調査隊の行進③
最初の衝突でカースド・リザレクターに跳ね飛ばされた先導隊の面々も、すぐに再生を終えて戦列に復帰していた。
変異進行率は許容範囲内だ。
ダメージが尾を引いている機体は見受けられない。
歩き狼どもも、あっという間に檻の中に閉じ込められてしまった。
「素晴らしい。本当に素晴らしい! ハレルヤハ!」
ライトブラウンの髪の少女は聖詠服を揺らしながら無邪気に歓声を上げた。
「無力化した悪性変異体の保護もプロトコル通りだし、何より迅速だ。これはとても凄いことだ!」
惜しみなく賞賛して、頻りに頷いた。
「もしかすると、君たちクヌーズオーエ解放軍は、世界最高の医療組織なのでは?」
『歴史上現れた中ではもっとも優れた軍隊でしょう』
ヘンラインは誇らしげだった。
人類文化継承連帯でも、本物のスチーム・ヘッドだけで構成される部隊は、精々が三十機程度の規模だった。これはスチーム・ヘッドの絶対数が少なかったためで、なおかつそれで充分だったからだ。
たった三十機でも、不滅にして不朽の兵士を戦力としていない国ならば、それだけで簡単に攻め落とせる。パペットならば一機でも小国を相手に出来る。
ところがクヌーズオーエ解放軍では、そういった精鋭たちを百機も集めて部隊を形成しているのだ。
しかもこの百機前後の部隊が、さらに百も二百も存在しているのだ。
ただ、そのことを殊更に驕らない自制心を、ヘンラインは持っていた。リーンズィは当然、これほどの戦力で、何故まだ目的を果たせていないのかと疑問を持つはずだからだ。彼女の疑問に回答を与えることには、今しばらくの覚悟が要る。
今日の調査はここまでだと全軍に指示を出し、屋内探索の前に小休止を命じた。
暴徒化した感染者や歩き狼程度のカースド・リザレクターなら、あと三度は余裕をもっていなせるが、余裕があるうちに手を引くのがヘンラインの流儀である。
追い詰められていないのなら、消耗を覚悟で戦う必要もない。
命令を出したあと、幾ばくかの躊躇いを飲み込んで、ヘンラインはリーンズィに向き合った。
追い詰められていないのだから、この程度の真実を伏せておく理由も無い。
『ただ、これだけの戦力を備えてもクヌーズオーエ全体の3%程も掌握出来ていないのが実状です。この都市は無限に増殖と変異を繰り返し、さらには<時の欠片に触れた者>によって絶えず改変されています。あまりにも広大で入り組んでいるため、クヌーズオーエは回廊迷宮とも呼ばれているのです。六〇〇〇〇〇〇〇分以上の時間を費やしても、どれだけの戦力を注ぎ込んでも、あの塔に近づけていないのです』
地の果てに聳える、非現実的な黒いテクスチャを纏う塔を指差し、ヘンラインは実状を正直に話した。
世界を二つに分かつ程に高い漆黒の塔。
あまりにも巨大すぎするため、実在すら疑われている、クヌーズオーエ解放軍の最終目的地だ。
「さほど離れていないように思うが……」
『現実的な尺度を当てはめれば、ここから精々一〇〇km程の距離です。街を一つか二つ越えれば、そこにあるべきだと言えます。ただ、無数の接続面を持つこの時代、この場所、この都市で、そうした距離感がどれほど役立たずかは、お分かりかと思います。一つのクヌーズオーエを超えても、次の未知のクヌーズオーエが現れるだけ。空間が隣り合っていないのです。だからどれほど進んでも、いつまで経っても塔に近付けません。実際の所、あとどれだけ探索を進めればあの塔に到着できるのか、見通しが立っていないんです』
「あの塔に辿り着くと、何かあるのだな? あるの?」
「どうだろうね、あれが『ダークタワー』なんじゃないかって言う人もいるよ」とコルト少尉。「存在する全ての宇宙を繋ぎ止めているアンカーかもしれないって。キングって知らない? アメリカが生んだ偉大な小説家。拳銃使いも出てくる作品があってね……」
