蒸気抜刀

カーニバルの幕開け①

 二機のスチーム・ヘッドが壁を駆け上る。跳ねる。硝子のない窓の桟に指を掛け、方角を確認し、また壁を蹴って体を打ち出す。アクロバット飛行をする戦闘機のスモークの如くに蒸気機関から吐き出された煙が長く尾を引く。

 まだ奇跡的に砕けていない煤だらけの硝子に二人の影が映じる。

 窓の内側、オフィスの朽ちた椅子に腰掛ける不死病患者が疾風の如き影を無表情に視線で追い、しかし一言も発しない。


 バリオスとクサントスはファデルに指定された地点に到着して、観測を開始した。

 コルトの都市焼却に耐えきった正体不明機が存在するはずだった。事前情報に狂いはなかった。ヘルメットの可変倍率レンズを操作しようとして、その操作を実際に始める前にあっさりとそれを発見した。


 だが、言葉が出ない。

 バリオスとクサントスは無言で互いの動向を探り、そしておおよそ同じ困惑を得ていると納得を得た。

 二人には、自分たちが観ているものが何なのか理解ができなかったのだ。


「何なんだ、あれ」とまずはクサントスが戸惑いの声を上げる。「何をする機体だと思う」


「機体っていうか……まぁ、パペットみたいに見えるッスけど……」と自信なさげにバリオス。


「そうだな……そう見えるが……しかしな」


「そもそも『機体』なのか、っていう話ッスよね」


 偵察軍の精鋭が気弱げに困惑するのも当然だった。

 その『何か』は、あまりにも彼らの常識から逸脱していた。


 スチーム・ヘッドもスチーム・パペットも、そのシルエットは原則として人型に定められる。人間の脳を演算装置として利用し、なおかつ生身の人間から不可逆的に抽出した人間の人格記録で以て活動させるためだ。人型からかけ離れた物体を制御させようとすると、人格記録は極大のストレスにより破滅的な速度で摩耗を始める。

 個々人で適性は異なるにせよ、人間は基本的に自分が人型であったとき以外の運動記録を持たない。不死病筐体の体格や性格が多少変わっただけで、歩くことすらままならなくなる機体も少なくない。機械仕掛けの非・人型代替身体の操縦が如何に何字かは想像に難くあるまい。

 例えば継承連帯にもコンカッション・ホイールという非人型、有り体に言えばマニピュレーターを備えた非常に巨大な車輪でしかない異形の機体が存在するが、モータースポーツ経験者の人格記録がない限りは倉庫で埃を被っているのが常だ。繋がれた人格記録媒体を短時間で発狂させるという点で、これに勝るスチーム・パペットは無かった。


 だというのに、発見されたそれは、あまりにも大雑把に、そして大胆にヒトの形から外れている。

 装甲表面から途切れ途切れの息のように電流が迸っているのは、おそらく電磁迷彩が起動していた残滓だ。SCARの発生させた超高熱に晒され、強制解除されたのだろう。

 その事実が無ければ、風変わりな廃棄物として、バリオスもクサントスもいっそ無視してしまったかも知れないが、はっきりと言えば些末事だ。

 最大の問題は、理解を拒むその特異な形状にあった。


 タワー。

 脚の生えた、タワー型の何かだった。


「機械っぽくはあるんスけど……」バリオスが首を傾げる。「何の機械っスかね?」


「あんまり真面目なものには見えんな。パペット研究施設に放置されてる、何世代か前のスチーム・パペットの試験機とか……」


「そうじゃなかったら、経営難で閉園した移動遊園地に放置されてるボロアトラクションとかっスかね」


「何故移動遊園地なんだ?」


「脚生えてるっス。自力で歩くんなら移動遊園地には便利そうじゃないっスか?」


「ああ、うん、そうかもしれんな……」


 とにかくそのような曖昧な形容を積み重ねるしか無かった。

 下半身に限って言えば、輸送用パペットに準じた堅牢な外観をしているのだが、上半身には『人型』と呼べる要素が存在していない。

 頭部はもちろん腕に相当する部位も無い。

 胴体がある、と表現するのも不適切だろう。腰部から上は文字通り塔のような構造で、回転しそうな軸はあるが、人間らしい関節は見当たらない。


 そして塔の頂上からは、飛行塔やヘリタワーと呼称されるアトラクションでも真似ているのか、用途不明な装甲コンテナを、六つほどアームで懸架している。

 アームにはさすがに可動部があったが、構成要素として大きいのは簡素な構造のレールで、何か器用な作業をしたり、武器の類を装備したりするのは不可能に見えた。

 出来ることと言えば、アームを高速で伸縮したり、先端のコンテナをグルグルと回す程度だろう。

 遊戯施設と捉えるには些か剣呑なのも事実であるにせよ、子供を乗せて遊ばせるのでなければ、今やノイズすら映すことの無いテレビの中のもはや永久に放映されない特撮番組、さもなければ古びた玩具店の棚ぐらいにしか居場所はあるまい。


