第二十四番攻略拠点 煙草の兵士

「よう新入りども。忠告しとくが、館の廊下で他のスチーム・ヘッドに気安く話しかけるのはナシだ。人とすれ違っても見ないふり、知らないふりが無難だ。それがここのマナーだ」


 得意げに語る兵士に、ファデルは露骨な呆れを浮かべる。


「お前なぁ……じゃあ話しかけてくるんじゃねぇよ。悪影響じゃねぇかよ。何なんだよ、禁煙するから乳首でも吸わせてくれって言いに来たのか? 戦術ネットワークにでも申請してろってんだ、なぁ?」


「それがなぁ、俺ぁやっぱり煙草が良いんだよ。だから新入り連中に、煙草があったら売ってくれって頼みに来たのさ。煙草は貴重だ、ただでさえ貴重なのに、誰も市街地から持って帰りたがらない。臭いが酷い上に、買い手がいないと思われてるからだな。だが俺は高く買うぜ、新入りたち。覚えておいてくれ、買い手はここにいるってな」


 少女ファデルは自分より幾分か兵士を見上げながら、仕方なさそうに苦笑した。

 そしてリーンズィたちの方を振り返った。


「あー、真に受けなくていいぞ。煙草なんざ、ほとんど買い手いねぇし、商いがしたいなら他の遺品にしとけ。もし持ってきても、大量に買うとなったらマジでこいつだけだから。このヤニ臭いロクデナシは古株で、皆からはマルボロって呼ばれてる。アメリカ製の煙草の名前だな」


「覚えておいてくれよ。名前と一緒に、市街地漁りとしてはスペシャリストなんだってな。仕事を一緒にやる機会も近々あるかもな」


「マルボロぉ、司令部直轄の機体でもだ、自分で自分のことスペシャリストとか言ってるんじゃねぇぞ。恥ずかしくねぇのか? メディアの奥までヤニだらけなんじゃねえか。こいつはよ、リーンズィ、信じられるか、煙草のために毎日大枚使ってんだ」


「……嗜好品のために大枚を使うのはダメなのだな」

 リーンズィは人生の先輩からの言葉を仮想のメモ帳に書き留めた。

「マルボロはダメ、と……」


「へい、何か記憶するとこ間違えてないか嬢ちゃん」


「マジでマルボロは駄目な大人の典型例だ。その図体で子供だってんなら、せめてこうならないように成長してほしいもんだね」


「ミラーズ、本当にこういうのを『駄目な大人』というのか?」


「そうですね、我が主にして我が子、リーンズィ。昼間から煙草を片手に歩き回るのは悪徳の栄えというもの。姦淫よりも尚酷い。ですが、慈愛の心を持って穏やかに改悛を促すのですよ」


 煙草の兵士は憮然とした。「お前らさては初対面の先輩相手でも結構失礼だな?」


「尊敬に値しないあんたが悪い」ファデルは溜息をついた。「ほらマルボロ、新入りの前で禁煙でも誓えよ」


「いいや誓わないね。座右の銘はキープ・オンリー・マイ・ラブだ。メディアが壊れるまで煙草吸うぞ俺は」にか、と白い歯を見せてリーンズィたちに言う。「一番好きなのはクールなんだが、こっちに渡ってから全然見つからないから渾名がマルボロになっちまった。気軽にマルボロと呼んでくれ。どうかよろしくな、三人とも。……三人で良いんだよな。誰が代表だ?」


 現在の事実上のリーダーは当機では? とアピールしてくるユイシスのアバターをぞんざいに追い払い、大鴉の少女リーンズィは、ショートボブで切りそろえられたライトブラウンの髪を触りながら、ミラーズから深層学習で伝授された通り、魅力的に見えるよう、はにかんで前に出た。


「私が代表だ。よろしく、マルボロ。……それと、差し出がましいようだが喫煙は自傷行為だ。不死病患者と言えどもそれには変わりない。精神の健康には十分に気をつけることだ」


「おおう、失礼を通り越してお医者様目線か? ……あ? 待てよ、その声、知ってるな。聖歌隊の……」


 兵士の生気の無い口元、髭の一本も生えていない顔に、軽い驚愕の表情が浮かんだ。


「あ! その体つき、肩幅、聖詠服のデザイン! お前、リリウムのところのヴァローナか?」

 

 リーンズィは首を傾げた。


「その指摘は正しい。でも驚くのを理解しない。顔を見れば分かるのでは? ヴァローナは有名だと聞いていたが、彼女を知らないのだろうか」


「有名っちゃ有名だが、俺が会ったのは片手で数えるほどだ。それに、普段はあの中世の医者みたいなマスクだったし、マスクの下は画像であっても金払わんと見れなかったからな。しかも高いんだよ。リリウムとその関係者のデータは大体馬鹿高いんだが。俺は煙草ばっかりだからそっちは集めてなくてね。だからあんたとは実質初対面だ。あんただって、俺のことなんざ覚えてないだろ」