『それも仮説です。旧時代のアメリカかぶれほどそういう見方をしがちですが、生憎と自分はそこまで観念的なものだとは考えていません。しかし、あれはどう考えても自然に発生するような代物じゃありませんし、高度な科学技術抜きでは建造は不可能だ。根元には、どうして世界がこんな有様になったのか、そのヒントぐらいはあるでしょうが』
しかし、観測される像から割り出された黒い塔の高度は、三万キロメートルにも達するのではないかと言われている。その数値も随分と前に算出されたものなので、現在も同等の高度なのかは不明である。ヘンライン自身の印象としては、毎日少しずつ成長しているように見える。だとすれば現在は四万キロメートルか、五万キロメートルか。
そんなも出鱈目なものが物体として実在し得るのか、正直なところヘンラインにも疑問だ。
どうであれ、あの塔を目指して進むしか無いのだ。
かつて銀髪の少女は歌った。
「前進しましょう。地の果てまで、時間の終わりまで、地獄の淵にまで、わたしたちの歌を捧げましょう! これこそがわたしたちのハルマゲドンなのです。この黙示録の街を越えた先にこそ、真の御国はあるのです! 皆様、それを信じて下さい。この果てしのない戦いを試練だと信じて、立ち向かいましょう! あの塔は天を突く柱です。その御許に楽園はあります!」
なるほど、塔を一つの目標とするのは正しい。
スチーム・ヘッドは活動目的を失えば遠からず機能を停止してしまう。それを回避するには、達成出来るかどうか曖昧な目標を仮に掲げておくのが一番だ。
人格記録媒体に格納した遠い過去を思い出しながら、こんなレコードを今唐突に再生した理由を自問する。リーンズィの顔を見ていて、すぐに合点がいった。
見慣れた顔だ。
大主教リリウムを寵愛を受けていた騎士、ヴァローナがここにいる。
だから、つい自分の考えを口にしてしまった。
リリウムとヴァローナには、嘘を見抜く特殊な精神性が備わっていた。だから、ヴァローナと同じ瞳をしたリーンズィにも自分の正直な思想を伝えるべきだと、精神が誤作動を起こしてしまった。
『ですが……これは、我々の妄念の生んだ理想郷なのではないか、と時折考えます』
「理想郷?」
『この終わらないクヌーズオーエがです』
「これが、理想郷?」かつて騎士だった少女は子供のように首を傾げた。
『はい。クヌーズオーエでは、戦うことしか出来ない我々も、いくらでも欲求を満たせます。無限に戦い、無限に探索し、無限に物資を調達できる。どういうわけか都合良く用意されている拠点では、人類の文化の真似事が出来ます。戦い、生活を楽しみ、また戦う。そうして戦い続ければ、いつか約束の地に、自分が望んだ景色にたどり着ける。ここは、そうした妄念によって形成された……途方も無く巨大なカースド・リザレクターの腹の中なのではないかと』
「危険思想だ」
しぃー、とコルト少尉がヘルメットの前で人差し指を立てた。
「忘れてしまったけど、私が真面目に聞いていたら、大変なことだったよ」
『……大主教ヴォイニッチの思想と重複しているのは認めますが、彼女に賛同はしていません。だからこそ、ここでまだ戦っているんです……内乱の時も、そしてその後も、あなたとファデル、そしてサー・ウンドワートの側に付いた。大主教ヴォイニッチと突撃隊長キュクロプスを切り捨てることに同意した……』
「待って、待ってほしい!」
リーンズィは目を見開いた。
「大主教ヴォイニッチ? リリウム以外の、スヴィトスラーフ聖歌隊の大主教が、まだここにいるのか?」
「知らなかったのかい? 解放軍から離脱して、自分の信徒たちに命じて、第九十九番攻略拠点を閉鎖しているレーゲントが一人いるんだよ。それが彼女さ」
そのときだった。
