ジェノサイダルオルガン②

「誰にそんな権利があるんだっ?! 誰がどんな風に判断したらみんなみんな焼いて潰してこの世から消して良いって言う結論になるんだ! 良いわけない、良いわけない、良いわけがない! 私にそんな権利があるわけないよっ!」


 その悲鳴がコルトのものだと、しばらくの間リーンズィは理解できなかった。


「コルト……?」


 ヘルメットをグローブで殴りつけながらコルトは、憎らしげに都市の残骸を蹴り始めた。


「このトリガーを引いたら、みんな死んじゃうんだよ?! みんな焼け焦げて燃えて炎になって消え去る! もう戻せなくなる! 不死病患者だけじゃなくて、みんなが大事にしてたものも歴史も文化も全部燃えるんだよ?! ああ、それに、それにそれに、まだこの都市のどこかに未感染の人間や仲間のスチーム・ヘッドがいるかもしれないじゃないか。可能性が無い?! 誰がゼロだって保証してくれるの。全部根こそぎに燃えつきちゃう。こんなのはやっちゃいけないことだよ! こんなことを肯定する理屈なんてあるわけない! そんな権利誰にも無いよ! なのに……どうして?! どうして私がそんなことしなくちゃいけないの!? どうしてトリガーが私の手の中にあるの?! 私にそんな権利があるわけが……あるわけが、ないじゃないかあっ!」


 赤い光の中で叫び続けるその姿に。

 凜然と立つ兵士の面影は無い。

 あの飄々とした懲罰担当官としての風格は、完全に失われていた。


「何……え……?」リーンズィは困惑した。都市の観測を行っているペーダソスに視線を向ける。「これは?」


「本物のコルトの人格だ」


「本物の、コルト?」


 コルトは泣きわめいていた。「これを、私がやらなくちゃいけないの?! なんで?! なんでそんなことしなくちゃいけないの! 私が何をしたって言うの、嫌だよ、撃ちたくないよ、撃ちたくないよぉ……!」


「コルトが……コルトが変だ。精神に異常を来してる。暖かいブランケットが要る……」


 ペーダソスは諦観した様子で、コルトの狂乱を眺めていた。


「……トリガーを引くために作られたというのは間違いじゃない。あんたもたぶんSCARがどういう兵器なのかは理解してるだろう。途方も無い兵器だ。解放すれば途方も無い破壊が起きる」


「それと今のコルトに何の関係が」


「胸糞悪い理屈さ。? 都市に撃てば無辜の民が歴史ごと、仲間に撃てば人格記録媒体に納められた魂ごと消滅する。誰がそんな責任を負える。永久に失われる価値について、誰が責任を取れる?」


「誰にも負えない。責任を取れる問題では無い」



「……そんな馬鹿な理屈があるものか」


 コルトは息も絶え絶えに、どこかに誰かの姿を探している。おそらくは、自分の代わりをしてくれるだれかを。


「撃ちたくない、撃ちたくない、嫌だよ、もう撃ちたくないよ。こんなのやりたくない……」


「コルト……み、みんな、コルトが苦しそうだ。早く止めないと……」


 リーンズィは青ざめた顔で背後のスチーム・ヘッドたちを振り返った。

 皆、沈黙していた。

 大量破壊を前にしての沈黙では無い。

 必死に現実から逃避しようとしているコルトを、注視している。

 ライトブラウンの髪の少女は悟った。

 何機かがオーバードライブに突入しているのが分かった。

 間違いない。


 彼らは、この状態に陥ったコルトが暴走するのを防止するためにここにいる


 護衛部隊とは皮肉なものだ。

 コルトが、他ならぬコルトを傷つける。

 それを防止するための部隊なのだ。


「助けて……誰か、誰か助けて。私には撃てないよ、こんなの出来ないよ……」


「みっともないよな、見てられないよな……」

 ペーダソスは何も見ていないようだった。

「酷すぎるって思うだろう。でもな、これがコルトが信用されている理由だ。SCARを撃とうとすると、普段は凍結されている本物のコルトの人格が正常化されて、あいつの純粋な感受性を秤に使って、審判を始める。収集してきた情報、直面している危機が、見た目通りの若い女の頭に流れ込んでいくんだ。もしここでコルトが撃ちたくないと判断したら全プロセスが終了する。そんな柔な責任感の持ち主じゃないけどな。事前に完璧に刷り込まれてるから」