「もちろん実質でなく初対面なのだな……」


「しかし驚いたな、攫われて壊されたと聞いたが、無事に帰ってきたのか?」


 リーンズィの隣で、ファデルは体を竦めて、無念そうに首を振った。それからマルボロに向かって己の小麦色の額を指で叩いた。


「残念だがヴァローナは五体満足なだけだ。メディアがイカレちまってる。今はこの新入りが統御しているみたいだが、手綱を放したらもう、ただ殺すだけの白痴だよ、スチーム・ヘッド見たら手当たり次第攻撃するんだと」


「何だって? あの無闇に見栄えを気にするヴァローナが、そんな荒くれになっちまったのか」


「暴れてるところを止めて沈静化したのがこいつら。今管理してるのはリーンズィっていうどこぞかの女の子の人格だが」


「あー、人格記録媒体アイ・メディアを差し替えてんのか。人格が前と違いすぎだろと思ったがマジで違うわけな。その首輪がメディアか? 珍しいな。コルト少尉と同じタイプの人工脳髄か」


『不明な名称を検知』

 ユイシスが警告を発する。

オフィサー少尉・コルトの文字が警戒リストの高い順位に配置された。

『警告。個体名マルボロの発言は、当機らと同系統の技術がクヌーズオーエ解放軍に存在している旨を示唆しています。ウンドワートのような敵対的個体の出現に備えてください』


 名前に反応したのはファデルも同じだった。

 素早く周囲を見渡して、兵士と意味ありげに視線を交した。

 マルボロは軍団長に向かって無言で頷いた。

 そしてライトブラウンの髪の少女に改めて問うた。


「それで、お前はどこの誰だって?」


 リーンズィは一瞬だけ湧き上がった未知の機体への警戒心を抑制して、少女の声で、厳かに、歌うように名乗った。


「……我々は調停防疫局のアルファⅡモナルキア。私はそのエージェントの一人にして意思決定の主体となる擬似人格――リーンズィだ」


 ライトブラウンの髪の下に、ミラーズから学習した微笑を形作る。


「ただし、私は端末で、後ろの重外燃機関搭載機こそが、我々の本体に相当する」


「調停……何だ?」マルボロは怪訝そうだ。「聞いたことないぞ。アルファⅡっていう割に、サー・ウンドワートとも大分違うし、何なんだ?」


「調停防疫局だ」リーンズィはゆっくりとした口調で繰り返した。「国際保健機関の武装部隊だ。そして我々はあの不調法ウサギとは一切関係ない」


「は?」マルボロはぽかんと口を開けた。


「……私はそんなに、関係ないと言われてびっくりしてしまうほどあの殺人ウサギと似ているのだろうか。心外だ」


「いや、そうじゃなくて、何でWHOが武装するんだよ」


「WHOは武力を持っているのが当然では?」


「いや、必要ないだろ。銃じゃなくて診察器具や薬を持てよ。そういう機関だったろ」兵士は閉口した。「そもそもだ、WHOって継承連帯設立時に、国連ごと合流してるはずだろ。それ考えると、サー・ウンドワートともやっぱり何か関係が……」


「私のいた歴史ではWHOは独立を保っていたし、あのピョンピョン卿を私は知らない」


「ちょいちょい……ちょい待て」とファデルが割って入った。「知ってて言ってるんだと思うが、あんまりウサギウサギ言うとあいつ機嫌悪くなるから控えめにしてやってくれな」


「しょうがねぇって。聞いたぞファデル、こいつら外で喧嘩売られて、あいつに散々嬲られたんだろ。癇癪に付き合わされたんだ、文句言っても良い立場だと思うがね。それに、姉妹機同士なんだから気安くて呼び合うのも良いだろ。本体のヘルメットもそっくりだ」


「断じてあんな姉妹は知らない」

 リーンズィは苛立ちながら即答した。

「アルファⅡは、アルファⅡモナルキア以外存在しない」


「そうか、仲悪いのか? 姉妹同士色々あるよな、俺にゃ兄弟はいないが、散々苦労したもんだ」

 姉妹喧嘩に首突っ込んでも撃たれて損するだけだしな、と肩を竦める。

「ともかく出自は分かった、WHOね、だから煙草がどうのこうのうるさいのか。知らないタイプだな。本物のニューフェイスなわけだ。遅くなったが、クヌーズオーエ解放軍にようこそ。煙草関係じゃ仲良くやれんかもだが、それ以外は上手く付き合おうや」


「感謝する。禁煙の相談ならいつでも乗る」


 リーンズィと兵士は緩く握手をした。

 マルボロは視線をやや下げて、黙りこくっている金髪の少女へと微笑を向けた。


「そっちの……レーゲントは誰だ? 会ったこと無いよな」


 ミラーズはベレー帽を脱ぎ、幼さの残る顔立ちを精妙にコントロールして、見れば心を動かされずにはいられないような、ある種の陰鬱な欲望すら喚起させる、美麗な微笑で応じた。


