調査隊の行進②
警戒の傍ら、今回、研修という名目で随伴しているリーンズィを確認する。
少女は緊張した面持ちで両手でハルバードを携え、いつでも動けるように準備をしていた。存外に健気である。移動すらSCAR運用システムに任せて、拳銃のクリーニングにかまけているコルト少尉には見習って貰いたい。
とは言え、リーンズィは些か緊張しすぎであるように思われた。腕の柱時計を確認すると、もう一二〇分も臨戦態勢をとり続けている。今後も二四〇分以上続く任務だ。
ハルバードには真っ赤な色をした旗が括り付けられていて、かなり視界を邪魔している。
常にそれでは精神が持たない。
ヘンラインはパペットのテールランプを瞬かせて注意を引き、視線を向けてきたリーンズィへ、情報将校だった頃の丁寧な言葉遣いで話しかけた。
『ご無礼を承知で進言致します。気負いすぎかと思われます』
「気負いすぎ?」少女はきょとんとした。「しかし、どこから悪性変異体が現れるか……」
『参加してみてお分かりになったかと思いますが、基本的にはこうした行進が何時間も続きます。このようにしてクヌーズオーエ鏡像体の調査を行うのが、我々解放軍の日常です。一日3ブロックほどを休み無く歩き続け、踏破し、危難の把握と物資の確保に励みます。非常時の備えも万全に計画されておりますので、今回はそのように警戒をして頂かなくても問題ありません』
「そういうものか? ……そういうもの?」
『少なくとも、戦闘でお手を煩わせることはありません。今は気を楽になさって下さい。ただ、今後どのポジションで任務にアサインするかは、一人軍団であるリーンズィ様がお決めになることです。警戒よりは、むしろ見に徹するのが得策かと具申します』
言われてようやく、ライトブラウンの髪の少女はハルバードの穂先を下ろした。
いかにも未熟な機体ではあるが、未熟なりに任務には忠実らしい。
その点は優秀だと、ヘンラインは評価を上方修正した。
ただし、リーンズィを単騎で活用出来る場面はあまりなさそうだ、というのが偽らざる評価だ。
アルファⅡモナルキア、リーンズィ、ミラーズの三機一組で運用するのが適当なのだろうが、この頼りない少女だけでは、先導隊の一員を務めるぐらいしか思いつかない。
先導隊も重要な存在ではあるが、一人軍団の美称を冠する機体には些か役不足だ。
行進はその後も七八分間、異常なく続いた。平常通りだ。
灰がかった廃墟の街に、虚ろな聖歌と軍靴の音色が響き続ける。火の失せた信号機。タイヤのパンクした車の残骸。このクヌーズオーエは局所的な地震か地滑りに襲われたらしく、あちこちで建物が傾いでいる。倒壊していないという事実が奇蹟と思えるほどの絶望的な空虚、もはやどこにも向かうことの無い世界の片隅で、戦士に守られたレーゲントたちは片時も休むこと無く歌い続ける。
美声を楽しむ観衆はいない。凱旋を祝う者はいない。そこに勝利は無い。底の抜けた靴を引き摺り、裸足で街を歩く、死から見捨てられた哀れな者どもにしても、真にその歌声を聞くことはない。
鳥の鳴くところを聞いた猟師のように、あるいは野良犬が走るのを眺める市民のように、注意を惹かれる。スチーム・ヘッドたちの行進を眺め、少女たちの声に耳を澄ませ、濁り無い瞳をしたまま、立ち尽くす。
そこには恐怖も歓喜も無い。
伏す者もあれば祈る者もいるが、それは形だけのことだ。
レーゲントたちの紡ぐ原初の聖句、人間が言語を獲得する以前に用いられていた痕跡器官に訴えかける、その特殊な音声によって、外部から行動を入力されているにすぎない。
『かたち』以外は、何も残されていない。
高層建築物の間にある空間を塗り潰すようにして丹念に縫い進む一団は、あるいは凱旋の式典のようでもある。
象られたものは、やはりパレードなのだろう。
聖歌の担い手たちが通り過ぎた後には、下級レーゲントやスチーム・ヘッドで構成された感染者保護担当の部隊が訪れ、原初の聖句によって行動を固定化された不死病患者たちを路上の片隅に寄せて鎮まらせたり、建物の扉を蹴破って、内部が無人であることを確認し、そこに押し込めたりした。
リーンズィは非常に不死病患者の扱いに敏感なようで、口出ししないまでも、収容・保護の様子を熱心に確認していた。
