エージェント・ヴォイド②

 戦場が近付いているのが分かる。剣戟と蒸気機関の轟音がいよいよ高まり始めた。

 部隊の中核にいるエーリカのハンドサインに従いクロムドッグは走行を加速。

 名に違わぬ速度で分隊の先頭に躍り出る。

 貌の無い廃墟の群れ。

 ある交差点の真ん中で、複数の不死病患者が一方向を向いているのを見付ける。

 不死病患者が自由意志でどこか一点を注視することは当然無い。視線を向けるのは大音声や閃光に反応した場合のみだ。

 つまり、その視線の先に戦陣の暴風がある。


 クロムドッグは背部の蒸気機関に直結させていた充電装置から二挺の電磁加速拳銃を抜き放った。姿勢固定用のアンカーを準備。

 姿勢を下げ、さらに加速。

 機関出力を限界まで引き上げる。

 稲妻の機動で地を這い、灰色の廃墟に、その電磁攪乱作用を付与された装甲の放つ銀色の閃光で、意図的に空間に己の移動の軌跡を残す。

 交差点に飛び込む。不死病患者たちの向いている方向は左手側。

 だが進路は変えない。このまま戦闘地帯に突撃する愚は冒さない。


 第二から第四までが狂乱する猟犬の群れなら、第五は彼らが詰めた状況の最後の一手を一押しする、言わば猟師である。第五分隊に割り当てられた彼らには一様に、通常のオーバードライブ機よりも執拗に思考を巡らせる認知特性があった。

 それを活かすために、まず必要になるのは情報だ。

 先行している隊からの通信が広域ジャミングで一切拾えない以上、たとえ一瞬でも敵味方の有様を視認してから判断する必要がある。

 体を地面に擦りつけながら交差点を横切り、拳をアスファルトに叩きてアンカーを打ち込む。取り付けられたワイヤーを手繰りながら一気に体を跳ね上げ、一時的に加速度を上方向へと転嫁する。凍てた日差しを装甲で照り返す。

 脚を止めるに等しい選択をしたのは、視野の拡大、そして最悪の場合は自身の機能停止を以て後続機に危機を伝えるためだ。


 体を宙空に打ち上げたクロムドッグの三連レンズのヘルメットは、抜かりなく通りの先にある戦場を視認する。


 予想以上の惨状だった。友軍機が串刺しにされ、あるいは離断され、残骸が停滞した時間に取り残されてそこかしこに立ち竦んでいる。

 いずれも頸部や心臓部など、オーバードライブ戦闘中には再生が困難な部位を――特殊な不朽結晶装甲弾を用いたのであろうか――ピンポイントに破断されている。

 壁面に打ち付けられて微動だにしない機体。

 頸部を喪って、頭部ごとまだ空中に身を躍らせて、実験映画のフィルムに収められた静物のごとくゆっくりと墜落している最中の機体。

 膝をついているに留まる機体もいる。

 あろうことかスチーム・パペットが胴体を撃ち抜かれて擱座しているのも見えた。

 もはや「戦闘があった」と表現するのも不適切だ。

 虐殺されたに等しい大敗の光景である。十数秒後には血の海になるだろう地獄絵図。


 これほどの大量破壊をもたらした機体を相手に、交差点を通り過ぎる僅かな時間であっても身を晒すべきではない。

 しかしクロムドッグはやや減速しながら視線をさらに先に向ける。

 難攻不落の要塞たるべきスチーム・パペットが、ビーチで機銃掃射を受けた名も無き一兵卒のごとく沈黙しており、さらにはどうにも彼を盾にして果敢に前進を試みたらしい機体も、首を落とされ、四肢を切り離された状態で沈黙している。

 それも一機だけではない。同様の手段で接近を試みたらしい機体が、何機も滅多斬りにされていた。

 他と比べれば首尾良く前進を果たした部隊と言えたが、それですら今は刻まれて巻き上げられ、停滞した時間の中をゆっくりと落ちるか、落ちて跳ねているだけの物体と化している。


 クロムドッグは破壊された全機体を識別。

 第二から第四までの分隊だと判断。

 継続しての活動が可能な機体は一つも見当たらない。


 最低でも二十を超える戦闘用スチームヘッドで攻勢を仕掛けたはずなのに、いったい何があればこうなるのか。油断や慢心があったにせよ、常識で考えればありえない。 

 先遣部隊は全滅――否、クロムドッグはその先で二機のレーゲントを見つける。

 正確にはアルファⅡモナルキアなる新規加入のスチーム・ヘッドが操る調停防疫局の端末、『エージェント』なる機体だ。

 彼女らは理解しがたい異様な姿をした影と刃を交えていた。

 クロムドッグは安堵した。彼女らは第一分隊の預かりである。

 つまり、まだ全滅はしていないのだ。

 信じがたいことに、レーゲントを素体としているエージェントたちは、どうにか致命的破壊の運命を回避し続けている様子だ。機体識別はスムーズだった。やはり第一分隊に配備されていた『リーンズィ』と『ミラーズ』だ。

 そして海兵服のような衣装の不明なレーゲント――レーゲントか?

