エージェント・ヴォイド③
屍蝋のような白い肌のその少女は、宙に浮かんで、手に不朽結晶連続体の機関式大型兵器を携えている。
不朽結晶連続体の衝角。
ハウンズにとってはありふれた兵器だ。スチーム・ヘッドがパペットを倒す際には、しばしば使用されていた道具だ。
だから、その先端に電磁加速銃が仕込まれていることも知っている。
棒状の弾丸が放たれるのと同時にブラドッドは身を翻した。
敵は優秀だ。スチーム・ヘッドにとっても致命的な、正中線目がけての狙撃を、正確に行うだろう。
しかも先行部隊の有様が示すとおり、スチーム・ヘッドでも避けがたい高速であり、不朽結晶連続体の装甲も貫通する。
それが分かっているなら回避は難しくない。
相手の視線や銃口の向きを観察していれば、事前に回避コースを定めるのは困難ではない。そもそも発射前には反動に備えて筋肉が強張る。知っているなら見切れるのも容易い。
言わば初見殺しの兵器だ。他の部隊は、言わば初見にだけ絶対性を示す、くだらない飛び道具に翻弄されて撃破されたのだ。
果たしてブラドッドはカタナのような形状の弾丸の下を擦り抜け。
『――ネネキリマルMK4起動。蒸気抜刀、
戦意を削ぐような儚げな少女の声を聞き。
そして、撃破された。
空中で回転した刃に肩口から胴体を切断された。
ブラドッドが回避したはずの飛翔体は、空中で軌跡を変え、大きく弧を描き、まさしく完全な背後、ブラドッドの死角からその胴体を装甲ごと叩き斬ったのだ。
飛翔体自体に蒸気噴射孔と簡易な人工脳髄が仕込まれていた。そう考えるしか無い。自動で敵をホーミングする機能だと推定される。通常なら考えられないほどの高コスト装備だった。
予想外だが、種が分かればやはり対応不能な兵器ではない。後続のパラムはブラドッドの残骸の下半身部分を蹴り上げて抱えて、分厚な盾として突撃を継続。
さらにその後を追う機体、電磁加速長銃を構えたカランセは、偵察軍のように建築物群の壁を駆けて、高所から射線を通そうとする。
『……ハンターはまだか?』と言い残してブラドッドの通信が途絶した。
ハンターは、彼らハウンドと縁が深い機体だ。別働隊となることが多いが、実質的にはハウンドの所属と言って良いほどだ。
ここでハンターの名前が出ると言うことは、ブラドッドはハンターの狙撃奇襲以外に活路が無いと考えたようだった。
第一分隊の面々は、空中で狙撃姿勢を取った首斬り兎が後方へ向けて放った鱗状の迎撃弾幕から辛くも逃れたところだった。接近中の第五分隊に意識を集中しているらしく、屍蝋のような真っ白な肌の黒い海兵服の少女は背後のケルゲレンたちを警戒していない。
ケルゲレンたちはここに呼吸の暇があると見たらしく、同行させていた輸送用パペットに取り付いていた。
装甲を開き、内部に保管していた各々の追加装備を抜き取り始めた。
だがそこから首斬り兎を追撃する兆候がない。
ハウンズの面々の援護に入るべき場面であるというのに、である。
先ほどの鏃、マキビシとでもいうべきか、あのような迎撃弾幕が展開されたことが理由では無い、とクロムドッグには分かる。
おそらく敵が狙撃姿勢を取っていても何らかの自動近接防御を担う兵器が起動しており、無警戒にはならないのだ。動けなくなるのも無理からぬ話だ。
パラムの突貫を支援するためカランセが射撃を開始したが、首斬り兎はほとんど最小限の動きでそれらをガードした。
恐るべき反応速度だが、その間飛び込んでいくパラムからは照準が外れ――。
『蒸気抜刀――侍銃
カランセもパラムも同時に撃破された。
複数の銃口から一斉発射された合計十本のホーミング・カタナに異様な角度から貫かれた。
異常な連射速度と発射数であり、回避も防御も事実上不可能である。
さらにケルビムウェポンの起動準備をしていたエーリカにも弾丸が遅いかかる。
『かかりましたね。クロムドッグ、今です』
