朽ちた時代の、幽霊の家で②

 案ずるよりも聞くが何とやらなのだな、とリーンズィは気持ちを切り替えた。

 あのいけすかないアルファⅡモナルキアのことだ。最終全権代理人の地位を与えておきながら、人のプライベートを他者に吹聴している。

 ありえそうなことではないか。


「コルトはヴォイドやミラーズたちと連絡網を?」


 何気ない様子を繕って尋ねると、コルトは不思議そうな顔をした。


「ないよ? 私が自分から所在地を知らせたり、積極的に連絡を取っているのは、ファデル軍団長だけだよ。今回だって、私からファデルにアサインを要求した案件だし。後は……電子戦に優れた機体なら、一方的に位置を知ることは出来るかな」


 例えばアルファⅡウンドワートとかね、とコルトは含み笑いをする。


「でも連絡網なんてもの、私は一つも持っていないよ。君たちの首魁、『アルファⅡモナルキア』がどうしてるのかは知らないし、知ったことでもないよ」


「……?」


「あ、万が一の事態に備えてアドレスを交換したいのかい? 非常時はどこでも良いから緊急コールをかけてくれればすぐ向かうから大丈夫」


 そんな話では無かった。

 それなばら、とにかく、何故こんなに色々と知っているのか。

 事情を察しているだけ、と考えるにはあまりにも口調が断定的すぎる。

 違和感と疑問を封殺しながら、ライトブラウンの髪の少女は、ゆっくりと話題を運んだ。


「レアせんぱいは……それほどに私に好意を寄せてくれている?」


「好意よりは支配欲に近い感情だろうけどね。あの機体が愛だの恋だのといった繊細な関係を望んでいるわけがない。悲しいことに彼女は幼いまま強くなってしまった。結局は君を好きなときに弄んで負荷を発散させたいと身勝手に願望しているだけさ。もっとも、聖歌隊のレーゲントすら、その辺の問題は上手に立ち回れてないんだ。レアには百年かかったって他者との繋がりを昇華できないよ」


 コルトの言葉は、どれもこれもが如何にも酷薄だった。

 薄らと浮かんだ笑みに変化はない。穏やかと言って良いほどだ。

 だが、節々から滲む嘲弄や侮蔑の態度に、リーンズィは敏感だった。

 というのも、ユイシスがそのような発言をよくするからだ。


 ヴォイドと同じ意識を持っていた頃は明確には感じていなかったが、リーンズィはユイシスのそういう意地悪で俗悪的な物言いが好きでは無かった。

 少女の顔貌が若干不満げに歪んでいるのに気付いたのだろう、コルトが小首を傾けた。


「おや、どうかしたのかい」


「レアせんぱいを悪く言い過ぎだと思う」


「でも客観的な事実だからね」


「事実かどうかは知らない。でも、言い方は悪い。さっきからレア先輩が極悪非道の悪者みたいな言い方をしている。それが客観的かも疑問だし、なんだかコルト少尉は、憶測だけでとても酷いことを言っているように思う」


「そうかな。でも、君だって身に覚えはあるんじゃないかな?」


 リーンズィは言葉に詰まる。

 潤む赤い瞳の美しさ、縋り付いてきた儚い手指の動きを思い出す。

 今朝、強引に何か――よくないことに誘われたのは、間違いなく事実だ。

 ああした言動が全くの白紙から生まれてくるとも考えにくい。

 レアにそうした欲求が存在するのは疑いようも無い。


 だが、そうした欲求を常日頃から抱いている、それしか考えていない、とは到底認めがたい。

 リーンズィにとってレアは、尊大な部分もあるにせよ、愛して敬うべき人なのだ。ユイシスからそのように設定されている。設定されている。から。そのように。設定? 誰によって? 