「ええ、無いでしょう。私が大主教リリウムから離れたのはずいぶん前のことですから。私はミラーズと申します。かつての名をキジールと言いました。現在はアルファⅡのサブエージェントの一人です。二度目の死を経て、楽園の扉を潜るために新しい生命を得ました。かつてレーゲントであり、今はレーゲントではない者です」


「ん、やっぱリリウムの関係者なの?」


「どう見えますか?」


「分からん。顔が似てるけど、その辺は上級レーゲントには割と多いしな。そういうシリーズの機体だし」


「つまり、私もリリウムの娘たちか、と言いたいのですね?」


「そこまで知ってってることは、やっぱ本物の上級レーゲントの成れの果てか。それにしたってこんな若いレーゲントは知らないぞ、聖歌隊で再誕の機密を受けられるのは16歳からだったんだろ? 申し訳ないが、あんたはそれ以下に見える」


「ええ。我々はそのように定めました。けれど、私はとても古いレーゲントでしたから」


 麗しい退廃の少女はベレー帽を頭頂から降ろして、秋の風に揺れる稲穂のような髪を掻き上げ、艶然と口元を緩めた。


「それほど疑わしいというのなら、ああ、私の矮小なる血と肉で、レーゲントとして如何にして救いを与えるのか、知りたいのでしょうか?」


 返事はあっさりとしていた。


「いいや。色々試したが俺はやっぱり女より煙草だ。煙草の香りだけが俺を世界に繋ぎ止める」


 逡巡も躊躇も感じさせない断言。

 ミラーズは表情を消した。

 無碍に扱われたことよりも、自らの方法論が全く通用しないらしい状況に、戸惑いとも新鮮さとも付かないものを感じているようだった。


「おっと、ミラーズの嬢ちゃんが魅力的じゃないって言いたいわけじゃないし、当然そういう誘惑に対しての軽蔑もない。古い時代、そっちの、どこだか知らん世界で、武力で劣る聖歌隊がどうやって戦果を挙げてきたかは聞いてる。そういう所作の癖は激戦を生き残った古参の証だ。だが、自分を無闇に切り売りするのは、クヌーズオーエ解放軍じゃもう古いぜ」


「そのようですね」ミラーズは目を伏せながら嘆息した。「ではこの新しい時代、祈りなき御国で、あたしはどう振る舞えば良いのかしら? 新しい退廃の時代に相応しいものって何なのよ」


「急に砕けたな。そっちが素か? 再誕者っていうか、古いスチーム・ヘッドらしい二面性だな……とりあえずそんな感じで振舞ってればそれで良いんじゃないのか? カタナ持ってるってことは戦うんだろ。ナメられんようにするのが一番だ」


「あたしは、そうかもしれないわ。でもこの子は目覚めたばかりの再誕者なの」

 見上げながら、リーンズィの手をそっと握る。

「あたしに教えられるのは古い世界のことだけ。新しい世界に相応しい、新しい在り方があるというなら、我が子にして我があるじ、リーンズィに、どうか教えてあげて? もちろん、望む形のお礼をするわ」


「お礼って、そんなの、礼をもらうほどのことじゃないが……いや、そうか。相応しい、新しい在り方、か」


 兵士は押し黙った。

 内心にある柔らかく傷つきやすい記憶の回路を丁寧になぞり、何事か意味のある言葉を吐き出そうとしているようだが、二、三度言いかけては言葉を詰まらせ、やがて首を振った。


「いや……新しいものなんて、ありはしないな。偉そうに言ったが、望ましいものなんてのは、やはりもう無い」


「ではどのような振る舞いが適切なの?」


「無い。何も無い。ここは永遠に連鎖して増殖し続ける都市だ。合わせ鏡の、無限に連なる写像に、異なる新しい像が映り込む……そんなことあるはずないだろ? 何も変わりやしないのさ。だから、不変の世界において、相応しいものは、何も無い。新しいものなんて何も無いんだ。強いて言うなら、あるがまま、朽ちるがままだよ。それが正しい在り方だ」


「呆れた。それ、定命の人々が生きた時代とどう違うの」


「何もかも違う」

 マルボロは不意に声のトーンを落とした。

「不滅の世界で、裁き主はどこにもいない。だってそうだろ、審判の時が来たってのにどこにも神様はいないじゃないか。来ているのかも知れないが少なくとも俺たちには見えないし聞こえない。つまり神様はこう仰ってるわけだ、『お前らは誰だ? 私のメモ帳には載っていないが』って。行き先がどこにもない時代だ。そんな時代が他にあったか? あらゆる罪が裁かれない。裁かれないと分かってしまった。裁かれないというのならば、それぞれが、ただ、在って在るだけだ。そうとも、淫蕩にふけるのが性根だというのなら、それでも良いんだろうさ。俺が煙草の煙に怠惰な夢を見るみたいに。誰かが神様の代わりをやってくれるまで、それを続けるしかないのさ……」


 言葉の最後の方は殆ど唸り声のようだった。

 ふつりと糸が切れたように兵士は黙った。

 そして森林迷彩の背を向けて去っていった。

 リーンズィはそれをずっと視線で追ったが、兵士はついに振り返らなかった。

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