集められた道化師①
ブーツの爪先が、瓦礫の破片を踏み砕く。
不揃いな足並みはしかし、同じ方向に向かっていく。
兵士たちの足音が灰色の街に木霊し、そこに何拍か遅れて、大型のプレス機械が立てるような轟音が混じる。
部隊の殿を務める不朽結晶の巨人、スチーム・パペットの歩行音だ。無数のセンサーが周囲に走査光を断続的に照射している。
隊列に加わるリーンズィ、少女の柔肌を不朽結晶連続体の突撃聖詠服一枚で包んだ背の高いその調停防疫局のスチーム・ヘッドは、ライトブラウンの髪を揺らし、緑色の視線で敵を探した。
建造物の窓に影を探す、路地裏に刃の煌めき探す、屋上にマズル・ファイアの光を探す。
先の裏路地からふらりと現れた影に、斧槍を握る手を強張らせる。オーバードライブ突入まで意識した。
しかしリーンズィの頬へ向けて、傍らの金色をの髪をした少女、ミラーズが柔らかく手を伸ばし、それから指の背で頬から首筋までを撫でた。
ぴくりとリーンズィが身を震わせたのを確かめ、「ただの彷徨える者です。大丈夫ですよ」と囁く。
そしてみすぼらしい衣服と穢れ一つ無い肉体を持つ不死病患者に向き直る。ミラーズの細い喉が、囁くような声で、即興のリズムに乗せて、この世界のどこにも存在しない言語を紡ぐ。その不死病患者は呆然としたまま道路の端に移動し、何か心配事でも思い出したように、ゆっくりと座りこんだ。
そして永遠に動かなくなった。
「感謝する」と言いながらリーンズィが愛慕の表現としてミラーズを抱きしめようとした時だった。
「ほう、これは楽が出来て良い。戦闘も可能なレーゲントという話だが、どこでも節操無しか。文字通り何にでも使えるではないか。レーゲント風情を我ら精鋭部隊に組み込むなど、ファデルのやつめ、ついに発狂したかと疑ったものだが、使い勝手の良い女は大歓迎だぞ」
冷笑的な呟きを漏らしたのは、一行の中心を歩いている全身甲冑のスチーム・ヘッド――ケルゲレン・ド・トレマレックだ。
黒色の装甲と、二重構造の脚部が特徴的な機体だ。人間の脚部と平行する形で、通常とは逆方向の関節を持つ巨大な機械脚が追加されている。腕部の盾と剣を一体化したようなプレート状の増加装甲も目を惹く。
増加装甲には銃火器も仕込まれている様子で、極めて充実した装備である。
優秀なスチーム・ヘッドなのだろうと漠然と考え、評価を高めに設定していたのが、リーンズィはムッとした。
とにかく彼の言い方が気に障ったのだ。
リーンズィとミラーズは、<首斬り兎>討伐のための殲滅部隊に組み込まれ、街道を歩んでいた。
調停防疫局のエージェント二機、戦闘用のスチーム・ヘッドが四機、スチーム・パペット一機、計七機の編成である。
想定される<首斬り兎>の性能を鑑みれば些か頼りない構成ではあるが、六機を基本単位とした戦闘部隊が、同じ方角に向けて二十も投入されている。リーンズィの配属された部隊が七人編成なのはエージェント二機が純戦闘用ではないことを考慮してだろう。
二十の部隊の内、いずれかの部隊が<首斬り兎>を補足すれば、近隣の別部隊が瞬時に集結し、合計百二十機超の大部隊で攻撃を仕掛けるという算段だ。
それでも討伐が難しいようなら――百二十機の軍勢で敗北するというのも無理のある想定だが――予備兵力の待機している都市の中心部に向けて追い込んで挟撃。
なおも困難な場合は、大主教リリウム率いる不死の軍団で押し潰す。
徹底的で、これ以上は望みようが無い布陣だ。失敗の余地など存在しない。
それだけに、鏑矢として放たれた探索部隊の責任は重大だった。成功が前提なら、初動の善し悪しが全体の損失の多寡に直結していると考えても間違いではあるまい。
それだから、こんなふうに悪口を叩いてくるというのは間違いなのだ、とリーンズィはケルゲレンへと反感を覚えたのだ。
というのは後付けの理屈で、幼いリーンズィは理屈よりも感情が先に立つ。先天的に『最愛の人』として設定されているミラーズを侮辱された怒りに突き動かされ、少女の口先で「ミラーズは非常に優秀なエージェントだ、ペンギン隊長」と反抗的な言葉を紡いだ。
