セーラー服は疾風に舞う③
一拍遅れて、ケルゲレンたちのレンズが追う。
ケットシーは、いつのまにか、空中にいた。
黒色のスカートを戦装束の腰布としてはためかせて、駆ける仕草で空中を貫いている。
そこに先ほどまでの奇矯さや異質さは無い。
跳躍したまましなやかに伸ばされた脚の病的な白さ。内側で張り詰めた血と肉がかすかに肌を赤らめている。
すでに勝負は決していた。
完璧な一撃を成し遂げた戦士の姿がそこにあった。
神速であった。戦闘機の機首に似た器具、おそらくは不朽結晶製の衝角や突撃槍と思しき武器によって、突撃してきたスチームヘッドを逆に真正面から打ち砕き、貫いていた。
空いた片手にはカタナ。
一方で、装甲ごと心臓を圧壊されたスチームヘッドには声もない。
攻撃されたと認識する間もなく首を切断されていたからだ。
すぐそばで見守っていたリーンズィたちにも、ケットシーがカタナを抜き放った瞬間すら視認できなかった。
『――蒸気抜刀・
無感動な声が無線回線から響いてくる。おそらく突撃槍を用いた迎撃技の名前だろう。何故技の名前を言ったのかは全く分からない。
突撃してくる後続のスチームヘッドたちが驚愕の声を上げた。
『JFスライマンが撃墜された?』
『撃墜って言ったって……いつだ!? 誰か観測出来たやつは!?』
『こちらカドリド・ゲッツ』
大型の槌と八連装の機関銃を装備したスチーム・パペットがやや遅れて追走してくる。
『高熱源体の移動を確認。瞬間的には最低でも三十倍のオーバードライブだ。もっとかもしれん』
『パペットのセンサーで捉えられる限界を超えてるのか! しかし、怯むな! あんなわけ分からん機動が何回も出来てたまるか。このまま五機で突っ込んでぶっ潰』
棺桶を閉じる釘の如く。
それは、真っ直ぐに飛来した。
先頭を走行していたスチーム・ヘッドは上空から撃ち下ろされた閃光に心臓部を撃ち抜かれて背負っている蒸気機関ごと地面に縫い止められ、次弾で頸を飛ばされた。
『――蒸気抜刀・
戦闘機の機首に似た兵器――不朽結晶衝角の前方が開き、紫電が迸っている。
『隊長がやられた!』
『電磁加速砲か!?』
『砲じゃないもん。これはカタナブレードツルギ電磁抜刀装置』
無線を傍受し、心外そうな声音でケットシー。
『市街地での発砲は違法。市民を巻き込むから。ヒナは抜刀してるだけ』
気の抜けた解説の間にも、結晶衝角からは次々に弾丸が射出される。
『でも速すぎてキャッチできず、偶然敵に当たる。葬兵はみんなのヒーローだから法律を守るの』
『……いやそれは銃とどう違うんだよ!』
『だいたいさっき侍銃って言ってたじゃん! なんだこいつ!』
当然の困惑を訴えながら回避行動を取ろうとした一機の顎を、次の杭が胸部ごと引き裂いた。
リーンズィの瞳は捉えている。
真っ直ぐに走る閃光は弾丸ではなく、確かにカタナである。
衝角に内蔵された加速装置から、嘘偽り無く不朽結晶のカタナを連続射出しているのだ。
『散開っ、散開しろ! 高純度不朽結晶弾だ! 装甲が役に立たん!』
『なんでこんなクソ
『撃ち返せ撃ち返せ! 相手はコスプレ同然の非装甲だ、当たればどんな弾でもダメージになる!』
解放軍側のスチームヘッドの弾丸は全て衝角で押し潰されたままの友軍機に阻まれ、貫通しても衝角を破壊出来ない。
今のケットシーは城壁と戦艦の装甲を胸に抱えているようなものだ。そしてケットシーの手元、結晶衝角の先端で紫電が迸るたび、電磁加速されたカタナが発射され、精密に敵を射貫いていく。
ただし、解放軍側も状況に対応しつつあった。
心臓部や蒸気機関、頸部への直撃を許さず、腕や足で巧みにカタナ弾を反らし、受け止めるようになっていた。
『くっそ、近付こうとしたらこれ、理科室の標本にされちまうぞ! 一番隊、どうにかしてくれ!』
ケルゲレンは既に簡易蒸気噴射装置を利用して飛翔準備に入っていた。
『見ておられん! グリーン、イーゴ、手筈通り援護を……』
『あ、そっちのテレビの人が一番隊なんだ』
