セーラー服は疾風に舞う②

『……あの、誰か教えてもらえません? 何ですか? 今の何なんですか?』


 これは考えるだけ無駄だという結論に辿り着いたらしいグリーンが硬直から解放され、焦った様子で一行を見渡した。


『そういうことらしい』と真顔でリーンズィ。

『どういうことですか。ケロ隊長、どうすればいいんですか』

『あ、ああ……なんか子供番組みたいじゃったの。でも子供向けにしては服装が色っぽすぎんか?』


 鋭い指摘にヒナ・ツジが素早く返答する。


『東アジア経済共同体の倫理規定ではちゃんと合法。確かにこのショーツには異議が出たときもあった。でも12歳未満向けの番組では下着が映ってるシーンは適切に編集されるから卑猥が無い。だいたいこの下を露出したままだとさすがに放送出来ないしぱんつは必須、むしろこのコスチュームは健全』


『勘弁してくださいよ、アニメじゃないんですよ』とグリーン。 


『そう、アニメじゃない。CGも無い。ヒナたちの華麗な真剣バトルが大人気』


『そういうもの。なるほど』リーンズィは「そういうもの、なるほど」と思った。


『おお、分かるのかリーンズィよ』とケルゲレン。


『アニメでは無いのだな』リーンズィは「アニメでは無いのだな」と思った。


『あっ……!』

 特に表情を変えることなく、しかし焦った様子でヒナ。

『もちろんアニメや特撮がヒナたちに劣ると言ってるのではなくて。アニメも特撮も最高。ヒナはずっとそういうの病院のベッドで観てた。魂で理解してる。でもヒナ……ケットシーたちも、アニメに負けない。そういうこと!』


『そういうものなのだな。とにかくケットシーと呼ぶのが良いのだな。謝罪する、私たちは台本をもらっていないので分からなかった、ケットシー』


 リーンズィはもう真面目に考えるのをやめていたが、名前はケットシー、それだけは辛うじて理解した。

 この場においてはヒナ・ツジではなくケットシーと呼ぶのが正しい、という情報をケルゲレンたちに転送する。


『そう。ヒナはケットシー。リーンズィさんはプロ、さすが調停防疫局側の女優さん。台本がないのはきっとヒナたちの不手際。さっきはテレビの人じゃないって言ってたけどその敏腕マネージャーみたいな感じが真の姿? ヒナには分かる』


『分かるのだな』だなー、と思った。


『さっき二人きりになったのは顔合わせ? それともインタビュー的な。うん。とにかく今のヒナはケットシー。今後の撮影ではケットシーと呼んで。でも日常パートは別。シンデレラタイム向け特番では本名呼びもOK。本名の方が盛り上がるし。そういうの抵抗ある? レギュラーになるんでしょ? そういうのを撮影することもあると思うけど。いい絵になると思う』


『様々な番組があるのだな。でも尖った棒を腹に刺して何かやらしい空気にするのはやめてほしい』


『あれは過激すぎたかも知れない。反省する』


 オーバードライブ発動中だというのに、酷く間の抜けた会話が続いた。

 4000ミリ秒は経過しただろうか、とリーンズィは目算する。


『これ戦う必要あるのかの……』とケルゲレン。『確認しておこうか。ケットシーとやら、何故我々クヌーズオーエ解放軍に襲撃を行う。我々がクヌーズオーエ解放軍、という組織なのは認識しておるか?』


『怪人ペンギン男はクヌーズオーエ解放軍のスチームヘッド。そういう設定なんだ。覚えた』


『いや怪人て……。そちらは何と戦っておるのかも分かっておらんかったと見える。問答無用で破壊しに来ているわけではあるまい? 話し合う余地があるのではないか? こちらもなし崩し的に敵対しておる程度じゃし』


