最終全権代理人

最初のリリウム

 コルト少尉の不朽結晶の単眼が、アルファⅡモナルキアの黒いバイザーを覗いた。

 光が色を失う窒息した鏡像世界に、縦一文字に切り裂かれた鮮血色のサインが映じている。

 白いヘルメットのスチーム・ヘッドは、類似した意匠を持つヘルメットの兵士と、首輪を付けられた二人の少女の姿を矯めつ眇めつして、それから姿の見えない四人目、ユイシスの姿を虚空に探していた。


 踵を返してリーンズィに近付いて、息が掛かりそうな声で彼女の緑色の瞳を凝視する。

 大目玉の怪物に狙いを定められたようでいて、リーンズィは落ち着かない気持ちになった。


「私が『一人軍団』だというのは聞いてるね。その中では私が最底辺だと思ってくれて良い。度を超して強いとか、技術と知性に優れているからとか、そんなポジティブな理由で特殊な地位を与えられているわけじゃない。むしろ忌まれているんだ。SCAR運用システムが実際に稼動しているところを見てみるまでは実感が湧かないだろうけど、私の機能は誰から見てもおぞましいものだよ。役割は幾つかあるけど、不朽結晶連続体を崩壊させることが出来る上に、通常では知覚できない距離と場所から攻撃出来るんだ」


「理解した。コルト少尉は、狙撃機なのだな」


 ふむふむ、と頷く。


「その狙撃機が、常にアルファⅡモナルキアをマークしているぞ、と……そう警告しに来たのだな」


「理解してないね。厳密には違う。もう分かってるんじゃないかな? この私は、コルト少尉なんて気安く呼ばれている貧相なスチーム・ヘッドは、処刑専用機なんだ。つまるところ、SCARスクワッドというのはスチーム・パペット専門の銃殺部隊だったんだ」


 自分自身を嘲るような調子で女は嗤った。

 ライトブラウンの髪の少女は、不意にかつてどこかで見た情景を思い出した。悪夢にしか現れない異形の馬に跨がって廃墟を練り歩く擬人化された大量死。高層建造物ほどの体躯を誇る悪性変異体を奇妙な機械で撃ち貫き、味方を丸ごと時空間の狭間を漂う土塊に変えて、自分自身も業火に飲まれて灰になる。そして数ヶ月後に再生を果たし、仲間の死を弔うこともしないまま、また大量殺戮の旅路に出かける。

 彼女は真実、誰の命にも価値を感じていない。

 さもなければ棚に置かれた果実と、象られた魂を等価と見做している。

 深海を這い回る得体の知れない生物じみた視座がそのスチーム・ヘッドには備わっていた。

 リーンズィは視線を落として記憶の海を探る。


「聞いてるのかな?」


「すまない、少し考え事をしていた」


 リーンズィは注意深く先ほどのイメージを保存領域に転写した。アルファⅠサベリウスに冠する記憶は、おそらくユイシスによってロックされている。今はまだ処置の必要性を実感できていないが、いつか理由を問うために重要な情報だった。


「私がある種の銃殺部隊に所属していた処刑専用機である、というのは理解してくれたね。まだ人間が普通に死んでいた時代に、人類文化継承連帯のスチーム・パペットが暴走して、スイッチを切れないというときに駆り出されるのが私たちだったんだ。継承連帯のパペットは普通の手段では撃破出来ないからね」

 手の中にある拳銃をペタペタと触る。

この拳銃は勲章みたいなものさ、と嘯く……。

「荒くれどもを管理し、場合によっては破壊する。そうした処刑人の役回りは、聖歌隊と合流して、解放軍のメンバーになっても変わらなかった。私は忌まれて、嫌われて、遠ざけられて、半ば独立した判断でスチーム・ヘッドを処刑する権限が与えられている」


 ファデルが口を挟んだ。「それはちょいと誇張が過ぎてるでしょ。皆コルト少尉のことは慕ってますよ」


「そうだと良いね。でも皆、私が何人の暴走パペットを無人市街地ごと破壊したかは忘れてないだろう。アルファⅡモナルキア、リーンズィ。君はいつだってそんな処刑人に見張られてる、そう意識してもらいたくて、私はここに来たんだ」


