第二十四番攻略拠点 懲罰監督官コルト
兵士は廊下の角を折れて、ユイシスの音紋解析に従うならば、避難用の屋外階段の扉を強引に押し開き、そこから出て行った。
リーンズィは一つ思い当たり、ファデルに問う。
「……エレベーターは、もしかするとあまり使われていないのでは? 彼はそんなもの知らないって歩み方だった。最下層フロアの工場設備も危険だったし、常用ルートではないのだな?」
「あ? ああ」ファデルは何か考え事をしていたようだったが、リーンズィに笑みを向けた。「そうだな。普通は屋外の階段か、直接壁を登攀して窓から出入りするかの二択だ。技術者連中もそうだったろ。エレベーターが動くのは新入りが来たときぐらいだ」
「最初から階段で良かったのでは」
「じゃあリーンズィ、あたしを抱き上げてみて?」
ミラーズが両手を伸ばして囁きかけてきたので、リーンズィはその通りにした。
細い両手が首の後ろに回った。
二人は一度だけ軽く接吻を交した。
「な、何で今キスしたんだ……?」
ファデルは顔を赤らめた。
「あら、そんなに不思議だった? やはり聖歌隊も随分変わったのですね。恋する二人が見つめあったら、これくらいは普通でしょう」
「おかしいとは言わねぇけどよ……あんたら、人格の根っこっていうか、同じ本体で繋がってるんだろ?」
「無意識下でね。だけど、別々の人格ですし、機械的に繋がっているからと言って、求め合わない道理はありませんよ? それで、リーンズィ、この姿勢で壁や階段って登れる?」
「不可能では無いと思う。だが非推奨だ。バランスを崩したら君が痛い目を見る」
「つまり、そういうことですね?」
ミラーズはリーンズィの胸から滑り降りて、ファデルに微笑と一礼を捧げた。
「ファデル。私が段差に弱いと言うことを察して、心を砕いてくださったのですね。粗野な喋り方なのに、なんて紳士的なお方」
ファデルはまた顔を赤らめた。今度は照れた様子だった。
「あんたらも知ってるみたいだが、ローニンの旦那の仕込みだよ。これでも俺は気を利かせる方なんだぜ? 心を配りすぎて在庫が足りねぇくらいだ」
「……今も、私たちの他にも、心を配る宛てがあるようだな」とリーンズィ。「どうも落ち着きが無いように見える。マルボロが『コルト少尉』と言ったあたりから様子がおかしい」
「そっちも意外と気がつく子だな」ファデルはブランケットの下で体を屈めた。「痛まないはずの胃が痛い。また面倒なことになるかもしれん……」
「コルト少尉とやらは、ウンドワートのような危険人物なのか?」
「ウンドワート卿と比べればずっと落ち着いた人だ。栄えある『
「そうか。きっと素晴らしい戦士なのだろう。いつかはお目に掛かりたいな」
「そうはいかねぇ」
「謁見は予約制なのだな?」
「逆だ。すぐにお目に掛かることになるな、こりゃ」
「どういうことだ?」
「煙草だよ」ファデルは溜息を吐いた。「マルボロ以外にもう一人だけ煙草を愛好してるスチーム・ヘッドがいる」
「それがコルト少尉?」
「うーん、あの人は吸いはしないんだが、火と煙を好む。煙草の匂いを嗅ぐのが好きで、灰皿の上で煙草に火を着けるんだな。そしてあの人は多分……あんたらのために用意した部屋に勝手に入り込んでる」
ファデルはあからさまにげんなりしていた。
「何故そんなことが分かる?」
「マルボロのやつだって馬鹿じゃない、勇士の館の暗黙の掟だって熟知してる。どいつもこいつも花や果物みたいな体臭になった今となっちゃ、煙草なんて嫌われものも良いところだぁな。一人で楽しむのは許されてる。外で堂々と持ち歩くのも構わん。だが館の通路で裸で持ち運ぶなんてありえねぇ。だが、あいつは、敢えてそれをした」
