黒髪のストレイシープ③
戦慄している猶予は無い。的確な防御は相手の攻撃行動を無力化し、ごく短時間だが反撃の機会を与えてくれる。
ここで捉えたペースを相手に返してはならない。
リーンズィは斧槍を、壁として利用すると決めた。自分から斧槍に肩でぶつかっていく動きを選択し、斧槍の柄を面とし、間接的に少女を押し返す。
こちらを爪先で抑えている状態ならば、この衝撃には対応出来まい。
相手の白い大腿が伸縮し、黒髪の少女がバランスを崩したと確信したタイミングで、リーンズィは斧槍を改めて掴んだ。
相手の足に絡めて地面に引き倒そうとした。
その瞬間に少女は剥き出しの大腿部や足首部分に装着したギアを起動させていた。
噴射した蒸気で完全に崩れていたはずの姿勢を強引に制御。
さらには背中に取り付けた蒸気噴射孔の力を借りて、身体運動の常識を無視した動きで距離を取ってきた。
人間にそんな動きが易々と出来るわけが無い、という驚愕がリーンズィの体を強張らせる。
だが事実として、少女はそれをやってのけた。
そして距離を離した少女の全貌を目の当たりにして、リーンズィはさらに混乱した。
あるいは全盛期のシィーならばこういう戦闘機動を取るのかも知れない、という処理はできたが、どうしても自分が目にしているものが理解できなかった。
――少女は、学生服を着ていた。
海兵風の学生服だ。
それ以外に適切な形容が無い。海兵服に似た独特の意匠は旧日本文化圏に特有のものだ。
視界には『破壊不可:高純度不朽結晶連続体』の文字が表示されている。
レーゲントたちの行進聖詠服と同じく不朽結晶で編まれた服なのだと理解出来たが、防具として全く機能していないという点で、異常性の度合いが桁違いに高い。
弾丸を受け止めること刃を受け流すことも出来るようには見えない。まともに布地があるのは上半身とスカート型の腰部だけで、腹部や脚部を全くガードしていない。その上半身にしても急所である脇部は剥き出しになっており、真正面から心臓を攻撃される時以外は不朽結晶による防御能力など望むべくもない。
脚部は余さず無装甲の状態で、病的に白く艶めかしい大腿部には蒸気甲冑のフレームが添えられているだけだ。
なおも異様なのはスカートに内側であり、蹴りをまともに受けたリーンズィにはそれが明確に視認できた。
黒髪の少女の股間部はレース状のショーツによって保護されていた。不死病患者にせよスチーム・ヘッドにせよ下着を身につけることには何のタクティカルアドバンテージも無い。その上で、戦場にランジェリーを履いて出てきていることについて合理的な説明が一切思い浮かばなかったが、状況はより深刻だ。
その冗談のような下着にさえ『破壊不可:不朽結晶連続体』の文字が表示されていたのだ。
何もかも理解不能だ。装飾性の高い、通常のランジェリーのようなものを、わざわざ不朽結晶連続体で作成する。それはもはや悪夢的ですらある。網目状の構造によって、おそらくは通常の下着と同様に伸縮するのだろう。これほど緻密な構造の不朽結晶繊維服は見たことが無い。
永遠に朽ちず、壊れない物体で編まれているにも関わらず、
おそらく誰にも理解できないだろう、とリーンズィは自分に言い聞かせた。
自分の経験が足りないことに起因する混乱では無い。この少女は――不明なスチーム・ヘッド、仮称<首斬り兎>は、まともな機体では無い。
出で立ちも異常なら、纏う気配すら異常だ。並大抵の練度では無かった。肌を隠してはいるものの、防御面では何も着ていないに等しい装備だ。斬ろうと思えば幾らでも斬れそうだが、しかし斬りかかれる隙をリーンズィは見いだせない。
『もしかして聞こえてる? 反応したよね。この通信回路を使える。しかも同じぐらいの速さで動ける。すごいね。やっぱりテレビ局の人でしょ。美人だもんね』
少女がゆらりと上体を揺らし、胸を反らしながら問いかけてくる。
乳房は袋状の繊維服で覆われており、その動きや呼吸に合わせて無闇に形状を変化させた。どうやら海兵服型の外装と袋状の部位との二重構造のようだ。乳房の変形が外部からある程度分かるようになっているらしい。
何であれ、そんなものを作成する意味は一切無い。
『聞こえたの、
> 報告。使用中の周波数を解析、シィーと同一です。
だがシィーでは無い。
所作も背丈も声音も視線も何もかもシィーとは異なる。
理解不能な服装に加えて、少女にはどうしても無視しがたい点がある。
首輪型人工脳髄だ。
彼女は、調停防疫局しか持ち得ないそれを、何故か装着している。
何なのだ、これは? 自分は何と戦っている?