振り返ることも無くケットシー。
『無視するのも悪いから攻撃しとくね。やっぱり活躍したいでしょ? 上手によけてね。蒸気抜刀・
レシプロ戦闘機の尾翼めいた形状の蒸気機関の装甲が開き、蒸気によって加速された無数の針状不朽結晶連続体が放出された。
さほど破壊力のあるものではなかったが、万が一蒸気機関に巻き込めば内部構造が破壊される。
ケルゲレンは危ういところでこの致死性の針の雨を回避。
カバーしきれない分はオーバードライブ加速度を上昇させたイーゴが最前列に踊り出て装甲板と己の肉体で受け止めた。断裂した身体組織から血を零し、針鼠のような有様に成りながらも散弾銃で応戦する。
もっとも、電磁加速されていない散弾の飛翔速度など、この空間ではシャボン玉にも等しい。
空中のケットシーに到達する頃には彼女はもうそこにいないだろう。
ただ散弾を空中に撒いただけだ。
だが、イーゴとしてはそれで良かった。
『磁界誘導弾の散布を開始する!』
イーゴは構わず出鱈目な方向に散弾を撃ち始めた。
『残念だが二番隊には期待できない、俺たちが止めるぞ!』
『こちらグリーン、ケルビム・スピア起動準備よし! いつでもいけるよ!』
『タイミングを見失うな、ワシが囮になる! チャンスは一度きりじゃ!』
リーンズィは趨勢をじっと見守っている。
視線を手元に落とす。
頑強だった手甲は、ケットシーとの打ち合いで相当に痛めつけられている。
あとどれだけ持つだろうか。
ミラーズがカタナの一本をホルダーに仕舞い、リーンズィを見上げながらぎゅっとその手を握った。
同じことを考えているのだと本質的な思考回路を共有するリーンズィには分かる。
アルファⅡモナルキアが判断を誤れば、仲間が破壊される。
二番隊の決死行は、最終局面に達していた。
『カドリド・ゲッツ、先行してくれ! すまないがお前を盾にして接近する!』
スチーム・ヘッドの一機がパペットの背後に回り、跨乗用の取っ手を掴んだ。
『カドリド・ゲッツ了解した。俺の装甲、役立ててくれ。全力前進!』
空中に浮遊しているケットシーの反応は淡々としたものだ。
全てが予定調和と言った様子だった。
『機関大太刀ネネキリマル、オーバードライブ。チャンバー内最大電力到達――蒸気抜刀・メッサーシュミット之太刀』
結晶衝角の正面装甲表面から、一際大きな閃光が吐き出された。
刻々次第に変化する七色の光。永遠の冬の街を極大の光芒が貫いて視界を焼いた。
視界が回復した頃には、空間を焼灼した痕跡だけが残されていた。
リーンズィの目が非感覚的に捉えたのは、太刀と呼ぶに相応しい大型質量物体が衝角から射出された事実だけだ。
勇猛な突撃を敢行しようとしたカドリド・ゲッツと名付けられたパペットは、3m近い装甲厚の胴体部を呆気なく撃ち抜かれ、生体CPUごと主要機関を破壊されていた。
神話の古戦場に打ち捨てられた巨人の遺骸の如く内部機構を晒したまま直立して機能停止している。
人格記録媒体は無事だろうが、もう自力では一歩も動けまい。
『カドリド……! しかし、これで隙が出来た! 今の大技でバッテリーは枯渇したと見る!』
生き残った二番隊のスチーム・ヘッドは二機で連携しながら最後の突貫を試みた。
電磁加速銃を乱射し、不朽結晶剣を振りかざし、ケットシーへ、ついに接近を果たした。
『どんな事情があるのか分からんがバラしてから聞かせてもらう!』
『そう。ネネキリマル、パージ』
ケットシーはあっさりと大型機関兵器を放棄した。
二番体の一刀が達するかと見えた瞬間に、残された翼状のカタナホルダー、その蒸気噴射孔を用いて空中で姿勢を制御。
ひらりと宙を舞うと同時にそのスチーム・ヘッドの両手足と頭部を切断した。
隼もかくやという空中での姿勢制御は、まさしく絶技である。
人間は生身で空を飛ぶようには出来ていない。
天空は支配者の領域であり、余人の縋る余地など存在しない。
