黒髪のストレイシープ④

『それじゃあ脱がしちゃうね』


 不意に脳裏を過ぎったのはレアとリーンズィのこと。

 真っ白な指先が布地を這い、隠されたボタンを探り当てる。何も抵抗できないリーンズィの突撃聖詠服が、ボタンを一つ一つ外されていく。

 無論、何をされても、オーバードライブ環境下では無意味だ。

 だが生理的な嫌悪感が凄まじい。


『ううん、オーバードライブでこういうのするの初めてだし……どうしようかな。まだ0.9秒ぐらいかな。時間あるね。それまでにもうちょっと関係を深めよう?』


『……?』


『この壊れたハルバード、丁度良い。これをあなたの内臓に押し込むの』


『何を……?』リーンズィは呆然とした。『何を言っている?』


『体液は交換しないとね。えい』


 少女は躊躇無く自分の腹に斧槍の残骸、石突きの突起を突き刺した。

 引き抜かれ、血濡れの杭と化したその凶器を、今度は無防備に外気に晒されているリーンズィの、服を開かれた腹部へ宛がう。

 演算された冷たい感触に、リーンズィは上ずった声を無声通信に零した。

 少女はスカートの下から足を出し、膝を石突きとは逆側の先端に当てた。


『綺麗な肌……そういうの好きだよ。今から、このハルバードを思い切り突き込むからね。どんな感じだろうね。冷たい塊が背骨まで全部貫いちゃうよ』


『こ、こんなことをして……何の意味が……』


『血を塗ったでしょ。ここにあなたの血も加わるの。体液の交換だね』


『何を、何を言っているんだ!?』リーンズィはもう訳が分からなくなっていた。


『お腹の中にこんなのが入ってくるなんて怖いよね。次の敵役が登場するまでに何秒かかるか分からないけど、その間あなたはずっと動けず、お腹の冷たい鉄の塊に悶えるの。正直に白状すれば、すぐに抜いてあげるよ。でも最後まで我慢するのが一番。そういう我慢強い子ほど人気出るし。大丈夫、みんな始末したら、ちゃんとたっぷり可愛がって、自我を優しく消去してから、殺してあげる』


 腹膜を突き抜けてめり込んでくる異物感に、リーンズィの感情とは無関係に肉体が恐怖の信号を発した。

 

『や……やめ……やめて!』


『やっぱり生きてた頃のこと思いだす? 苦しいと思うけど……乗り越えないと次の台本には載せてもらえないよ。もっとテレビを見ようね』


 膝が石突きを蹴り込もうとした、その瞬間。


『そこまでです、この異常者!』


 窓から蒸気噴射の煙を身に纏った小さな影が、金色の翼の如き髪を棚引かせて現れた。

 黒髪の少女の迎撃は即座だ。


 弾丸のような突撃を軽くいなし、『さっきの金髪の子。やっぱりレギュラー? 可愛い人。あなたもきっとテレビの人だよね。今日は久々に賑やかな撮影になりそう』と無表情に歓喜の声を上げた。


『リーンズィ、大丈夫ですね! 遅くなりました! この距離まで近付かないと通信が出来ないなんて……なんてことです?! ほとんど裸じゃありませんか! それにその……お腹はどうしたんですか!?』