 意図するところが分からず、少女はまたも首を傾げた。


「結局、私たちを常に監視しているという警告だろう。内容としては同じでは?」


「ううん。さっきの君の発言だと、解放軍の総意として君をマークしてる、みたいなニュアンスになるじゃないか。でも違う。これは私独自の判断なんだ。大多数は君たちのことを何とも思っていない。そこは重要な部分さ。君も皆と敵対したくはないでしょ。皆敵だって思いながら過ごすのはつらいんじゃないかな。友達なんて一人もいないんだって思いながら過ごすのはね。私一人に怯えて暮らすほうが健康に良いよ」


「怯えて暮らすのも健康には良くないと思うが……」


「程度問題さ。だってほら、生きるのは健康に悪いからね」


 コルト少尉はヘルメットを脱ぐと、黒髪を手櫛で掻き上げながら深く息を吐いた。非人間的なその美貌には、感情や疲労を示す色彩が一切備わっていない。

 ただ、簡単な事務手続きを終えた後で少しだけ憩っている。そんな様子だった。


「はい、終わりね。今日のお仕事、終わり」

 突飛の無いことを言いながら、あっけらかんとしていた。

「総評としては、クヌーズオーエ解放軍に擾乱をもたらす虞はない、かな。SCARがどこにいるのかも分からなかったみたいだし、脅威度は低いよ。そういうわけだから、私は制限付きで彼女たちの合流に賛成する。ファデルはそういう形で処理をしてくれて良いよ。これで受け入れのためのプロトコルは、私の受け持ち分は全部終わりだね。歓迎するよ、新しいスチーム・ヘッド」


「……私はまだ歓迎されていなかったのか? 検疫だって受けたのに……」


「そういうプロトコルの一環だって何回か言ったと思うよ? 追加の面接みたいなものさ」


 コルトは拳銃をホルスターに収めると、自分の家でくつろぐようにソファに座り直した。


「まぁそうだね、疑問に思うのも分かるよ。本来のプロトコルは検疫で終わりだから、皆そういう扱いをしたと思う。もう仲間だってね。でもクヌーズオーエ解放軍最高戦力であるウンドワートが『アルファⅡモナルキアは危険な機体だ』って証言したから、懲罰監督官である私の審査と承認が必要になったんだ。そういうルールだからね。私には信じてるものなんて無いけど、信じている、いないに関わらず、ルールはこの街にも厳然と存在してる。ルールには誰しもが従わないといけない。新居を荒らされて迷惑だったろうね。でも、正式に許可が出るまでは私の預かりにしないといけなかったんだ。私も不本意だったけど、慣れないピッキングをして、面倒になって鍵穴を撃ち抜いて、こうして面接官をやらせてもらったよ。君たちはこれで汚点なく解放軍のメンバー入りだよ、脅かして悪かったね」


「鍵穴を撃ち抜くのはピッキングでは無いのでは」


「どうせ入居にあたって交換する鍵穴だし別に良いじゃないか」


 何も悪いとは思っていない調子で、コルト少尉は自分の容貌が美しいと言うことを完全に理解した、紛うことなき作り物の微笑を浮かべた。

 リーンズィとミラーズは顔を見合わせて、お互いに「このスチーム・ヘッドとはあまり関わりたくない」と思っていることを確認した。

 ただ、相手の人工脳髄をハックしてでも抗議を行いそうなユイシスが殆ど口出ししてこないのが気がかりだった。


 はぁぁ、と疲れたような声を出したのはファデルだ。

 今回の来訪の目的とコルト少尉に本質的な害意は無いということは、戦術ネットワークとやらの通信で伝えられていたのだろうが、顔にもブランケットから露出した肌にも、大粒の汗が浮かんでいる。


「なぁ、今日はもう解散ってことにしねぇ?」


「でもファデル、この後さらにロジーが会いに来るんでしょ? 今日で終わらせないと、次のプロトコルも次の次のプロトコルも滞るよ」


「涼しそうな顔してるけどよ、コルト少尉もよぉ、もうちょっと事前に連絡入れるとかしてくれねぇか。ウンドワート卿もそうだったが、勝手が過ぎてんじゃねぇですか」


「ウンドワートから、君はアルファⅡモナルキアに『枝』を付けられてるって聞いてたからね。直接連絡は入れられなかった。とりあえず、マルボロくんを通じて間接的に予告したつもりだったんだけど」


