こちら移動式モーニングセット提供所②
きらきらしているからといって、素敵に思えたからと言って、簡単に飛びついてはいけませんよ。
かつてのミラーズの言葉が脳裏に木霊する。
そのミラーズの残滓さえ胸の襞を刺激するものだから、リーンズィはふいと目を伏せた。
空色のごとくにころころと変わる表情の由縁を、知ってか知らずか、販売員は良く回る舌で言葉を続ける。
「言ってくれるねぇ。アルファⅡって名前のやつは皆そうなのか? 顔に出やすいし嫌いじゃないけどな、あんたら。じゃあ知る人ぞ知る普通の店でいいよ。とにもかくにも、この名だけは覚えて帰ってくれ。この移動販売店は……全拠点で営業許可を得ているという意味では唯一の移動販売所! クヌーズオーエ公認移動式モーニングセット提供所だ!」
「モーニングセット提供所……」
リーンズィはそれまでの懊悩をコロリと忘れて、奇怪な言葉の響きに小さく首を傾げた。
「不死病患者に食事は必要ないはず」
「そうだよ。ま、ただの嗜好品だ。胃にモノを落とすのも、戦闘後ストレスの解消には役立つ。モーニングを摂りたいってやつはあんまりいないけど」
「それはまた儲からなさそうな仕事なのだな」
「いやー儲からないよマジで。メシ、誰も欲しがらねぇから、毎日赤字だよ。金あってもあんまり意味ないけどなぁ。このオンボロをゆっくり転がして、昔やりたかった喫茶店の店主みたいなことが出来る。それが一番の報酬だよ。死に所を無くしたスチーム・ヘッドなんてそんなもんだ」
そういうものか、とリーンズィは納得した。
「思うに、ここが固定の販売ルートなのか」
「その認識でも間違ってないが……なんでそんなこと聞くんだ?」販売員は戸惑ったようだった。「まさか、知らないのか?」
「じゃあ、もしかして、あの……あそこの、ずっと遊んでいる猫のレーゲントも客だったりするのか」
「え? 猫のニンジャ?」
「ニンジャって何だ。どこから出てきた」
「現れないのがニンジャだけどな」
販売員はちらりと振り返り、薄明の薄煙で飛び跳ねているレーゲントを見た。
「あー、あいつ? ロングキャットグッドナイトか。あいつは違うよ。いつも見かけるし、たぶん昼夜問わずの通行管理官なんじゃないか? 俺も詳しくは聞いたことない。あいつ、猫を恋人にしてて、人間には全然愛想ないから知らん」
「ええ……うん……? ロングキャット……?」
リーンズィは戸惑って眉を潜めた。
「いま、あの、四つぐらい英単語が聞こえたが。名前か? あの猫のレーゲントの?」
「そうだよ。ロングキャットグッドナイト。渾名だけど、自称もしてる」
「ショートドッグバッドモーニングとかもいるのか?」
「そこまではどうだか。それにしたって、どうしたんだ、さっきからあんた、この店のこと全然知らない感じだけど。マジで知らないのか? 紹介とかそういうのじゃないのか?」
「うん。全然知らない。マスターだったか。勘違いさせてしまったのなら謝罪する」リーンズィは曖昧に微笑んだ。「こうして気に掛けて話しかけてもらっているのに、申し訳ない……」
「知ってて待ってないと、こんな時間帯にこのルートには立っていられないだろ」
「本当に偶然居合わせただけだ」
販売員のスチーム・ヘッドは空を仰いで溜息をついた。
未だ目覚めぬ世界は、黎明の紺碧の澱に淀み不透明に煌めいている。
不死病患者の姿すらまばらで、軍勢が活動を開始する時間から大きく外れているのは、もはや疑う余地が無い。
「いやー、偶然で歩く時間帯じゃ無いんだよな。しかもそのウサギのぬいぐるみ……ウンドワートじゃん。それ持っててこの場所、この時間帯だ。やっぱ偶然は無いよ」
「それが本当の本当に偶然だ……」リーンズィは困ってしまった。「君はやけに拘るし変な詮索をするスチーム・ヘッドなのだな」
「スチーム・ヘッドは拘ってなんぼだろ。うーん待て待て、やつとも長い付き合いだ。詮索はナシと言ったが喫茶店の店主、客商売もやってる身だ。対人洞察には自信がある。そこで俺なりに考えてみたが……喧嘩したとか、じゃないか?」
