調査隊の行進①
百人隊長の一人である『時計屋』ヘンラインにとって、その日の調査任務は胃が痛いものだった。
もっとも、
ストレスで傷む胃などあろうはずもなかった。
だが、現実に、ヘンラインは巨大な蒸気甲冑に置き換えられた自分の無機質なボディに、確かに苦痛を感じている。
かつて情報将校として奔走していた記憶が、幻の痛みを生むのだ。
言わば胃痛の幻肢痛だ。板という板に挟まれ尽して、モラルと任務の狭間、スケジュールというスケジュールの擦り合わせで血反吐を吐いていたあの過酷な時期、買い集めた胃薬を、健康増進のサプリメント剤のように何種類も飲んでいた記憶が、不死身の肉体の胃に苦痛を再生するのだった。
「どうして自分にばかりこんな役目が回ってくるんだ? どうして皆して、首を時計の針で挟もうとするんだ……」
ヘンラインは誰にも聞こえないよう、不朽結晶連続体で構築された鎧の内側で愚痴をこぼす。
巨大な腕に縛り付けた柱時計で時間を確認するふりをしながら、パペットの後頭部に設けられたレンズで、密かに胃痛をもたらした主たちを見渡した。
一人は不朽結晶連続体のインバネスコートで身を包んだ、明るい茶髪をした少女だ。
使用している肉体の年齢は、十代の半ばから後半ほどだろうが、その年代としては背が高い部類に入る。
目が覚めるような美貌を別とすれば、最大の特徴はその名前にある。
アルファⅡモナルキア。
エージェント・リーンズィ。
あのアルファⅡウンドワートと同系統の機体であると言うのだ。
「レーゲントの面で、子供みたいに目をキラキラさせてるのは厄介だ……」
厄介だ、ではない。
好奇心旺盛なスチーム・ヘッドなど、厄介さの塊だ。
精神的に安定しているのは、スチーム・ヘッドとしては最低限満たすべき条件だからだ。老木じみた硬直した精神こそがもっとも望ましいとさえ言える。
<首斬り兎>に警邏小隊が壊滅させられたという報告を受けた際の胃痛を100とすると、この機体の潜在的な危険性から感じる胃痛は20に値する。
これはそこそこお気に入りの時計が壊れて、しかも部品調達の目処が立たない時のストレスに等しい。
クヌーズオーエ解放軍、特に継承連帯側の古参に関して言えば、レーゲントというのは『厄介そうな美少女』を意味する。実際にはレーゲントではなくても。
元々の肉体の持ち主だったヴァローナの意識は崩壊しているという話だが、その類い希な容貌を受け継いだリーンズィも詰まるところレーゲントで、美少女だ。
黙って立っているだけで人を惹き付ける、潔癖で無表情かつ人なつっこそうな、アンビバレントな美貌。
そのくせ、廃墟と化したクヌーズオーエの街を眺める翠玉の目は生まれて初めて観光旅行に出た子供のように輝いていて、素っ気なくクールな口調とは裏腹に、淡いなりに表情が豊かで、感情が分かりやすい。
端的に言えばやはり子供っぽいと言えた。
外観年齢に相応の素直さ、というものは、不死の兵士には、本来あってはならない。スチーム・ヘッドは幼さとは無縁の存在だ。
死を経験した人格は、ある意味では生誕からもっとも離れているとさえ言える。
リリウムの護衛機であったヴァローナの立ち振る舞いは、百人隊長であるヘンラインも当然知っている。知っているからこそ、肉体を今現在操作しているのが、まるきり別人なのだと明瞭に分かる。
ヴァローナは人前では余裕綽々の笑みしか見せなかったし、そもそも滅多なことではペスト医師のようなマスクを取らなかった。何よりある種の気高さを全身に滾らせていて、一瞬たりとも油断というものをしない人物だった。
いついかなる時も大主教リリウムの周囲に気を配っていた。公開データでは、戦闘用スチーム・ヘッドとしては低スペックだったが、ヘンラインは彼女に好印象を抱いていた。任務に忠実なのは良いことだ。スチーム・ヘッドの理想型である。
それに比べて、このリーンズィとかいう小娘はどうか。
「まるきり子供じゃないか。こいつがあのウンドワート卿と同じ、特務仕様、アルファモデルのスチーム・ヘッド? レーゲントの出来損ないの間違いじゃないのか?」
「ん?」と少女の隣で奇怪な自走虐殺兵器に腰掛けている純白のヘルメットが首を傾げた。「どうかしたのかな、百人隊長?」
気付かれた。
ヘンラインは寸時動揺し、いや、見ていて何が悪いのか、だいたい、見ていると分かるはずがない、と思い直した。
精一杯、無関心な風を装って返事をする。
『さて。コルト少尉、何のことです?』
「何のことだろうね? いいよ、そういうことにしておこうか」
ぎりぎりと胃が痛む。
目下、最大の悩みの種は、このコルト少尉だ。
アルファⅠ改型、コルト・スカレーレット・ドラグーン!