 クロムドッグは僅かに混乱する。レーゲントではない。レーゲントと言っても通じそうな美少女だが、クヌーズオーエ解放軍では未登録の個体に思える。エージェントたちが相対している不明機なのだから、あれこそが敵ではないのか?

 クロムドッグの見るところによると、彼女たちが踊るように戦うその周辺は、爆撃を受けた都市の如く焼け焦げている。

 ケルゲレンとグリーン、イーゴが得意とするコンビネーション、電磁誘導体を利用した偏向プラズマ焼却が発動した痕跡だと知れた。

 言ってしまえばオーバードライブに突入した状態でも使える小規模なケルビムウェポンだ。範囲を極端に限定して、予測不能な位置から、高速で相転移攻撃を仕掛けることが可能である。

 威力は低いが、範囲固定・目標観測・焼却開始を三機で分担している点に特色があり、各機への負担の軽さから、通常は困難とされるオーバードライブとケルビムウェポンの平行使用を実現している。常識破りの必殺の一手だ。

 だが、それも何の成果も無く回避されてしまったと見えた。


 とにかく第一分隊だけは、まだ壊滅していない。

 ケルゲレンたちは全身を酷く傷つけられているが無事なようだ。イーゴは頭部を落されていたが彼に関しては全く問題にならない。通常機に偽装された生命管制特化機というのが彼の本性であり、装備こそ簡素だがオーバードライブ中でも大規模で高速な肉体修復が可能だ。今は雌伏の時と言うところか。


 観察すべきは最大の懸案である目標、<首斬り兎>であろう。

 レンズの倍率を上げて詳細に観察する。

 予想通り、高機動装備の蒸気噴射で跳ね回り、二本の刀剣型不朽結晶兵器でリーンズィとミラーズをいたぶっている。

 何もかも異様で、クロムドッグにも類似の機体を見た記憶が無い。

 年若い少女に見える。美貌が人間離れしているという点ではまさしくレーゲント的なのだが、その服装のせいで彼女たちよりも幾らか異様に思えた。

 まるでアジア圏の学生のような出で立ちあった。

 スヴィトスラーフ聖歌隊が着用している行進聖詠服と同じく不朽結晶繊維で編まれているようだが、彼女らの装備よりも格段に露出が激しく、極めて単純に――防御力を考えていないデザインだ。周囲に散らばっている玩具のようなふざけた外観の武器は外付けのパッケージだろうか。

 と、推定<首斬り兎>がこちらへ僅かに視線を向けた。

 クロムドッグは警戒レベルを最大レベルに引き上げる。敵には、リーンズィやケルゲレンたちを相手にしながら背後に注意を払えるほどに余裕がある!


 交差点に差し掛かって通り抜けるまでの極めて短い時間で、クロムドッグはそこまでの観察を終えた。

 ――オーバードライブ倍率と思考精度は、基本的にはトレードオフだ。

 通常は二十倍速ともなれば思考はどうしようもなく近視眼的に単純になって非人間化する。停滞した時間は、人間の滞在すべき場所ではないからだ。

 しかし、クロムドッグの場合はオーバードライブ中でも思考能力がさほど制限されない。それこそが戦闘用スチームヘッドとしての彼の特性だ。

 特段戦闘能力が高いわけではない。ただし加速された認知能力や身体活動を処理しても、普通なら思考能力が退行すべき場面で、尚も人間的思考を維持できる。

 第五分隊に属する機体なら誰しもがそうだが、クロムドッグの適応性は仲間たちよりさらに一段階上にあった。


 ここで彼に任されたポジションは囮兼偵察役だ。

 危険な役回りではあるが、同時に極めつけの大役でもある。

 致命的に進行した自体を前にしては、やはり情報をどれだけ先取できるかで任務遂行の難度が大きく変動する。

 戦闘が始まっている以上、敵はこちらの軍勢の戦闘能力について概算を弾き出して帳面に書き付けた後だと考えて然るべきである。既に情報的に優位を取られているのだ。ならばこちらの情報が白紙では話にならない。完全な非対称状態だけは回避しなければならない。


 そのようにして堅実に状況を進めるのが、第五分隊に配属されたスチーム・ヘッドたち――通称『ハウンド』の特徴だ。

 どちらかと言えば偵察軍寄りの顔ぶれで、掛け持ちや転向者も含まれる。その反面、偵察を至上任務とする彼らほどの持久力や、壁を走り続けるなどの曲芸じみた身体感覚もない。敵性存在を瞬殺することこそ戦闘用スチーム・ヘッドの本分とするなら、彼らは揃って二軍であろう。

 しかしながら戦闘能力と高度な認知能力を安定した水準で維持可能という特性は長期戦では十分に役立つ。軍団長ファデル、および司令部の直接の指揮下にある隠し球だ。


 クロムドッグは不明スチーム・ヘッドに目視された瞬間、生命管制のレベルを引き上げていた。味方の多くが射撃で潰されていたため、狙撃される危険性を感じたからだ。慌ててワイヤーを引っ張ってアスファルトのアンカーへと自身を急降下させる。

