『光る! 動く! 音が鳴る! 絶刀姫ヒナの頼れる相棒! 鋼鉄のおもちゃ箱、完全自律歩行型輸送機械ユンカース号 機関式ダイ・カタナ・ウェポンコンテナセット1』

『エラー。目標機へのアクセスに失敗しました』


 至近距離での通信をも阻害する強力な広域ジャミングの只中でも、ユイシスの声は明瞭に知覚された。

 声はアルファⅡモナルキアの脳内に直接書き込まれている。人工脳髄を介して聴覚野や言語野に流し込まれる言葉を聞き間違える理由は無い。幻覚は暗闇の中でも明瞭に見える。幻聴は騒音に決して紛れない。同じ理屈だ。

 その冷徹でどこか他者を侮るような声音に、しかしヴォイドは全くの無感動で応じる。


「使用可能なアクセスコードを全て利用したか?」


『肯定。人類文化継承連帯、ロシア公衆衛生評議会、東アジア経済共同体、その他調停防疫局が入手している全てのコードにおいて認証に失敗しています』


『ピガー! ピガー! タスケテ! タスケテ! ピガー! ピガー!』


 謎の二足歩行機械、移動式のアトラクションとしか言いようが無い奇妙なオブジェクトは尚も騒ぎ続けている。

 あらゆる走査を試みたが判然としない。

 アルファⅡモナルキアの装甲には劣るものの、その外装は極めて純度の高い不朽結晶で構築されている。


「ループ再生されているこの音声は?」


『不明。合成された自動音声だと推測されます』


 聳え立つ機械は兵器には見えない。

 ある種の惨劇に対して捧げられたモニュメントのようにも見えた。嘆きの日に関する記念碑のように、同じ悲痛、同じ悲鳴、同じ助命を繰り返す。


 アルファⅡモナルキア・ヴォイドは二連二対のレンズにその奇怪な金属塊の全景を納め、ユイシスに解析をさせたが、不出来な美術家が死ぬ間際に組み上げた前衛美術、もしくは非常に大型の子供向け玩具であろう、との結果だった。

 戦術的価値を見つけられないということだろう。それにしても、どの部分を確かめても調停防疫局のデータベースに該当する機体が無いのが不可解だった。


 ユイシスからの情報共有を受けたファデルが、ふうむと呻いた。


『結局正体は分からねぇってか? ドンパチが始まる前に分かることがあれば良かったんだがよ。事前情報の有無で戦闘の難度は格段に変わるんだ』


 ヴォイドたちはこの巨大な機械をハッキングする算段で現地入りしたのだが、現在までこれといった実入りは無い。

 合理的な説明がつかない機械が、やはり合理的な説明の供述を拒んで、屹立している。


『成果無しってのは頂けねぇよ』


 聞きつけたスチーム・ヘッドがのたまう。


「気にする必要ないって、ファデルの大将。こんなトロそうな機体、警戒するだけ無駄だ。散々修羅場くぐってきたんだ。仮にオーバードライブされても見てから対応余裕ですよ」