「おお、どうした、背の高いレーゲント。いいや、アルファⅡモナルキアの子機だったか?」
「私はエージェント・リーンズィだ」
「なるほどレーゲント・リーンズィ。で、その売春婦上がりが今何と言った?」
「ペンギンと言った、ペンギン隊長」
「我が輩はケルゲレン・ド・トレマレックだ」
「長くて言いにくいし、その変な大きい脚でよちよち歩いているところがペンギンそっくりだ。私は動物のビデオで観たので詳しい」
「動物のビデオ……まぁペンギンも鳥類、確かに動物だが……」
ケルゲレンはしばし沈黙して、それから咳払いした。
「口の利き方がなっていないんじゃあないかね。君らの元締めは客にそんな口の利き方をするよう教えているのか」
「君は客では無い。我々に元締めは存在しない。私は調停防疫局の代理人である」
「ほう、あくまで軍人であると主張するか。であれば、我が輩の方が、君らより遙かに軍歴は長いのだぞ。相応しい態度があろう。歴史あるノルウェー陸軍近衛部隊出身であるこのケルゲレンを指して、よちよち歩きのペンギンだと?」
リーンズィは険しい目つきのまま首を振った。
「軍人でもない。調停防疫局はWHOの武装した外部組織だ」
黒色の全身甲冑に納められた不死病患者は、それを聞いてあからさまに動揺していた。
「WHO? 世界保健機関のことか?」
「他にWHOはあるのか。あるの?」
「う、うむ……無いとは思うが……何故WHOが武装したスチーム・ヘッドを? 活動理念から離れすぎてはおらんか……」
ケルゲレンはやや怯んだ。
そこで隊列を組む一機が口を挟んできた。
「いやーでもですよ、ケロさんのエンブレム、モロにペンギンですよね」
見計らったかのようなタイミングだ。
いかにも軽い調子で話しかけてきたのは、リーンズィたちと肩を並べて前衛の位置に付く、近接戦闘特化型のスチーム・ヘッドだ。
不朽結晶連続体の装甲で隈無く覆っているが、ケルゲレンとは逆に具足の先端が異様に細く、登山用のストックと義足を組み合わせたような形状をしている。
さらには蒸気機関と肩部が増設されて腕が四本あり、全ての腕に『WATER!!! PEACE!!! GREEN!!!』という三行の文字と、銃火器で武装したデフォルメ野生生物の集団がエンブレムとして印刷されている。
一瞬だけアバターを表示した簡易型ユイシスが『要注意:複数の国家で要注意団体としてマーク』と警告を残して消えた。
「ほほーう? それで?」
ケルゲレンが元の横柄な声音に戻った。
「隊長であるこの我が輩をケロさんと言ったのはどこのテロリストだったか」
「やだなぁケロさん、今はただの、『グリーン』ですよ。誰でも無いグリーンです。仕事柄ペンギンには詳しいので、ケロさんがペンギンそっくり、という指摘も分かります」
「ほう、ほうほう。お前まで人をペンギン呼ばわりかぁ、グリーン。野良犬の如きテロ屋風情が、尊敬すべき上官に対して、まるで学者のような口を利くものであるなぁ」
「野良犬だの何だの酷いですね。在野の有識者ですよ、有識者。だいたい、テロリストって言ったら、スヴィトスラーフ聖歌隊とかだってそうじゃないですか」などと言いながら、視線をリーンズィとミラーズに振る。「こういう場面で、そういう差別よくないですよ。急造チームでも一致団結、打倒<首斬り兎>です。クヌーズオーエ解放軍なんて、結局ははみ出し者ばかりなんですから」
応酬する言葉の険悪さ、言葉の生み出す空気の悪さに、リーンズィは少しばかり嫌悪感を覚えた。
クヌーズオーエ解放軍には荒くれ者が少なからずいるが、しかし表だってここまで露骨な悪口の言い合いをするものは稀だ。そういった諍いは根絶されたものとばかり思っていたため、リーンズィにとってはこうした険悪な空気の継続はショックですらあった。
「君たちはさっきから人を売春婦、テロリストと、随分酷い言い方を……」