 恐れていたような狙撃は無かった。しかし息つく暇も無い。対岸の道路に辿り着くや素早く建物の影に隠れ、壁面に甲冑の拳を叩き込んで急減速。肩関節が粉砕されるのも無視して、姿勢を急速に転換し、交差点付近で待機している仲間たちへ蒸気甲冑備え付けのライトでモールス信号を送る。


 ――敵は増加装甲型の射撃装備を保有。

 ――基本装備の軽量さから近接格闘特化型。

 ――第二から第四は全滅。

 ――第一は切り札を使っても目標を無力化出来ていないがまだ敗北していない。もっぱら、目標の注意はそちらに向けられている。

 

 三つの分隊、即ち戦闘用スチーム・ヘッドが18機も沈黙しているという異常事態に、隊長のエーリカに動揺は見られない。

 他の仲間たちも平然としてた。

 肝心なのは相手は第一分隊に惹き付けられているという事実であり――。


『好機とみました。全機、突入!』


 だからエーリカが手を掲げ、突撃のサインを出した時点で、無線封鎖を解除して最大出力のオーバードライブで駆け出していた。


『行け行け行け行け!』


『投射面積は小さく保てよ!』 


『いや、回避に徹するべきだ。被弾するリスク自体を下げるべきだろう』

 クロムドッグは淡々と私見を述べる。

『パペットすら射撃で破壊されている。我々の装甲では簡単に貫通される』


 エーリカはと言えば、交差点に陣取ってケルビムウェポンの起動準備を始めていた。彼女もまた特異な才能の持ち主で、オーバードライブとケルビムウェポンを同時に使用できる。だが発動するまでに100ミリ秒は掛かるだろう。あまり現実的な能力ではない。

 しかしそうした内情など敵には知れない。

 ケルビムウェポンはどの世界でも対スチーム・ヘッド戦の切り札だ。ひとたび起動すれば灼熱の閃光が射程内の全てを焼き尽くす。無視は出来ないはずだ。

 ここではエーリカがプレッシャーを掛けるための囮を買って出た形だ。


 クロムドッグは仲間たちの背中を見送りつつエーリカの指示を待った。

 そうしながら状況を観察した。

 先陣を切るのは、両手に不朽結晶小型斧を携えたブラドッド。

 消防用の斧じみた武器は、貧相で、如何にも頼りないが、先の不死病災禍において、大量発生した悪性変異体に対し、まだ生身の人間だった彼はまさしく消火斧だけを頼りに無傷で脱出を果たした。

 彼にとって消火斧は無類の戦友なのだ。何より、余計な武装を抱えていては一番手は担えない。

 加速力と身のこなしに重点を置いた合理的なアセンブルと言える。

 ブラドッドは生命管制の破綻を覚悟で、限界まで加速している。二十倍速以上で敵が攻撃してくることを見越しての三十倍加速。定命の人間には視認することさえ難しいだろう。

 その気配を察したらしい。

 リーンズィたちをいたぶっている様子だったスチーム・ヘッド、極東の女学生のような姿の機体が、突如として煙の塊を残して消えた。


 エーリカたち『ハウンド』にもその軌跡は見えない。

 しかし、かの『ヴァローナの瞳』を受け継ぐエージェント、リーンズィの視線を追う程度なら造作も無いと第五分隊の兵士たちは予想していた。 

 出立の時は輝いていた彼女の両腕の不朽結晶手甲は、どれほどの攻撃を受け止めたのか、今や古城の外壁のごとく見る影もないが、それでも剣戟をしのぎ続けていたのだ。

 つまり、彼女にはかつてヴァローナがそうであったように、敵の攻撃や移動がはっきりと見えているのだ。彼女なら<首斬り兎>の移動先が把握出来ているはずだ。どの機体も彼女の方を注視して視線の先を探した。


 その視線を追えば、敵が崩落しかけた雑居ビルの二階に消えたのだと分かる。


『メタルが聞こえる』不意にブラドッドが報告してきた。『オリエンタルメタルだ。三味線の音が混じってる……』


蒸気抜刀じょーきばっとー――』


 疾風シュトゥルム、という言葉が聞こえた気がした。

 正体不明機が再び現れた瞬間は、クロムドッグには視認出来なかった。

 そうあれかしと、世界が突然に書き換えられた。そんな不条理な錯覚に、怖気という感情が再生される。

 蒸気噴射の煙から察するに、実際には圧縮蒸気の解放によって急激に加速・移動したに過ぎないのだろう。

 オーバードライブ時に特有の認知の隙を狙ったのだろうか? ごく僅かな時間に急激に加速倍率を上げられると、対手は簡単に相手を見失ってしまう。

 だが非オーバードライブ状態でも十倍の速度に達した相手の影を追うことは出来る。

 二十倍に強化された感覚器ですら補足不可能になる速度とは……?

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