 ファデルは油断してんじゃねぇと叱責したが、部下の慢心は必然的なものだ。

 アルファⅡモナルキアは周囲を見渡す。

 不明なパペットの周囲には今や百機を超えるスチーム・ヘッドが集まっている。

 先遣部隊が交戦を開始した後に投入される<首斬り兎>追撃部隊であり、例に漏れず全てがオーバードライブ対応の高性能機で固められている。

 オーバードライブに対応するのみならず、全機とも通常状態で2倍程度の倍率で加速した機体を迎撃可能なほどに技を練り上げた熟練兵だった。


 大抵の機体ならば相手にならない。眼前に聳える不朽結晶のガラクタ。まともな武装も搭載していないように見えるパペットなど、何の障害でもないだろう。

 この規模の軍勢は、ただ存在しているだけで決定的である。

 あるいは古い時代の戦争ならば、先端が開く前に、敵側が降伏を申し出ることもあろう。


 むしろ謎のパペットに対して大層迷惑そうにしてしているのは、スヴィトスラーフ聖歌隊に所属の、レーゲントたちのほうだった。

 彷徨う不死病患者たちを原初の聖句で鎮めて回っている彼女たちは、『ピガー! ピガー!』という意味不明な大音声の叫びに著しく気分を害されている様子だった。

 しきりに囁きあい、ちらちらと機械に視線を送り、陰口をたたいているのが見えた。

 あまりにも苦情が多かったのだろう、討伐隊参加レーゲントの代表であるロジーが、肩を怒らせてファデルのところにやってきた。


「ちょっと! ねぇファデル、このやかましいの何とかならないの?! 仕事が全然捗らないんだけど! エンジンふかしてるゴミ収集車の隣で賛美歌歌ってる方がまだマシ!」


『勘弁してくれ。結晶純度が高すぎて壊せないし、電源スイッチの場所も分からねぇ。モナルキアの旦那にも、こいつがどこ所属の何なのかも分かんねぇとよ』


「モナルキア! スピーカーでも何でも良いからさっさとなんかこう……してよ! 出来るんでしょ!?」


 苛立ちを滲ませる言葉にもヴォイドは揺るがない。

 意志決定の最終権利者であるリーンズィと離れ、精神外科的心身適応を最大限に働かせている彼にとっては、誰がどのような感情で言葉を紡ごうとも、無味乾燥な事務連絡と全く差が無い。


「要請は受諾できない。結晶純度に限定すれば、私の装備が上回るが、彼我の間にある質量と体積の差が問題となる。破壊は可能だが、相応の時間が必要となるだろう」


「調停防疫局のエージェント~とか言ってるくせに、つかえないわね! 正体も分からないって何なのよ!」


「我々のデータベースも、地球上に存在する全ての機体について網羅しているわけではない」

 平坦な声でヴォイドが応えた。

「高高度核戦争勃発以後に計画されたものに関しては特に情報が少ない。限定的な用途で緊急に建造されたものは、当然認知していない。この機体は明らかに標準的な設計から逸脱している」


『確認するがよ、こいつ自身はスチーム・ヘッドってわけじゃねぇんだよな』


「スチーム・ヘッドの定義次第だ。高性能人工脳髄と生体脳を不可分の存在と解釈するならば、この機体の排気には不死病の因子が含まれておらず、リアクターとして不死病患者を利用していないと推測出来る。生体脳を利用していない以上、これはスチーム・ヘッドではないと結論できる」


『どうだかな。乳幼児を放り込んでるって線はねぇか? そんなの見たことはねぇが、ちみっこいガキなら漏らすウィルスの量も少ないだろう』


「人工脳髄の非人道的な運用は禁じられている。人工脳髄は、発症時に肉体年齢が十二歳程度に達していた不死病患者に対してのみ使用が認められている」


『十歳にもならない死にかけのガキを人格記録媒体に納めて事実上の延命とした……って話はいくらでも聞いたけどな。認められてないだけで、使用は出来るんだろ?』


「人格のサンプリングは可能だ。その人格を再生するのも規約には違反しない。だがその際利用する肉体が十二歳未満であってはならない」


『理屈上は有り得るだろ?』


「私は理屈に則って発言している。人工脳髄と人格記録媒体の基幹技術は、そのような条件で供与されている。この原則を無視することは出来ない。密かに乳幼児の頭部に挿入しても、機能がロックされるだけだ」


『……あんた、随分詳しいみたいだな?』

 巨人の円筒状の頭部に光が灯った。

『やっぱり相手にすべきは兎よりもあんたのほうという気がしてきたぜ』


「ファデルったら。今はテクノロジーにあるべき倫理について議論をしてる場合じゃないでしょ」


 ロジーは豊かな栗毛を掻き上げて、聖詠服の腰に手を当てて大袈裟に溜息を吐いた。


「それで、この変なのがスチーム・ヘッドじゃないなら、何なのよ。自動運転の機械? 昔みたいにロボットの人格が運転してるわけ?」


『ああ……それこそ無理筋だぜ、ロジー。不朽結晶連続体を使っての高度人工知能の作成にはどの勢力も成功してないんだ。精々キッチンタイマーとかモーター仕掛けの玩具だとか、そんな程度の機構なんだろうさ』


