末裔の少女①

「君がお洒落をすれば喜ぶ人がいると思うよ」と言われたので、リーンズィは布の塊を素直に受け取った。


 まだ朽ちていない布束や、黴が浮いている革のコート。こんなものが何の役に立つのだろう、とリーンズィは不思議に思う。

 いずれもスチーム・ヘッド、特にオーバードライブ機能を搭載した機体の活動には、到底堪えるものではない。準不朽素材でもない下着など、すぐに擦り切れてしまうだろう。

 その点、リーンズィの肉体、ヴァローナが着ているインバネスコート型の突撃聖詠服は優れていた。

 不朽結晶連続体で編まれているだけあって、どれだけ酷使しても破損する兆候が無い。装着していても不快感が少ないというのも特徴だろう。わざわざ胸部だけを固めて乳房を保持するようになっている構造を見た時には、これこそまさしく不合理性の発露だと思ったものだが、とリーンズィは自分の体を包む不朽の衣服をさすりながら考える。意外にも、激しい動作を充分に想定して作られているようだった。


 そもそもリーンズィには身繕いをするという感覚自体が理解しがたいものだった。

 割れた鏡に向かって、拾った衣服を首から下に宛ててみる。

 よく分からない。好悪が無いので、まさしく理解が及ばない。

 ただ、自分のものでは無い肉体、アンヴィヴァレントな美貌を持つ少女であるヴァローナには、どの服も相応に似合っている。

 彼女には、何か服飾への欲望は残っていたのだろうか。


「とは言え、アルファⅡモナルキアのエージェントたる私には、今の服があれば充分なのでは……?」


 リーンズィとしては、どうしてもそう思ってしまう。お洒落というのが何かの役に立つのだろうか。

 私がお洒落をして喜ぶ人がいる? そもそも、誰かが特定の服で着飾っていたとして、それの何が嬉しいのだろう。

 金色の髪をしたミラーズを思い浮かべながら、着て欲しい服があるか考えてみたが、思いつかない。ヘカトンケイルが着ているような改造給仕服などは似合うだろうが、逆にミラーズに似合わない服など存在するのだろうか?

 何を着ても美しいはずだ。


 衣類に興味が無いのはコルトにしても同じようだった。人には服を勧めた割に、ベルトを何本か確保した後は、文庫本や飲料、缶詰の類を漁っていた。風船のように膨らんだ保存食の、内容物が噴出した痕跡のある赤錆びたブリキ缶のラベルの絵を眺めて、ラベルを読む素振りをして、無言で棚に戻した。

 それから黒髪を纏めて、ヘルメットを被り、SCAR運用システムに向かって取得した画像データの解析を実行を指示した。しばらくして溜息を吐き、飄然としたその素顔を晒した。

 リーンズィからの視線に気付いていたらしく、曖昧な微笑を浮かべて首を傾げてきた。


「……コルトには、何か分かったのか? 分かったの?」


「いつも通りさ。つまり、何も分からない。クヌーズオーエの鏡像体は全部そうだけど、言葉に意味が伴っていないんだよね。だから文字列として解析しても、満足な結果は出ない。……材質や劣化具合から判断するに、どうにもこの新しいクヌーズオーエは、基準点から二百年ぐらい経っていそうだ。食べ物の類は信用ならないね」


 ぼろぼろの真っ黒な塊を持ち上げて、珍しくコルトは残念そうに溜息を吐いた。


「煙草も香木もご覧の有様だよ。全部湿気って、黴だらけになってしまってる。不死病患者と一緒に閉じ込められていたなら、少しはマシかなと期待したんだけど思ったんだけど……」


「私もそういった物資を探した方が良い?」


「そういった物資? ああ、缶詰とか、こういう消耗品とかかな?」


「うん。コーヒーなども貴重品だと聞いた。解放軍では飲食物の需要が高いのでは? 服よりも嗜好品を探すべきならそうする」


「嗜好品は確かに貴重だし、需要も高いね。でも普通の服だって基本的には嗜好品だから、結局は同じことさ」


「そうなのか……そうなの?」


「重要なのは朽ちてないかどうかだよ。この店には、あんまりもう期待出来ないかな。準不朽素材のアンダーウェアなんて展示してるから、もしかして、と思ったけど、きっと客寄せの展示品だったんだろうね。めぼしい服はさっきリーンズィに渡した分で全部だったし」