「まぁー、あれじゃ分からねぇですよ……」


「ごめんね、業務連絡って慣れてなくて。っていうかファデル君、喋り方前のに戻したの? 似合ってないよそれ。お嬢様っぽい最近のやつの方が好きかな」


 リーンズィは気の抜けた遣り取りを聞き流しながら、このクヌーズオーエ解放軍という組織の幹部らしき機体たちは大丈夫なのだろうかと思索に耽っていると、どさっ、と背後で麻袋が落ちたような音がした。

 ミラーズと同時に振り向いたが、玄関口に落ちた買い物袋に意識を取られ、真っ直ぐ突進してくる影に反応できなかった。


 咄嗟に拳を構えた頃には、その不死病患者はミラーズの小さな体に組み付いていた。

 リーンズィが追撃する間もなく、その少女はミラーズを抱き上げてくるくると回り始めた。


「ああ! 夢みたい! マザー……マザー・キジール! 本物のキジール様だわ!」

 

 心からの歓喜を言葉一杯に散らしながら、その栗毛色の髪をした美しい少女は強く、強く、ミラーズを抱きしめた。


「信じられない、またこうしてお目に掛かることが出来るだなんて! そのお顔、この夢のような香り、この天使の羽のような軽さ……それにこの、ん……」


 スヴィトスラーフ聖歌隊の上級レーゲントを確認しました、とユイシスが解析結果を報告する前に、その聖歌隊の少女が当たり前のようにミラーズと唇を重ねたので、リーンズィは瞠目した。

 そんなことをする人間が自分たち以外に存在するとは思っていなかったのだ。

 そして、ミラーズがそのまま唇を許してしまう人間が、まだいるなどとは。


「間違いない、何も変わってない、首輪を付けられて、洗脳されたんじゃないかって不安だったんだけど……」

 顔を離しながら、輝くような美貌をしたその栗毛の少女は一層歓喜の声を高くした。

「あなたこそ、マザー・キジール……私たちの麗しいキジールお母様!」


「ああ、ロジー。やはりあなたなのね?」


 驚いた顔をして、最初はされるがままにされていたミラーズもまた、少女の香気にあてられて、朧気な記憶を取り戻したのか、心からの慈しみの笑みを浮かべた。

 今度は自分からその少女の頬に手を添え、自分から接吻した。


「ロジー。ロジー・リリウム。私の可愛い子。見違えましたね、立派にレーゲントとしての務めを果たしているようで嬉しいわ。私はキジールの記憶の残渣から新たに生まれた偽物の魂に過ぎませんが、それでもあなたの母として、この再会に偉大なる神の御意志に感謝します」


「偽物なんかじゃないわ、マザー・キジールは何も変わっていません。少しでも疑った私を赦してください、キジール。私たちの永遠に麗しきお母様……」


 見物者たちは大抵が他人事だった。


「おや、随分と盛り上がってるね。感動の再会って言うのかな、私には分からないけど」


「俺も親の顔知らねぇって感じなんで、ちょっと分からねぇですが……ロジーが嬉しそうで俺も嬉しいです」


 ロジーと深い仲であるらしきファデルも動じてはいない。

 熱烈な抱擁と接吻に、誰もが割り込む余地を見つけられなかった。その必要も感じていなかったはずだ。


 ただし、リーンズィに至っては呆然としており、思考能力を失ってその場で硬直していた。


 ミラーズは――かつてスヴィトスラーフ聖歌隊でキジールと名乗っていたそのスチーム・ヘッドは、目鼻立ちに共通の部位を持つ栗毛のレーゲント、ロジーとの再会に万感の思いを抱いていた。

 これ程狂おしく、愛しい者は、この世に存在しないという表情だった。


 リーンズィはひどく混乱していた。

 ダメージを受けていた、と言っても良い。悪性変異体と化した我が仔ヴァータと共に消えていったキジールも、今のミラーズと同じ表情をしていたかもしれない……という思考さえ、自身の思考と認識できない。

