処刑台行進曲①

 ファデルの号令により、方々に散らばったスチーム・ヘッドたちが一斉に蒸気機関の回転数を上げた。

 戦闘の気配に鬨の声を上げた古代の戦士たち。あるい景気づけに号砲を鳴らす旧世代の軍隊。最新にして究極たる原始的な不滅の鎧を身に纏ったこの時代の兵士も、つまるところ旧世紀の遺物と何ら変わるところは無い。

 永久に朽ちぬことを約束された結晶で象られたその不合理な機械の拍動が世界を揺らす。がちんがちんがちんと巨獣が歯を鳴らすかの如き音を立てながら歯車が組み替わり、炉心が開放され、永遠に温かい石、不定形あるいは固体の化石燃料、教会に住む一群が手慰みに生産している薪、どこかの誰かを肖像画とした見知らぬ国の無価値な紙幣、かつて意味があり偉大であると信じられもはや誰も信じなくなった本が熱に変換され、各々にそうあれかしと与えられた熱媒体が急速に沸騰する。

 採取した血液、蓄えられた汚水や泥、特殊な性質を付与された粒子状不朽結晶。

 魂無き機械が世界を揺らす。誰かを殺すために絶叫を上げる。


 その只中で、少女は歪な鋼の巨人と向き合っていた。

 誰もその少女に目を向けなかった。

 その存在に気付かなかった。

 その存在を覚えていなかった。

 少女と十匹の猫たちのことを忘れていた。

 唯一、司令塔として、あらゆる認識ロックから解放されているファデルだけが忘却を免れた。


 号令を掛けたそのままの姿勢で硬直し、どこからか現れた少女と、彼女の眷属たる猫の群れを注視していた。

 そのようにして、独裁者の銅像のような奇妙極まる姿勢で硬直しているスチーム・パペットを、何機かのスチーム・ヘッドが発見し、疑問に感じたあと、少女と猫を見た。


 それから彼らはファデルごと少女と猫たちのことを忘れた。


 レーゲントも解放軍の兵士たちもその聖なる猫の使徒を見なかった。


『わた……お、俺は……俺は覚えてるぞ……』

 ファデルだけが、慄然として呟いた。

『……どうして……あんたがここにいる……?  何をしに現れた……? これは内紛や裁判じゃない。あんたの出る幕じゃない……』


 世界は空気とともに蒸気機関に吸引され、燃焼室で押し潰されている。誰しも、そのような形でしか息を出来ない。不滅の肉に偽りの火を送り込む冷たい鞴。非武装のレーゲントたちも己らの蒸気機関に触れ、あるいは頭に深々と突き立てられた造花の人工脳髄に触れ、一様に原初の聖句を紡ぐことを中断し、緊張した面持ちで<首斬り兎>との戦闘の推移を見守っている。


 その猫の少女だけは、全く平静だった。

 何も聞こえていないかのようだった。その呼吸に金属の肺は介入せず、その言葉に偽りの魂は必要なかった。

 少女は、無抵抗な三毛猫を掲げて、ユンカースと名乗ったその二足歩行機械に挨拶した。


「おはようございます、遊園地の幸せな遊具に似た大きな人。ロングキャットグッドナイトです」


『はじめまして、ロングキャットグッドナイト。当機は医療支援AI、ユンカースです』


 意外なことにユンカースはごく普通に返事をした。猫がにゃーと鳴いた。


『その生物は?』


「これは猫です。和睦の使者です」


 ロングキャットグッドナイトは朗々と歌った。


「和睦の猫たちが、このようににゃーにゃと鳴いています。無垢な赤子のように小さくて無害な、吹けば飛ぶような毛玉の如き命が、こんなにもか細く、あわれにも、ふるえているのです。戦いの恐ろしさとむなしさを知っているので。なげかわしいことです。猫を泣かせしまう諍いは、全て悪です。聖なる猫の福音書にもそう書いてあります。何故なら聖なる猫がそうお告げをしたからです。猫の悲しみを通じて、あなたにも猫を遣わした神の悲しみが分かるでしょう。猫に免じて、矛を収めてくださいませんか」