「理解した。何かの符丁……そうまでして伝えたい事柄があったということなのだな?」
「煙草をわざわざ見せびらかした理由なんて、それぐらいしか思いつかねぇしな。コルト少尉には他言無用だと言われたんだろうが、上手いこと、口では言わずに、アイテムで伝えてくれたわけだ。不味い事態を嗅ぎ取ったんだな。あいつは鼻が利くんだよ、煙ばっか吸ってるくせにな。きな臭いのには敏感なんだ」
ファデルは重い足取りで廊下を先導し始めた。
仄かに漂い始めた臭気に、すんすんと鼻を鳴らして、顔を顰めた。
「……煙草じゃないな。でもあんたらのための部屋で、誰かが何か焚いてる。絶対コルト少尉だ。俺にもあの人は追い出せねぇ。あっちはあっちで権限は軍団長相当、指揮系統では対等なんだ。あんたがたの部屋にはこのまま案内する。撃ち合いとかにゃならんと思うが、一応覚悟しといてな……」
「覚悟と決心が多い一日なのだな」
「ああ。死ぬまでがそうだよ」小麦色の肌の少女は不意に冷たい声で言った。「そして私たちは死ねない」
部屋は東側のもっとも角の部屋にあり、既に「アルファⅡモナルキア」と書かれた札がかけられていた。
ただし鍵はピストルか何かで撃ち抜かれて破壊されていた。
ファデルが先に立って、扉を躊躇いがちに開くと、すぐに寝室があった。角を折れてリビングに入る。奇妙な構造の部屋だった。
リーンズィは自分たちの新居を目の当たりにした。
丁寧に貼り直された壁紙。窓のそばにある、経てきた年月の厚さにくすんだローテーブル。そこに置かれた灰皿の上で、煙草の代わりに香木に火が付けられている。
微睡みの海を渡るような甘い香りがリーンズィたちを迎え入れた。
窓際で冬の日の寂しい光を浴びて、彼女は待っていた。
布を張り替えたばかりのソファに腰掛けるスチーム・ヘッド。
運動補助用の簡素な蒸気甲冑。その下にはライダージャケットのような準不朽素材性の防弾服を身につけて、肢体を各所のベルトできつく締め付けている。
膝の上には選択的光透過性を備えた白いヘルメットを載せ、どこか空疎な気配を滲ませる黒く艶やかな髪を垂らして、手の中でシングルアクションの回転弾倉式拳銃と思しき武器を弄んでいる。
ユイシスにより即座に『不朽結晶連続体』の解析結果が添付された。
「あ。あの人、ちょっとかっこいいですね……」
危機感を感じさせないまま、ひそひそと耳打ちしてくるミラーズ。心なしか目を潤ませている。好みのタイプなのだろうか、とリーンズィは心臓がちくちくと痛むのを感じた。
「カウボーイなんて初めて見ました。そうそう、朧げに覚えています、実は私の初恋は映画の西部劇の俳優で……」
「カウガール、だよ」
良く通る、それでいて酷く静かな声で女性は言った。
部屋はしん、と静まりかえった。
「性自認は曖昧なんだけどね。でも見たとおりに考えるなら、私はカウガールなんだ。気分はイージーライダーなんだけど。でも、思った通りに見てもらうのはとても難しい」
女性は、首輪型人工脳髄を取り付けた首筋を見せつけるように天井を仰ぎ、リーンズィたちをまっすぐ見て、それから右手に拳銃、左手にヘルメットを抱えて立ち上がった。
まだ少女と言っても通りそうな艶色の良い肌。肉体の年齢は成人を迎える前に凍結した様子だったが、女性としては背が高く、リーンズィと比べても遜色が無い。
血の通う人間とは思えない、左右対称の冷たい美貌。
命を吹き込まれた彫刻や、絵画の中から抜け出してきた淡雪の乙女のような非現実的な気配を纏っている。背丈に反して与えられる印象は脆く儚げで、虚ろな瞳に映る世界は物憂げに揺れていた。
その世界にはまず諦念があり、その真っ黒な思念の敷物の上に、アルファⅡたちが立たされている。
リーンズィは無意識に身構えていた。