 リーンズィは首を傾げた。

 自分が考えていたことを忘れた。


「うーん、でも、君の言うことも正しいね? こんなことは憶測で語って良いことではない。確かに道理だよ」コルト少尉は小さく頷いた。「ちょっと待ってね。確かめてくるから」


「確かめてくる?」


 コルトは数秒間、朽ちた木の洞の真っ黒な瞳を虚空に向けた。

 そうして頷いた。


「……うん。確認したよ。あの子が君にそういう関心を抱いてるのは確実だね、やっぱり」


「見てきたような口ぶりなのだな。口ぶりなの」


「見てきたよ?」

 黒髪の美女はさも当然のように答えた。

「私には全ての通信に対する検閲権があるんだ。監視対象としては、勿論あの子も例外じゃない。むしろ彼女は要注意人物の一人さ。たまに電子的に不可視化するし、精一杯誤魔化してるつもりだろうけど、私とヘカントンケイルの監視からは逃げられない。今、あの子のネットワーク接続の履歴を見てきたところだよ」


「今……見て来た?」


 リーンズィは困惑した。

 常時、そうやって監視が可能なのか。

 それはもう解放軍のインフラ一つを掌握して、常にコントールしているようなものではないか?


「予想通りだったよ。あの子のこれまでの動画コンテンツのダウンロード購入履歴をチェックしたんだけど、過去にヴァローナみたいな高身長のレーゲントのコンテンツを好んで買っていたし、よりにもよってヴァローナ本人、ああ、かつての君の肉体の持ち主だね、彼女が残した特定の映像コンテンツに至っては、この24時間でも結構な回数を再生してるよ。そういう嗜好があるのは知ってたけど、今回のは明らかに君を意識してのことだよ。本当に気をつけるのをオススメするね」


「そ、そうなのか……」


 怖い。

 リーンズィは純粋にそう思った。

 生まれて初めて他者を恐怖したと言って良い。


 もちろん、レアが怖いのでは無い。


 レアの内心について話す、この機体が怖い。

 コルト少尉が怖い。


 いかにも穏やかそうな顔をした目の前のスチーム・ヘッドが、本当に怖い。


 正直なところ、レアが自分に対してそういう欲望を抱いていると聞かされても、然程の驚きは無い。

 今朝の動きは性急に過ぎるとリーンズィでも思うが、しかしどのような形であれ好意があるのは、ここ数日で確信していた。

 ヴォイドは論外として、ミラーズを除けばレアぐらいしか頼るものがいない彼女には、彼女からの親愛が本当に心地良かった。

 だから、改めて本人の口から率直にそのような欲求について聞かされても、嫌悪も違和感も湧かない。

 むしろ愛情の受容体が発達していないリーンズィとしては、どんな行為も嬉しいぐらいだ。もしもレアせんぱいが心から求めてくれるのなら、リーンズィは自分を捧げることをちっとも怖いと思っていない。


 だいたい、とリーンズィは考える。レア自身は口にするのを避けているが、毎朝リーンズィが住む『勇士の館』の近くで遭うのに、どう見たってあの『勇士の館』には住んでいないのだ。

 だから彼女が、毎晩『勇士の館』のレーゲント、あるいは技術者……マスターが口を滑らせたところによるとヘカトンケイルに、欲望の発散を求めているのは明白。

 自然と、そうした解放への欲求がとても強い人物だと言うことは推測出来る。

 レア本人にも自覚はあるだろうが、一瞬一瞬に関して言えば、熱の籠もった目をしたのも今朝に限った話では無い。

 今朝はあまりにも直裁だったので、リーンズィも少し戸惑ってしまったが。

 