「お前たち、そろそろ黙れ。くだらないことで騒ぎすぎだ」
最前衛を任されているタクティカルベスト姿の機体が振り返って咎めた。
ポイントマンを務める機体で、イーゴという名前だった。
特に名乗られていないが、リーンズィにそれが分かるのは、彼が背負っている蒸気機関に名前の刻印がしてあるからだ。
一行の中では最もシンプルな見た目をしていた。 不朽結晶製の、人格記録媒体再生装置内蔵型フルフェイスヘルメット。
準不朽素材ですらない簡素な戦闘服に、非装甲の不死病患者制圧に特化したベルト給弾式
蒸気機関と一体化した左右の補助用自在腕で二枚の不朽結晶盾をぶら下げているものの、ケルゲレンたちの多機能装甲と比較すれば遙かに簡素で、身体動作補助用の強化外骨格を装備しているが、いずれも人類文化継承連帯では広く見られる形式だ。
いかにも官製の装備といった風合いであり、治安維持組織の正規部隊出身だとひと目で分かる。
「だいたい、テロリストだの何だの、元警官である俺の前で楽しげに話すことではない」
「かもしれんな」
ケルゲレンは二眼ガスマスクに似た装飾の頭部で仰々しく頷いた。
「汚職警官が言うと重みが違う」
「ですねー、ですかねー?」と含み笑いでグリーン。「リーンズィさんはどう思います?」
知らない人たちのよく分からない険悪な会話に対して無の心になろうとしていたリーンズィに、不意に電撃が走った。
成長を重ねたライトブラウンの髪の少女、その首輪に装填された人格は、一瞬で「そもそも汚職警官だのテロリストだのと言い合いをする空気が厭なのであって個別の事象に対しては別にどうとも思わない……」と返事をすべき場面では無いと気付く。
綿密な計算を重ねた。
何度も自分の力だけで考えようとした。
そして――何も思いつかなかったので、「そういうものなのか。そういうもの?」とミラーズに回答を丸投げした!
「成長しましたね、リーンズィ。悩んでいる顔も可愛かったですよ」
ミラーズは背伸びをしてよしよしとリーンズィの頭を撫でた。
「スヴィトスラーフ聖歌隊がテロ集団だなんて、そんなの言われ慣れてはおります。けれど、こうも悪し様に言われると落ち着きませんよね」
「それはごめんなさい」グリーンはちっとも悪びれた様子が無い。
「ええ。謝れるのは素晴らしいことです。でも謝るべきことは他にもありますでしょう?」
歌うような声に、一瞬で空気が支配された。
金色の髪をした少女は、周囲を睥睨した。最も体格で劣るというのに、ミラーズはその瞬間、一回りも二回りも小さな肉体で、明らかに兵士たちを威圧した。
原初の聖句の力では無い。ミラーズの嘆きの声が、あるいは嘆いていると信じさせるだけの演技力が、非言語的に場に圧力を掛けている。
温度の無い冷たい緑色の瞳が、スチーム・ヘッドたちを見渡した。
「あなたたち三人に問います。新参を仲間はずれにするのは悪徳であるとは思わないのですか?」
「あ、バレてますねこれ」
グリーンがケルゲレンを見た。
ケルゲレンは気まずそうだ。
「まぁ我々、レパートリーが少ないからの……」
「小芝居はやめろと俺は何度も言った」と振り返らずにイーゴ。
どういうこと? とリーンズィが問う前に、ミラーズが溜息をついた。
「そこの警官の人が仰る通りです。芝居なのです。レベルとしては学芸会と言っても良いわ」
「仲が悪いのは演技なのか?」
「一目瞭然よ。先ほどからの遣り取りは、おそらく全てお芝居です。反感を招くような言動を繰り返して、アルファⅡモナルキアのクヌーズオーエ解放軍における政治的な立ち位置を炙り出し、どう接したものか、量ろうとしていたのでしょう? まったく、浅はかな人たち!」
「あちゃー。完璧に完璧ですよ。そろそろ台本変えません? レーゲントって、だいたいこれ見破りますし」
「本当に演技だったのか」
リーンズィは周囲を見渡した。
「私はぜんぜん分からなかったが……」
「聖歌隊も色々な場所で似たような寸劇を繰り返していましたから、この手の茶番の空気には慣れっこなのです。何よりケル……ケロ……様も……ケロ様で良いでしょうか?」