ヘンラインのセンサーの端で銀色の影が蠢いた。
視線を向けたときには、高層建築物の壁に張り付いていたバリオスが撃墜されていた。
暖機していた大型蒸気機関を毟り取られ、装甲のない両腕を切り落され、腹から内臓を掻き出され、血で帯を引いて墜落して行く。
代わって、彼女が今まで取り付いていた位置に、目では捉えきれない速度で震動する銀色の影が張り付いて、奪った蒸気機関から熱を貪っていた。
サーマルセンサーには、猛烈に発熱する人型の何かが映っている。
『ぎ、っあ……クイック……シルバー……ッ!』
断末魔の悲鳴を上げながら墜落するバリオスを、建造物付近にいたパペットが受け止めて抱え込んだ。
銀色の影は不規則な軌道を描きながら壁面を駆け下り、コンマ数秒でその背中に飛び移った。
不朽結晶連続体同士が高速でぶつかり合う轟音が大気を揺らした。
銀色の影が打撃しているのだ。しかもダメージが入っているのが火花で分かる。
敵は不朽結晶で装甲している。
ヘンラインはこの日初めて、真実の戦慄を覚えた。
クイックシルバー。
スチーム・ヘッドがオーバードライブ状態で悪性変異を起こした際に発生する、たちの悪いカースド・リザレクターだ。
出力は不安定ながら常時オーバードライブを起動させており、その限界を逸脱した移動速度から、接近を感知することも、迎撃することも困難を極める。
全軍にバリオスの無線通信は届いていたはずだが、戦闘用スチーム・ヘッドたちは反応が出来ていない。オーバードライブに相当する反応を感知した瞬間に自動的に自身も加速状態へと突入する『対抗オーバードライブ』と呼ばれる機能も存在するが、搭載機はごく僅かだ。基本的に今回のような単純な調査任務においては選出されない。
臨戦状態から外れたタイミングでの襲撃というのも間が悪い。オーバードライブを起動させるには大量の電力が必要だ。ほんの数秒
こうなるとクイックシルバーが熱量不足で息切れを起こした隙にオーバードライブに突入する以外に対抗手段は無い。
総員防御姿勢、の号令を飛ばす前に、空気が弾ける音が轟いた。
――黒い翼がはためくのを見た。
ヘンラインは、音の主はコルト少尉だと最初は認識した。バリオスを受け止めたパペットに、銀色の影が飛び移ったその瞬間、即座に拳銃を抜いて発砲していたらしい。
凄まじい速度での早撃ちだが、クイックシルバー相手には何の意味もない。
むしろこちらに引き寄せてしまうと言う点で逆効果だ。
現に、銀色の影は既にそこにいない。
ヘンラインはセンサーに知覚を走らせた。
クイックシルバーは別な位置の道路に張り付いていた。
――旗がはためいているのを、ヘンラインは見た。
赤い世界地図を背景にした、剣に巻き付く二匹の蛇。
リーンズィのハルバードだと気付くまで、多少の時間が必要だった。
一箇所に意識を集中しているために気付かなかったが、高熱源体は二つある。
オーバードライブを解除したリーンズィが、いつのまにか、そこにいた。
死に果てた都市の片隅で、石突きでクイックシルバーの未装甲の胴体を貫き、アスファルトに縫い止めている。
蒸発した血と汗が陽炎となって周囲の風景を歪ませていた。
別の時代、別の世界から彷徨い出でた、神話にのみ現れるような英雄の図画じみていた。
『はぁ……はぁ……。うう、出力の読めない相手との駆け比べは苦手かもしれない。これは、はぁ、課題だな。こちらアルファⅡモナルキア、エージェント・リーンズィ。悪性変異体症例31号<時計の針を探す者>を鎮圧した……はぁ』
ライトブラウンの髪をした少女は汗を拭い、息を途切れさせながら、手足を切断されてなおも藻掻くクイックシルバーの腹にブーツの爪先をめり込ませ、踏みつける。
インバネスコートから露出した白い脚に血が伝い、奇妙なほど艶めかしかった。