 リーンズィは腕の中に収まる程度しかない衣服を見て呆然とした。


「たったこれだけしかないのか……」


「遺棄された市街地の探索なんてそんなものさ。ま、あとはトレーニングの一種だと思って適当に見て回ると良いよ」


 リーンズィは薄暗がりの中で素直に頷いて、服をまとめて肩の片方に掛け、ライトブラウンの髪を揺らしながら、然程広くない店内を歩いた。

 向けた視線の先の棚に、気を引くものがあった。

 ウサギのぬいぐるみだ。

 レアが、ウサギの意匠の入っていたグッズを愛用していたのが自然と連想される。レアがどんな服を喜ぶかは分からないが、このぬいぐるみは嬉しいのではないか。

 

 ぬいぐるみを一つ取ってみる。

 埃にまみれて、如何にも惨めなありさまだったが、腐敗は進行していない。洗濯タグのピクトグラムを見た限りでは、化学繊維をふんだんに使っているらしかった。背中にはファスナーが設けられており、色落ちした放射能標識と矢印が書かれている。

 一応内部を確認したが、電池ケースのようなものがあるだけで、何も入っていなかった。

 ばふばふと叩いてやると、表面を覆っていた埃が綿雪のように飛んで宙に溶け、場違いなほど愛らしい白ウサギの姿が仄暗い店内に浮かんできた。

 商品名が書かれていると思しき札は腐れて変色し、そもそも文字として理解できなかった。


 リーンズィはウサギを目の前に持ち上げてじっと見つめた。

 ふてぶてしく腹ばいになって、暢気に居眠りをしているような造形。少女はぬいぐるみの手や脚をつまんで弄んで楽しみ、そのぬいぐるみに、仮にうたたねウサギと名付けた。

 陳列棚には同じシリーズらしきぬいぐるみが置かれていて、セット商品なのだろうか、二本足で立った珍妙な亀のぬいぐるみも置かれていた。

 何とはなしに、うたたねウサギを撫でてみた。とても、もふもふとしている。内部にはアクリルビーズでも詰められているのだろうか。

 それから、ぬいぐるみを持ち上げたり下ろしたりして、しばしロングキャットグッドナイトに思いを馳せた。


「……この運動、思いのほか楽しいな……」


 リーンズィは少しだけロングキャットグッドナイトの気持ちが分かった。


「ん、イソップ童話シリーズのぬいぐるみじゃないか。興味が無かったから気付かなかった」

 コルトが寄ってきて、リーンズィの弄んでいるぬいぐるみをつついた。

「状態も良い。当たりだね」


「これは、人気がある?」


「可愛いよね」


「かわいい。あと、されるがままなのが良い」


「そのあたりは副次的な価値だけどね。電池は……さすがに無いか。リーンズィの筋出力だと、中身が入ってたらそんなに軽々持ち上げられないだろうし」


「電池に真の価値がある?」


「うん。そのシリーズ、本来の用途は外部からの電気の供給に頼らない暖房器具なんだよ」


「確かにモコモコして温かそうだが……」


「そうじゃなくて。これ、なんだよね」


「原子力電池」

 リーンズィは真顔で復唱した。

「もしかすると、放射性物質が崩壊するときのエネルギーを利用して発電する装置のことを言っているのか?」


「それ以外に原子力電池ってあるかな」


「いや……確かに原子力電池を中に入れれば発熱して温かいと思うが……人体への影響とか……いや、そもそもこんなぬいぐるみに、どうしてそんな危険なものを……?」


「うん、謎なんだよね。どう考えても民生に出回るような代物じゃ無いのに、クヌーズオーエを探索してるとたまに発見されるんだよ。それを抜きにしても、そのぬいぐるみは腐らなくて可愛いから掘り出し物だよ。価値はそこまで無いけど」


「無価値なのか?」


「無価値では無いよ。売れるかどうかは君次第だね」


 リーンズィはうたたねウサギの顔を自分の方に向けて、何度も頷いた。


「同意する。無価値である筈が無い。どう見ても可愛い。やはりこれは可愛いのだな。よし、たくさん持って帰って、何個かはレアせんぱいへのお土産にしよう」


「そうだね、贈答品にするのが確実だよ。レアも喜ぶと思う。でも、あんまり持って帰ると、荷物が多くなりすぎじゃないかな? 来たのと同じ長さの道を引き返すわけだけど」


 リーンズィは手の中のもこもこにハッとさせられた。

 ぬいぐるみは、兎に角かさばる!