「何故そんな非人道的な機能が……」


「誰も冷酷な機械に壊されたくは無い。感情豊かなやつに情状を人道的に考慮されて死にたいはずだ」


「それはエゴだろう。裁かれる側のエゴだし……裁くのを命じる側のエゴだ。だってこんなのは……背負えないし、堪えられないはず」


「背負えないし、堪えられないだろうな。だからSCARスクワッドは全滅した。。自分を範囲焼却に巻き込めば消え去ることは出来る。……コルトもそろそろ限界に近い。本来ならこんな大仕事にはもう参加させるべきじゃないんだよ」


「……」リーンズィは絶句して、よろよろと立ち上がった。「コルトを止めるべきだ」


「好きにしろ。誰も成功していないけどな」


 SCARの放つ轟音の中では原初の聖句さえ無力だ。ましてや、リーンズィの声など届くはずも無い。

 おそるおそるコルトの肩を掴むと乱暴に振りほどかれてしまった。


「コルト、待ってほしい。こんなのはダメだ。他に方法を……」


「やるしかっ、やるしかないじゃないか。私だけがこれができる。仲間のみんなを、無力な市民たちを助けるにはこれしか方法が無い! 分かってる、分かってるよ、そんなのは分かっているんだっ! SCAR、ぜんぶ、全部焼いちゃえ――全部、全部、目に映るもの全部っ!! 焼いちゃえ!!」


 そしてSCARが起動した。

 リーンズィには、その瞬間は見えなかった。

 ただ橋の先にある風景全てが、赤く、赤く、赤く染まった。

 目を逸らすことさえ出来ない。

 全てが純粋な炎へと変異した。

 人のような炎、車のような炎、塔のような炎、高層建築物のような炎……。

 赤くない部分などどこにも無い。

 まさしく一つの都市が、その全ての歴史ごと、焼き尽くされた。


 一瞬後にはもうそれらはどこかに放逐されている。

 何事も無かったかのように燃え落ちる都市は消え去り、変わって至って平穏な、いっそ牧歌的とも言えるクヌーズオーエにすり替えられている。

 炎の塊にされた不死病患者などおらず、あちらこちらに立ち竦んでいる影が見えるだけだ。


<時の欠片に触れた者>が再配置を行ったのだと言うことは理解できた。

 SCAR運用システムの蒸気機関が停止し、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。

 響くのはただ、女の嗚咽だけだった。


「う……ううううう……やだよぅ……どうして、どうして私が、こんな……」


 コルトは拳銃を握ったまま膝から崩れ落ちた。

 ヘルメットを脱ぎ、頭をかきむしり、引き攣った笑みを浮かべて涙を零している。


「嫌だ……もう嫌だよ……こんなの嫌だ……疲れたよ……」


 こうして泣き崩れる女性にかけるべき言葉をリーンズィは知らない。

 だが放置してはいけないと、混乱し尽した思考を巡らせて、せめてねぎらいの言葉を、と判断した。


「コルト少尉……君は立派に任務を」


 彼女は振り返らなかった。

 ただ無言で自分の頭に愛銃を向けて、トリガーを引いた。

 銃口から最後の一発が放たれ、脳髄を撒き散らして、どこかへ飛び去った。


「あ……」


 突発的な事態に反応できず、リーンズィは呆然とした。


「コル、ト……?」


「いつものことだ」とペーダソスは言う。「堪えられるわけがないんだ。自分で自分を罰することでSCARは完結する。今回もすぐ再生するだろうよ。そして感情が解凍されていた間のことは一切覚えていない。消去される。こいつの記憶は改竄され、捏造され、全部忘れるんだ」