「うっ」
ライトブラウンの髪の少女はぎくりとした。ミラーズたちとの一件を見透かされた気がしたのだ。
懸命に取り繕って首を振る。
「け、喧嘩はしてない……」
「いやいや、そのリアクションでは隠せないぜ。どうだろうな。何で喧嘩したのか。夜更け……勇士の館……見えてきたな」
「何が?」
「もしかして拒まれたとか? いや、意外とがっつかれて抵抗してしまったとか」
「さっきから何の話をしているのだ?」何の話? とリーンズィは思った。
「夜明け時でも分かるぐらい暗い顔をしてるんだぜ、あんた。しかもその手、たぶん服を脱いで寝てて、衝動的に部屋を出たから大事な装甲を忘れてきたせいで素肌なんだな。フン、それを見逃すこのクヌーズオーエ公認移動式モーニングセット提供所のマスターではないぜ」
言いながら販売員はキッチンカーの側面から手製らしい朽ちた木の折りたたみ式の簡易机と椅子を取り外して、路上に設置した。
それから「ささ、座りな」とリーンズィの背中を軽く叩いた。
「しかし私は一銭も持っていない。君の商品を買うことは出来ない」
「初回サービスだよ。どうせ売れないしな。ならせめて顔だけでも売っておくに越したことは無い。それに俺だって泣きそうな顔の子を無視できるほど心が凍っちゃいないつもりだ」
泣きそうな顔の子って……と口ごもるリーンズィを座らせて、販売員のスチーム・ヘッドは喫茶店の
ひとかけらのクロワッサンは薄明かりの下でも分かるほどに温かで、甘く芳ばしい匂いがした。燻製肉の切れ端とスクランブルエッグは如何にも安上がりな代物で、モーニングと言うよりは酒場で眠ってしまった酔漢に追い出しついでに振る舞われる残飯じみていた。
だが、このクヌーズオーエでは貴重な代物に違いない。
記憶の中では、電球すら貴重なのだとファデルはぼやいていた。
だから朝の前、夜の後が、こんなに暗い。
「……モーニングと言うにも貧相だ」
「量は少ないが、不死病患者は固形物をあんまり食うと吐いちまうからな。それで満腹になると思うぜ」
こぽこぽこぽ、と音を立てながら、保温ポットから両手に包丁を持った剣呑なウサギが描かれたマグカップにコーヒーを注いで、プレートに寄り添わせて下ろした。
「こっちは本物の豆から挽いたコーヒーだ。たぶんエメラルドなんとかっていうやつ」
「銘柄は大事な部分では?」
「クヌーズオーエは言詞汚染で言語体系が狂ってるからなぁ。パッケージの字が大体変なやつになってるから、味でしか判別出来んのよ」
まぁその味もよく分からんのだけどな、とマスターは笑った。
「まずは一口飲んでくれ」
言われるがまま、リーンズィはとりあえず食卓にウサギのぬいぐるみに置いた。
その愛らしい、所々焦げた丸々とした玩具を眺めながら、少女は髪を恐る恐るコーヒーを啜り、眉をしかめた。
「……にがい」
「お子様舌だな。ミルクやら砂糖やらは無いぞ」
「大丈夫だ。これで良い」またひと舐めする。「にがいが、旨味も深い。眠気を飛ばしてくれる優しい味だ。体が芯まで暖まる。……きっと、安い商品では、無いのだろう?」
「当然だ。コーヒー豆は秘蔵の品だよ。金が払いたくなったら払ってくれ。いつかそのうちな」
「君を『幸せになりますようにリスト』に移動して登録する。ありがとう」
「俺その前にはどういうリストに登録されてたんだ……?」
リーンズィとマスターがぽつりぽつりと言葉を交していると、「あらあら、珍しいじゃない。マスターのお店にわたしの他にお客が来るなんて、何十年ぶりかしら」と声がした。
「何十年は言いすぎだろ。悪いな。あんたが来るのは分かってたが、どうにも彼女、落ち込んでるみたいでな。どうしても放っておけなくてよ。もちろん、同席させて良いだろ?」
おそらくマスターは、この客をこそ待っていたのだろう。常連客というわけだ。リーンズィは招かれざる珍客だったのだ。