 そんな当たり前の事実に衝撃を覚えた。


「じゃあ、たくさんは持って帰れないな。三個……いや、二個。一個は部屋において、もう一個はレアせんぱいに……」


 コルトがこほん、と咳払いをしたので、リーンズィは不安そうな顔をした。


「どうした? 喉が故障したのか? 埃のせいか?」


「え、違うよ。やっぱり医療関係の組織だとそういうのが気になるの? そうじゃなくてね。何なら、私のSCARで運んでも良いんだよ?」


「しかしあの機械には警戒の任務が……」


「安全を確保した道を引き返すのに警戒は必要かな?」


「でもコルト少尉には何の得も無い」


「私だってアルファシリーズに連なる機体だからね。遠縁の姪っ子にいい顔をしたいこともあるよ。確かに私は何も信じてないけど、家族とか……そうした繋がりまで無価値だとは、考えていないからね」


 リーンズィは目を丸くした。

 そして少しだけ躊躇い、申し訳なさそうに目を伏せ、口元に喜びの笑みを浮かべながら、コルトに尋ねた。


「……では、お言葉に甘えても、いい? こんな、ただのぬいぐるみだけど……」


「うんうん。甘えて良いよ」コルトは人間的であると錯覚させるような感情を示して、笑った。「くすぐったいね、頼られるっていうのは。……あの子だって、もっと素直なら可愛いのにね」


 異形の多脚機械は障害物を避けながらリーンズィのすぐ傍まで走行してきた。

 ありがとう、とリーンズィがSCARの装甲を撫でると、コルト少尉がどういたしましてと返事をした。

 リーンズィは慎重にSCAR運用システムに突起物に戦利品を吊るしていった。ただ、考え無しに作業したせいで、うたたねウサギが首吊りをしたような格好になってしまった。

 一旦取り外し、クリスマスツリーの星飾りのように、SCARの蕾のようなドーム状の天辺に一つだけ載せてみた。

 うつ伏せて、ぐでっと四肢を伸ばすウサギは、何だか空を飛んでいるようにも見えた。

 その調子で、天辺の他の傾斜にも慎重にぬいぐるみを積んでいくと、陣形を組んだウサギの軍団が完成した。


「器用に積むね。それにしても、レアがウサギを推してるのは知ってるんだね?」


「ウサギの小物をたくさん持っているのは知ってる。レアは、やはりウサギが好き?」


「好きって言うか……。ええ……明言してないんだ……」年代不詳の骨董品を持ち込まれた質屋が出すような微妙な声音であった。「まぁいいや。それで、レアはともかくとして、リーンズィはウサギは好きかな?」


 リーンズィは少しだけ考えて、頷いた。


「ウサウサピョンピョン卿以外のウサギは好きだ」


 そっかー、ウンドワート以外かー、とコルトは曖昧な顔をした。




 店舗内を探しているうちに二人は室内の不自然さに気付いた。

 一度外に出て、建物の外観を確認し、中に戻って、抜け落ちた天井を見た。

 それから、暗い店内に腰を下ろし、膝をついて床を観察する。

 

 棚の幾つかを押し潰している床材の量を確認し、そして散らばっている商品のうち、どれだけがその場にそぐわないのかを確かめた。

 衣類の陳列棚の床に、化粧品や袋菓子の残骸が散らばっている。

 さらには、コルトがヘルメットを被って検分した限りでは、床に積もった破片には、木材でも衣類でも無い微細な破片が含まれている。

 おそらくは完全に朽ちた段ボール箱だろう。

 そんなものはこのフロアには一つも存在していないというのに。


「これは、ここにあるべきものじゃないね」


「ということは、上から落ちてきた」


「だろうね。問題は、上にアクセスするにはどうすればいいのかということ」


 不整合とは、それのことだ。

 明らかに二階建ての店舗だったが、店内には上階に行く経路が見当たらなかった。

 階段もエレベーターも梯子もない。


「覚えておくと良いよ、リーンズィ。こういうのに気がつくと得をするんだ。在庫を格納しておくためのスペースも足りていないし、そういう意味でも上階が存在していないと変なんだ。おそらく二階への入り口は意図的に塞がれているんだろうね。上に大事なものを隠しているんだろう」