『余地なんて無い』と即座に返答があった。『スチームヘッドは全て殺す。それがヒナたち葬兵の使命。スチームヘッドは一機残らず殺すの。ヒナたちは皆の安心を守るヒーロー。マガツ・モノノケは全部倒す。でも一番厄介なのはスチーム・ヘッドのマガツ・モノノケ。狂いながら永久に戦い続けないといけない。だからスチーム・ヘッドは全部そうなる前に楽にするの。それにスチーム・ヘッドは強いからかっこよく殺せばテレビの前の人たちは皆夢中になる。みんな喜んでお金も沢山使う。経済が回れば暮らしが豊かになる。ヒナたちにもスポンサーが新しい玩具を売るために新しい武器をくれる。良いことしか無いしヒナはヒロインだから。だからスチームヘッドを殺す』


『その割には……』ケルゲレンはやや口ごもった。『こうして対話ができているではないか』


 できてるんですかね、とグリーンが曖昧な調子で呟く。


『テレビは事前の打ち合わせが一〇割。今は打ち合わせ段階みたいだからまだアクションはしない。あと相手があんまりやる気無い感じなのにいきなり襲ったりすると視聴者からクレーム出る。スチームヘッドとマガツ・モノノケ以外を殺すと……特にクレームが凄い。感染疑いの人間の収容所を葬兵全員で襲撃した時なんて酷かった。違法サイトに動画がアップロードされて、たくさん低評価が付いてしょんぼりした』


『待ってほしい。感染の疑いがあるだけの、人間を殺した?』


 リーンズィは手甲の両手を握り込み、拳闘の構えを定める。


『WHOの関係機関としては看過できない発言だ。君たちが非難されるのは、道理というもの。殺す必要などない。感染者はまず安静な状態で保護し、状態の経過を観察するべき』


『でも感染疑いが何十万人もいるならどうしようもない。違う?』


 リーンズィは一瞬だけ返答を迷った。

 不死病は、罹患者が死亡して蘇生するまでは、そうであると決定的な診断を下せない病である。

 特異な症状である不死性――いかなる損傷や環境の変化にも適応する能力も、デッドカウントが始まる以前の段階ではほとんどの場合発現しない。本格的に発症しても意識が完全に消失するまでは時間がある。

 不死病なのか、不死病でないのかの鑑別には、相応の設備と時間を要する。数万、数十万の感染疑い例を同時に処理するのは現実的には不可能に近い。

 

 そして一つの文明圏を与る組織では、当然早急に鑑別を終了させなければコストと危険性が無制限に膨れあがる。

 なるほど、感染疑いの人間を残らず虐殺するというのは、理に適った判別法である。蘇れば不死病、そうでないなら不死病ではなかったということだ。

 残るのは不死病患者だけであり、単なる同一症状患者は死んで終わる。


 しかし、それでも超えてはいけない一線というものが存在する。


『合理性は否定しない。だが個人の尊厳を無視した合理性は、肯定されるべきではない。君たちは、それを拒否するべきだった』


『うん、ヒナたちもおかしいって気付いてた』

 意外にも、声音は真面目なものだった。

『葬兵はマガツ・モノノケになって苦しんでる人たちを救うヒーロー。まだヨミガエリでもないヒトを斬るのは、間違い』


『ならば何故』


『想像して。収容所では四人用の部屋に二十人も押し込まれていて、どこもかしこも酷い匂い。大小糞尿、嘔吐物、出血で水浸し。食べ物もないから皆それを啜っていた。そんなふうな扱い。みんなまだ死んでないのに殺してくれって言うの。ヒナたちに縋って、殺して、楽にしてって。ヒナたちもこれならヨミガエリになった方が楽だと思った』


『それでも……』リーンズィは逡巡した。『それでも殺すべきでは無かった』


『あなたは正しい。だから、新しいシーズンだなって分かったの。戦う敵が代わったんだなって。ヒナたちは騙されたわけ。だからちゃんと次の敵を探した。黒幕っぽいプロデューサーを殺した。テレビ局の皆の次は、経済共同体のエライ人たち。健康労働省とか環境衛生省とか……ふふ。ヒーローってそういうもの。弱きを助け強きを殺す。その後弱きも殺す。。悪を倒したの。これからも殺して、倒し続けるの。そうするとみんな喜んでヒナはヒーローになれる。極東ではみんなキラキラした目でヒナを見ていたよ。ケットシーが来てくれたって喜んで死んでいった』