『理解が不能です。しかし停戦交渉の要請であると判断しました。現在の戦闘状況は当機の関知するところではありません。残念ながらあなたの期待に添う返答は不可能です』


 答えが不満だったのか、掲げられた猫がてしてしとパンチをし始めた。

 めっです、と囁きながらロングキャットグッドナイトは猫を胸に抱えた。

 少女達はこの殺伐とした風景、兵士とレーゲントが群れを成すこの鉄火場の淵で浮遊していた。

 もっとも、その出で立ち自体には、取り立てて奇妙な点は無い。しかしレーゲントを知る者はむしろ主張のないその服装に違和感を覚える。無垢な表情に戸惑いを覚える。貫頭衣型の行進聖詠服には装飾が殆ど無い。将軍の如く様々な勲章、祈りや信仰に基づいて生み出された何の正式な由来も持たぬエンブレム、信者として彼女たちを支えた人々の欲望の残滓としてのレリーフで装飾を施されている他のレーゲントと比べれば、全く無いと言っても良かった。

 幾百、幾千の魂を導き、信仰、憧憬、敬愛、ありとあらゆる熱狂を一身に注がれたはずのレーゲントの装束としては不自然なほどに簡素で、豊かな猫っ毛を湛えた顔貌は確かに整ってはいたが、いずれも汚濁や呪詛とは無縁で、清潔だった。


「では、どなたが猫のぬくもりを知りますか?」


『交渉可能な相手を尋ねている、と理解します。本作戦における全権は当機のオーナーであるエージェント・ヒナに付与されています。交渉なら彼女までお願いします。しかし、接触は非推奨です。剣を持たないあなたが意思疎通可能な機体ではありません。剣を、凶器を介してのみ彼女は言葉を理解します』


「そうですか。


 少女はこっくりと頷いた。

 理解が出来ないのだろう。ユンカースは咄嗟には回答できず、逆にファデルが『待ってくれ、あんたの手を煩わせるような事態じゃ……』と訴えたが、猫のレーゲントはただユンカースに対してのみ猫を掲げて見せた。

 かつての同胞のことなど大して記憶にとどめていないという様子だった。

 ファデルは何とか止めようとしたが、巨人の手に収まるものは何一つ無い。

 そのレーゲントに触れることさえ出来ない。

 ファデルはままならぬ現実に癇癪を起こしそうになっていた。


「感謝します、遊園地のぐるぐる回る幸せな遊具に似た人。さようなら、さようなら。わたしキャットはその方の所へ参りますので。あなたもいつか幸せな夢の中で猫と遊んでください」


『猫は嫌いではありませんが、繰り返します。ヒナとの接触は非推奨です。不朽結晶連続体で完全武装した戦闘用スチーム・ヘッドと相対することの意味を理解してください』


「ハレルヤハ。理解していますので」


 少女の歌うような言葉は、蒸気機関の爆音が鳴り響く中でも明瞭に響き渡った。


「矢と弾は、すべからく尽きるもの。いかな刃も、いずれ折れて砕けるもの。戦士もやがて倒れて眠るものなのです。しかし猫だけは命を失いません。猫の命は九つあります。そして9という数字は3つの3であり、ほぼ聖霊です。つまり聖なる猫のぬくもりは永久なので。誰も猫の影を踏むことは出来ないでしょう。猫は神の影、その足跡であり、わたしキャットはその影を歩むもの。猫を知らぬ人のための代理人。武器を捨てた兵士の胸に猫を乗せます。兵士はやがて猫に抱擁され、安らかな眠りにつくでしょう」