『ま、まだなんとか無事。怖かった……』


 注意がミラーズに割かれたため、多少強引にでも動くことが出来た。

 リーンズィは腹のハルバードを引き抜き、磔にされていた両手を強引に動かして固定具となっていた不朽結晶短刀から脱して、さらにはそれらを武器として握った。

 突撃精鋭服による被装甲部位確保のために、素早く一番上の留め金を閉じて裸体を申し訳程度に隠す。


『ミラーズ、見ての通り、敵はシィーではない。未知のスチーム・ヘッド、葬兵を名乗る機体だ。我々では勝てない。ケルゲレンたちと合流しないと』


『……シィー?』


 通信を傍受した少女の声が突如として無機質なものになった。


『今、シィーって言った?』


『何もさせないわよ!』


 ミラーズは蒸気噴射を多用しながら壊れたカタナを振るい、剣戟の嵐に少女を閉じ込めようとする。かつてヴァローナを封じたのと同じテクニックだ。

 だがどんな剣戟も容易く捌かれてしまった。

 慣れや反射によるものではない。

 あたかもそれを何年も前に見て、見飽きたのだ、とでも言うように。


『その技……』少女はぼそぼそと囁いた。『やっぱりシィーの剣だ』


『何なのよこの子?! シィーの技がまるで通じない! こんなに効かないものなの?!』


『離脱だ! 離脱するしかない、勝てない!』


『逃がさないよ。あなたたちには、ここで何もかも吐いてもらう』


 不可思議な三次元軌道からの一撃が、ミラーズに襲いかかる。

 練度が違う。速度が違う。

 ミラーズでさえも、これを凌ぐのに精一杯だ。

 返す刃までは防げない。


『あ……これ、ここであたしたち、終わり……?』


 無音の突風が突き抜けた。

 ――窓から新しい影が突入してきた。


 ケルゲレンではない。

 それは、槍だ。槍のごとき大型不朽結晶弾頭。凄まじい速度で突入してきて、蒸気噴射を繰り返し、室内で静止した。

 方位磁針のようにくるくると回転して、穂先を少女に向けて、停止する。

 ミラーズに固執していた少女が何かを察知した。咄嗟に身を躱すが、槍弾は内燃機関を作動させて蒸気噴射を実行。

 当初の突入角度とは異なる方向、少女の移動地点へと軌道修正して爆発的に急加速した。

 黒髪の少女は細かく蒸気を噴射させて軌道を変化させているが、追尾する弾頭にはレンズらしきものが埋め込まれており、少女の回避運動を余さず補足して的確に軌道修正を繰り返している。加速された時間の世界で急停止して、複雑な軌道で照準を修正、また加速して追尾を続行する。

 追われる少女は、しかし歓喜の声を上げていた。


『簡易人工脳髄搭載型追尾誘導貫通弾! こんなものまであるなんて! 今の装備じゃ対応出来ない。でも死なない程度のやつ。そうよね、こういうのが無いと! 分かったよ。やっぱり今日から新シーズンなんだ!』


 リーンズィは窓の方向を見遣る。

 