 ケルゲレンも、グリーンも、無線越しに戦慄した様子だった。

 リーンズィも繋げるべき言葉を見失った。

 それぞれの属していた歴史において東アジア経済共同体が存在したのか、そしてどうなったのか、互いに理解してはいない。あるいは、ある分岐においては、未だアジアの諸国は連帯しておらず、異なる組織として活動していたのかも知れない。

 どうであれ、ケットシーを名乗るその少女の発言が意味するところは、たった一つだ。


『東アジア経済共同体は、どうなったのだ?』



 少女は平然と応えた。


『今は知らないけど。また違う誰かが住んでるのかも。ずっと前だし。でも苦痛に悶えて、辛くて悲しくて、それでマガツ・モノノケになるようなことは、もう無くなった。ヒナたちが頑張ったから。残らずヨミガエリになるまで、一生懸命感染させて、それから殺して、殺して、殺して、殺したの。ふふ。一日何人斬ったっけ。すごかった……連日連夜、ゴールデンタイム以外もずっとテレビに映ってた……』


 リーンズィは動揺することなく正確に思考を紡ごうとした。

 東アジア経済共同体は、滅亡しているのだ。

 あるいは、病ではなく、人間の手によって。

 彼女の歴史において、まさにケットシーたちが崩壊させたのだ。


 葬兵という組織の実態は不明だが、おそらくは治安維持を目的とする戦闘用スチームヘッドの集団だろう。

 彼女らの主導でクーデターが勃発し、それが際限なく拡大したのだ。そして経済共同体を覆った戦乱は、最後の一人をヨミガエリ――つまり不死病患者に変えるまで続いた。

 

 戦慄しているケルゲレンたちをよそに、グリーンはすぐに思考を切り替えたらしく、交渉を再開した。


『ケットシーさん。どうにか、その撮影とやらを止めてもらうことはできませんかね。我々解放軍の間では、あなたには破壊命令が出ている。いざとなったら我々はあなたを壊してでも止めないと行けないわけです。殺すじゃない。壊す、ですよ。分かりますか? でもそれは本意ではない。こんな時代です、生き残りのスチーム・ヘッドは、協調すべきです。仰ることも分かりますよ、可能ならスチーム・ヘッドなんて不健全なものは全て機能停止させるべきでしょう。しかしそれはまだ先で良くないですか。仕事は山ほど在るんだ。ここはね、平和な形でことを納めたいのですが……』


『それは……もっとすごい敵とか悪がいて、そっちとみんなで戦ったほうが取れ高が高いとか、そういうこと? でもここは怨敵シィーの情報をゲットする場面だし、あんまり葛藤とか無くお父さんと同じ調停病疫局の人と活動するのダメだと思う。視聴者が納得しない』


> どうするんじゃ? やる気のようじゃが。

 とケルゲレンからアルファⅡモナルキアのエージェントへの暗号通信。

> いちおう調停防疫局の見解を重く見て、時間稼ぎはした。しかし見るからにやわそうな娘っ子じゃろ、援軍を待たずとも全機で飛びかかれば殺して止められるのではないか?


> いけません、ケロ様。もう少し堪えてください。


 これはミラーズからの忠言だ。


> しかし、ワシらが敵わんとは思わんのだがなぁ。


> ダメだ。もう少し待ってほしい。実際に刃を重ねた私には分かる。


 ついに5000ミリ秒が経過した。


> 彼女には、現状、何をしても無意味だ。


 ケルゲレンには、全てを伝えた。

 リーンズィは、ヒナ・ツジ、ケットシーを説得できるとは、本気では考えていなかった。

 住んでいる世界、観ている光景が丸きり違うというのが、対面で会話したリーンズィには理解出来ていた。表面上は会話が成立してしまうというのは厄介なことだ。和解が可能であるかのように錯覚してしまう。