『何を言っているのですか?』医療支援AIは戸惑った。


「全ての剣は折られるべきなので」


『何を……』


 ユンカースが当惑しつつ応答したときには、もうその少女は消えていた。

 猫たちも姿を消していた。

 消えたのだ。その空間から。


 その生真面目な移動機械は、善性によって、すぐ傍の敵に呼びかけた。


『解放軍ファデルに警告。先ほどの不明な不死病患者は貴官の部下ですか? 即座に撤退させることを推奨します』


『全軍停止! 停止しろ!』


 ユンカースに取り合うことなくファデルが絶叫した。

 拡声器をハウリングさせながら怒鳴りつけ、手近な通信手たちに命令して、発煙弾、発光、サイレン音、あらゆる手段を講じて停止の信号を送らせた。


『進軍を停止しろ! 緊急事態だ! 進軍停止! 臨戦状態を維持したまま待機、待機だ! 俺が行けと言うまで一歩も前には進むな! いずれ何かを目にするはずだ。何かは言えない! お前らは理解できねぇからだ! だが不可能だと感じたなら、全速力で後退しろ! 何が何なのかは、見れば分かる、思い出す! 各自その場で待機だ! レーゲント隊は直ちに散開! 聖句戦に警戒しろ!』


 くそっ、マズいことになった、くそっ、と毒づき、エージェント・ヒナ討伐の現場へ向かうことなく、ファデルはその場で大型剣を構えた。

 ロジー・リリウムがひどく狼狽した様子で事情を尋ねに来て、ファデルから何か名前を聞いたようだった。

 不死の肉体を強張らせたその栗毛のレーゲントは青ざめて蒸気機関の拡声器を起動して、聞いた名前を一言も口にすることなく、ただ聖歌隊の面々に「備えるように」と呼びかけを始めた。


 異様であった。張り詰めていた空気の質が丸きり変わってしまっていた。

 敵であるはずのユンカースが逆に問いかけることになった。


『解放軍ファデル。音紋解析の結果、貴官らは酷く動揺していると結論づけました。先ほどのレーゲントはそれほどの重要人物だったのですか』


『ユンカース。あんたのぶら下げてるそれは、全部ヒナ・ツジのための追加兵装なんだよな?』


『回答する必要を感じません。支援を阻むことは、これを認めません』


『逆だ』

 筒状の頭部を持つそのスチーム・パペットは、戦闘が発生していると思われる方角を躊躇なく指差した。

『ぶっ潰されたご主人様が見たくないなら、今すぐ使えそうな武器を送るんだ。デカい野郎、速い野郎、クソみたいにタフな野郎、全部すりつぶせるような武器をだ』


『貴官は自分が何を言っているのか理解していません。それでは我々が有利になるだけです』


『いいや理解してるね。俺だけが理解してるんだよ。猫の手も借りてぇってことだ。くそっ、猫の手も借りたい、なんて言葉も使いたくねぇが……俺たちであの御方を止められるか、正直自信がねぇ。リリウム様が来るまでは、たぶんどうにもならねぇだろう』


『事情は関知しません。元より支援開始の刻限です。てっきり妨害されるものと予想していましたが……』


 ユンカースのアームから、電磁加速されたコンテナが次々に射出されていく。それを見た解放軍のスチーム・ヘッドたちは困惑した様子でファデルを振り仰ぎ、真意を糾そうとしたが、回答が無いのを回答として理解し、その場で戦闘準備を始めた。

 無数の蒸気機関が、解き放たれることなく、世界を押し潰している。

 怯える子らの心臓のように。


『ユンカース、ジャミングを解くことは出来ねぇのか?』


『当機の意思決定権はエージェント・ヒナに委託されています』


『あんたのご主人様は目についたものを全部斬り殺すイカレ野郎だな?』


『肯定も否定もしません。ただし、ここに彼女が尊重すべき味方などいないのは事実です』


『なら良い。俺らを殺しにくるのと同じぐらいの勢いで働いてくれるんならな。むしろ助かる』


『繰り返します。貴官は自分の発言を理解していないものと予想します。味方を攻撃しろと敵に要請する理由は何ですか?』


『すぐに分かる。――だが、それを理解した時には、もう手遅れかも知れねぇ』

 


 そして、彼らは災厄の箱が開かれるのを見た。

 


 

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