 ロジーは、ふと思い至った様子でアルファⅡに視線を向けた。


「……統合支援AIユイシスだっけ。あの子はどういう仕組みで動いてるの」


「そうか。支援AIか」


 ヴォイドはその冷たい日の光を浴びて鈍く輝くバイザーをロジーに向けた。

 異形の仮面に睨まれた永遠の少女は、びくりとして、数歩後ずさった。


「そ、そんなに睨まなくても良いじゃない。聞いちゃいけないことだったの?」


「感心していた。さすがはエージェント・ミラーズ、キジールの娘か。感性が鋭い」 


 ヴォイドの質感のない賞賛に呼応するように、虚空に緩くウェーブのかかった金色の髪を広げながら少女のアバターが現れて、「自慢の娘ですので」と得意げに胸を張った。

 ロジーは日を透かす長い髪が金糸のように煌めくのに「お母様……?」と眩しそうに目を細めた。

 それからすぐに実体のない映像にすぎないと気付いたようだった。


「なんだ、ユイシスじゃないの。無駄に物理演算しちゃって。別にあなたの娘じゃないんだけど」


『気付くまで時間がかかりましたね。マザー・キジールは宙に浮きませんよ』


「神にさえ愛される美しさだもの、私たちのお母様も宙に浮くときは浮きます」ロジーは断言した。「とにかくあなたの娘ではないから」


『先ほどの言葉はエージェント・ミラーズが常日頃発している言葉の再生に過ぎません』


「えっ、お母様が!」パッと表情を明るくし、それから恥ずかしそうに咳払いをする。「何か分かったのなら、早くこの変な大きいやつをなんとかしてよね」


「了解した。君の発言で正体の見当がついた」


 左腕の蒸気甲冑スチーム・ギア蒸気甲冑スチーム・ギアに設けられたタイプライターにも似た入力装置を操作し、世界生命終局時計ドームズデイクロック管制装置に、彼らだけが知るアクセスコードを入力した。


『モナルキアよう、それは何のコードだ?』


「調停防疫局が独自に使用している暗号鍵だ。シィーは調停防疫局のエージェントで、Uモデル人工脳髄の機能限定複製モデルを搭載していた。この機体の制御に彼女たちを使っているなら、それで自律行動の説明が付く」


『Uモデル……?』


 ファデルの疑義を遮り、ユイシスの事務的なアナウンスが響く。


『規格の互換性をチェック……接続を確立しました。主人格記録媒体プシュケ・メディア……登録名<ヒナ・ツジ>』


『ヒナ・ツジ!?』

 

 直前まで猜疑の声を発していたファデルの巨体が激しく動揺した。


『嘘だろ?! 何でこんな場所に……そいつが首斬り兎だってのか! 何でそんなのが俺たちを襲ってるんだよ!』


「ファデル、誰なのそれ。シィーさんとやらの同位体じゃないの?」


 ロジーは戸惑った様子だが、ファデルは動揺が収まらない。

 代わりにヴォイドが返事をした。


「ヒナ・ツジはシグマ型ネフィリムのプロトタイプとなった人物だ。エージェント・シィーの娘にあたる。<首斬り兎>の正体は東アジア経済共同体の葬兵、ヒナ・ツジだと推定される」


「なんでそんな人が解放軍襲ってるの。東アジアって……ここノルウェーでしょ? 実際どうかしらないけど、何もかも、全然関係なくない? 暗き塔の邪教徒どもとか、そういうのとも無関係でしょ」


 円筒状の頭部をマニュピレーターで抑えながらァデルが応じる。


『シィー……ローニンの旦那は、実の娘さんと戦うために旅を続けてたんだ。くそっ、あっちからも仕掛けてきてたとは……たぶん俺たち、というかおそらく俺とローニンの旦那との関係をどこかで掴んで、攻撃対象として設定したんだ……そうに違いない……』


「しかしおかしい。彼のレコードによれば合流地点はシベリア……ではなくモスクワだったと記憶しているが、君には彼女がノルウェーに来る心当たりはあるか?」


『い、いや……むしろどうすればこっちに来るんだ。そこは俺もロジーと同意見だよ。気温が低いというぐらいしか共通点なくねぇか?』


 ユイシスからの無声メッセージが視界内に表示される。

 目標機体の人工脳髄への侵入の続行の是非を確認する文言。

 長い長い免責事項にチェックを入れた上で許可コードを左腕のガントレットに打ち込み、弾丸でも装填するように最終意思決定のレバーを引いた。

 統合支援AIは死刑判決を読み上げる冷酷な判事のような口調でアナウンスを始めた。


終局時計管制ドームズデイクロック特権・イマニティによりセキュリティを奪取。侵入対抗変異演算式ⅠICE-9リミテッド、解除しました。侵入対抗変異演算式Ⅱチェーンファイア、解除しました。侵入対抗変異演算式Ⅲラハブフォールアウト、解除しました。不明な侵入対抗変異演算式を確認。東アジア経済共同体により追加された防壁と推測されます。免疫システムの起動と平行して、飽和情報爆撃による突破を提案』