「我が輩は正直なんでもよいぞ」と溜息交じりにケルゲレン。「フルネームが長いのは自覚しておるし」
「ケロ様もグリーン様も、立ち振る舞いが一本調子過ぎます。真の言葉を知る私の耳には、あなたがたの言葉が、これとまで幾度なく繰り返されてきた嘘であると知れました。仲間を疑い、偽りを積み重ねて、新参者を惑わそうとするなんて。まったく、嘆かわしいことです!」
「ほう、ほうほう。まるでリリウムのような物言い……では例の噂は本当なのかね?」
リーンズィはその噂が何なのかは知らなかったが、リリウムやリリウム・シスターズの母であるかを問うているのだろうと予測を立てた。
ミラーズは不機嫌そうに首を振るばかりだ。
「そんなことよりも、まずはご自身の立ち位置をこそ示すべきではありませんか。底の下に底が無いなどと、素直に信じるとでも思いましたか?」
「あー、かんっぺきにバレてますね」
「で、あるなぁ……」
「皆様方、急造チームという自称さえ偽りでしょう。そんなことまで嘘をつくなんて」
怒り心頭と言った様子のミラーズに、「いやそれは私も気付いていた」と慌ててリーンズィ。
「初めての顔合わせでは無いのだとしても、特定のプロトコルに基づいて行動しているのだとしても、彼らの連携具合は即席と言うには違和感がある。どんなに険悪な空気でも隊列が乱れないのは変だ。昨日今日でこの練度には仕上がらないはずなのだな。それは分かっていた。でも、何か話せない理由があるのかと思って無視していた」
「リーンズィは優しいですね。でもこういう場面では黙っていてはいけませんよ。……そもそも、私たちのような、即時オーバードライブ? でしたっけ? それが可能な機体が二機も投入されているということは、この分隊こそ本命なのではないのですか」
「……いかにもその通りである」
ケルゲレンが落ち着いた声音で応じた。
「我々はまさしく<首斬り兎>に最初に食らいつき、周辺の部隊が集結するまでの時間を稼ぐことを最大の任とする。諸君らが優秀な機体だと分かっていながら、その胸の内を知るために、不躾な問いをしなければならんかった。拙い手管しか知らぬ我々を許してくれ」
「僕からも。黙っていてごめんね。君たち以外は確かに『いつものチーム』だよ」
四本の腕を上に上げながらグリーン。
「特別攻撃チームって言うか、時間稼ぎ専門チームっていうか。あえて勝ちは狙わずに、負けないまま戦い続ける、みたいな。微妙だけど重要な役割を任されてる」
「危険な任務では?」
「そうそう。そういうの専門の精鋭チームなわけ。まぁ皆そういう危ない仕事しか回してもらえないロクデナシだったわけだけどね」
「ロクデナシ……」ライトブラウンの髪の少女はふむむと唸る。「懲罰部隊?」
「あーそこまでじゃないけどね?」
グリーンの言葉を受けてイーゴが肩越しに振り返り、「いいや、最初はそんなものだった」と吐き捨てた。
「背後の部下が全滅しても前進し続けた無能指揮官、環境保護のために定命を捨てたテロリスト。そして見せしめがてらスチーム・ヘッド化された汚職警官の成れの果て……もはや何も持ってはいない、本隊からも捨て駒にされて当然のクズの集まり。それが俺たちだ」
眉根を寄せていたミラーズが、不意に表情を和らげた。
「でも今は違うのでしょう? 罪は精算され、真なる魂は神の国に導かれました。あなた方の肉体に残された偽りの魂もまた赦しを得て、神の国へ続く迷宮の、その最前衛を任せられている……大任ではありませんか。私たちにも、何も隠さず曝け出せば善かったのです」
「レーゲント流のくだらない慰めは不要だ。現実とは過去からの延長に過ぎない。どれだけ功績を積んでも過去は変わらない。懲罰部隊。その通りだ。大義も栄光も、生前のあやまちを消してはくれない」
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