 そんな奇妙な形状の機械が、道ばたにいきなり立っているのだ。

 SCARによって焼却された直後であっても、異常な病による滅亡の後であったとしても、こんなものを町中で発見するには毛色が違いすぎた。


「マスター・ペーダソスが観測した異常な反応はこれに違いあるまい。座標も合致する」


「コルトさんの都市焼却で焼け残ってるのも事実っスからね」


「SCARの強制変異に耐えられるということは、高純度の不朽結晶連続体なんだろうが……活動の兆候は見当たらないな」


「どう報告するっスか? 迷子の移動遊園地がいるって?」


「移動遊園地に何か拘りでもあるのか?」


「でもどうとも言えないっスよこれ」


「見たまま報告する。画像データで」


「画像そのまんまは真心が無いっスよ~」


「心が無いのがスチーム・ヘッドだ。許される」


 などと二人が話しているのを、その奇妙な機械は見ている。

 じっと、見ている。


 

 都市焼却の実行直後。

 どこからともなくスッと現れたロングキャットグッドナイトに渡された猫を無言でモフモフしているコルトを横目に、リーンズィは橋頭堡を引き返した。

 表面上、コルトは平静に戻っているようだが、明らかに意識が混濁していた。そばには相変わらずペーダソスが控えている。もう、心配する必要はないだろう。


 橋のたもとまで引き返してきたリーンズィたちアルファⅡモナルキアは、ひたすらファデルに抗議のメッセージを送り続けていた。

 コルトはSCAR使用に伴う心的外傷を忘却しているようだが、その影響の深刻さは自明である。

 通信の検閲や他者の権利を蔑ろにするような言動を平然と行うのも当然だった。

 言わば彼女にとって激しい情動、慚愧や後悔に類する感情は、傷を覆う瘡蓋によって、厳重に封をされているに等しいのだ。

 彼女は常に感覚を麻痺させられている状態なのだ。大量虐殺の責任を負う、そのためだけに。

 SCARの使用はコルトの人格を致命的なほど劇的に傷つける行為であり、命令されたものであるにせよ自発的なものであるにせよ、調停防疫局としてはこれを決して認められない。


 そんな文言で100件ほど抗議を送ったあたりでファデルから直接の音声通信が入った。


『リーンズィ、リーンズィ! 勘弁してくれ、今は<首斬り兎>の始末が先決じゃねえか。何のためにコルトにムリさせたと思ってんだ! 軍団長権限で、このスパムみたいなメッセージの山の送信中止を要請する!』


「我々はこのような非人道的な行為を断じて許容しない」

 リーンズィは自分の声が些かの怒気を孕んでいることに気付き、意外に思いながら、しかし率直に意見を叩きつけた。

「貴官らはスチーム・ヘッド……コルト・スカーレット・ドラグーンの精神衛生を著しく侵害している!」


『完全な同意の上だし、確実に使える手段がこれしかなかったんだよ! 俺だってコルトのやつにあんなもん何回を使わせたくはねぇ』


「ならば命じるべきではなかった!」


『命じてはいねぇんだって! SCARの使用だって、司令本部で案の一つとして提出されただけのモンだった。魅力的だが現実的じゃねぇ。放っておけば流れてだろうよ。それをコルトが傍受して、一人軍団としての権限で割り込んで、ごり押ししてきた』


「それは詭弁というものだ! たとえ直接宛てたもので無いとしても、全てのネットワークを監視しているコルトの存在を、君は理解していたはずだ。なのに案を立てたのだ。君たちはコルトに忖度を強要したに等しい!」


『詰められると反論できねぇが……その提案にしたってよ、コルトにとっての、何て言や良いのかな、NGワード付きだったんだ。あいつの目に映るわけがなかった! コルトは自分がSCARを使った後どうなるのかについて、自己検閲で忘却する。教えられても見えねぇし聞こえねぇ。重要で無いなら、周辺の情報ごと忘れ去る、だからその提案もコルトの記憶には残らないはずだった。それなのにあいつは自己検閲を掻い潜って<首斬り兎>の燻り出しを買って出た。やつも本気なんだよ。それこそ無視できねぇ』