 そのレベルで、リーンズィはダメージを受けていた。


 愛しげに互いの名を呼び合う二人に、「悪いけど、プロトコルを進めてもらって構わないかな」と切り出したのはコルト少尉だ。「一応元レーゲントが混じっているからね、聖歌隊側でもどう扱うのか判断をもらっておきたいんだ。それで今日は終わりだから。早いところ終わらせよう」


「……認めないはずがないでしょ。空気を読まないのはあなたの美徳であり、悪徳ですよ」とロジー。

 切なげに瞳を潤ませ、ミラーズをまた抱擁した。

「長姉ヴァータと一緒に姿をお隠しになったと思っていた、私たちのマザー・キジールが、こうして元気な姿で帰ってきてくれたんですもの。受け入れないなんて、そんなの考えられない……ああ、キジール様、もっと今のお母様を、深く知らせて下さいますか? あの頃みたいに、この法悦と感情の熱を伝えるには、もうそれしか……」


「まっ……待て、待って! 待て! 待って!」


 リーンズィは不穏な気配を察知して急速に我に返り、大声を上げた。


「そこまで! そこま……やめ、やめろっ! ダメ! キジールじゃなくて、ミラーズだ! 今はミラーズなんだから! 調停防疫局のエージェントの、ミラーズ! 私のサブエージェントだ!」


 慌ててひったくるようにしてミラーズの黒い行進聖詠服の体を取り上げ、上級レーゲント・ロジーから引き離す。

 ロジーは不服そうに喉を鳴らした、ミラーズと言えば恍惚としていながらも然程動じておらず、自分の唇を舌先で舐めて拭いながら、何事もなかったかのようにリーンズィに語りかけた。


「大丈夫よ、リーンズィ。あたしはもうレーゲントじゃない。あなたを主とする調停防疫局のエージェント、ミラーズよ」


「し、しかし今の様子は普通では……」


「嫉妬しているの? 我が子にして我が主、リーンズィ」金色の髪の少女は艶っぽく微笑んだ。「あなたのそんな可愛い顔は初めて見ましたよ」


「ちょっと! 何キジールお母様を猫みたいな持ち方してるの!? ヴァローナ……じゃなかった、リーンズィだっけ!」とロジーがそれこそ猫のように毛を逆立たせて叱責した。「わきまえるべきよ、調停防衛局のエージェント! 貴女はこの方が誰か分からないの!?」


「……君たちと同じ上級レーゲントの一人だろう。元、だが」


 元、という部分を強調する。

 自分がミラーズに抱いている感情が、元レーゲントやサブエージェントに単純に向ける類のものでないことを、リーンズィは自覚し始めていた。

 ミラーズとユイシスがじゃれあっている時は気にならないのだが、全く違う物理的実体を持った人間と喜び合っている様を見ていると、とても平静ではいられなかった。

 だが、その胸のざわめきと、ミラーズを自分の手元から離したくないという強烈な衝動にどのような名が付くのか、リーンズィは理解していない。


? ?」

 ロジーはこれ見よがしに呆れのポーズを作る。

「ほら、何も分かってない! お母様はそんな風に無碍に扱われて良いようなお方じゃないの。リーンズィだっけ? 私たちの一番新しい妹!」


「え!? わ、私は君の妹ではない! 今日だけで姉妹機を名乗る機体が増えすぎていないだろうか!」


「いいえ、妹です! 妹になりなさい! 妹として扱うからね! 私はお姉さんです! いい? その人は、私たちに命を与えてくださっただけじゃない。本当に尊い人なの!」


「こら。そこまでにしなさい、ロジー」


 ミラーズの舌先が、一言一句で、宥め賺すような、奇妙な音色を奏でる。

 そして、リーンズィにロジーにするのと何ら変わらない調子で口づけした。


「リーンズィも落ち着いて?」


「う、ん……」とリーンズィは釈然としない気持ちで頷く。


「ロジー。それ以上言葉を荒くしてはいけませんよ。過去のことは、私が、いいえ、私たちが、敢えてこの子には伝えていないのです。それに、その名前と称号は、とっくにリリウムに譲り渡したものなのではありませんか。取り立てて言うほどのことではないのです。ねぇロジー。あなたには、ずっと前に、何度も教えたはずですよ」