エーリカが頸部と胸部を貫かれるのを見ることも無く、クロムドッグは突撃を開始した。
先遣部隊が悉く全滅した理由はもはや明瞭だ。
あの狙撃装備らしき武器が規格外すぎる。誰も貴重な高純度不朽結晶装甲弾を湯水のように使ってくる相手など想定しない。その想定外を突かれた。
超高速で高純度不朽結晶を射出すれば当然有効ではあるのだが、その性質上、戦闘中の再利用は出来ない。
回収出来ない可能性も高く、使い捨てにもなりかねない。この手の兵器はコストパフォーマンスが極めて低いのだ。同じ素材を適当な柄に括り付けて打撃武器にしたほうが効率的だった。
だが相手はそんな常識を無視して、こんな辺境の片田舎、得体の知れない都市の真ん中に、大隊規模のスチーム・ヘッド部隊に一台配備されるかどうかという高級兵器を投入してきている。
そんなものを相手が使っていると予想出来るはずがない。第二から第四までの兵士は初見殺しの兵器に対応出来ずに撃破され、生き残りも回避にリソースを削られた後に、確実に白兵戦で仕留めらたのだろう、とクロムドッグは予測した。
手の内が見えたならやりようがある、と自分に言い聞かせる。
クロムヘッドは躊躇すること無く真っ直ぐに駆けた。
騒々しい安っぽいメタルが無線通信に割り込んで来る。気の狂ったような東洋の弦楽器のリズムが、時計の代わりにけたたましく時間を刻む。
首斬り兎の射撃開始に合わせてクロムドッグは両手の電磁加速拳銃を構えた。
射出されたカタナ弾。それが軌道を変える前に、首斬り兎ではなく
放たれたカタナ弾は六発。
こちらの電磁拳銃の装弾数は一挺三発、両手で六発。
威力は十分だが、敵の構えている衝角じみた大型兵器は突破不可能。
ならばこのように使うのが一番有効だ。
弾丸で弾丸を撃ち落とす。針に糸を通すような所行である。だが認知機能特化型のクロムドッグには出来る。それが出来ると信じているから、現実に出来る。
照準。射撃。命中。照準。射撃。命中……カタナ弾二発の迎撃に失敗。
さらに追加で二発の発射を確認。
あ、終わった。いやまだ手はある!
電磁拳銃を投擲してカタナ弾を撃ち落とし、味方の残骸まで蹴りつけて、敵弾の機動を阻害。
直撃を免れない一発は、敢えて回避せず、自分の蒸気甲冑の装甲で受けて、表面で滑らせて流す。
リーンズィが手甲で同等の刃を凌ぎ続けていたというのなら、刃筋が立たなければまともに切断能力を発揮しないのだと予想は出来た。
賭けに近い迎撃だったが、クロムドッグは遣り遂げた。
さらに数発撃たれていれば突破は不可能だった。
機能停止したエーリカのことは、振り返らない。
敵は全弾を撃ち尽したらしく、狙撃装備のパージを始めている。
ここからが本番だと言っても過言ではない。
クロムドッグは両腕に仕込んだスタンナックルを起動して格闘戦に備える。モーターもコイルも露出していない暗殺装備だ。
おそらく外観からはそのような武器だとは見えないだろうが、定命の者が触れれば肉体が爆裂してしまうほどの電流が流れている。
クロムドッグは、さほど戦闘が得意ではない。
おそらく<首斬り兎>を単独で仕留めるのは不可能だ。
しかし相手の肌であれ刃であれ、一瞬でも電流を叩き込めれば、大局において勝敗は決する。オーバードライブの世界でも電流はゼウスの命ずるがままの速度で世界を貫き、相手の筋肉を収縮させ、神経系を全損させ、人工脳髄を混乱させる。
全身甲冑型スチーム・ヘッドには通じない武器だが、学生のような姿をしたこの正体不明機には、充分効果があろう。
そして、その一撃と引き換えに、たとえクロムドッグが頭部を破壊されても。
ハンターや第一分隊が首斬り兎討伐を達成してくれる。そのはずだ。
『ダメだ、クロムドッグ』
エージェント・リーンズィの無線がようやく届いた。意には介さない。
この一瞬の交錯に全てを集中させる。
『このスチーム・ヘッドは――』
首斬り兎が丈の短いプリーツスカートを波打たせながらゆっくりと落ちてくる。