 白いヘルメットのスチーム・ヘッドは、西部開拓時代の古い回転式拳銃を模したその不朽結晶製兵器を抜いて、四四口径の鉛玉で、何も無い空間を狙って一発だけ発砲した。

 甲高い発砲音が店内の静寂を無遠慮に引き裂き、跳ね回る狂犬のようにそこいら中に反響した。

 うう、とトイレに閉じ込められている不死病患者が警戒の声を出して、すぐに静かになった。


 一方でライトブラウンの髪の少女は、息を潜めて、じっと耳を澄ませていた。

 そしてヴァローナの瞳を起動させながら、視覚において非言語的な機能が働く部位を探した。

 壁際の陳列棚に違和感があった。

 手がかりを掴むとイメージが連鎖していき、その店内の棚の、本来あるべき位置、適切な配置というものが、朧気ながら理解できた。

 入り口の扉を塞いでいた棚があるべき場所も、図形的なバランスから導出されたが、今度は幾つかが足りていないという直感があった。


 足りていないと感じ始めると、今度は壁際の陳列棚の配置の、何とも言い難い不自然さが存在感を増してくる。

 決定的な確信があるわけではない。

 しかし、違和感のある場所から棚を移動させれば、ちょうど調和の取れた状態になる、という絵が見えた。


 時の嵐に取り残された店内で、よくよく観察すればその棚に並べられた品々には一貫性が無い。

 シリアルフードが入っていたらしい黒ずんだ虫の死体に囲まれた紙箱の残骸、破裂したスナック菓子の袋、丸められたレジ袋、丸められたレジ袋、丸められたレジ袋、もはや誰からも必要とされないサプリメント剤の空瓶、錆び果てて根元から折れた簡素な卓上十字架。

 共通する要素があるとすれば、いずれも然程の重量が無いと言うことだ。

 偽装した痕跡を誤魔化すために、後から個人で運搬がしやすい品物を有りっ丈詰め込んだという風体だ。


「このあたり……だろうか」


 リーンズィの甲冑の指先が棚の一角を指差した。


「だろうね。SCAR運用システムの音響解析でも同じ結論だよ」


 二人して棚を移動させる。

 空飛ぶうたたねウサギは、SCARの上から一部始終を平和裏に眺めていた。

 

 果たして、朽ち始めている扉が現れた。

 錠がかけられており、蝶番は錆びきっていて、ドアノブを掴むと誰か分からぬ顔の無い怪物が向こう側から扉を抑えているような錯覚がある。

 リーンズィは甲冑の指先を鍵穴に押し当て、一瞬だけオーバードライブを起動させて出力を向上させ、シリンダーを押し込んでぶち抜いた。何度か扉を蹴り、受け具ごと扉内部のデッド・ボルトを破壊した。


 暴力的に開放された扉が、無慈悲な時間の経過を代弁して、悲鳴のような甲高い音を上げる。

 扉の先には階段があり、天窓から僅かに光を取り込むばかりの埃舞う暗澹の空気が、肺腑に纏わり付いてくる。

 如何にも不吉で、進みたくないという本能的な嫌悪感にリーンズィは感慨を覚える。『不吉』。これこそが、管制されていない感覚で捉えた、生きている『不吉』なのだ。


「上にはきっと倉庫があるよ。SCRAで見てきても良いけど」


「それはいけない。彼にはウサぐるみたちを守る仕事がある」


「じゃあ私が行こうか」


「鉄砲を撃つと不死病患者が怯えてしまう。素手で制圧できる私が適任だと思う」


「私もそれなりに腕は立つよ? バイク乗りのコスプレして、趣味で拳銃撃ってるけど」


「拳銃は趣味だったのか? 武器ではなく?」


「そんなのもちろん趣味だよ? 実用性がないとは言わないけどね。六発しか装填できない、しかもシングルアクションのリボルバーなんて、真面目に使うものでは無いよ。相手が素早くないなら、パンチの方が確実だし」