混乱に苛まれながらもリーンズィは問いかける。
『君との交戦は望んでいない。所属と階級を問う』
『東アジア経済共同体。葬兵の第一位だよ。知らないの? あなたもテレビの人なんだから知ってるはず。交戦を望んでいないっていうのは古い脚本? こんな美味しそうな大部隊を用意してくれてる。交戦しないなんてあり得ない。視聴率最近落ちてそうだし、テコ入れなんでしょ? それか新しいシーズン第一話? とにかく蒸気抜刀を防がれたのは久しぶり。今日は撮れ高良さそう。とても嬉しい』
相変わらず発言の意味が不明だ。
『東アジア経済共同体の葬兵』という単語には聞き覚えがあるが、今のリーンズィにはレコードを探す余裕が無い。
目には見えないどこかの誰かに向かって己の魅惑的な肢体を強調しているだけにしか見えないこの無表情で真っ白で真っ黒な少女が、次にどんな一手を繰り出してくるのかさえ予想出来ない。
否。蒸気抜刀?
そうだ、蒸気抜刀。それを強調していた。
おそらく圧縮蒸気を利用した独自の戦闘技巧の名前だろう。
『……その制服は? 学生なのか?』
少しでも意識を削ぐために質問を重ね、攻勢に移る隙と、ミラーズやケルゲレンたちが援護に駆けつけてくれるのを期待する。
実時間ではまだ0.1秒も経過していない。
救援は――まだ来ない。
途端、リーンズィは愕然とした。
蒸気機関を使用していないせいで熱量は劇的に変化しない。
この部屋の外では、即座にはオーバードライブの起動を感知出来ない!
ミラーズはともかく、ケルゲレンたちの援護は絶望的だ。
『違うけど、こういう服着てると、視聴率が上がるの。えっちだから』
『視聴率が……? えっちだから……?』
『単純だよね。でもそれがテレビで、テレビを見た人が元気になるし、それはヒロイン冥利だよね。可愛いでしょ。この制服好き。視聴率が上がるとスポンサーの人が新しいオモチャ作ってくれるのも好き。あなたは何色?』
学生服の姿が残像で滲んだ。
とりとめの無い言葉の奔流を浴びせながら飛びかかってくる。直線では無い。まるで跳ね回るガム・ボールだ。
ウサギの渾名は間違いでは無かった。蒸気噴射で加速しながらありとあらゆる平面を跳ね回るウサギ。
その三次元機動はヴァローナの瞳によって『見た』としても反応が難しい。
少女の背中の中規模蒸気機関が起動し、折り畳まれていた骨だけの翼のような蒸気噴射孔から蒸気噴射が始まる。
空中で身を捻ったかと思えば少女の手には新たな不朽結晶の短刀が握られている。
外骨格のそこかしこに予備の短刀が仕込まれているようだ。
『
太刀要素は無かった。蒸気噴射で不規則に移動しながら突撃し、異様な速度で斬りかかってくるだけだ。
ヴァローナの瞳を最大出力で起動させながら、左右も天地も無視した出鱈目な斬撃の嵐を、辛うじて斧槍、そしてガントレットの甲で弾く。
武器の結晶硬度で劣るため、攻撃を受けるたびに劣勢となるが、未来予知にも等しいヴァローナの瞳の力を借りればどうにか捌ける。
ただし、刃を止めてもついでとばかりに容赦なく叩き込まれる足技や肘打ちまでは防御できない。
『ぐ……!』
少しずつダメージが蓄積していく。
おそろしいことに、ここまでの猛攻だというのに、時折垣間見える少女は人形のような顔に、どこか恍惚とした笑みを浮かべている。
リーンズィを嬲って楽しんでいるのだ。
『あは。すごいすごい。葬兵でも上位クラスだよ。その顔はそのままにしてあげる。とっても好み。キスしたい。必死な顔、可愛い。 ねぇ、武器を降ろせば一晩は殺さないであげる。仲良くしよ。とっても楽しくしてあげる。テレビで流せばきっとたくさんのファンが付くよ。昔のスキャンダルも利用して強く生きてね。視聴率さえ取れればそれで良いんだよ』
『君は……君は異常だ』
『視聴率を気にしないのが変なの。あなたはまだ知らないんだね。この世界のヒロインとして教えてあげる。皆を元気づけるのがテレビの人の役目なの』
『さっきから、テレビ、テレビと……。これはテレビでは無い。現実だ』
『テレビだよ。ちょっとだけ過激なヒーローショー。誰よりも素敵で、ちょっと残虐。そして何より敵を倒すと皆喜ぶ。テレビショーだよ。知らないの? テレビで毎日放送してるよ』
ふざけた言説を垂れ流しながらも刃の嵐は止まらない。
あろうことかリーンズィの防御が崩れたタイミングで体を密着させ、胸を触り、唇に触れてくる。危うく振り払っても、反撃にならない。一方的に弄ばれている。
遊ばれていた。
慈悲や喜びからでは無い。
ウンドワートのようない自分の力を誇示するためですらない。
彼女の言動からこの不可解な行動の理由を推定すれば――。
それは『そうしたほうが視聴率が取れるから』だ。
狂っている。
だが強い。圧倒的に強い。