 しかし、レアはそれを隠したいのだ。

 あまり知られたくはないのだ。

 尊敬される先輩でいたいのだ。

 少なくともリーンズィには、そうした強烈な衝動を、あまり悟られたくないと思っている。

 それが分かるからこそ、コルトの言動は受け入れがたい。

 愛しいレアせんぱいのことを暴き立てるような言葉は。

 レアのことは、レア自身から聞きたい。

 レアの意思で、レアの声で、レアの仕草で聞かせてほしい。

 全く関係の無い機体から、レアのそういった内心や空想について開陳されるのは、到底受け入れられない。


 嫌悪感も相俟って、確信する。

 異形の機械を連れて逍遙する姿は甚だ異様であり、なるほど処刑専用機に相応しい、近寄がたい、禍々しい威圧感を纏っている。

 他者の内心を他人に易々と開陳してしまう、このコルトというスチーム・ヘッドに、気を許してはならない。


 多少なりとも不思議な性格をした人物だとは思っていたが、ここまで歪な倫理観の持ち主だとは思っていなかった。

 稼動時間の短いリーンズィでも、どう考えてもそのような検閲権や、他者の秘密を気軽に他人に漏らすべきではないと理解出来る。

 余計な諍いや警戒を避けるため、本来なら検閲している事実さえ、言外に匂わす程度に留めるだろう。


 だがコルト少尉には、そうした感覚が、おそらく存在していない。

 隠すべきと言う発想もない。

 自分が処刑や検閲を担当しているという事実をきっと軽視している。

 それだから、軒先でも覗きにいくように、気軽に他者の内心を確認しに行って、また違う誰かに、その内心を世間話のように語る。


リーンズィにとって、クヌーズオーエの郊外で、アルファⅡウンドワートに襲撃されたとき以上の戦慄が、コルトとのこの会話にはあった。

 ヘンラインがコルトを怖れているのが不思議だったが、コルトがこんな感性の持ち主だと分かれば納得だ。恐怖からノルアドレナリンをだくだくと垂れ流す生体脳で、リーンズィは一瞬でそのようなことを考えた。


 硬直しているライトブラウンの髪の少女に向かって、コルトはうんうん、と何度も頷いた。


「そうだよね、君に共感は出来ないけど、分かるよ。怖いよね。遭遇して間もない、レアとか言う変で意地っ張りで強引なスチーム・ヘッドに、心身を狙われてるんだから。でも大丈夫だよ、君みたいなスチーム・ヘッドを守り、暴走したスチーム・ヘッドを破棄するために私がいるんだ。急にこんなことを聞かされて、怖かったね、ごめんね? レアは私が見張っているから」


「うん、はい、そうなのか……そうなの?」


「心配しないでいいよ。レアも性格は良くないけど悪人じゃないから。これからも気長に付き合ってあげてくれると私としては嬉しいかな」


「はい、うん、そうなのか……」


 コルトが励ますように肩に手を置いてきた。

 リーンズィは特に訂正することなく機械的に同調して頷いた。

 怖いのは君の方だ、と言わないようにする程度の自制心は、リーンズィにもあった。


「私は言ってしまえばカウボーイだからね、皆の信任を受けて、皆を守るのが仕事なんだ。例えばウンドワートと同じように。何も信じてないし、何も尊いとは思えないけど、ルールだけは私を導いてくれる。実は君、私のことが怖いんでしょ? 処刑専用機である私が、本当は怖いよね?」


「……怖い、かもしれない」


「だろうね。でも私はルールに外れるようなことは、絶対にしない。この使命の元に、君を絶対に守ってあげる。だから、私を信頼してくれて良いよ。私というルールの代理人を、信じてくれて良いよ。極論で言えば、私を信じる必要は全然無いからね。ルールだけを信じてくれれば良い」


 そうして語りかける笑みは、人間離れしているのに、本当に温かくて。

 信じてはいけないのに、リーンズィはつい、頷いてしまう。


 リーンズィを悩ませたのは、コルト少尉とて邪悪な人間性の持ち主では無いらしいと言うことだ。

 他者の内心の自由に配慮しないかと思えば、脅かされている少女の恐怖心に寄り添うような態度を見せる。

 あるいはコルト少尉には自分自身という『個人』の意識が薄いのではないか?