さらに死角から近寄ろうとしていた一機は、ネネキリマルにセットされていた時限式抜刀プログラムによって放たれたカタナ投擲で首を刎ねられて機能停止した。
圧倒的であった。
それを戦闘と呼んで良いのかすらリーンズィたちには分からなかった。
演舞とでも言った方がまだ適切だろう。
不朽結晶連続体で装備を固めた兵士たちがこの加速された時間、一次現実ではほんの数秒にも満たない時間で、ことごとく、襤褸切れのように引き裂かれたのだから。
だが感傷などケルゲレンには無い。
少なくとも大型兵器は使い果たしたと彼は判断した。二番隊の戦果だ。
ただのカタナしか持っていない今が好機だった。
仇を取るときが来た。
フレームだけの翼を広げて蒸気噴射で可憐に降下してくる海兵服姿の少女、ケットシーに向かって加速しようとして――生物的な直感によって、敗死を悟った。
『蒸気抜刀・
声がした。
目の前に、ケットシーがいない。
レンズを向けていた方向に、もう存在していない。
捉えられるのは蒸気噴射の軌跡だけ。
センサーを確認する。
敵は、背面に回り込んでいる。
不可知の領域を移動して訪れた刃は、まさしく頸を刎ね飛ばそうとしており――
『させないっ!』
ライトブラウンの髪の少女が、握り締めた手甲の拳でその刃の軌跡を逸らした。
無論、学生服で舞い踊るケットシーは迎撃の択を簡単には通させない。
短いスカートをマタドールのようにはためかせて二の太刀、三の太刀を繰り出してくる。
だがリーンズィはこれらを全て迎撃。
ケットシーはくるりと反転してカタナを背後に隠し、死人の美貌に、心を乱すような、心臓を揉みし抱くような、愛らしくも華やいだ笑みを見せた。
『すごいすごい! ヒナの<疾風>が見えるんだ!』
『視力は過去未来について2.0なのでとても見える』
『ぬおおおお!?』
我に返ったケルゲレンが悲鳴を上げながらバックステップで距離を空ける。
『なんじゃ!? さらに加速しおったのか! あの一瞬で!?』
『お三方とも、どうか退避を』
庇うようにしてカタナを構えるミラーズ。
ケルゲレンたちを守るために前身し、それから思い出したように『これ、頭の帽子を預かってくださいますか?』とグリーンに頼み、『ここは調停防疫局が引き受けます』と言い切った。
『それは構わんが……何をする気じゃ?』
『猶予を作ります。切る札があるなら、準備を』
リーンズィと切り結ぶケットシーは手を叩いて飛び跳ねそうなほど上機嫌だ。
『ねぇリーンズィさん。いつヒナの疾風を見切ったの? もしかして台本通り? そういう訓練してた?』
『初めて君と切り結んだときのことを考えていた。私は、君と同時にオーバードライブを発動した。倍率も同じだったはず。それなのに、君に完全に先手を取られた。それは何故か。私の計測した値よりも上位のオーバードライブを瞬間的に起動していたと考えれば辻褄は合うが、熱量の変動が無かったことに説明が付かない。いったいどうすればそんなことが可能なのか……』
『お、さっきの急加速のカラクリですか』とグリーン。『あれは何なんですか? たぶん五十倍か六十倍は速度が出てましたよ』
『君は……
『分かっちゃうんだ! うん。そうなんだって……』
ヒナは嬉しそうにくるくると回り、見かけ上の苛烈さはそのままに、会話を楽しむ程度の余裕はある、斬り合いに似ているだけの剣舞を始めた。
『死んじゃいそうだから生きてるあいだは試したことなかったけど、死んだら出来た』
『ま、待て……』とケルゲレン。『どういうことじゃ。その娘っ子がオーバードライブ搭載機だというのは見れば分かるが』
『分かっていないのだな。分かっていないの。機械に頼っている我々とは違う。彼女はおそらく、
拳の位置をボクサースタイルで固定しながらリーンズィが憶測を述べる。
『ケットシーのオーバードライブは、蒸気機関やメカニズムによらない、生身の肉体に備わった機能だ』
単純な話だ。
生身の人間に超高速移動のための才能があるだろうか?
生命を顧みない限界駆動のイメージを育む余地があるだろうか?