「……だいたい、焼却した地区には<首斬り兎>は存在したのか? あの焼却は有効だったのか。その点から疑義を提示したいのだな! したいの! したいのだった!」


 しばしの沈黙。


『……最後に襲撃があったのがあそこだった、ってだけだ。すぐ監視網を構築したにせよ、でも十中八九別のクヌーズオーエに移動した後だろうよ』


「ではコルトの行いは無駄だったと!? 苦しい思いをさせたただけだ!」


『いいや、無駄じゃねぇ。コルトの仕事は完璧だった。本プランだった重スチーム・パペットの大規模大量投入と包囲の実行よりも余程効果的だっただろう。しかし俺の見込みが甘かったのも確かだ。……<大粛清>があってから半世紀だ、コルトのやつも少しは立ち直ってるかと思ってたが、あそこまで逼迫した状態が継続しているとは……側近だったヘンラインがある程度正気に戻ってるから、コルトも回復している頃合いだろうと早合点した俺にも、どうしたって落ち度がある』


「……ヘンライン? 百人隊長、『時計屋』ヘンラインか?」

 片腕に柱時計を括り付けたスチームパペットだ。

 ファッションセンスは異常だったが、言動は正常なものだった。

「何故彼の名前が出てくる」


『あいつは元々コルト護衛部隊の司令クラスだよ』


「殆ど面識が無いような印象だった」


『ああ、記憶を変造しているんだろうな。コルトと似たような外科的記憶切除機構を備えていて……俺たちは、あいつらにかなりキツい選択を強いた。ある程度の情報は、アルファⅡモナルキアにはしっかり伝えているぜ。SCAR使用の意図だの何だのは、自分の本体から聞いてくれや』


「まだ話は終わって……」


『とにかくコルトはやってくれた、次にやるのは俺たちだ。精々上手くやろうや』


 そう告げると、ファデルは一方的に回線を遮断した。

 リーンズィはファデルがいる方角を見ながら歯痒そうに息をついた。


「……ユイシス。何か知っていることがあれば教えてほしい」


『仮称<首斬り兎>は、過去のデータより、目標の脅威度や新規性に反応して活性化する傾向があると推定されています。これまで被害に遭った部隊は、いずれも戦闘用スチーム・ヘッドを中心に構成された実戦部隊です。レーゲントを初めとする非武装個体は、初回を除いて無視されています』


「そのこととSCAR使用の間に何か関連性があるのか?」


『勿論、あるから報告しているのですが』


 ユイシスが一瞬だけアバターを出現させ、ミラーズの顔で呆れた素振りを見せて消えた。メモリの無駄遣いだった。

 これまでの襲撃内容を纏めたデータが視界内に次々と展開される。


『<首斬り兎>が目標とする部隊の戦力規模は、最初の襲撃から現在までの全三十回の間で、一貫して大きなものになり続けています。<首斬り兎>は常に前回よりも戦力的に充実した部隊を標的としているのです』


「そうなのか……そうなの?」


『そうなのです。貴官は、何故予習をしていないのですか?』


 情報を共有してもらえないどころか情報へのアクセスを遮断されていたからなのだが、その反論をすると三倍の量の嘲笑をもらうことになる。

 賢明なリーンズィは素直に謝罪し、嘲笑を二倍に抑えることに成功した。


『前回襲撃された部隊は戦闘用スチーム・パペットを多数擁する一線級の部隊でした。これと比較して新規性があり、なおかつ充実した戦力であること示すには、コルト・スカーレット・ドラグーンにSCARを発動させるのが最も確実です。街一つを熱エネルギーに変換したのですから、遠方からでも容易に観測可能でしょう』


「……ではSCARは<兎>を惹き付けるための餌に過ぎないのか?」


『現代で最も高級な花火とも言える可能性がありますね』


「ああ、それで納得しました。その兎さんというのは、つまり子供なのですね?」

 それまで曖昧に微笑んでいたミラーズが、納得したようにぽんと手を叩く。

「言ってしまえば私たちは歩くカーニバルみたいなもの。事実私たちレーゲントが属する集団は例外なく祭礼の行進なのです。誰だって近寄ってお祈りをしたくなるものです。だけど、遠くにいる子供には花火を上げなければ伝わりません」


『肯定します。私のミラーズは理解が早くて素晴らしいです』


「ふふ。あなたの説明が分かりやすかったからですよ、私のユイシス」


 そうして人目も憚らず抱擁を始めた二人を余所に、リーンズィは慎重に思案する。


「……しかし、<兎>はエージェント・シィーの同位体だ。劣化したコピーであっても判断能力がそこまで低下しているとは考えにくい。少しばかり大きな花火が上がったぐらいで、こんな見え透いた罠に飛び込んでくるだろうか?」