 コルトの大本体であると推測される、SCAR運用システムを横目で見ながら想像する。

 つい先ほどまで四本脚に取り付けられたタイヤで路面を移動していたその歪な機械は、今はスパイクを突き刺して気ままに壁を登攀している。

 第二十四攻略拠点でも、小さな虫、例えば蜘蛛のような生物は発見できるが、SCARの動きはそれらの昆虫と同じぐらい意図不明である。


 よじよじと精一杯に壁を這っている姿には、言い難い愛らしさはあるが、大凡人間性というものは感じられない。

 不死病患者の肉体に納められた精神性。

 この飄々とした黒髪の女性の肉体と、四脚を備えた異形の大量破壊機械。

 コルトの本性は、そのどちらに由来するのだろう?


「まぁ、それはそれとして、だね。リラクゼーションは大事だよ?」

 コルトは伸びをして、ショーウィンドウの店に向き直った。

「ハック&スラッシュだ。私の直観だとこのお店は当たりだよ。硝子の向こうに何が見える?」


 リーンズィはひび割れた硝子に目を凝らした。


「朽ちた布の服と……新品同然のレギンス? 準不朽素材だろうか。そう言えばミラーズが下着丸出しで刀を振るうのは恥ずかしいので履き物が欲しいと言っていた」


「それじゃあやってみようか。えいっ」と気安い声でコルトがショーウィンドウを叩き割り、陳列棚からレギンスを掴み取った。「持って帰って良いよ」


「……泥棒では?」


「ここに存在するだけでは、どんな品物も無価値と同じさ。私たちが価値を見いだして、手を伸ばしたときだけ仮初めの価値が現れる。これが労働をこなした私たちの正当な分け前。価値を手に出来るのさ。ほら、良いお土産が出来たね?」


 そういうもの? と困惑しながらリーンズィがレギンスを受取り、無意識ににおいを嗅いでいると、背後に気配を感じた。

 いつのまにやら忍び寄ってきていたらしい。


 見れば、すす、と無邪気そうな笑顔のレーゲントがコルトにすり寄るようにして近寄ってきていた。

 無邪気そう、と感じたのはそこに偽りの影を見たからだ。

 しかし頬を彩る幽かな恥じらいの色までもが偽りではあるまい。


「ご機嫌よう、コルト少尉お姉様」


 コルト少尉お姉様、とリーンズィは口の中で復唱する。

 長いし少尉お姉様という言葉の並びには違和感があるが、特に誰も気にしていないらしい。


「コルト少尉お姉様もお召し物を?」


「ううん、この子に『ショッピング』を教えてあげてるんだ。何も買ったことがないそうだから」


「そうなのですねー。新人の、レーゲント崩れでしたっけー?」


 汚濁した視線が不意に向けられたのでリーンズィはたじろいで、手短に自己紹介をして、頭を下げた。

 相手は名乗らなかった。


「少尉お姉様、良ければ私たちも」


「ごめんね、今はこの子にかかりきりなんだ。ほとんど子供みたいなものだからね。手伝ってあげないと危なっかしくていけない。この後で良いなら護衛をしてあげるよ」


「そうなんですねー、残念かもー」


 ついに少女は一瞬もリーンズィと目を合わせなかった。

 リーンズィは我知らず身を竦ませた。軽く小突けば手折れてしまいそうな儚い体躯が、おそろしく頑健な要塞のように思われた。

 遠巻きに眺めていた少女たちと合流して、そのレーゲントは去っていた。


「少尉は人気者……?」


「高身長で継承連帯所属の女性スチーム・ヘッドって珍しいからね。成熟したTモデルでは普通なんだけど」短い黒髪を触りながらコルトは例の曖昧な笑みを浮かべた。「そういう意味では需要があるのかもしれない。あまりそうした交友は非常時以外は持たないんだけど。興味が無いから、応えてあげることは出来ない。悲しいね?」