「それならばやはり不朽結晶装備の私が先頭だ。コルト少尉はその後からついてきてほしい」


「妥当なところだね。要請を受諾したよ」


 コルト少尉は単眼のヘルメットを被った。

 その不朽結晶連続体のレンズと目配せをして、リーンズィは徒手格闘の構えを維持し、慎重に軋む階段を昇っていった。


 相当に腐敗が進行しており、壁一面が黴や得体の知れない植物の蔦に覆われ、無視できない罅が入っている。見たことのない小さな虫が無数に這い進んでいる。未知の文明。遺棄された都市に生まれた言葉も知性も持たない新しい生態系。

 階段を一段踏むたびに打ち捨てられた死骸の背骨を踏んだような不快な音がした。

 フル装備のアルファⅡモナルキアなどが昇れば、崩落してしまうかも知れない。


 上階に辿り着いて、その出入り口を塞いでいる扉も先ほどと同じように破壊する。

 硝子の無い窓から差し込む光のおかげで室内は思いのほか明るかった。

 床があちこちで崩れていた。朽ちて湿り気を帯びた黴だらけの段ボールがそこいら中に転がっている。

 コルトが予想したとおり、倉庫だったのだろう。これらの在庫は、もはやどのような帳簿にもカウントされることは無い。

 顧客はおらず、人の営みはなく、ここに人類文化は息絶えている。

 息絶えた人々の時間だけが、静かに漂っている。


 リーンズィは考える。

 このクヌーズオーエは二百年ほど前のものだとコルト少尉は言っていた。出入り口はバリケードで閉鎖され、二階への階段は塞がれていた。

 そうまでして上階を守ろうとしたのは誰なのだろう?

 トイレで自殺していた女性のことを考えた。きっとこの店を愛していたに違いない。そして愛したものの、新しい時代における価値を知ること無く、この薄暗い店舗で永久に過ごしてきた。頼る者も愛する者も無い。永久にひとりぼっち。

 知らず、リーンズィは目を伏せていた。

 彼女はこれから永久に一人で何かを守り続ける覚悟をして、あのトイレで自殺をしたのだ。


 コルトと足場が許す限りで散策していると、在庫らしき段ボール箱に東洋に伝わる十二支のプリントが微かに残っているのを見つけた。

 好奇心にかられて開封してみる。

 二足で直立している猫のぬいぐるみが出てきた。

 だが、十二支のプリントに猫の姿は無い。


「ねこ……」おはようございます、と挨拶をしてみる。挨拶は大事だ。


「置き去りにされた猫。仲間はずれにされた猫。十二支の十三番目だ……!」

 コルトが不意に弾んだ声で口にした。

「それは東アジア経済圏で流行ってた十二支シリーズ・コレクション・トイのシークレットだよ。こんなところにあるなんて」


 改めて持ち上げると、胴体が少しだけ伸びた。ロングキャットグッドナイトが可愛がっている猫のことが思い出されて、リーンズィは自然と微笑んでしまう。

 彼女の真似をして上下してみる。


「伸びる。よく伸びる。本物の猫もこんなに伸びるのだろうか」


「猫は伸びるよ」コルトが食いついてきた。「リーンズィは猫も好きなの?」


「好きだ。猫が好きなレーゲントも知り合いにいる」


「へぇ。猫なんて滅多にいるものじゃないけど。そう言えば二十四攻略拠点には今が来てたね。彼女、猫にはなかなか触らせてくれないからフラストレーションが溜まるよ」


「ロングキャットグッドナイトのこと?」


 コルトは無言だった。


「……ずいぶん長い名前だね。今はそんな風に名乗ってるんだ、あの異端者は」


「知り合いではないのか」


「知らないわけでもないよ。管轄外だから普段は接触がないだけ。私たち解放軍とは別の派閥だから、みだりに接触も出来ない。あれは、ヴォイニッチの使徒なんだ。それがどうして解放軍側で活動してるのは明らかではないよ」


 彼女は、では一体何なのだろう。

 誰にも知られないまま、ずっと猫を連れて、街を彷徨ってるのだろうか。

 あのトイレに閉じ込められた不死病患者とどう違うというのか。

 彼女はもしかすると、ひとりぼっちで、ずっと夜の街を守っているのではないだろうか?

 何故だか悲しくなったので、リーンズィはロングキャットグッドナイトのかわりに、このぬいぐるみを連れて行くことに決めた。

 突撃行進聖詠服の胸元のボタンを外し、そこに押し込んで、頭だけが自分の首元から覗くようにした。


「一緒に行こう、小さい猫の人」


 胸元で猫がにゃーと鳴いた気がした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る