邪魔をしてはいけないな、ライトブラウンの髪の少女は、出来るだけ大人しくしておこうと心を改めた。
「気にしない気にしない。知らない人なんて、そんなの気にしない。わたしもモーニングをわざわざ食べる、目利きで奇特で『分かってる』スチーム・ヘッドとは、話してみたいところだし。同好の士って嬉しいじゃない?」
「あんた友達いないもんな」
「一言二言多いのがあなたね。そんなだからお客が増えない。普段お客が増えないのは、あなたの営業の仕方が悪いせい、つまり口が悪いせいね。そろそろ口の利き方を改めたら?」
「あんたに言われたくないな。しかし今回は、俺よりもたぶんあんたのほうがもっと嬉しがるよ。喧嘩したんだろ? さ、ここで仲直りをしていけよ」
「喧嘩ぁ? 誰と誰がよ。成立するわけないじゃない。どういうこと? もしかして、わたしの顔見知り……うえっ」
一歩引いたような、押し殺した声。
リーンズィが挨拶ぐらいはするべきかと思い直して向き直り、その少女の姿を見て、息を呑んだ。
純白だった。可動部確保のためにあちこちを切り抜かれて、どこか色気の漂う準不朽素材性の白を基調としたフライトジャケット風のミリタリーコート。腰や肩が露出しているが、一目で不死の兵士に向けて作られた後方勤務用の軍服と分かる。
革製のグローブには時計の歯車の上を走るウサギが刺繍されていた。
膝丈の裾の端から、初雪の白もかくやという白く細い脚が伸びて、軍用の強化ブーツに飲み込まれる。
何より目を引くのが、その顔貌だ。色素の欠落した肌にかかるプラチナの髪束、赤く燃える炎のような瞳は、闊達そうな眼窩に納められ、永遠に朽ちることのない美を焚き火の如く湛えている。年の頃は十代の半ばだろうか。
氷の塊に幽閉された、古の王国の忌まれた美姫のように見えた。
名のあるスチーム・ヘッドであることは明白だった。纏っている気配が違う。雰囲気としてはレーゲントの中でもうら若い、永遠の乙女のような、いっそ超越的な雰囲気がある。
だがレーゲントではなかった。真っ先に想起したのはコルト少尉だ。人間くさい表情をしていたが、顔の造作事態は自然には生まれないほど整った細面だ。
それで、彼女がフリアエ系列のクローン体で、おそらくはそういった存在の特別な直轄機であると知れた。
「おはよう、継承連帯のスチーム・ヘッド」リーンズィは立ち上がり、まず小さく頭を下げた。「私は調停防疫局の……」
「知ってるわ、知ってるわ」
白髪の少女は、整った口元を何とも言えない調子で歪ませながら、追い払うように手を振った。
「調停防疫局ね。どんな天秤も真っ直ぐに保っていられない憐れな人たち」
「その指摘には反論が出来ない」
しょんぼりとしたリーンズィに、赤目の少女はバツが悪そうに溜息をついた。
「……ああそう、そうなのね。あなたという人は、いつもいつも寝ぼけたことばかり。自分というものが、いいえ、誇りと呼べるものがないの? 罵詈雑言に、憎まれ口の一つや二つ返せないと、戦闘用のスチーム・ヘッドはやっていけないわよ」
がじがじと頭をかきむしる。
「……アルファⅡモナルキアのところの、リーンズィだったわね? おはよう、お元気? 気分は良いかしら? 怪我をしたって聞いたけど、もうすっかり大丈夫みたいね。だけど、これだけは伝えておく」
少女は透き通る白の美貌に、挑発するような笑みを浮かべた。
「わたしは、あなたを、まだ認めてないわ。あなたたちアルファⅡモナルキアは……この世に存在して良い機体では無いと思う」
血の滴る宝玉の如き二つの眼球が、ライトブラウンの髪の少女を射貫いていた。
生まれて初めての、純粋な嫌悪の表情。
咄嗟に言葉を返せない。あれだけ甘く、幸せな気持ちにしてくれた温かなパンの切れ端が、冷えて固まったガムのようにリーンズィの胃の腑へと落ちていく。
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