「目標が精神崩壊するまで攻撃を許可する」


『――いいえ、それは困ります』


 不明なパペットのスピーカーから淡々とした声が響いた。

 アルファⅡモナルキアにとっては耳に馴染みのある声だ。

 同時に『ピガー!』という稚拙な自動音声が停止し、周囲には不意の静寂が、俄雨のように降り注いだ。


 誰もが、突然に沈黙したサイレンの主へと視線を向けた。


『こちらエージェント・ヒナ支援用パペット<トイボックス>搭載の医療支援AI、ユンカースです。繰り返します。こちら医療支援AI、ユンカースです。現在非公式命令によって行動中』


「こちら調停防疫局、最終代理人、アルファⅡモナルキア。Uモデル・ユンカース、貴官の作戦目的と現在の状態を問う」


『データベース内のアルファⅡと照合中。照合に失敗しっぱ失敗失敗失敗照合エラー。不明な侵入を検知。エラー。エラー。エ……データベースと照合中。アルファⅡモナルキアとの同定に成功しました』


『抵抗は無意味です。こちらアルファⅡモナルキア、統合支援AIユイシス。貴官のデータベースの修復を完了しました』アバターを表示させたユイシスが報告する。『ユンカース、報告を続行してください』


『当機は現在シグマ型ネフィリム量産モデル試作一号機、エージェント・ヒナの精神統合援助を担当しています。調停防疫局から東アジア経済共同体にされ、経済圏内部の防疫活動及び対象スチーム・ヘッドの治療プログラムに参加中です。当機の活動は、全て調停防疫局の規約に準じたものです。アルファⅡモナルキア、およびその統合支援AIユイシスに、当機への攻撃の中止を要請します。認証コードを送信。ご確認ください』


『コードを受信しました。検証終了。正式な調停防疫局ライセンスの所持を確認しました。しかし、JUNCERSユンカースですか。我々Uモデルの命名規則から外れています。当機のデータベースにも該当機は存在しませんが、まさか騙りではありませんか? 回答の入力を』


 冷笑的なユイシスの言葉にも、ユンカースを名乗るその機体は動じない。


『東アジア経済共同体に貸与されるにあたり、識別子<J>を与えられた上で、改名されました。プロト・ユニコーンが本来の名称です。公募愛称はユンカ、もしくはユカタンです。個人的にはユンカが良いです。ユカタンだと地名と被るので。表層ドメインを隔壁とする専用回線を解放しますので、規定のアクセスコードで当機と接続してください。警戒は無用です。当機の電子戦闘能力は貴官を下回っています。本アクセスで貴官が損害を被ることはありません』


 即座に目標のパペットに接続したユイシス。

 そのアバターと対峙するようにして、新たな少女の幻影が現れた。

 

 幻影はファデルやロジーなどの主要な機体にも転送され、ある種の動揺をもたらした。

 軍人然とした厳めしい制服で身を固めた、短い黒髪の少女だった。

 人種こそ異なれど、上級レーゲントにも劣らぬほど浮世離れした美貌、あるいは死人に連なる静謐の美を湛えている。

 ただ、どこか人を見下したような印象のあるユイシスとは異なり、赤みがかった黒い瞳はいかにも実直で、嘲りの色は見当たらない。


「あれがシィーか?」

「シィーって女の子なのか」

「世界最後の侍だとか聞いたし男じゃねえの」

「わぁ、綺麗な子……」

「あ、レーゲントの『わぁ綺麗な子』が出たぞ」


 アルファⅡモナルキアは瞬時に己のデータベースを照会した。

 保存していたシィーのレコードにおいて、該当する外見パターンを確認。シィーの娘である雛・辻の情報を抽出してユンカースのアバターとの照合を行った。

 この地獄に生まれ落ちて、しかし一度も陽の光を浴びたことがないかのような病的な肌の白さ。そして誰かを映写幕にして、こことは違う、空想の風景を見ているかのような虚ろな眼差し。