これまで多くの機体が、自分が置かれた状況を理解する間もなく葬られてきたのは必然である。
あるいはウンドワートにも匹敵するかもしれない。
次元が、違う。
勝てない、とリーンズィは悟った。
この機体には勝てない。
装備にも思考にも、まともな要素はまるで無い。
だが、戦闘能力が極端に高すぎる。
振るわれる刃の速度は加速し続けている。
迎撃のためにぶつけるガントレットも破壊されつつある。
心臓を一突きにしたり首を刎ねたりしないのは、おそらく――見栄えの良い技で攻めたほうが『視聴率』が良いからだ。
少しずつ服を剥ぐ目的もありそうだった。
テレビ。テレビ、テレビ、テレビ、テレビ……。彼女は得体の知れない『テレビ』に行動の基軸を置いている。扇情的な海兵服も、防御力の無い不朽結晶繊維の下着も、全ては衆目に阿って『視聴率』とやらを稼ぐためのもの。
理不尽の権化だ。
何もかもが狂った価値観で活動しているというのに絶対的に格が違う。
圧倒されているリーンズィの背後で、伏兵たるスマートブレット・パッケージがようやく炸裂した。
不意打ちになるはずだった。
精密誘導された十二発の飛翔体がマッハ3の速度でセーラー服の少女に突き刺さる。
『珍しい武器。やっぱり予算が凄いね。新シーズンの一話?』
だが少女は無傷だった。
弾丸の半分は回避され、半分は命中した。
ただし、それら全てを外骨格、刃と言った不朽結晶装備で受け止め、あるいはペラペラの学生服の布地で滑らせて無力化している。
そんなことが有り得るのだろうか。
有り得るのだ。
この規格外のスチーム・ヘッド、葬兵を名乗るこの少女には。
まだ0.5秒しか経っていない。
こんな相手に三秒も持ちこたえることはできない。
では窓外に脱出するか?
不可能だ。後ろから蹴られて、這いつくばらされて、嬲られて、首を根元から刎ねられる。きっとそれで終わりだ。
『まだ貴女の仲間は来ないね。そろそろ絵に変化がほしい。拷問でもしようかな』
『う、ぐっ……』ガントレットで必死に刃を弾く。『私を拷問しても得るものは無いぞ』
『あるよ? 綺麗な女性が許してくださいって泣きわめいて、そのうち自分からもっとしてって懇願するようになる。そしたら視聴率は上がる。それが資本主義だし、テレビの世界だよ』
リーンズィは剣戟を捌きながら心の底から泣きそうになった。
この少女の言葉には、行動には、真実、何も意味がないのだ。
そのことが分かりつつあった。
言っていることは意味不明であるにせよ、表層的な行動原理は分かった。
制服と言動を見れば、ある意味では一目瞭然だ。
スヴィトスラーフ聖歌隊の行進聖詠服よりも、さらに純粋に意味がない真っ黒な
ではこの装備はいったい何なのか?
ユイシスに質問する必要もない。
これは、コスチュームだ。
商業主義的な価値観、そして『テレビ』で活躍するヒロインとしての装束。
本物のシンボルとしての衣装。
本物の英雄としての制服。
彼女は通常の倫理観の中で活動していない。
きっとこの世界を『テレビ』と信じている。
これまでの解放軍襲撃も、きっとおそらくは存在しない『テレビ』の視聴率とやらを稼ぐために気紛れに襲っていたのだ。
そうしているうちに、致命的な瞬間が来た。
天井を蹴って突貫した来た少女を迎撃しようとしたが、蒸気噴射でタイミングを外される。
ガードのために斧槍の柄を掲げたが、それも呆気なく両断されてしまった。
咄嗟にカタストロフ・シフトを起動する。
一瞬だけ滅亡した世界へ退避し、彼女の背後を突ける位置に移動して、帰還した。
その瞬間に喉を掴まれた。
『な――?!』
『瞬間移動なんてすごい。でも背後を取るのはダメだよ、テレビで何回も見たもん。なんでみんなそうするんだろうね? お約束なんてすぐ分かるのに』
そのまま壁際に投げ飛ばされた。
追い打ちで胸を強く蹴られ、壁際に押さえつけられる。崩れ落ちることすら許してもらえない。
両手を強引に持ち上げられ、ガントレットごと不朽結晶連続体の刃で縫い止められ、壁に貼り付けにされてしまった。
苦悶に歪むライトブラウンの髪の少女の顔に口づけをして、黒髪の少女は愛撫する仕草で突撃聖詠服の裾をまさぐる。
リーンズィは悲鳴を必死に抑えた。
『
突撃聖詠服の前合わせの隙間から射し込まれた手が、脚の素肌に押し当てられた。
『
蒸気噴射による掌底が、零距離からの打撃となってリーンズィの両足を震動させた。
神経系が麻痺して腰から下の力が抜ける。
血管系が崩壊し、神経系は迷走を起こし、もはや自分の意志では動かせない。
肝心なのは、
不死病患者と言えど、破壊を伴わない麻痺は、即座に治癒できない。
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