 だが、まともな理屈で行動していない以上、


 ケットシーとの会話を長引かせたのは、あくまでも解放軍の機体が集結するまでの時間を稼ぐためだ。

 そして、ついにその時が来た。



『こちら警邏二番分隊! 警邏一番分隊、無事かぁ!?』

『三番分隊目標地点まであと50ミリ秒!』

『四番分隊目標地点を視認! 持ちこたえろ! あれ、戦闘してないのか?』


 近隣区画を捜索していた分隊が、ようやくオーバードライブ状態で接近してきた。

 道路の彼方に駆けてくる影が見えた。

 まずは五機のスチームヘッド、一機のパペット。

 ジャミングのせいで無線が安定しないが二番分隊だろう。


『あっ、この人たちを待っていたの。沢山いたほうが絵になる、リーンズィさんは慧眼』と勝手に納得した様子でケットシー。『それじゃあ戦闘BGMスタートするね』


 リーンズィたちの脳内にアジアンテイストを取り込んだメタル調の音楽が響き始めた。


『うわ、何か聞こえ始めましたけど……これ何なんです? マジでもうお互いごめんなさいで手打ちにしませんか隊長』


『えっと、説明するね。音楽が聞こえたらヒナが戦う合図』

 ケットシーが戦闘機の機首に似た奇妙な器具を構えた。当然のように不朽結晶連続体だ。

『あなたたちももう殺して良い?』


『実は私たちは少し手順を間違えて到着した、本当はもっと後から来るグループなのだ』リーンズィは嘘をついた。


『リーンズィ?』とケルゲレン。『援軍もいる、戦闘を始めても……』


> 戦闘を観察しての再考を求める。


『アアアアアアアアアアララライ!!!』


 無意味な雄叫びを上げながらロングソード型不朽結晶武器を構えたスチームヘッドの一団がアスファルトを踏み砕き白煙を上げながら突貫してきた。

 いずれも二〇倍のオーバードライブに問題なく対応している高性能機だ。


『ああ? なんだあの美人は! 変な服のレーゲント……じゃない、そいつが首斬り兎かぁ!? 何ぼやぼやしてる、さっさと斬れよ一番隊!』


『停戦交渉中なんですよ』とグリーン。『そこから見て分かりませんか?』


『交渉ぉ? そんなもん手足切り離して、胴体串刺しにしてからでも遅くないだろうがよぉ! 日和ってんじゃねえぞ! 行くぞォー!! ああ!? 待て、何か変なBGM聞こえる、何だこれ!? ハッキング!?』


『ですよねぇ。至極真っ当なこと言われてますけど、ケロ隊長、どうします?』


『まぁ黙って見ておれ』

 ケルゲレンが翼型装甲板の手で制する。

『見極める必要がある、彼女がどれほどの機体かを』


『JFスライマンの一番槍だぁー! このガキ、股ぐらから頭までぶち抜いて……』


 雄叫びを上げてスチームヘッドの一機が飛びかかった瞬間。


『――蒸気抜刀・疾風シュトゥルム


 停滞した時間の中で、廃屋の窓辺が爆裂した。

 くすんだ灰と透き通った蒸気。それらの入り交じった斑のメイルストロムが冬空に迷い出た入道雲のように膨らんでいる。

 断崖に打ち寄せる波濤の如く荒れ狂い、硝子の抜け落ちた朽ちた枠にぶつかり砕け散る蒸気の奔流はしかし、時間に溢れていく隙間を見つけることが出来ず、その場で凍り付く。


 もはやケットシーの姿は無い。

 その行き先を示すように、飛び立った蒸気の軌跡が一つ。


『目標ロスト!』

『どこですか?!』

『さらに加速したと言うのか!』


 ヴァローナの瞳が俄に赤い光を帯びる。

 辛うじて行動の軌跡を捉えていたリーンズィが慄然として呟く。


『やはり私たちでは、本気を出した彼女の相手にはならない』



 

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