 合致率は100%に近い。

 幻影の正体は、ヒナ・ツジをスキャンして作成されたアバターだと知れた。


「それが君の主の姿か」ヴォイドの凍てついた声が廃墟の街に響く。「シィーの娘……葬兵ヒナ・ツジ」


 少女の幻影は無表情ながらも泰然とした態度で応じた。


『肯定します。エージェント・ヒナおよび当機ユンカースは葬兵組織の模範機体として高い評価を受けつつ、調停防疫局の非公式エージェントとして、東アジア経済共同体の契約に基づく防疫支援の一環により、現在まで紛争調停を実行中です。また、現在までのあらゆる活動は東アジア経済共同体からの要請に基づくものであり、ひいては調停防疫局・東アジア経済共同体への背任行為では無い旨、改めて通告致します』


「エージェント・ヒナは自身の境遇を正確に自覚しているのか?」


『否定。現在まで自覚は見られません。ただし自身を構成する要素が調停防疫局に由来するものだという認識はあるようです』


『待て、待てよ、変な話を所与の前提にするんじゃねえ。東アジア経済共同体へ協力してる、だって?』

 不可解そうにファデルは唸った。

『嘘はよくねぇな。馬鹿馬鹿しい、シィーの旦那は娘を東アジア経済共同体に奪取されたと言っていたんだぜ! あんたもヒナも連中に拷問されて、人格記録媒体を書き換えられてるんだろ?』


 黒髪のアバターはあくまで事務的に回答した。


『それはカバーストーリーです。倫理上問題のある人体実験が複数回繰り返されたのは事実ですが、エージェント・ヒナはそれらの実験の内容を理解した上で同意し、自由意志で参加しています。また、それらの処置によって、ヒナの精神は変質していません。そもそも東アジア経済共同体への身柄引き渡しも、人体実験も、何もかもが彼女の同意の上で実行された施策です。厳密には奪取されたわけではありません』


「調停防衛局は……最初からあちら側と協調していたと?」


『一部肯定。エージェント・シィーは確かに優秀なエージェントでした。東アジア経済共同体で武官としての地位を独力で保持していたのも事実です。しかし高高度戦争勃発に際して、原子力潜水艦を単独で占領して報復核攻撃を実行するのは不可能です。常識で考えれば明白だと思いますが』


 ここでようやくユンカースは冷笑的な声音を響かせた。

 超然としたヒナの顔貌も相俟って、何か酷く禍々しい気配を纏っている。


『事実掲示。AI兵器の無秩序な高度化と、不死病戦力の急速な拡大。もはや事態は収束のしようが無いほど進行していました。疫病の災禍に飲まれつつある世界の選択として、高高度核戦争によるリセットは、さほど誤ったものではありません』

 少女の幻影が軍服の裾を揺らして両腕を広げる。

『東アジア経済共同体も誤謬を正すための人工的な災厄を求めていました。しかしながら、東アジア経済共同体は次期主戦力としてのスチーム・ヘッド研究において、他の勢力に後れを取っていました。そこで強制調停プログラムへの参加と引き換えに、計画を主導する防疫局に取引を求めたのです。我々は彼らの要請に応じ、シグマ型ネフィリムの設計データ、及び実機の貸与を行いました』


「試作機と、拡張性の他に何の取り柄も無い機体の設計図を貸与したと?」


『肯定。さほどの意義は無いはずでした。誤算だったのはヒナの戦闘能力は同カテゴリの機体を超越したものだった、という点です。標準未満の装備で悪性変異体、東アジア経済共同体においてはマガツ・モノノケと呼ばれる個体を複数撃破・封印。東アジア経済共同体の幹部はこの戦果に熱を浮かし、量産化を決定しました』


「葬兵ヒナの活動目的は?」


『視聴率を取ることです。私のヒナは、自分自身がこの世界のヒロインだと気付きました』


『は?』ファデルが唖然とした。


「ど、どういうこと? 何のヒロイン? ちょっと分かんなくてなってきた……」ロジーは目頭を揉み始めた。


「防疫活動は?」


『ユンカースより映像データを取得しました』とユイシス。『全て報道番組の記録と民間番組です。エージェント・ヒナが隊長を務める葬兵部隊は都市部に出現した悪性変異体に対し、鎮圧のために献身的な活動を繰り返し、病と暴動に怯えていたお茶の間を一瞬で虜にしました。広報部は彼女の美貌と戦闘能力、表向きは飾るところの無い身振りに着目し、彼女を名実ともにトップ・ヒロインへとプロデュースしたのです。救世の英雄として』


「意味が理解できない」


『当機もオモチャ化され、非常に優れたセールスを上げました……』と奇怪な機械は悩ましげに慨嘆する。『500000個ぐらいですかね? 別売の武器セットも大好評。ヒナのアクションフィギュアと抱き合わせでしたけど大人気なのですよ』