スチーム・ヘッドは通常、滞空を好まない。蹴れる地面のない状況では、スチーム・ヘッドの動きは大きく阻害される。クロムドッグのように地面にアンカーを打ち込んでワイヤーで急制動を欠ける程度の細工は必要だ。
致命的な隙である。
もちろん、接近に成功した他の機体も同じようにこの瞬間を狙ったはず。
接近して、しかし殺された。
真に危険なのはここからのシークエンスだと直観。
クロムドッグは神経を極限まで研ぎ澄ませる。
ブラドッドは捨て駒になると分かって立ち向かった。
カランセとパラムも敵の射撃武器の特性を暴いてくれた。
連射可能だと分かっていなければクロムドッグはこの局面にたどり着けなかった。
エーリカが最後に作った隙が決定打になった。
恐るべき敵の特殊装備を封殺することに成功したのは、ハウンズの捨て身の貢献があってこそだ。
『この一撃で報いる――』
帰還した後の宴会と修理はまだ考えない。
この一撃、首斬り兎に下す鉄槌の如何で全てが決まる。
着地する猶予は与えない。
敵はまだ空中にいる。
いったいどれほどの反応速度がある?
どれほど精妙に太刀を振るう?
大事を取って安全策を張り巡らせる。周囲のスチーム・ヘッドの残骸を蹴り上げて浮かべて敵の視界を遮る。
さらに適当な部品を進出するための経路とは逆方向に投げて、壁の向こうにいる敵の気を反らせる
そうしながら犬の如く這い、残骸を盾にして飛び出して、繰り出される接触即感電の一撃を空の敵へと叩き込む。
回避は困難。
受け流すのは容易。
だが受けてもらうだけで勝敗は決する。チェックメイトだ。
獲れる、という確信があった。
あとはスタンナックルから電流ががががががあがががががあががががががCRITICAL ERORRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR体が動かない。
思考が散逸していく。
何故こうなった?
何故自分が撃破されている?
いつのまに、敵は、首斬り兎は、笑みを浮かべたこの愛らしい少女は……
自分の首を刎ねた?
――蒸気が渦を巻いている。
不死の肉体を突き動かす龍の鼓動が遠のいていく。
時空が書き換えられたとしか考えられなかったが、そんなはずはない。
起きている現象だけが全てだ。
首斬り兎は認識不能な速度で姿勢を立て直し、反撃に転じた。
スタンナックルを回避し、自分の首を斬った。
クロムドッグは呆然とその事実を受容した。
『無名の敵兵AIにしては上出来。今シーズンはみんな活きがよくて壊しがいある』
愛おしむような甘い声が、空疎にクロムドッグの脳髄を冒す。
『そのスチーム・ヘッドは……』
悲嘆に暮れたリーンズィの声が最後に聞こえた。
『特別な武器を持っているときより、カタナだけを握っているときのほうが、ずっと強いんだ……』
自分の胴体の、その首の断面をクロムドッグは見た。
視界が空高く舞い上がっているのは、首を切断されて、蹴り飛ばされたからだ。
地表には、手足を細切れにされていく自分の残骸が見える。
クロムドッグは己の決定的な敗北を理解した。
やがて自分の首も地に落ちる。
……だがそうはならないことをもう知っていた。
そしてこれが
黒髪の少女、レーゲント紛いの美貌を持つ首斬り兎の視線が、不意に険しいものになる。
リーンズィやミラーズが目を見開く。
ケルゲレンたちもヘルメットの下で瞠目しているだろう。
首斬り兎に撃破されたときと同じく、クロムドッグには起きたのか理解できなかった。
全ては彼の強化された認知能力の、その外側で完結していた。
だというのに、クロムドッグにはその外側まで見通すことが出来た。
彼の頭部は、今や奇妙な装飾の施された厳めしいガントレットに抱えられていた。
金色の髪をした妖精のような少女が宙に浮かび、暗くなる視界の片隅を横切って微笑んで囁く。
視界に言葉が流れる。
>
誰だ。何をしに現れた。