『まだ分からないようなリーンズィは、深く反省するよう要請します』

 びしっ、とリーンズィの鼻先に金色の髪をした少女の幻影が鼻先をつつく。

『<首斬り兎>は常に巨大な敵を探して活動しているのです。傾向から判断するに、むしろ客観的に見て無謀な戦力差で無ければ、敢えて近寄ろうとも考えないでしょう』


 そういうもの? とライトブラウンの髪の少女は不可思議そうに首を傾げる。

 リーンズィが参照可能なレコードにおいても、エージェント・シィーが卓抜した戦士だったことは明白だ。

 首斬り兎は単騎だというのが大勢の予想だが、実際のシィーが数倍の戦力差を前に立ち回れたのは、端的に言えば、蒸気機関のオーバーヒートや電力不足に際して生じる隙をカバーしてくれる仲間がいたからだろう。

 かつてのキジール、そしてファデルのような仲間が。


「……スチーム・ヘッド同士の戦闘においては、有利なのは常に先手を取った側だ。一瞬でも先にオーバードライブに突入した、たったそれだけのアドバンテージが全てを決定づけてしまうほどに。当然、同等程度の機体が戦闘に突入するなら、今度は数を揃えた側が原則的に勝利する……」


 シィーほどの腕前なら十倍までの戦力差は覆せるかも知れない。

 だがこちらは百単位の軍勢である。

 ユイシスの予測演算で確認しても、フル装備のシィーでも、クヌーズオーエ解放軍の精鋭相手に勝利できる未来など万に一つも無い。

 アルファⅡモナルキアとファデルの司令部は、協力関係にある。演算結果は相互に照らし合わせたものであるから、お互いにかなり確度が高いと認識していた。


『提言。出来るのならば万に一つの可能性すら潰す。それがクヌーズオーエ解放軍の流儀です。……報告、偵察軍のバリオスより映像データを取得しました。アルファⅡモナルキア全機に共有します』



 視界に奇怪な金属の塊が出現して、リーンズィとミラーズは同時にぽかん、と口を開いた。


「……なんか変なのがいる!」リーンズィはぎょっとした。「とても大きい!」


「あれっ、これがウサギさんなの? 兎要素がなくない?」


 ミラーズは少し残念そうだった。


『警告。最初から兎要素はありませんよ。飛び跳ねるような独特の機動から兎と称されているのみと補足します』


「ええー」

 ミラーズは指を伸ばした両手を頭の上に当てて兎ポーズをした。

「こう、こういう感じの……?」


『警告。それは何のお誘いですか? 可愛すぎます……。キスを乞うのは事後でお願いします。どうであれ、この不明機械が<首斬り兎>本体である可能性は低いと予想されます』


「きっと支援機なのだな。これで高速機動はムリだ。しかしこれがクヌーズオーエにおけるシィーの支援機だとすれば……すれば……すれ、すれば……?」


 リーンズィは何度も映像を確認し、確認し、確認し、また首を傾げた。


「ううん。それで、これは何なのだ?」


 ガラクタを雑多に組み合わせたような外観だ。

 輸送用スチームパペットの改修型と思われる下半身に、用途不明の謎の設備が載せられている。

 カラーリングが統一されているため外観には一貫性のようなものがある。


 しかし、それでもリーンズィの脳髄では、とても合理的な運用が思いつかなかった。敢えて分類するならばきっと支援機だが、いっそテーマパークから脚の生えた遊具が脱走してきたかのような印象だ。それほどまでに怪奇である。


『解析不能。合致する機体はデータベースに存在せず、調停防疫局での開発計画においても、類似のコンセプトは存在しません』


「とても役に立ちそうに見えないが、しかし万に一つの可能性も……あるのでは? あそこからシィーがいっぱい出てくるとか、ありそう」


 ふふん、とアバターのユイシスが慎ましい胸を張る。


『秘匿情報を開示。現在、該当地区には前線に展開していたリリウム直轄部隊が接近中です。総戦力、ラジオヘッドを含め約3万。挟撃する形となります』


「あの子が来るのですか」

 ユイシスと同じ顔をした少女が、帽子の下で顔をほころばせる。

「では、なおのこと、『万が一』などありませんね。リリウムは、自慢の娘たちの中でも特に自慢の娘なので」


「二人とも何故か得意げだが、別に自分の手柄ではないのでは……?」


 言いながら、リーンズィは安堵していた。

 リリウムの操る戦力がどの程度かは不明だが、三万対一では勝負にもならない。これで戦力差は確定的となった。

 もういっそ<首斬り兎>が降参してくれれば余計な戦闘が起こらないで済むのに。

 ライトブラウンの髪の少女はそんなことを夢想する。叶わないから夢なのだ、と誰かが嗤うのを聞いた。


『報告。ファデルの派遣した先行部隊が不明機の周囲に到着しました。検証終了後、我々にも出発の要請が来ると思われます』


「ん……? この映像は正式にファデルから共有されているものではないのか? ない?」


『ハッキングした情報軍兵士、バリオスから取得中の映像です』


「仲間をハッキングするのは良くない」

 リーンズィは呆れ果てた。

「その調子だと我々が討伐されてしまうのでは?」

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