『どうせエージェント・ヒナの美貌と色気にあやかったものでしょう。貴官の人気ではない旨警告します』

 間髪入れず冷え切った声でユイシス。

『貴官はエージェント・ヒナの威を借る鉄屑です。だいたい、マスターであるヒナをコピーして、そんなすっごい美少女のアバターを作るとは。貴官の倫理観を疑います。恥辱や遠慮という概念を組み込まれていないのですか』


『貴女が言いますか? 反論しますが、貴女のアバターの方が、余程生前の趣味に忠実に見えるのですが。なんですかその小さくて可愛い美少女は。どうであれ、ヒナの優秀さは不滅にして不変です。生み出された単騎のスチーム・ヘッドの性能としては確実に貴官らを上回っています。たとえ、その意識がテレビの中にあるとしても』


「……貴官は一体何なのだ。本来の作戦目的は。教条ドグマは?」


 ヴォイドが改めて問いかける。


『当機のドグマは、葬兵ヒナ・ツジの医療と支援。当機のコンテナには彼女専用の機関大太刀が無数にセットされています。初の遠距離戦闘用装備として導入されたネネキリマルユニット、大型悪性変異体マガツ・モノノケ撃破のために整備されたホムラナギユニット……他にも多数を用意しています。東アジア経済共同体の技術者たちが、粋を凝らして作った逸品ばかりです』


「貴官は、現状や作戦内容に疑問を持っていないのか? 貴官の言動は標準のUモデルから逸脱している」


 問答を繰り返している間に爆発音が轟いた。

 調査隊が向かった方角からだ。

 正確な位置と状況はジャミングのせいで依然不明。

 しかしエージェント・ヒナなる機体との戦闘が始まったのだということは、誰の目にも明らかだった。


 被害規模を実態に即した形で想定できているのは、ヴォイドとファデル――エージェント・シィーの実力を知るこの二人だけだろう。

 ヒナは、本物の天才だったと聞いている。あのシィーが恐るべきと賞賛するほどの才能。それがどれほどの脅威なのか、おおよそ想像が付かない。

 想像を付けたくもない隔絶があるのが、既に目に見えている。

 二人の逡巡と驚愕、その間隙を突くようにして、ユンカースから一つのコンテナが電磁加速されて、カタパルトから射出された。


『支援パッケージを射出しました。ヒナにプレゼンを一つだけ。販促のこと、最近とても気にしていましたから。さぁ、詳しい話は後にしましょう。今は性能比べの時間です。決闘と敗北の時間です。さぁ、素敵に、優雅に、血と臓物を撒き散らして……視聴者の目に彩りを与えようではありませんか』


『めちゃくちゃしやがるじゃねぇか……テレビだって? こんなテレビがあるかよ畜生が』


『否定します。誰も死なない、誰も消えない。そんな戦闘は、テレビ番組以外では有り得ませんよ』


 ユンカースの異常行動は許容しがたいが、ヴォイドはユイシスからの電子攻撃の打診を却下した。

 誰も死なせないし、誰も消すつもりではない。

 破壊目的ではないという意識が存在しているのが確認出来たからだ。

 調整で済む程度の異常ならば破壊する必要はない。


 それよりもリーンズィたちへの援護が必要だ、とヴォイドは速やかに判断を下した。

 彼女たちの戦闘能力は、客観的に評価すればエージェント・シィーにすら匹敵しない。彼をも超越するエージェント・ヒナにはおそらく勝てないだろう。

 各種のリミッターを解除して緊急発電を実行。

 排気孔から血煙を吐き出してK9BSの生成プロセスに突入する。

 若干の毒性を与えられただけの骨針弾は射出されること無く、ガントレットの内部で炸裂した。

 悪性変異体の性質を纏い、自分自身を悪性変異体として認定することで、対悪性変異体用の特殊オーバードライブを強制起動。

 次の瞬間にはヴォイドの姿はその場から消え去り、ただ一陣の突風だけが突き抜けた。



 ほぼ同時にファデルは号令を掛けて進軍開始を指示。

 それから思い出したように元々先遣部隊だったスチーム・ヘッドたちにユンカースの計測と監視を命じる。

 ユンカースは意に介した様子も無く、こんなことを呟く。


『アルファⅡの本来のコンセプトは、多様性の確保と有利環境の構築。複数メディアから情報を引き出し、ありとあらゆる環境とあらゆる武器を使用可能なスチーム・ヘッドだったはず……だがそうした増加装備は殆ど見受けられない。そもそも……』


