エージェント・ヴォイド①

 第五分隊に配置された戦闘用スチーム・ヘッド、クロムドッグは、どこかで戦闘が始まったのを察知していた。加速した感覚の見聞きする全てが人工脳髄を通して統合され、街全体を震わせる重低音を模造された意識へと投じている。

 作戦領域に展開するスチーム・ヘッドたちの蒸気機関スチームオルガンが死力を尽して叫び声を上げ――停滞した時間の中で一つに連なり、遥か遠い時代より続く地鳴りのように響き渡っているのだ

 そして同じ音が、己の背中からも聞こえる。心音など聞こえない。全てが機関の上げる爆音に塗り潰されるからだ。唸りを上げる発動機が緩慢な速度で歯車を噛んで骨身を震わせる。生存の実感が無い。爆音に噛み潰されて血と肉の存在さえ忘れそうになる。


 クロムドッグは、この暴力的な轟音にさらされた時、いつも同じ想像をする。

 古の時代に滅び去った、四足と翼を持つ山脈のような龍、その骨肉の要塞のごとき胸の奥で脈打つ心臓。竜の鼓動もまた、大地を、骨肉を、対峙した者の魂を揺さぶる轟音だったはずである。

 蒸気機関スチームオルガンとは即ち人工的に龍の鼓動を再現する器官オーガンなのだ。

 気心の知れた仲間たちには何度か話したことがある。理解されたことは一度も無い。さすがにそれは大袈裟だ、龍とは一体何のことだ、匹敵するものと言えば戦車のエンジン程度であろう、などと笑われてしまう。寛容な性格で知られているエーリカにすら「クロムドッグはたまに変なことを言いいますねぇ」などと不思議そうな顔をされた。

 大袈裟なのは、なるほど事実だろう。しかしこの不朽結晶連続体で組み上げられた蒸気機関、複雑怪奇な芸術品の内部で発生する爆発と圧縮のサイクルは、人間の脆弱な肉体を動かすには酷く過剰で、不釣り合いで、生物の持つ器官オーガンとしては史上類を見ないほど暴力的である。自分の言が異常であるにせよ、それはこの機械の抱える破滅性ほどではない。

 クロムドッグの言葉に呆れる者は数あれど、蒸気機関の異質さまで否定するものは、一人もいなかった。


 戦うこと以外何も出来ぬ、眠ることさえ許されぬ不死の、その誰しもに戒めとして与えられたこの金属の錨、来歴の定かならぬ歯車仕掛けの機械が奏でる爆音は、戦争に向かう時代の狂騒よりもなお酷いやり方で血潮を震わせる。

 ひとたび動かせば流血と騒乱が生じる。

 とても人が背負えるような業ではないが、スチーム・ヘッドはこの鼓動から永久に逃げられない。


 クロムドッグは運命から逃げようとする愚者のようにひた走る。

 仲間の背を追い、己の背を警戒し、弾丸となって疾走する。



 人間は、人間の心臓に従って、あくまでも人間に許されている時間のみを生きる。

 それが本来だ。それが、人間というものだ。人ならざる身体能力を得たスチーム・ヘッドは、決して超人になったわけではなく、言ってしまえば龍に対して心臓の貸借契約を結んでいるに過ぎないというのが、クロムドッグの持つ思想だった。

 現に、この加速された時間、オーバードライブの世界においても、生身の肉体はおぞましいほどの負荷に対して悲鳴を上げている。人間の速度、人間の時間ではないからだ。銀色の強化外骨格の中で筋繊維は次々に断裂し、骨格はアスファルトを跳ねる時の反動で割れ砕け、滞空している僅かな時間に、損傷を検知した肉体が人工脳髄からの支援を受けて仮初めの修繕を施す。

 壊れる。

 再生する。

 また壊れる。

 永遠に終わらない破壊と再生を回す発動機エンジン。一つの円環、自己完結した破壊と再生の連続。偽りの魂に支配された不死病患者とは、そのような不条理に縛られる。

 二十倍もの加速ともなれば、単なる時間経過がその破壊の程度を重篤にしていく。戦闘機動ともなればさらに数倍の致命的な負荷が全身を苛み、主要な臓器は当然に壊滅せしめる。骨の一本、血管の一本、筋繊維の一本に至るまで無事では済まない。どれほど再生能力が向上しても、機械仕掛けの龍の心臓から借り受けた過剰な力への代償、その取り立てを免れることは出来ないのだ。