「そういうものか? ……そういうもの? 私は、あのレーゲントから凄く怖い目で見られた」


「嫉妬というやつかも知れないね。私には、分からないけど」


「うーん。私にも分からない」


「いや、分かるよ。どうせすぐ分かる。揉め事というのは結局嫉妬と情欲だよ。無関係ではいられない。特に君はまだ空っぽだから、きっとそれを良いことに自分好みに調整したがる子が、いつか出てくるよ。付け込まれないようにしないと、ね」


「……もしかしてレアせんぱいの話をしている?」


「おっと、失礼した。『いつか』じゃなくて『もう』いたんだね」


 コルトは肩を竦めた。リーンズィがムッとして言い返そうとしているうちに、黒髪の乙女は商店の門戸を押し開くために長い足を撓めた。


「それじゃあお待ちかね、本格的な文化収集の時間だよ!」


 そうして思い切り蹴った。

 砕け散る音がした。

 それだけだった。隙間からバリケードらしき家具が覗いていた。扉を蹴り破っても 出入り口は開通しなかった。

 コルト少尉は無言で脚を引き、直立しようとしたが、脚の骨が折れていたせいで転びそうになった。

 よろけたところをリーンズィに抱き留められて、「うわぁかっこわるい」と赤面して、曖昧な笑みで呟いた。


「……私もレアのことを言えないな。もうやっちゃって良いよ、SCAR!」


 どこを目指してか、懸命にスパイクで壁を昇っていた大量虐殺兵器が、呼びかけを受けて投身する。

 煤けたアスファルトが砕け散り無機質の飛沫をぶち上げる。

 着地するや否や、蒸気機関から黒煙を噴出させ、爆音を立てながら怒り狂う闘牛の苛烈さでバリケードに突撃し、今度こそ障害を木っ端微塵に打ち砕いた。


 四足獣とヤドカリの鋼鉄の私生児といった外観のSCARは、破壊した後には興味を示さず、すぐそばの壁にスパイクを刺してまたよじ登り始めた。

 やる気を感じさせない低速なので、何となくいじらしさのようなものを覚えないでもないが、行動原理が不明なため、ますます昆虫じみている。


「あの、コルト少尉。これは好奇心なのだが、あれは、あの機械は何故上のほうに行きたがるのだろう……?」


「見渡しが良いというのはアドバンテージだからね。あの子も『私』だけど、生体に縛られない分、この私よりシンプルかつ合理的に活動するんだ」


 支えるリーンズィの腕の中で、黒髪の女は春の気配に綻ぶ花の笑みを見せた。


「そんなことより、砕けた私の脚の心配はしてくれないのかい、リーンズィ後輩?」


「……脚は大丈夫?」

 この機体にまともに取り合ってはいけない。

 しかしリーンズィは意地悪をしたくなって、潔癖そうな美貌にそぐわない、いかにも人なつこそうな媚笑で囁いた。

「コルト、せんぱい?」


「もちろん」

 受けて、黒髪の美女はクスクスと喉を鳴らす。

「なるほど、先輩っていうのは良いね。くすぐったいね、肋骨の溝を、優しく舌先でなぞられてるような気持ちになるよ。でも、今のはあの子に聞かれたら怖いね」


「今後もリーンズィ後輩と呼ぶと言うなら、私は今度は、レアせんぱいに言いつける」


「おや、怖いことを言うね。お互い水に流そうか。……このお店はどうやら女性向けの衣類・雑貨のお店みたいだし、レアが喜ぶものもきっとあるだろう。改めて文化収集の時間だよ」


「それで、さっきから……文化収集というのは?」


「ああ、人類文化継承連帯の掲げるお題目さ。クヌーズオーエ解放軍は失われ行く人類文化の、その残滓を収集・保存するために、果てしなく続くこの都市を荒らして回るのさ。気に入ったものがあれば持ち帰り、自分のものにして良いことになっている。売るも愛でるもその機体次第。保護指定物もあるけどね……とにかくショッピングを楽しもう。君には文化的な行動の経験値が、全然足りてないからね」