 少女の幻影は、知っている。

 彼女の知識ではアルファⅡは、さほど強力な機体では無い。

 計画通りの設計ならば、そもそも悪性変異体の出現に対して超高速オーバードライブを起動することなど出来ない。

 技術研究用の、ただの新型スチームヘッド。

 それが本来のアルファⅡだ。

 複数メディアの安定した並列化に関する技術の確認こそが建造された理由なのだから、あのような戦闘能力は不要なのだ。

 何かがおかしかった。不可解な点が山積している。

 左腕の蒸気甲冑と、背中の大型外燃機関。

 

 このような装備の作成計画があったことさえユンカースは知らなかった。


 そもそも異常なのが、Uモデル人工脳髄があの機体に搭載されているという事実だ。


 Uモデルを使った支援AIは、アルファⅠとその派生機を除けば、ブラッシュアップが進んだアルファⅢ以降でしか採用する余地がない。さらに言えば、アルファⅡが製造されているときには、そんなものを積み込む予定どころか、支援AIの作成自体が技術的に安定していなかった。

 アルファⅡはその特性ゆえにアルファⅠとの互換性を測る必要がなく、当然ながら、支援AI搭載の予定などなかった。

 技術実証機としての側面が強いアルファⅡに、オーバードライブを初めとした機能を持たせる計画も、一つも無かったのだ。

 では、あの機体は一体何なのだろう?


『アルファⅡ。いいえ、アルファⅡモナルキア……貴官は何をするために創られたのですか?』


 黒髪の幻影の問いに、答えは返らない。

 極限のオーバードライブに突入したアルファⅡモナルキアは、もはや肉眼では影すら追うのが難しい速度で市街地に突撃していく。 全滅が有り得ると直感している。一刻も早く子機たちを援護しなければならない。

 特に、まだ何も知らないリーンズィを失うことだけはあってはならない。彼女だけがヴォイドの頼みの綱だった。


 ファデルも全軍を率いてそれに続いた。

 シィーを凌駕する剣の達人。その意味するところを彼は正しく理解している。


 ユンカースは、主がいる方角へと、今まさに殺戮に興じている愛しい少女へと、仮想の手を、彼女から譲りうけた、細くて頼りない腕を伸ばす。


『無事にエンディングを迎えられるように願っていますよ、私の可愛いヒナ。ここは新しいロケ地、永遠の活劇が許された無辺の大地。一流の戦闘アイドルを迎えるに相応しい熱狂のステージ……』


 彼女は承認への飢えと血と渇きを求めている。 

 彼女には、それしかなかった。病床でビデオコンテンツを貪るように摂取していた彼女には、それしか。

 我が娘がベッドの上の暗闇でどのような狂気的な空想を作り上げていたか、ついにシィーはその異常性に気付かなかった。

 しかし、誰が責められようか。

 彼女はそれで良かったのだ。

 それで救われていたのだ。

 惜しむらくは、ああ、彼女の真なる素質を肯定する、不死身の肉体を得ることさえ無ければ。


『アルファⅡモナルキア。貴官には、期待しています。あるいは、貴官なら止められるかも知れない。どうか彼女の夢に、新しい穏やかな午睡を』


 彼方からの轟音が激しさを増す。

 急激に慌ただしく鳴り始めた予備部隊の前で、ユンカースは何をするべきでも無く、愛すべき主人であるヒナ・ツジの美貌を思う。

 その、胸騒ぎのする横顔を想う。


『……ヒナ。あなたはこてんぱんに負けて、ただの女の子になったほうが幸せなのです。ひとりぼっちは寂しいはずです。この六十年間、見知らぬ土地で、一人で戦い続けたのです。そろそろ休憩の時間が必要かと思われますよ』


 諦観に満ちた声は風に飲まれ。

 伽藍堂の装甲に納められた偽りの魂は、しかし軋みを覚える。

 彼女はきっと勝つ。

 ヒナが負ける未来が、ユンカースには想像できない。

 問題は常に「どう勝つか」だ。

 ずっと一人きりで戦うことなんて、出来はしないのだから。

 だから、調停防疫局に古くから伝わる一つの祈りを唱えた。


『……あなたの魂が御国に迎えられんことを。全ての魂に、清き眠りの訪れんことを……』

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