どれだけの時間、顔を合わせても、「得体が知れない」という印象から一ミリの変化も無い。
素体が美女であるというのと、態度が気さくだというので、何も知らない解放軍構成員たちからは慕われている。
だが、ヘンラインのような古参幹部ほど、彼女の善性には懐疑的だ。
現在、構成員たちが穏やかに任務に取り込めるのは、危険分子をコルト少尉が粗方粛正した結果なのだから。
ヘンラインはまさにその粛正の風景を見ている。銃口を向けられていたわけではなく、コルト少尉の後ろで虐殺に立ち会っていた立場だが。
リーンズィの未成熟さは、まだ割り切れるが、コルト少尉はダメだ。
ヘンラインのパペットは無意識に己の腹をさすった。そう、リーンズィはどうでもいいのだ。新入りで、しかも本体から切り離されたばかりの子機だというのだから、最初は期待できないのは当然だ。
今は頼りなく見えても、同じ区画で活動していれば、そのうち『
ファデルから調査任務に、このリーンズィなる不審なスチーム・ヘッドを同行させるよう頼まれたとき、厄介そうなネタだと思いつつ引き受けたのには、そんな妥協と打算がある。
だが、コルト少尉の同行は勘定に入っていなかった。
当然である。
コルト少尉は、この任務が開始する三六〇分前になって、いきなり強引に調査任務にアサインしてきたのだから。
ファデルも泡を食ったように計画を変更していた。かなり大規模な歯車のズレがあったらしい。
こんなもの、勘定できようはずもない。
『どうして懲罰担当官がこんな辺鄙な任務についてくるんだよ……』
おまけに、あろうことかSCAR運用システムまで連れている。
彼女が腰掛けている自走機械こそがそれだ。四足で走行する、砲塔の無い小型戦車と表現するのが簡潔だが、実態はそうした素朴な表現からは遠くかけ離れている。
用途不明の蒸気機関、その酷く歪な集積体に、運搬用の大型脚部が無理矢理取り付けられてる、とでも言えば、多少は誠実になるだろう。
ヘンラインの部下たち、感染者保護小隊の面々は興味をそそられて『画像を記録しても?』とか『それなんていう機械なんですか?』『ペーダソスが似たような機械作ってたな……彼と知り合いなんです?』とコルト少尉に話しかけているが、シルエットと機能を照合すれば、あの恐るべき支配者、都市焼却機フリアエの派生機であることは何となく分かる。
もたらす破壊の規模を知っているヘンラインは、一分も落ち着いていられない。
不朽結晶連続体で全身を覆った兵士も、彼女の前では心臓を剥き出しにしているも同然だ。
「この機械はね、馬だよ。格好良さが理解できるかい?」
「うま?」リーンズィが復唱した。「馬はそんなに縦に長いのか? 長いの?」
「私の馬は長いんだ」
どこが馬だよ。ヘンラインは悪態を吐く。遠目にも馬よりはヤドカリのほうが余程近い。
「ヤドカリのようなシルエットだが……」
とても口には出来なかった感想を、リーンズィはあっけらかんと言ってしまった。
俄に緊張したヘンラインを余所に、二人は牧歌的に会話を続けた。
「リーンズィはヤドカリが好きなのかな?」
「可愛いので好きだ」
可愛いか?
「それなら良かったよ。まぁ馬っぽくないのは事実だしね」
自覚してたのか?
「ヤドカリも良いね。ヤドカリ馬って改名しようかな」
本当にそれで良いのか?