> 状況は理解した。任務終了だ、クロムドッグ。賞賛に値する戦果だ。君の帰還は我々が保証する。
> 受勲ものの働きです、クロムドッグ。貴官らの戦いを我々は高く評価しますよ。
少女の幻影がクロムドッグに口づけをする。
ああ、今までの走馬燈のような風景は、と、機能停止する寸前のクロムドッグは理解した。
彼らによってレコードを読出されていたのか。
そのようなことが出来る機体だと、ファデルやコルトが語っていた気がする……。
> 君の後は我々が引き継ごう。
バイザーの奥で二連二対のレンズが赤く輝いている。
意識が散逸しつつあるクロムドッグには、このスチーム・ヘッドの名前はもう思い出せない。
これまでの記憶は、全て、彼によって再生された、自分自身の敗北までのレコードだった。
無様に敗北したわけではなかった。
自分の戦いを目印に、新たな道を拓くための機体が来たのだ。
願わくば、自分の最後の戦闘経験が、真なる勝利の道へ続いていることを。
『誰? どこのテレビ局の人……』
用済みとなったヘルメットを虚空へ放り投げたそのスチーム・ヘッドに向かって、ケットシーは警戒心を露わにした。
クロムドッグを解体した直後のカタナの切っ先を向けた。
『ヒナにも機動がはっきりと見えなかった。こんなことが出来るのはお父さん……お父様ぐらい。まさか、お父様の手下?』
彼女の目にもはっきりと分かるほど異質なスチーム・ヘッドだった。
形状では無くその在り方が不自然だった。
鏡面の如きフルフェイスのバイザーに映る世界はいびつに歪んでおり、棺の如き重外燃機関からは絶えず血煙が漏れ出て冬の大気を穢している。
戦闘服に包まれた偉丈夫の肉体、左腕と頭部しか包んでいない蒸気甲冑、全身のどこを見渡しても蒸気を上げていない箇所は一つも無い。
ひりつくような圧迫感。いつか父たるシィーと交信するために確保していた回線を通じて、何者かが干渉を行っているのが分かる。
彼女の目にも、金色の髪をしたアバターの姿が見えていた。
その少女はぴったりとヘルメットの兵士に寄り添っている。
守護天使か、あるいは悪魔、天使、伴侶のように。
――まるでスチーム・ヘッドという概念を借りた何者かが、只人の目には見えぬおぞましき馬で馳せ参じ、この世ならざる妻を伴って現れたかのような。そんな違和感がある。
その姿は、どこか見知らぬ惑星に漂着してしまった宇宙飛行士に似ている。
彼がどこから来たのかは、誰も知らない。
何をするために旅立ったのかも。
かつてその瞳が何を見たのかも、誰も知らない。
『私は調停防疫局最終代理人が一機……アルファⅡモナルキア』
装甲されていない右腕が戦闘服ごと千切れ飛んだ。
隠されていた茨の異形が冬の空に晒される。
空に向かい、地に向かい、餌を求めて荒れ狂う触手のごとく暴れ始めた。
『アルファⅡモナルキア、エージェント・ヴォイドだ』
『目標、エージェント・ヒナを敵性スチームヘッドと認定しました』
天使の如く金色の髪を靡かせる少女が、高らかに宣戦を布告する。
『当機は、目標制圧のためにあらゆる支援を惜しみません。感染者保護の優越に基づく局内法規の適応範囲を拡大。エマージェンシーモード、起動。コンバットモード、起動。オーバードライブ、レディ。オーバーライド、スタンバイ。非常時発電、スタンバイ。循環器転用式強制冷却装置、稼働中。機関内部無尽焼却炉、限定開放。炉内圧力、上昇しています。エルピス・コア、オンライン。世界生命終局時計管制装置、限定解除。
『了解した。アポカリプスモード、レベル1。レディ』
ヴォイドが左腕のガントレットの最終意志決定のレバーを引いた。
爆音すら追いつかぬ超高速の世界に、断頭台の刃が落ちるが如く。
世界生命を終わらせるための歯車が、ごとりと音を立てて、回り始めた。
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