 加速している限り徴収人が追いつくことはないにせよ、オーバードライブを解除して、生命管制のレベルが落ちた瞬間に、歴戦のつわものであるクロムドッグも意識を失う。生体脳が停止する。骨格の再生も筋肉の安定維持も覚束なくなる。ぐちゃぐちゃになった心臓が停止する。人間の鼓動が終わる。人間の命が、人間の時間が終わる……。

 そして、全てを取り上げられて、それでも死なない。

 何があっても死ぬことだけは無い。

 紛い物の鼓動が胸の中に再び還ってくる。

 クロムドッグのように全身を不朽結晶の甲冑で装甲した機体ならば、倒れ伏せることさえない。立ったまま死んで、立ったまま再起動する。

 死んだところで、横たわって眠ることは許されない。


 武装の状態を意識する。電磁加速拳銃のバッテリー、異常なし。弾頭確認、異常無し。致死性スタン装置、異常無し。

 殺しの道具を携えて、不死の猟犬は仲間たちの背中を追う。


 元より全てが不自然極まる。高高度から墜落死する間際の人間ですらあり得ないこの速度! 

 生身の人間、命に期限のある未感染の人体なら、万全の耐加速度装備であっても、この領域に踏み込めば死ぬ他ない。だが不死病に冒された肉体の、その白紙となった生体脳に人工脳髄で人格を書き込んでいるスチーム・ヘッドは、違う。

 あらゆる破綻を無視して、全ての代価を踏み倒し、当然のように再生を遂げる。人格記録媒体アイ・メディア、偽りの魂の源たるそのパーツさえ無事なら、それで良い。


 あるいは現在の第五分隊の隊長であるエーリカは、「スチーム・ヘッドの力とはイカロスの翼のようなものです」と表現した。

「何であれ全てはヒトには過ぎたる力なのは事実でしょう。悪魔か、さもなければ天使に魂を売って得た埒外の力。ヘリオスの怒りに触れて失墜すべきところ、死を失ったという一点で許されているのかもしれません。さもなければ永久に死ねない、という点を憐れんで、神は見過ごしておられる。ああ、スチーム・ヘッドは免罪されているのではなく、真なる地獄に堕ちているのだと解釈することも出来ますね」

 また、エーリカが曰く、不朽結晶連続体という永劫朽ちることのない牢獄に閉じ込められて、私たちは自分の意志では、息さえも自由に出来ない。この命には終わりがない。我らは裁かれる機会さえ奪われた罪人である……。

 なるほど、そうかもしれない。どうであっても意味は無いのだから、エーリカの言葉もまた、真実に近いのかもしれない。


 武装を確かめる、目標の影を探す。

 ……クロムヘッドは、はた、と違和感を覚えた。

 自分は何を考えているのか。もちろん考えるべきことを考えている。

 問題ない。首斬り兎との戦闘はまだ始まっていない。それならば何もかも問題ない。何を考えていても咎められることはない。

 それなのに納得がいかない。何故だろうと思考を巡らせて……。



 もうこの思考は終了しているのだ、という事実を発見する。



 自分は考えていない。思い出しているのだ。

 違う時間、ここではない場所で、クロムドッグは活動している、していたはずだ。

 周囲には、自分と同じくオーバードライブ状態で活動している仲間たちがいる。

 現在は、そうではない。

 そのはずだった。

 ああ、ならば、ここはやはり過去の時間、過去の主観だ。

 どうして終わってしまった時間を見ている? 

 不整合に思考が追いつかない。


 彼の思考とは無関係に状況は進む。

 不可知の宇宙からレコードの針が降りている。

 失われた時間の刻んだ溝を、無慈悲になぞっている……。

 一度見た風景。

 一度過ごした時間。

 クロムドッグは何百回もの破壊と再生によって得た頑健な眼球で世界と相対する。

 そうしているうちに、全ての疑念が曖昧になって、消えた。

 発見した事実を忘れた。


 過ぎ去った時間の中で、クロムドッグは空を見る。

 荒々しい筆致の雲が、色味の無い空にぶちまけられている。その様は凍り付いた波濤にも似る。空を海とするならばまさしくこの地が空である。地に向けて塔を伸ばす逆転した世界は今、まばたきをしている……地表に光は無く、太陽は暗闇にあり、我らイカロスが群れなすのを見つけていない。

 己の足音さえ喪われた宇宙に、しかし回避不能な活動限界が、軋む音の幻聴となって響き渡る……不滅の牢獄に抱えられた、ただ死を免れただけの肉体に、傲慢な偽りの魂が、奔れ、戦えと命令を下す。