「……」リーンズィは唇を噛んだ。「非道すぎる。調停防疫局はこれを認めない」


「誰も認めないさ。俺だって嫌だ。コルトだけが苦しすぎる。他のSCARスクワッドみたいに無残に終わらせたくない」


「あなたがたは……」ミラーズは、ペーダソスを、そして他のスチーム・ヘッドたちを見渡した。「あなたがたは、彼女に何をさせているのか、分かっているのですか?」


「……分かっていないわけがない。知らないわけがない。でも我々には止められないし、責任も取れない」

 スチーム・ヘッドの一機が呟いた。

「だが、彼女がもうこれで最後だと思ったら……ついていくことはできる」


「一緒に自殺してやるのだると? そんなことで義理が果たせると? それは傲慢というものです。唾棄すべき悪徳です! 誰もそんな未来は望んでいないでしょう!?」


「分かっている」そのスチーム・ヘッドは繰り返す。「分かっている……」


 果たしてペーダソスが告げたその通りになった。

 起き上がったコルトは平然としており、いつもの微笑をリーンズィたちに向けた。

 何も変わらない、完璧に均整の取れた美貌の、仮面のような笑顔。

 撃ち抜かれて飛び散った脳髄も、涙さえも、とうに蒸発して消えている。

 自分が何を叫んでいたのか、全く覚えていない様子だった。


「ペーダソス、範囲焼却は成功したかい? 異常はなかったかな」


「コルト……」


『知らないフリをしろ』ペーダソスが通信で囁いた。『忘れている間はむしろコルトの精神は安定してるんだ。バラバラになった人格を、ホチキスなんかでバチバチ止めて、仮初に繋ぎ止めてるだけだが、少なくともいきなり自殺はしない。あるべき感情を、出来るだけ思い出させるな』


 リーンズィは応えなかった。応えたくなかった。調停防疫局のエージェントとして認めたくなかった。

 こんなふうに誰かが一方的に痛みを押し付けられるのは間違っている。

 だが、沈黙した。

 他にどうすることも出来なかった。


「ペーダソス?」再度コルトが血色の悪い唇で問う。


「……ああ、何もかもリセットされたよ。効果範囲内にあるものは全部燃え尽きた。でも反応が妙な部分があった。変異せず残ったものがあるのかもしれない」


「そう」コルトは嘆息してヘルメットを装着した。「早急にファデルにデータを転送して。SCARに耐えられるものなんて普通は無いよ。<首斬り兎>に関係するものだろうね。……私の仕事は、今日はもう終わりかな。久々に疲れたよ」


 リーンズィには、何も言えない。

 リーンズィには、何も出来ない。


 コルトへしてあげられることは、ライトブラウンの髪の少女には一つも無かった。

 何をしても無意味で、何をしても救いにはならない。

 けれど、と人工脳髄は言葉を紡ぐ。

 けれど、けれど、けれど……。

 これは自己欺瞞だ、と思いながらも、リーンズィはコルトの傍に寄って、いつもミラーズがリーンズィにするように、宥めるように優しくコルトを抱いた。


「おや、どうしたんだい? 今度は私に興味があるのかな。レアと違って君を楽しませてはあげられないよ」


「猫と……」

 顔を見ないようにしながら、コルトを、レアの姉を、ぎゅっと抱きしめる。

「この作戦が終わったら、猫と遊びに行こう。猫の人にお願いして、猫たちといっぱい遊ばせてもらおう」


 コルトの息遣いが変わった。

 猫に反応したのでは無い。

 リーンズィが震えているのに気付いたのだろう。


「……どうしたの? 何かあったのかい? 誰かに虐められたのかな? 何でも打ち明けてくれて良いんだよ。私はそれが仕事なんだから。君を悲しめる誰かを、懲らしめてあげようか」


「なんにもなかった。なんにもなかったよ」


 リーンズィに出来ることは、何も。

 コルトに出来ることは、何も。

 何も、何も無かった。

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