白髪赤眼のレア①

 青ざめて硬直したリーンズィを前にして、フライトジャケット風のミリタリーコートの少女は腕を組み、不愉快そうに鼻を鳴らした。

 薄闇の中でも尚白い首筋を反らしながら、フリアエ系列機らしい完璧な顔貌に、しかし人間的な侮蔑を浮かべる。そこには、フリアエやヘカトンケイル、コルトが備えていたような超越的な雰囲気は存在しない。

 瞳は全てを飲み込んで沈黙の虚無へと誘う黒ではなく、業火を浮かべて揺れる工業用アルコールのように透明で赤く、ただ見つめられているだけで突き刺してくるように鋭い印象を与える。髪は色素が欠落して一切が白い。世界はこれ一色であり、雑多な色合いの有耶無耶には興味など無いという姿勢が強く表れている。

 他のフリアエ系列機と対面した時とは真逆の恐怖が、リーンズィの生体脳を冒す。白髪の少女の背丈はよくよく観察すれば然程恵まれたものではない。あるいはミラーズと同程度なのでないかとリーンズィは概算したが、それでも睨めつけられると身を竦めてしまいそうになる。

 大型の肉食獣でも目の当たりにしているかのような、本能に訴求する威圧感。

 真なる暴力と破壊に慣れきったものの眼差しだ。


「情けない、情けないわね。その人工脳髄は骨董品なの? どうすればいいかも分からない不要品なの。歩く粗大ゴミ、本物のゴミだって言うんなら話は分かるわ。でも違うわ、違うでしょうアルファⅡモナルキア。これぐらいで動揺されたら困るのよ。一言ぶつけられたら、二言三言は返さないと、いっそオーバードライブで殴りかかりでもしないと、舐められるわよ。戦闘用スチーム・ヘッドは機能を停止するその瞬間まで一瞬一秒たりとも戦うことから逃げられない。わたしたちには眠ることも停滞も許されていない。戦い続ける以外に自身の有用性を証明する手段はないのよ。そして勝利できない兵士に価値は無いの」


 希有な美声で繰り出される一言一言が突き放すような勢いを持っていて、その物言いの傲岸さと、言葉の孕む故の知れぬ怒りの感情を、ライトブラウンの髪の少女はただ身を竦めて受け止めることしか出来ない。

 どうして初対面のスチーム・ヘッドにここまで罵らなければならないのか理解が追いつかなかったが、本体とのリンクを切断されて不安定になっていたリーンズィの胸は軋んだ。

 呼吸が浅くなり、手足が見知らぬ誰かの異物であるかのように重くなる。

 マスターが、ヘルメットの内側で深く溜息を吐いた。

 叱るというよりは呆れた調子で白髪の少女へ言った。


「おいおいおい、待てよ、さっきからいつの時代の話をしてるんだよ。あんた顔合わせるなりあーだこーだ言うもんじゃねえだろ」


「そうね。でもつい二十年か三十年ほど前のことじゃない」


「何が、つい、だよ。めちゃくちゃ前じゃねえか。俺たちだって、千年も二千年も稼動している機体じゃないんだ、年長者ぶるのはやめろ。おいリーンズィ! 真に受けるなよ。継承連帯の旗掲げて余所の国に攻め込んでた時代じゃ無いんだ、クヌーズオーエで口が悪くたって、良いことは一つもない。荒くれの筆頭だったファデル軍団長でさえ、ロジーの真似をして丁寧に話すようになってきた。そういう時勢の流れなんだよ」


「違うわ、違うわ。マスターは勘違いをしてる。ファデルだから、どんな喋り方でも良いのよ。あいつは人当たりも良いし、指揮能力もある。それに、ただのハイブリッド型パペットにしてはそれなりに善く武器を使う方だわ。だから、統率者として皆から認められてる。でもわたしやあなたは違うのよ、アルファⅡモナルキア。わたしやあなたは、皆に好かれてるファデルとは違うの」


 だいたいね、と白髪の少女は不満そうにマスターを指差した。


「弱い者イジメみたいに言われるのは心外よ、心外。わたしの方がこの出来損ないよりずっと先輩なんだから、わたしなりに後輩を思って、アドバイスしてあげてるだけ」


「俺が徒弟を何人抱えてるか知らんわけじゃ無いだろ。その俺が言う、そういうのは指導じゃない、ただ罵倒して、お前が気持ちよくなってるだけだ。大概にしとけよ、そんなだから友達がいないんだよ。せめて後輩に好かれる努力ぐらいはしたほうが良いと思うがね」


「馴れ合うつもりはないわ。真なるスチーム・ヘッドは常に孤高であるべき。そして戦場において最強であることを志向し、自覚するべきなのよ。本当ならあなたとも話したくないぐらいなんだから」


「そういう態度が良くないって言ってるんだ。そんなだから、あんたには友達も知り合いも増えないし、お前のブランドの商品だって付き合い以外では売れない。何故か分かってるんだろ。あんたがそうやって格好付けて、ビビって、人付き合いを避けてるからだよ」


「へぇ。へぇ?」


 少女はずかずかとマスターに歩み寄り、小さな体で思い切りスチーム・ヘッドを睨み付けた。


「偵察機がよくも偉そうに言うようになったわね。キル・スコア一桁の分際で……」


「俺の専門は敵撃破じゃないからな。あんたのキルスコアだって俺のアシストがあってのものだ。ああ、エース様はさぞかし目が良いんだろうな。この間も大活躍だったそうじゃないか。一部隊丸ごと食われてるのに、首斬り兎の接近に全く気付かなかったんだって?」