 コルトが球形の小型照明装置を店内に投げ入れた。

 手招きされるがままにリーンズィは打ち砕かれたバリケードから店内を見渡した。

 何もかもが、リーンズィたちのあずかり知らぬ時の流れに削られていた。未だ残留する混乱と絶望の気配。蒸気機関機械の膂力の前には藁の楯も同然だったが、スチールラックやソファで簡素なバリケードが築かれていた。

 ここに誰かが立てこもっていたのだ。

 花の香りがした。

 薄暗い店内の空気を吸った途端に、リーンズィは臨戦態勢に入った。


 不死病患者の甘い体臭だ。

 室内には陳列棚が並び天井も低い。ハルバードは使えないだろう。安普請の合板の天井は方々で崩落しており、こぼれ落ちた石綿が冬至祭の飾り付けとなって垂れ下がっている。

 そのせいでとにかく足場が悪く、視界も優れない。打ち捨てられた文明の器物たち。新しい時代には不要だとされた苔むした円筒形カップ、稚拙に繋がれた模造宝石のアクセサリー。埃にまかれ不出来な透明人間のように姿を浮かばせる硝子製の猫や兎たちの彫像。

 肝心の目標の姿は見えない。

 レジ・カウンターの内側、開かれた精算機械の札入れに紙片が押し込まれている。リーンズィは何気なく内容を確認した。未知の記号の群れだった。

 コルトにも読ませたが「言語学者じゃないからね」と首を振った。完全な理解には専用の解析エンジンが必要だろう。


 店内の片隅、トイレと思しき場所から物音がした。

 コルトと無声通信で段取りをした。

 数秒の後、ライトブラウンの髪の少女は足音を殺して身を躍らせた。

 重厚なブーツの爪先がふわりと羽根のように瓦礫を踏む。甲冑の両手を格闘の型に固定しながら、突撃聖詠服の鴉羽のマントで球形照明装置の仄かな光を遮り、店舗を月夜の影のように駆ける。

 一拍の間を措いてからコルトも拳銃を構えて進入してくる。

 ハンドサインを受ける。


 慎重にトイレのドアを開き、覗き込んだ。朽ちたドレスを着た女が便座に言葉も無く座り込んでいた。自衛用と思われる小口径拳銃を片手に、何も無い空間に向けられた瞳には魂が無い。足下にはメモ帳が散乱していて、やはり言語学的に一文字たりとも読み取ることは適わなかったが、慟哭をぶつけたのであろうその荒々しい筆致は雄弁に絶望を語る。


「……読まれることを想定してないような殴り書きは、それだけで強烈な言葉になるんだよ」


 同意見だった。致命的な諦観と絶望を読み取るのは容易だった。

 ここで何があったのかは、朽ちて黴や粘菌の苗床になりつつある柱のみぞ知るところではあるにせよ、トイレにまで追いやられ、ギリギリの精神状態で拳銃自殺したのではないかという予測は立つ。

 そこに至る経緯を知る術は無い。バリケードを形成し、外の不死の災禍を怖れてこの店に閉じこもり、いっそ生ける屍になるよりはと、自害したのかも知れない。

 結局はそれも無駄だったのだが。

 知らない間に、感染していたのだろう。死した後に蘇り、今となっては、悪性変異の兆候も無い健全な不死病患者だ。


 絶望すら彼らには遺されていない。

 何もかも消え失せたのだ。

 彼女を自殺に追い立てた、狂気じみた恐怖さえ、大脳の脳溝に飲み込まれて。

 停止した精神活動という暗黒の海底へと、落ちて、ひしゃげて。

 もう、この世のどこにも無い。

 ただ哀しみのひとかけらも、ここには無い。

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