怪我らしきものは無い。
全て返り血か、廃液だ。
『ふー……私の筋肉出力では、拘束の継続が、難しい。大至急応援を願う』
『な、何……が……起きた……?』
ヘンラインには、状況が飲み込めない。
戦闘用スチーム・ヘッドたちも呆気に取られて、何時の間にかクイックシルバーの制圧を終わらせていたリーンズィを眺めていた。
『どうして、誰も来てくれないんだ……? どうして……』
リーンズィは喘ぐように息をしながら、哀れっぽい声で尋ねてきた。
『手出ししてはいけない決まりでも、あった? 皆が呆としているので、一足先に対処をしたのだが……<時計の針を探す者>は発見即制圧がセオリーなのに、皆のんびりしているなと思って……』
『い、いや、問題ない!』ヘンラインは声を張り上げた。『リーンズィ様、お見事です! インターセプター、さっさと拘束に向かえ! レーゲントたちはバリオスの救護と、クイックシルバーの沈静化を!』
指示を下すが、ヘンラインにも自分が目にしているものに納得がいかない。
導き出される答えは一つだけなのだが、どうしても直観的に受け止めがたかった。
『我々の誰よりも早くオーバードライブ状態に突入して、クイックシルバーを仕留めたのか? クイックシルバーは五倍以下の速度には絶対に落ちないんだぞ……それを、まともな大出力蒸気機関も積んでいない機体が……予備動作無しで……? 対抗オーバードライブが可能でも倍率が異常だ。有り得るのか、そんなスチーム・ヘッドが……』
慄然とする
「彼女は首輪型人工脳髄のバッテリーだけで、タイムラグ無しでオーバードライブを起動できるんだよ。ファデルからは十倍ぐらいは速度を出せるだろうって聞いてたけど、今のはもっと速かったね」
コルト少尉はこともなげな様子で、弾倉から二発分の薬莢を取り出し、代わりの弾丸を装填した。
ヘンラインは一発しか撃っていないと認識していたため、0.1秒にも満たない時間で当然のように二発撃っていたことを示すコルト少尉も、リーンズィほどではないが異様であった。
「彼女が迎撃しやすいよう、クイックシルバーの気を引くために撃ったのも、もしかすると余計だったかな」
『少尉には、リーンズィが何をしていたのか見えたのですか?』
「まさか。私の
『しかしクイックシルバーに対して発砲されているではありませんか』
「それぐらいは反射的にね? 性能的に劣っているんだから。皆もこれぐらいは出来た方が良いと思うけど。あ、ログを見てるけど、リーンズィ、オーバードライブに突入して0.005秒ぐらい、何で皆止まっているのかなって戸惑ってる。可愛いね」
その数字に、ヘンラインはまたも言葉を失った。
『……何倍の速度で活動しているんだ。二十倍や三十倍という話なのか? 異常すぎる……ウンドワート卿程では無いにせよ……』
戦闘用スチーム・ヘッドたちに「よくやった!」「見かけによらないもんだな!」と肩を叩かれて、それに生真面目に頷いて返事をしているライトブラウンの髪の美しい少女に、ヘンラインは警戒と困惑の視線を注ぐ。
「あれで、子機なんだ。笑ってしまうよね。まぁ、あの子単体での底はある程度知れたよ。でも……」
コルト少尉はヘルメットを外し、黒いショートカットの髪をかき上げて、薄らとした微笑を浮かべた美貌をヘンラインに晒した。
その空洞のような瞳に映る感情をヘンラインは知らない。
懊悩か、虚無か、恐怖か、殺意か。魅入られて硬直する不朽結晶連続体の巨体に寄り添い、女はぞっとするような淡泊さで囁いた。
「あんなとんでもない機体を子機にしているアルファⅡモナルキア本体は、じゃあ、何をするために、何と戦うために作られた機体なんだろうね……?」
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