「でも私は我慢なりません!」ロジーは相当に興奮していた。「この子はお母様が如何に偉大なのか理解してないわ。リーンズィ、あなたの目的は何! クヌーズオーエ解放軍に協力する気があるというのはヘカティから聞いているわ、でも最初はそんな理由でここまで来たのではなかったのでしょう!」


「何……最初?」リーンズィは頭痛を覚えた。「最初は、私は、我々は、あれ? 私は、僕は……私は、私は、大主教リリウムと……」自分自身の感情と思考、そして記憶の連続性が崩壊し掛かっている。努めて冷静になり、当初の目的をようやく纏めた。「調停防疫局のエージェント、全権代理人として、スヴィトスラーフ聖歌隊との協調のための交渉を行いたい。そのために大主教リリウムとの面会を望む。そのために、ここまで来た」


「そのためにリリウム様本人と話がしたいと。残念だけど、貴女をわざわざあの子に会わせる必要は感じないわね」


 突き放すような言いようだった。


「……スヴィトスラーフ聖歌隊は――クヌーズオーエ解放軍は我々を受け入れない、ということか?」


 リーンズィの明確に殺気だった声に、コルトが無言で静止に入ろうとしたが、先にファデルがそれを手で制した。「あの二人の問題だ」「そうかい?」。


「誰もそんなこと言ってないでしょ。必要が無いって言ってるの。。リリウムも、たとえ今のお母様の状態を知ったって、エコーヘッドって言うんだっけ? それでもマザー・キジールの言葉を邪険に扱ったりはしない。ううん、古参の真のレーゲントなら、どんな子でもキジール様には敬意を払うわ。それが、どうしてだか分からない?」


「ああ、困った子ですね。そんなのはもう大昔の話ではありませんか、ロジー」

ミラーズはあくまでも優しく囁きかける。「私は以前でさえ、百人規模の詠隊を組むのがやっとでした。今では精々五人とか十人程度でしょう。もはや、何ら特別扱いされる理由はないのですよ。聖別された蒸気機関を使って数千人に神の言葉を吹き込めるあなたたちこそが、真に尊い者なのです」


「ですがお母様は、その歌声以外には、一つも道具を使いませんでした。私たちでは、肉声だけであれほどの詠唱は出来ません。真に神に愛されし者だからこそ実現出来た奇蹟です! だからこそ、キジール様がのではないですか」


「どういう……どういうことだ?」

 

 狼狽するリーンズィに、ロジーは勝ち誇ったように宣告する。


「最も幼き妹よ、プシュケに刻みなさい。永劫に朽ちぬ奇蹟と共に光り輝く御名をその胸に携えなさい。このお方はキジール。私たちリリウム・シスターズの母にして、スヴィトスラーフ聖歌隊の神に祝福されし歴史において、!」


「何……何と言った? さ、最初の……?」少女は震える声で復唱する。「最初の、大主教……?」


「びっくりさせてしまったかしら。隠していたわけじゃないんだけどね。以前でさえ、私には荷が重い名前だったんだもの。だってロジーや、今の代のリリウムのほうが、ずっとずっと優れているのよ? でも、そうね。識域下で情報共有してるアルファⅡやユイシスはともかくとして、新しく生まれたあなたには、ちゃんと名乗っておくべきかもしれないわね」


 ミラーズは一呼吸を整えた。


「あたしは……我が子ヴァータとともに去った真の私は……キジール」


 繊細な作りの顔に浮かぶ笑みは晴れやかで、緑色の瞳は目玉ごと抉り出して競売にかければ買い手がつくだろうというほど美しい。汚濁という言葉からはほど遠い存在に思える。

 だが、その幼い外見とは裏腹に、美の性質に言い知れぬ退廃の気配がある。

 天使の和毛のような緩くウェーブのかかった金色の髪を撫で、人形めいた美貌に最後の一筆を加えて、戦場の死を言祝ぐ司祭に嫁ぐ花嫁のような、柔肌にぴったりと張り付いた行進聖詠服の裾を貞淑に引き下げる。

 そしてその少女は言った。


「栄光と祝福に満ちた名を、史上初めて聖父スヴィトスラーフから授かった再誕者――最初の大主教『清廉なる導き手』リリウム。それがこの私、なのですよ」

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