々と集結しつつはあるのだ。

 建物の窓や屋上から、ケットシーと第一分隊メンバーの戦闘を観察している。手を出してこないのは死屍累々といった道路上の惨状と、まさしくその残骸のうちまだ機能停止していない機体が光信号で危険を伝達しているからだ。

 そうでなくとも時折二十倍速の世界からも姿を消す海兵服姿の少女の形をした美しい刃に飛び込んでいこうという気にはなるまい。


『ヴォイド、全員でかかれば倒せる、ということも……ないのだな?』


 ヴォイドが応答する。『三百倍加速の世界に対応出来るスチーム・ヘッドはアルファⅡウンドワートぐらいだろう。そのウンドワートにしてもまだ動けないと予想する』


『この作戦に参加しているのか』


『当然だ。<首斬り兎>はウンドワートの地位を脅かす強敵である。あの機体の敵愾心は、ケットシーに対して臨界に達している。そしてリーンズィ、君もいるのだ。参加しないはずもない』


『私? 私が理由になる?』リーンズィはきょとんした。『どうであれ今がチャンスでは?』


『仕掛けたいところではあるだろう。しかしウンドワートの未来予測演算はケットシーの未来予知に対抗できない。天然の未来予知に邪魔されて、彼女の箱庭はエラーを吐き出すばかりというわけだ。スペック差があっても圧勝は出来ないとウンドワートは学習している。そうとなれば状況を確実に逆転出来る刹那を狙って、忍んで姿を隠していた方が有利だ』


 全回線に向かって垂れ流されているオリエンタル・メタルのBGMが最高潮に達したとき、ケットシーはケルゲレンとグリーンを敢えて撤退させた。

 そしてくるりと反転し、アルファⅡモナルキアたちに対して、台本を読む口ぶりで告げてきた。

 オーディエンスが充分増えたため、場面転換の時が来たと考えたらしい。


『悪しき調停防疫局のエージェント……ヴォイド。お前がこの事件の黒幕だということは分かっている。無辜の兵士を扇動し、美少女に洗脳して脅迫。そして自分はおぞましきマモノの力を借りて高見の見物。悪を断つ大命を帯びた葬兵ヒナは、お前を許容しない!』


> マモノ? さっきからマモノって何。


 水を差すと怒られそうだったのでリーンズィはユイシスにそっと問いかける。


> 推定。マガツ・モノノケの略。エージェント・ヴォイド、彼女の現実認識に合わせて適切に振る舞ってください。


『ケットシー。甚だしい事実誤認があるようだが、その辺の設定資料を予め渡しておいてくれないと当方としては対応しかねる』


> 適切に振る舞ってください。適切に。理解しますか? あと一万二千回このメッセージを表示する必要がありますか? スパムモードを起動しますか?


 ヴォイドの淡々とした応答にヒナは不機嫌そうに反応した。


『それはそちらのテレビ局の不手際。ヒナに言わないで。あなたは大層な装備だし手からなんか、ぶわーって出たし、強くて幹部クラス。違うの?』


『私は解放軍では幹部クラスだと思われる』


『じゃあちゃんと偉そうに振る舞って』


『そうか。では、私はとても偉いので、偉いぞ』

 ヴォイドはどうでもよさそうに返事をして、リーンズィを見た。

『久々に私と君が同じ意識から派生した存在だということを思い出した。これがどうでもよいという感情だな?』


『え、そう……』どうでもよかったのでリーンズィも生返事をした。『たぶんそう』


『真剣にやって! 変なことばかりやってると監督やプロデューサーに怒ってもらう!』 


 非難がましく電波を撒き散らすケットシーに対して、その場に居合わせたスチーム・ヘッドの全てが「真剣にやるべきなのはそちらではないのか」と考えていたことだろう。

 実際、そう考えたらしい機体が建造物から飛び降りて一撃を狙ったが、


『撮影の邪魔をしないで。教育がなってない』


 制服のスカートが翻ったと思った瞬間には首を切り飛ばされ、胴体を輪切りにされていた。

 斬撃の瞬間は補足出来なかった。


 奇襲など無意味、愚策と言うほか無い。この戦闘の天才が、現実世界をドラマかアニメの撮影だと思い込んでいる点だけが救いなのだ。

 ケットシーが全ての力を出し切ったとき天秤がどちらに傾くかは誰の目にも明らかだった。

 一手上回る、一手下回る。

 そんな次元を超越したところに彼女は立っている。

 ケットシーは現実ではなく未来を見て行動している。

 一瞬後に到来すべき無数の世界のうち、望ましい可能性だけを選択的に獲得する才能。

 ケットシーが選択した行動の妥当性は、世界によってその絶対性を担保されている。


 認識も事前の身体強化も関係が無い。

 信じているから、実現する。

 可能だから、その未来に辿り着く。

 勝利するから、勝利する。

 世界に確信を担保されるとは、そういうことだ。


 ケットシー/ヒナ・ツジは『勝利する』という運命に愛されていると解するしかなかった。

 他の分隊が壊滅したのは、ケットシーの側に積極的に負ける理由が無かったからだ、ということになる。

 アルファⅡモナルキアが『オルタ・ドライブを使用可能なので、使用する』のと同じだ。

 この海兵服の少女は『勝てるから、勝つ』のだ。


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