『ハンターの狙撃支援……か?』


 こんな奇怪な『狙撃』は見たことが無いが、何にせよこの槍弾のおかげで脱出するまでの道程が見えた。

 この貫通弾は相当に厄介な代物らしく、少女もその対処に掛かりきりだ。リーンズィとミラーズを攻撃する手が止まっている。

 おかげで不朽結晶短刀で己の両脚を斬りつけて再生を促し、強制的に麻痺を解消する程度のことは出来た。


 それでもリーンズィたちが攻撃を仕掛ける気になれなかったのは、どう考えても自律飛行する不朽結晶の槍が黒髪の少女を貫く場面を想像出来なかったからだ。


『リーンズィ、引くなら今よ。ケルゲレンたちと一緒なら何とかなります!』


 手を借りながら起き上がり、二人して全速力で窓から飛び降りる。

 その間際、リーンズィは振り返った。

 少女は素手の拳の甲で槍弾の軌道を反らし、無関係な壁に突き刺して止めることに成功していた。

 跳躍した二人を、オーバードライブ突入に成功していたケルゲレンとグリーンが受け止め、そして無線通信で困惑の声を上げた。


『ど、どんなバケモノが相手なんじゃ?! 二人ともめちゃくちゃではないか! リーンズィも可哀相に。……あと何で服を脱がされておる?』


『酷いことされそうになった……女の子に……』


『どういう状況じゃ!?』


『武装はなんだった?』と自動散弾銃を構えたイーゴ。『弾幕は通じるか?』


『殆ど非装甲だ。生身の部分に当たれば通じる……でも当たらないと思う。スマートバレットを最低限の動きで全部無力化した』


『そのレベルで速い機体か。ハイエンドの上位機だな。厄介だ』


『あと、特徴としてはやはり蒸気噴射による三次元軌道だ。仕掛けてくる手筋が見えない。でも近接格闘装備しかないシンプルな機体構成だ。その点を攻めれば何とか……』


 そのときだった。

 廃屋の二階に、突如異常な加速を加えられたコンテナが突っ込んだ

 壁を爆砕しながらそのまま室内の奥まで滑り込んでいく。

 オーバードライブされた知覚でも理解できるほどの高速。

 おそらくは遠方から目一杯電磁加速された上で射出されたものだろう。


『……厭な予感がしますね』とグリーンが四本の腕を展開しながら呟いた。


 チープ・ユイシスの声が脳裏に響く。


> 解析結果を報告します。


 今更、などと言ってはいられない。少しでも情報が必要だ。 


> データベースの全走査を完了。該当する機体を確認できません。

> しかし、過去に同系列機と遭遇していることを確認しました。


『同系列機……!?』リーンズィは瞠目した。『機体種別が分かったのだな? 分かったの?』


> シグマ型ネフィリムと推定。極めて高い拡張性が特徴の機体です。


『シィーと同じタイプだ。やはり彼女は別世界のシィーなのか?』


> 否定。不明スチームヘッドの所属の推定が完了しました。レコード内に合致の高い人物を確認。


 ビルの二階の窓から姿を現した少女は、地表に展開したケルゲレンたちを見下ろして、どこか恍惚とした声で歌った。


『ラウンド2は……強そうな人がいっぱい。久々にこれを持ち出す甲斐がある。コスパ悪いけど人気ある武器だしスポンサーの人もすぐ補充してくれるよね』


 先ほどとは、全く違う装備をしていた。


『どこがシンプルなんだ?』とイーゴが呻く。『あの装備は何だ?』


『分からない。とにかく違う装備になっている』


 有り体に言えば、それは翼に似ている。

 カタナ・ホルダーと蒸気噴射孔を兼ね備えた六枚の増加装備。

 腕にはレシプロ戦闘機のノーズに類似した奇怪な装備を抱え、背中の蒸気機関も戦闘機然とした大型のものに換装されている。


『……さっきのコンテナかのう』


 そう考えるのが妥当だった。おそらくは彼女のために送り込まれた追加兵装が満載されていたのだろう。


『いくつ……いくつ武器を持ち込んでるんですかね、あいつは』


> シィーより取得したレコードの一部を再生します。


 状況とは関係なく、チープ・ユイシスの報告は事務的に進んだ。

 それは記憶の断片。



> ふとシィーの脳裏に浮かんだのは、遠い昔、病床の窓から外を見下ろして、庭に咲く花の名を尋ねてきた我が娘の幼い横顔だ。

> 「あの紫の色の花。なんて言うの……」

> 当時のシィーにはとても応えられなかった。ミセバヤという花だと分かったのは後のことだ。


> 「ん? ああ。その時の記憶はバックアップされてないから検索しても分からんか……たぶんヒナにやられた。俺の娘だ。どうやってこんなとこまで来たのか知らんがね。まぁ、俺は満足だよ……」



『そんな……』


 リーンズィは言葉を失った。


『あれは、シィーではないのか。シィーではなく……』


> 目標スチーム・ヘッド……。

> 東アジア共同経済体、悪性変異体掃討部隊『葬兵』の第一位。


 短いスカートの裾をはためかせ、漆黒の瞳と美貌を持つそのスチーム・ヘッドは。

 かつての儚げな面影も無く、絶対の殺戮者として地上を睥睨している。

 次の得物たちを。 

 次のトロフィーを。

 次の『テレビ番組』に登場する悪役たちを。


> シグマ型ネフィリム、仮称<首斬り兎>。


『みんな殺しがいがありそう。新しいスポンサーもついてくれるかな。嬉しい』


 少女はそのとき、ようやく、花のような可憐な微笑みを見せた。


> 異相世界の調停防疫局が、過去に東アジア経済共同体に提供した機体です。

> 素体はエージェント・シィーの実娘。

> 個体識別名は――シィー



> 雛・辻ヒナ・ツジ

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