何を考えているか全く分からない。胃痛は増すばかりだ。溜息を吐き、パペットの腕部でヘッドパーツを触り、擬似的に目尻を揉む。
皮肉なことに、ヘンラインは生身の人間として生きていた頃、具体的に何にどう悩まされていたのか、もう全く覚えていない。
長い長いスチーム・パペットとしての任務の中で生前の履歴は摩滅し、朧気な残像としてのみ、彼の人格記録媒体に保存されている。
痛みの記憶も徐々に薄れつつあったのだが、それは逆に、大主教リリウムのせいですっかりヘンラインの人格に刻み込まれてしまったのだ。
スヴィトスラーフ聖歌隊と合流して、改めて大主教リリウムから百人隊長に任じられたときのことだ。
長い銀髪を天使の翼のように翻しながら、その絶世の美貌を持つ少女は、満面の笑みでこのように語りかけてきた。
「痛みは、生きている証拠です。不死なのに、あなたはまさに、いのちを生きているのです。あなたは不滅の恩寵に浴していながら、その恩恵を謹んで裁き主に返却なされた。痛みの中で生きる只人の苦悩に寄り添うことを選ばれたのです! 実にハレルヤハ! 清廉なる導き手として、これほど信頼すべき勇士は数えるほどしかいないでしょう! 百人の勇士を束ねるお人に、あなたは相応しい!」
何ともくすぐったい文句だ、と最初は思った。
呪いだったのだと気付くべきだった。
人前に立つ美少女というのが単なる偶像だった時代が懐かしかった。クヌーズオーエ解放軍は、人類文化継承連帯と比較してかなり女性が多い。軍隊であったが故に男所帯的な要素が強く、荒くれ者が揃っていた継承連帯の構成員が、憑き物が落ちたように穏やかになったのは、間違いなくスヴィトスラーフ聖歌隊と暮らしを共にするようになった結果だ。
ただし、継承連帯の面々は、美しい女たちに対する幻想までも失うことになった。
殊に美少女となると、継承連帯の間ではつまりレーゲントという認識で固定化されている。実際に美少女は九割が聖歌隊のレーゲントで、彼女たちはカルト組織のメンバーらしい振る舞いで、一人一人が数万人という人間を誘惑・洗脳して不死病に罹患させ、それで社会を統治しようとしていたらしい。
実際に彼女たちの歴史ではそのように世界は動いていたというのだから恐ろしい限りである。
残りの一割は継承連帯出身で、何らかの適性があってスチーム・ヘッドに改造された哀れな人間か、都市焼却機フリアエの制作物か、さもなければ美少女の肉体を使うのが好きなだけの変態だ。
後者の層はろくでもない。コルト少尉に見過ごされているからには、まぁ善良なのだろうが。
兎にも角にも、レーゲントにしても継承連帯にしても、美少女と名前のつく存在は棘があるばかりか、毒も裏も策謀も備えていて、トドメとばかりに実力もある。
蝶よ花よという言葉だけが似合う幻想じみた美少女は、どこにもいないのだ。
特にレーゲントは要警戒だ。ファデルを筆頭に、強力無比なスチーム・ヘッドさえも性別を問わず絆されつつあるが、ヘンラインは長い年月を経て、未だに完全に信用はしていない。女性関係では本当に苦い思いをしたという経験が、微かにヘンラインを繋ぎとめている。現在でもハニートラップめいたことを仕掛けられると幻の胃痛が起こるので、相当な事態があったのだろう。
思えば、ファム・ファタール集団と呼ぶに相応しい連中とよく同盟を組む気になったものである。
『昔のことは思い出せないが、死後、美少女にここまで翻弄されるなんて思ってなかっただろうな……』
益体もない、呟きのような思考が浮かんでは消えていく。
まったく、厄日だ。
どうしてこんなことになってしまうのだろう?
どうして、得体の知れない新人と死に神のようなスチーム・ヘッドの引率をさせられているのだろう?