こういった部分に興味を示す新参者は珍しい。
ヘンラインにも、調停防疫局なる組織のありかたが少しだけ分かった。
うろうろしている間に、全く何の仕事もしていない機体の存在に気付いたらしい。戻ってきたリーンズィは「彼らは戦闘用スチーム・ヘッドか?」と聞いてきた。
『はい。全て戦闘用スチーム・ヘッドです』
厳めしい不朽結晶連続体の甲冑で全身を固めて、刀剣や弓矢の類、重火器を携えて、敵の姿を絶えず探している。ある種儀礼的な空気が支配する行進の中で、一歩引いて俯瞰すれば、彼らだけが浮いていた。
即ち、探索し、保護し、踏破するという原則に従っていない。
戦闘用スチーム・ヘッドたちは血に飢え、見えない敵を追い、殺すという意識によって活動していた。
進路上に存在する交差点、高層建築物に突然赤い光が現れた。
物理法則を強引にねじ伏せ、壁を疾走する影がある。
「おや、ペーダソスの徒弟だね」コルト少尉が指差して、リーンズィに語りかけた。「分かるかい? 君が毎朝会っているマスター・ペーダソスの部下だよ」
「あれがマスターの……」リーンズィがほうと息をつき、それから怪訝そうに首を傾げた。「私とマスターが親しいと誰から聞いた。彼と親しい?」
「誰からも聞いてないよ? ペーダソスとも友達じゃないね。私は友達がいないのが自慢でね」ヘルメットの単眼レンズを操作しながらコルト少尉が指差した。「へぇ、偵察軍メンバーってペーダソスと殆ど同じ装備なんだね。外燃機関だけ違うんだ。ボディも似たやつを使ってるんだ。これは知らなかったな。たまには調査に参加するものだね」
帰ってくれ、とヘンラインは思った。
圧縮空気の噴射によって壁に身体を押し付けて走る、偵察用のスチーム・ヘッド。
登録名称はバリオス。一人軍団としての身分を退いて、ファデル傘下の偵察軍を与る特殊偵察機、『凍てつく瞳』ペーダソスの徒弟である。
偵察軍はこうして未調査地域に先行して、情報収集に当たるのを任務としている。
バリオスは繊細な身体操縦を急停止。高層建築物の壁の段差に掴まって、具足のアンカーを突き刺した。蒸気機関をアイドリングさせながら、自由になった片手で腰のランタンライトの蓋を開閉して、地上に展開している部隊にモールスで合図を送る。
だが、大半のスチーム・ヘッドには意味が理解できなかった。
モールスの打ち方が間違っていたからだ。
ヘンラインは溜息を吐いた。インバネスコートの少女と、大型自走機械に腰掛けたヘルメットの兵士が顔を見合わせているのを確認し、不機嫌そうに無線を鳴らした。
『バリオス、恥をかかせないでくれ。音声で報告しろ』
『申し訳ないっス。ずっと走ってるもので、生体脳が酸欠なんスよ』至って元気そうな声で偵察兵が応えた。『タリホー、タリホー。スォームインカミン。カースド・リザレクター4。野良スチーム・ヘッド無し』
『了解。何が来る?』
『今のところ<歩き狼>だけっス』
『ご苦労、バリオス。休んでいろ。先導隊、鎮圧戦闘準備。
槌を携えた先頭の部隊が行進を停止する。
戦闘用スチーム・ヘッドたちが、己の蒸気機関を甲高く唸らせた。
一行の進路上、曲がり角の先から叫び声が響いた。
狂乱した不死病患者の小規模な群れだ。血の気の引くような悲鳴を口から漏らし、血まみれの両足でアスファルトを擦りながら押し寄せてくる。互いを食い合い、殴り合い、切り裂き合っていたのだろう、全身に蒸気を上げる傷跡があり、例外なく血の雨を浴びたような酸鼻な姿をしている。
何と哀れな姿だろう。ヘンラインの摩滅した心が悲哀を覚える。人類文化継承連帯の情報将校として彼らを救うための活動に従事していた記憶が、ヘンラインの脳裏に一時蘇り、すぐに消えた。
もっと動揺している機体を発見したからだ。
リーンズィである。いてもたってもいられないという調子で腰の蒸気機関のスターターロープを引こうとしていたが、コルト少尉に窘められて口惜しそうに動作を中断した。
オーバードライブに突入するつもりだったのだろうが、こんな段階で貴重な電力を消費していてはやっていられない。
地獄の蓋が開いたような光景に、しかし先導部隊は全く動揺しなかった。