「……この。未帰還が前提の、運に恵まれただけの偵察機のくせに。自分一人じゃ何にも出来ないカトンボが。良い気になるんじゃない!」


 少女は髪を掻き毟りながら怒鳴り、威圧的に口角を上げた。


「人のやってる商売のことだって、何よ、あなただって、味を貶されるのが怖くてこんな夜更けにしか仕事をしないんでしょ。そんな弱い人にどんな説教が出来るっていうの」


「何だ? 着ぐるみフルドド無しで俺とやる気か? 装備におんぶに抱っこのパペットと違って俺はこのボディでなら素手でもそこそこやるぜ。リーチが違う、筋出力も桁が違う。その貧相な体に一度分からせてやった方が良いみたいだな」


「分からせられるのはあなたのほうよ、ペーダソスマスター。パペットなんてただの道具。真に強いスチーム・パペットは素手でも凡百の兵士を圧倒する。蒸気甲冑も戦闘経験も無いあなたは、成人男性のボディを使っても、肋骨の浮いたこのわたしのボディを倒せない」


「そうかい。試してみるか?」


「良い機会ね。その頭ねじ切って、街灯にでも吊るしてあげる」


 夜明けの紺碧が色褪せていた。

 世界の一切合切が、骨が砕け血が吹き飛び、終わらない断末魔の悲鳴で、何もかもを染め上げるのを待っている。

 睨み合う二機のスチーム・ヘッドの放つ剣呑な気配に、空気が冷たく凍てついていく。

 俄に緊張がみなぎった刹那。

 にゃーと気の抜けた声が響いた。


「ケンカですか」


 と、移動販売車の傍に佇んでいたレーゲントが声を掛けてきた。

 抱き上げられた三毛猫が再びジングルのようにニャーと鳴いた。


「はあっ!?」


 白髪の少女が飛び退いた。拳法でも繰り出すかのような構えを取り、レーゲントを見て息を吐いて力を抜いた。

 殺気の籠もった声で切り返す。


「はっ、夜警のレーゲントじゃないの。驚かさないでよ、パペットを呼びそうになったじゃない」


 レーゲントは殺気を浴びせられても平然としていたが、抱えられている猫はあからさまに威嚇の声を上げた。

 よしよし、と猫を宥めながら聖歌隊の少女は歌う。

 

「夜間のケンカは禁止です。パペットも禁止です。ごめいわくになるので」


「なっ……ロングキャットグッドナイト?! いつのまに……」


 突然の介入に狼狽えたのはマスターも同じだった。

 先ほどまでロングキャットグッドナイトがいた位置を見遣り、数匹の猫が野次馬のようにこちらを眺めているだけであることを確認する。


「え、あの位置にいたはずだよな……」


「はい。いま来ました。おはようございますロングキャットグッドナイトです。得意技は猫がびっくりしないように静かに歩くことです。皆さんはびっくりしたみたいですね」


 栗色の猫っ毛をしたレーゲントはうつろな目をしており、全く表情を変化させず、記譜をなぞるかのような無機質な言葉で名乗った。

 浮世離れしており見目は良いが、愛想や媚笑と言った要素はどこにも存在していない。

 レーゲントは、猫を掲げた。

 白髪の少女とマスターが戸惑い、沈黙したのを確認して、また朗々と歌った。


「これは猫です。和睦の使者です」


「……何なの。戦闘能力を持たないレーゲントごときが、猫を抱えて何をしにきたの」


「リリウム様に命じられた夜警なので。夜間のケンカは禁止ですよ。リリウム様がそうお決めになられました」


「何の権限があってわたしに……」


「はい、ありません、赤い目をした人、あなたがキャットよりも上位の勇士だと言うことは知っています。あなたがたは強くて、子猫でも潰すように、わたしなどは一捻りでしょう。でもそんなお強い人が、キャットの如き弱い猫を虐めるはずがありません。そうですね、赤い目をした人。本当に強いお人なら、皆を守れます。ルールだって守れるはずです」


 猫のレーゲントは毅然として言い切った。気圧されたところはどこにも見受けられない。

 一歩も引くことなく、殺気立つ白髪の少女に進言する。


「……そうかもね」赤い瞳の奥で炎が揺れた。「ルールは守る。それは兵士としても当然のこと」


「はい。当然のことです」猫がニャーと鳴いた。「今のは同意のニャーです」


「さっきから何。猫語でも分かるの?」


「分かりません。分かるわけ無いです」


「そ、そうなの……」


「でもわたしキャットの心は猫なので、キャットの気持ちはつまり猫の気持ちです」


「全然分からないけど、分かったわ……」


 マスターと目配せして、互いに緊張を解いた。

 殺気を放っていない白髪の少女は、外見年齢相応の神経質で美貌で首を傾げる。


「ケンカは終わりましたね。では罰の時間です」


「罰あるの?!」


「罰があっての規則なので」


「違うの。これはその、喧嘩じゃない、喧嘩じゃない」白髪の少女は焦ったように手を振る。「誰も殴り合ったりしてないでしょ」


「そうだよ、まだそこまでは行ってないってロングキャット!」


「でも泣いている人がいます」


「いやいや、泣いている人なんて……」


 猫のレーゲントは二人ではなく、座席に座ったままピクリとも動かないリーンズィに寄り添った。

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