 クロムドッグは集中する。第五分隊の猟犬どもは声ならぬ声で咆哮する。龍の鼓動が神経系を駆け巡る。人ならぬ領域に速度で疾走する彼らは、さながら地表を飛翔するスプートニクである。燃料が切れるまでの一瞬、あるいは摩擦熱が限界に達するまでの一瞬、あるいは抱え込んだ不死病筐体クドリャフカが死ぬまでの一瞬だけ、それぞれが人の領域外で目を開いていられる。


 戦闘開始から、実時間ではどれほど経過しただろうか? クロムドッグは考える。スチーム・ヘッドの時間感覚とは実に適当なもので、永久に終わらない時間に閉じ込められた彼らは、ほとんど一日単位――日が昇って沈むまで――でしか時間の経過を理解しないものだが、オーバードライブ状態ではさらに不明瞭になる。

 第五分隊に所属している機体がオーバードライブに突入するまでの速度は、他のスチーム・ヘッドに比べれば速いにしても、他の純戦闘用特殊機体群、例えば第一から第四までの分隊と比較すれば、幾分か遅い。確認してみると総員がオーバードライブに移行した時点で、戦闘開始から6秒も経過していた。

 突入後の時間経過は曖昧だが、3000ミリ秒は経過しているはずだ。

 となれば、もうそろそろ10000ミリ秒だろうか?

 つまりは戦闘開始から10秒だ。

 ――だというのに、耳を澄まさずとも街が超音速で駆け抜ける兵士たちの足音で揺れているのが分かる。


 10秒もオーバードライブ戦を行うのは、異常と言っても良い。

 戦闘用スチーム・ヘッド同士の戦闘において最も重要なのは、オーバードライブ突入までどれだけの時間が必要で、どれほど敵より先に動けているか、である。

 バッテリーも無限ではないのだから、オーバードライブという最強のカードをどこでどう切るかの判断も重要にはなるが、理想的な状況においては、実は戦闘用スチーム・ヘッドが対峙したとき、たいていの場合そこには戦闘と呼べるものは発生しない。

 種を明かせば単純な話で、余程の重装甲機同士の接触で無い限り、先にオーバードライブに突入した側が一方的に勝利するからだ。

 不意を突かれても自動で加速した世界に突入可能な機体、いわゆる対抗オーバードライブ搭載機も存在するにせよ、一対一ではあまり役に立たない機能だ。相手から瞬きの時間ほどでも加速が遅れたのであれば、それだけで敗北は確定する。

 攻撃側は文字通り、瞬きする間もない刹那に、無反応な対手の頸を、刃をねじ込むなりなんなりして切断する。再生を阻害するために頭そのものを肉体から払い除ける。それだけで戦闘は終わる。

 後には暴風が鮮血を孕んで渦を巻き、相手は頭部を失って行動不能となる。実に呆気ないものである。


 だが、引き延ばされたこの時間の中で、まだ蒸気機関スチームオルガンの唸り声が聞こえる。

 混じり鳴り響く高音域は、異次元の加速度での剣戟の音か。

 すなわち、戦闘はまだ終了していないのだ。

 クロムドッグたちは無線閉鎖をして一言も意思疎通をしなかったが、危機感だけは暗黙のうちに共有していた。

 スチーム・ヘッド同士の戦闘は、一刹那で終わるべきである。そもそも<首斬り兎>が単独だとするならば、戦闘開始から戦闘終了までは、1000ミリどころか100ミリ秒でも長すぎる。

 あちらは一機。こちらは一つの分隊に、最低六機。数的優位は不動のものであり、仮に相手に先手を取られたとしても、戦闘が始まってから数秒も経たず、六機編成の部隊が増援として順次集結する。最終的には三〇機前後のスチーム・ヘッドの同時投入となる。

 過剰戦力と言って然るべきだった。

 それなのに、10秒かかっても決着がついていない。


 警邏部隊の番号は、遭遇の蓋然性が高い順に割り振られている。

 スチーム・ヘッドの制圧に特化し、軍団でも独自の地位を確立しているケルゲレン率いる第一分隊は別格だ。ファデルからの信頼も篤い。

 第二から第四までにしても選りすぐりの兵士だ。いずれも高い加速知覚の適性を持ち、仮に先手を取られても、蒸気機関の駆動音に反応して300ミリ秒以内に対抗オーバードライブに突入。そのまま猛り狂って敵を食い殺す。この退廃と不死が支配する時代のベルセルク。熊の毛皮ではなく永遠に朽ちぬ装甲で裸体を隠す、そんな戦闘用スチーム・ヘッドが惜しみなく投入されているのだ。

 負ける理由は皆無。目標を須臾の時間で圧殺して然るべき状況である。


 だが、現実はあるべき未来から乖離していた。

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