百人隊長を任されてはいるが、ヘンラインに別段優れた部分があるわけでは無い。一騎当千のスチーム・パペットと言っても、純粋蒸気駆動方式からデジタル制御方式への過渡期に製造されたせいで、全体的に半端な仕上がりになっている。指揮管制装置だけはやけに気合いを入れて設計されていたおかげで、百人隊長のポストが辛うじて割り振られたと言うだけ、というのがヘンラインの認識だ。
つまり、百人隊長としてはもっとも価値が低い。
苦労させるには最適な人材というわけだ。
それにしたって、何だか矢鱈と自分に損な役が回ってきてはいないだろうか。
……冷静に考えれば、ファデルから依頼が来た時点で奇妙な部分があった。
作戦内容が楽すぎたのだ。
自分のホームである第二十四攻略拠点から、大主教ヴォイニッチが占領する第九十九番攻略拠点までの間にある、既知のクヌーズオーエ鏡像体。
そのうち、最近になって<時の欠片に触れた者>が更新を行った区画の、脅威度再判定のための調査。
一つの区画が丸ごと書き換えられたと言うことだが、どうせ似たような地形しか再配置されないので、特段の危険性がないのは調べなくても確実だ。
いっそ休暇かと思うほど楽な任務である。
ヘンラインとしては、『首斬り兎』に対する警戒網強化のために、ホームである第二十四攻略拠点から未踏領域、即ち大主教リリウムが指揮を務める最前線までの間にある巨大な空白を探索することになると考えていた。
否、そうなるべきだったのだ。敢えて楽な任務を回された時点で、運命が仕掛けた、この姑息な罠に気付くべきだった。
気付なかったから、厄介なスチーム・ヘッド二人を連れて仕事をする羽目になった。
まったく、まったく、胃が痛い。
だがヘンラインには、今回の調査任務を通常通り遂行する確たる意思があった。
それこそがスチーム・ヘッドの本懐だからだ。
命も、魂も、過去も、肉体も既にヘンラインにはない。
遺されたのは使命を全うするという感情のみだ。
パペットの左腕に縛り付けた、秒針の無い柱時計が定刻を示した。
仕事の時間だ。
『総員、前進せよ』
談笑していたスチーム・ヘッドたちが一斉に口を閉ざし、規律正しく歩み始めた。
隊伍を組んだ兵士たちが瓦礫の散乱した街路を前進する。
無機的な冬の日差しを、永遠に不滅であることを約束された無数の装甲が無感情に見つめ返し、万事を等閑視する空へと、蒸気機関から吐き出される白煙が、救世軍の到来を告げる狼煙のように昇っていく。スチーム・ヘッドの兵士たちだった。ライフルスリングに使い込まれたバトルライフル、あるいはショットガンを吊るしていたが、全員が手に長柄の槌を携えたその姿は、前時代的な甲冑騎士じみて異様である。今は失われた古い時代、粉飾された懐かしい風景、偽造された栄光の記憶、血潮を黄金の隔たりで覆い隠した時代からやってきた、絶対にして不滅の騎士たち。
永久に戦い続けるという使命以外の一切を持たぬものども。
スチーム・ヘッドの先導隊は、一分の隙もなく警戒しながら、不朽結晶連続体の具足と準不朽素材のブーツの足音でアスファルトを鳴らす。正確な四拍子で完全に調和した軍靴の群れが、音楽的な重低音のリズムを生成し、その拍動に合わせて、後方で隊列を組む少女たちが、蒸気機関に接続した拡声器から、過去現在未来のあらゆる時代において成立し得ない言語で、清らかな祈りの歌を捧げる。
異なる言語、異なるまなざし、異なる声で、ただ一つを歌い続ける。
神の御国の永遠の繁栄、人心の平穏を世界に対して希求する。
脳髄に不朽の造花を挿入した少女達の歌声が、崩落した家々、崩れ落ちた高層建築へ染み入って消えていく。
魂ある者が瞼を閉じれば、その重奏の美声に神の威光を見出すかもしれない。名を知らずとも、光ある場所を知らずとも、魂の安らぎを信じることが出来るかもしれない。
だがヘンラインは歌声には関心を示さない。
適宜無線で連絡を取り合いながら、周辺状況の把握に努める。
この時代、この土地、この街に、魂を持つ者など一人として存在していない。
街に魂は無く、命は無く、言葉は無い。聖歌の少女たち、レーゲントを警護する完全装甲のスチーム・ヘッドや、塔の如く聳えるおぞましいスチーム・パペットは、少女達の歌など聞いてはいない。
美しい歌声だと評価することはあるだろう。だが意味を理解しない。真に震える心を持たない。彼らには魂が無い。脳髄に挿入された機械が人格記録媒体を再生しても、それは致命的なほど原生的な意識とは異なる。
いつわりの魂、いつわりの心、いつわりの私……。ヘンラインを初めとして、大抵のスチーム・ヘッドにはその自覚がある。自分自身は、いつわりなのだと。というのも、不死病患者の肉体は死を持たないからだ。定命の生命から生じた意識は永遠にその違和感から逃れられない。
終着の無い永遠という荒野を彼らは彷徨う。
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