通常はあり得ない。あったとしても使いようが無い。
人間は空想の中でしかそんな動きは出来ない。
不死ならざる身で実行すれば、死ぬだろう。
だが、
シィーの娘、あの剣士シィーすらも上回る才能の持ち主であると言うケットシーには、生きていた頃からそれがあったのだ。
その自殺願望に等しい
どうすればそんなものが生きた人間に芽生えるのか、生前が無いリーンズィには当然理解不能だ。
しかしいつか不死身の肉体を得た時のための規格外の
『ケルゲレン、しばらくは私たちが凌ぐ。大丈夫、勘所は掴んだ、ヴァローナの瞳で撃ち落とす』
『いつまで可能じゃ?』
『……無理になるまで』
『良い性格しとるのう! すまんが任せるぞ』
『一騎打ちのイベント、ヒナは好き。付き合ってあげるから他の人は気にしないで。でも手抜きも良くない。もうちょっとだけ本気でやろっか? こういうの視聴者は喜ぶし。リーンズィさんは武器は要らないの?』
『不要だ。君の間合いでなら拳の方が速い。あとまたあの……お腹の中に、その……ああいうのは厭だ。恥ずかしいし……その……私にも、誰かとそういうことをしているのだ、なんて、知られたくない人がいて……』
『そうなんだ……』とややしょんぼりしながらヒナ。『コンプライアンスを大事にするほうなんだね。もうしないよ。本当にごめんなさい。たれ込みだけはやめてね』
そしてまた、会話の続きだと言わんばかりに、突如として人知を越えた速度での剣戟が始まった。
カタナの刃が翻り光を弾いて空を裂き手を足を頸を狙って振り下ろされる。
それを手甲の拳で全て捌ききる。ケットシーの刃先の速度はリーンズィの認知能力の限界を超えている。機械的に増幅された視覚で捉えることさえ不可能だ。
だが見たいものを見る<ヴァローナの瞳>の超常の感覚は確かにケットシーの刃の通る道を掴んでいる。未来予知じみた力で、ケットシーの斬り込んでくる場所を過去から観測し、刃先が立たないように拳を置いて、精密にその刃を逸らす。
初回の先頭で後れを取ったのは、相手のメカニズムが全く分からなかったからだ。
確かに機械的には二十倍程度のオーバードライブに留まっている。だが時折彼女自身の不死の肉体の操縦技能として発現する数十倍加速のオーバードライブは、来ると分かっていないと、ヴァローナの瞳でも観ることさえ出来ない。
だが、今は違う。
観るべき時間、観るべき事象さえ把握出来たなら、充分に弾ける。
問題は簡易型の首輪型人工脳髄に許されたオーバードライブでは限界があるということだ。
あと数十合の斬り合いを凌ぎきれないという未来が既にリーンズィには見えていた。
> 危険。蒸気抜刀・刹那五月雨之太刀。
チープ・ユイシスのサジェストには覚えがある。
徐々に加速していく剣の閃き。
これが最終的にどれほどの速度になるのか、リーンズィは予測するのをやめた。
絶望するための予想に価値は無い。
『あはっ。楽しい、楽しいね、リーンズィさん。リーンズィさんって呼んで良いよね。これってすごいことだよ。ヒナの乱舞に付き合ってくれる人なんて久しぶり! トップの女優さんなんだよね。手足を切り落した後は、今度こそ優しく可愛がってあげる。痛くはしないから。視聴者の皆もラブラブなところが観たいに決まってるし。次のレギュラーはあなたに決まりだよ。二人で一杯殺したり殺されたりしよう! 寝返る敵の幹部は王道だよ。きっと人気が出る! 二人で新しいシーズンのスターになろっ!』
狂っている。
狂っているがその願いは無垢だ。
きっと多くの地獄を見たのだろう。
感傷も反感も覚える余裕が無い。刃の軌跡を視認することさえ無く、限界を超えた速度で迎撃し続ける。
リーンズィにはだから、もはや祈ることしか出来ない。
ヴァローナの瞳にも限界はある。この超常の眼球は永久に使える武器では無い。
そして不規則に発動する肉体のオーバードライブに対抗するにはこちらも加速度を高めざるを得ない。そうなれば、バッテリーの電力残量は当然に磨り減っていく。
じきにどちらかが破綻して、リーンズィは全身を刻まれて地面にばらまかれる。
これは無数の剣閃の中に希望を見出して信じるための戦い。
勝利する未来がリーンズィには見えない。
奇妙なほど平静な意識で、リーンズィはしかし釈然としない感情を抱いていた。
それは全く愉快で無く、出来れば避けたく、あまり考えたくない手段だが。
しかしそれしか無いように思える。
――あるいは、無制限のオーバードライブが可能な、アルファⅡモナルキア・ヴォイドならば。
ケットシー。
この怪物に、匹敵し得るか?
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