淡々とした動作で、暴徒化感染者を片っ端から槌で殴って打ち倒し、脚を薙ぎ払い、手が足りないようであれば銃で撃って動きを止めた。
そうして相手が転倒しているうちに頭に槌を頭に押し当てて、先端に設けられた電極を脳髄に突き刺す。手元を捻ると、内部に搭載された医療用義脳が起動する仕掛けだ。安定化のためのパルスを流し込まれた不死病患者たちは、不滅の苦痛に冒された脳の活動を強制的に安定化させられ、一秒足らずで安楽の状態へと回帰していく。
「百人隊長、あの機械は何なのだ?」とリーンズィが少女の体をぎこちなく動かし、槌を振るう素振りを真似して尋ねてくる。
何だか可愛らしいので、ヘンラインは少し笑ってしまった。
『ヘカントンケイル謹製の鎮圧用義脳槌、ロボトミーハンマーです。暴走した感染者を容易に安定化させられるので人気があります』
「素晴らしい。私の本体のスタンガンよりもずっとスマートだ」
蝗の大群の如きスウォームを、先導隊は黙々といなしていく。
暴徒化した不死病患者の凶器は爪と歯だが、基本的にスチーム・ヘッドの装甲を突き破ることは出来ない。
ただし、先導部隊の何名かは敢えて生身の腕に噛み付かせることで、感染者の動きを逆に拘束していた。
未感染の人間ならば、不死病患者からの咬傷は致命的だが、不死病患者同士、特にスチーム・ヘッドに、その虞は無用である。
とうの昔に手遅れで、既に命を失っているのだから。
臆すること無く感染者を捌きつつ、少しずつ後方の部隊に合流するために後ずさっていく。
コルト少尉は、感染者たちがやってきた方向そのものをじっと見つめている。
カースド・リザレクターが放つ熱量か、特異な足音を感知しているのだろう。
同様の情報はヘンラインも既に取得している。
『カースド・リザレクター、近いぞ。先導部隊は無理をするな。どんどん後退して、インターセプターに任せろ』
先導部隊の形成する前線で止められなかった少数の感染者も、彼らクヌーズオーエ解放軍の市街地調査部隊にとって、計算外の存在ではない。
処理の限界を超えない程度に敢えて後方に通しているのだ。
ごく少数の感染者であれば、レーゲントが鎮静の聖句を重ねて唱えればあっという間に沈静化できる。
怒り狂い、あるいは怯えに錯乱して、少女たち目がけて疾駆していた感染者は、その肌に食らいつくことなく歩みを止め、通常の不死病患者と同様に平静に回帰した。
レーゲントたちは、いっそ微笑んでいるほどで、心理的に圧倒された部分は一つもなく、噛まれようが食いつかれようが、臓物を抉られようが、まさしく望むところであり、つまるところ感染者と呼ばれる程度の存在は、クヌーズオーエ解放軍にとって何ら脅威ではない。
リーンズィはコルト少尉に引き上げられて、SCARの上に昇って、一部始終を観察していた。
感嘆に、美貌を赤く染めている。
「ハレルヤハ! ヘンライン百人隊長、君の部隊の統率は見事だ! さすがと言うべきか。ファデルが君のことをとても誉めていたのが理解できる!」
ヘンラインも、素直な賞賛をされて嫌な気持ちはしない。
『生きていた頃から、この道のプロですから』と胸を張って言わせてくれる部下たちが、ヘンラインには誇らしい。
だが、ここまでは前座に過ぎない。
脅威と言える存在は、それら感染者の群れを追って現れた二足歩行の狼のような姿をした怪物たちだ。
悪性変異体。不死病患者のステージ2。
黙契の獣、カースド・リザレクター。
無数の組織、無数のスチーム・ヘッドから忌まれるその異形のうち、<月の光に吠える者>はもっともありふれた症例だ。
不朽結晶化した爪と牙を備えたそれらは、俊敏な動きで先導部隊を翻弄し、弾丸を回避し、硬化した皮膚で受け止め、逆に先導部隊のスチーム・ヘッドたちを強烈な打撃で吹き飛ばして遠ざけた。
防衛ラインを突破した獣たちは、耳障りな騒音の主、原初の聖句を高らかに歌うレーゲント集団へと疾走してくる。
駆け抜ける速度は射られた矢にも匹敵するだろう。
それにしたところで、オーバードライブ状態に突入した戦闘用スチーム・ヘッドの敵ではない。
百人隊長が、落ち着かない様子のインバネスコートの少女に「我々はあれをシンプルに『歩き狼』と呼んでいます」と説明している間に、超高速機動に移行した戦闘用スチーム・ヘッドたちが<月の光に吠える者>の巨体を空中に打ち上げて手足を切り落とし、あるいは頭部を打ち砕いて転がし、あるいは引き抜いた標識を投げて手頃な建造物に串刺しにし、あるいは不朽結晶製の矢で正確に脳幹を射抜いた。
一瞬だった。
凡百の機体では色の付いた風が吹いたとしか見えないほどの速度だ。
仕事を終えた戦闘用スチーム・ヘッドが蒸気機関を停止させ、互いの健闘を粗野な言葉でたたえ合った。続けて蒸気機関から煙吐く巨人、スチーム・パペットたちがカースドリザレクターを囲んだ。再起する余裕を与えない。
素早くこれらの獣たちを拘束し、廃材で檻を作って、安定化処置に入る。
「見事なものだ、見事なものです! 本当に素晴らしい!」リーンズィは興奮で己自身の人格という者を定めかねているようだったが、それでも賞賛の言葉を紡いでくれた。「私の認識では、悪性変異体をこうも簡単に無力化できる組織は、地上に存在しなかった」
『自慢の部下たちです。スチーム・ヘッドを百機も揃えれば、カースドリザレクターなんてものはどうってことないんですよ』
「そのようだ。特に、<月の光に吠える者>……歩き狼だったか。あれを浮かせて対処するプランは私がいた組織でも立案されていたが、実行は難しかった」
『蹴ってるだけです。簡単ですよ』
「簡単だろうか?」リーンズィは小首を傾げた。「オーバードライブ状態で迂闊に打撃すれば、相手に過度なダメージを与えて、肉体を木っ端微塵に破裂させてしまう。加減がとても難しい。それを平然と実行できる機体がいるのは、練度が高い証拠だと思うが」
ヘンラインはパペットの内側で意外そうに嘆息し、リーンズィに対する評価をさらに上方修正した。
リーンズィはカースド・リザレクター、悪性変異体について造詣が深いらしい。前線では仕事が無いという印象だったが、分析官としてのポジションもあるかもしれない。
歩き狼は、平均して2m以上の体躯を持ち、おおよそ常人離れした膂力と速度を持っている。
だが、実際の質量は通常の人間と大差ないのだ。そして強靭そうな見かけに反して、衝撃に非常に弱い。
現実に打ち合わなければ、実感としては掴みにくい部分だ。
多くのカースド・リザレクターに共通する特徴として、彼らは見かけほど重くない。己の恒常性を保護するために人間離れした身体構造を得ているものの、大抵は生存に不要な臓器を転換し、組み替え、機能を別の部位に集中した結果、見かけ上の体積が大きくなっているだけのことだ。
だから首尾良く空中に打ち上げるなり、行動能力を削ぐなりすれば、一時的にせよ簡単に無力化出来る。
「オーバードライブ搭載機をこれだけの数同時に運用するというのも珍しい。適合者はそれなりに希少だったはず」
『解放軍でも希少ですが、一個の調査部隊に五機程度は配備するのが通常です』
それぞれオーバードライブ性能には差がある、という点までは説明しない。軍団長ファデルや聖歌隊のリリウムシスターズ、ウンドワート卿にまで承認を受けた一人軍団と言えども、昨日今日やってきた新参者に手の内を全て明かしてしまう愚は犯さない。
基本的にスチーム・ヘッド同士の戦闘は不朽結晶装備とオーバードライブ可能機の数で決まる。
転移する以前から戦い続け、クヌーズオーエにおいても各地の抵抗勢力、あるいは離反した友軍と、不死と不死による骨肉の争いを繰り広げてきた継承連帯では常識だ。
オーバードライブ能力はシビアな時間制限と避け得ない反動を抱えた切り札の中の切り札であり、人格記録媒体の特性次第では使用自体が不可能というケースも多いが、使用者には文字通り次元が違うレベルの戦闘能力をもたらす。
何にせよ、それほどの戦力でさえ、クヌーズオーエ解放軍では、配備に困るほど少ないということはない。
ヘンラインたちを悩ませるほどの相手は、正体不明の『首斬り兎』や忌まわしき『暗き塔を仰ぐ者』のような特殊な存在以外には無い。
敵対はしていないが『ヴォイニッチの不滅隊』も厄介だ。
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