脳裏に過ぎったのは、都市焼却機フリアエの端末や、車椅子のスチーム・ヘッドであるヘカントンケイルだ。
いずれも年恰好は違うが、顔立ちがよく似ている。
それぞれが異なる成長段階のクローンなのかも知れなかった。
異様だったのは、超越的存在にも等しいフリアエや、狂気に落ちたヘカトンケイルとも違う、彼女のその言葉だった。
呟くようにして繰り出される言葉は悉くが暗澹たる諦観を孕んでいて、美しい声は脳を揺らし、サイコ・サージカル・アジャストまでもを突き抜けて、精神を不吉に波立たせる。
手招きするような囁き声。
まるで夜の沼から響くような暗い誘いだった。
「挨拶が遅れたね。お邪魔しているよ、知らない世界のアルファⅡ」
女性はリボルバーの弾倉を無意味にからからと回して、暗黒へ放り出されたかのような空虚な瞳をリーンズィたちへ投げかけた。
「私はコルト。登録名はコルト・スカーレット・ドラグーン。皆からはコルト少尉って呼ばれてる。それで、誰がアルファⅡモナルキアなんだい?」
「私が意思決定の主体だ」リーンズィは鋭い口調で詰問した。「いったいここで何をしている?」
「顔を見たかったのと、あと、
女性は目にも止まらない速度で回転式拳銃を向けた。
自分自身の頭へと。
米神に押し付けて、引金を引いた。
銃声が轟いた。
「コルト少尉?! 何を……」
悲鳴を上げたファデルが咄嗟に女性の体を支えようとしたが、その女性は倒れ伏せることすらなかった。
飛び散った血と脳漿は、床に飛び散ることもなく機能拡張された神経組織に絡め取られ、銃弾が飛び出した傷口へと一切合切、失われるべきだった全てを巻き戻した。
床も天井もカーペットも一滴の血も浴びなかった。
夢か幻のようだったが、
それらは全てアルファⅡモナルキアが仮想空間で予測演算した事象だからだ。
リーンズィが次に瞬きをした時にはコルトは拳銃を頭に突き付ける寸前で、自害を実行してはいなかった。
まず最初に彼女自身が驚愕してしまった。リーンズィ自体、こんな機能が自分に追加されているとは、実際に発動するまで全く知らされていなかった。照会してやっとアルファⅡモナルキア本体の機能だと分かった。
アルファⅡウンドワートが搭載していたという未来予測演算を参考にして、ユイシスが実装したらしい。
リーンズィは仮想された世界の中で即座にオーバードライブを起動して、室内で制動が効く程度の加速度で銃を取り上げにかかったが、それでも、信じがたいことにコルトなる女兵士の方が動作が速い。
どのように身体を扱えば最大効率で拳銃を動かせるのか、熟知しているのだ。
自害を防げなかったため、ひとまずその演算結果は破却された。
次に目を開いた時には、リーンズィは違う選択を採った。オーバードライブで背後に回り、銃身を打撃して射線をズラしたが、今度は調度品に穴が開いてしまう。
銃を持つ腕を折るか切断しても良かったが、せっかくもらえるらしい自分たちの新しい住処を初日から汚すのは不愉快だった。
最後の試行を終え、もっとも望ましい結末を得た頃には、首輪型の人工脳髄が凄まじい熱を発していた。
現実世界でオーバードライブを起動する。
白い肌に汗を浮かべながらリーンズィは加速された世界で慎重にコルトの腕を打撃して銃身を逸らし、撃針が雷管を叩く寸前に、銃口を完全に計算された角度へと向けさせた。
オーバードライブ解除。
撃針が降りて銃声が轟き、連動してミラーズがひょいと身を躱した。
ファデルは状況が飲み込めず何かを言いかけたまま硬直。
そしてスタンバイしていたアルファⅡモナルキアが、飛来した弾丸をガントレットの左手で受け止めた。
どのような弾丸が装填されているか不明だったため、リーンズィが知る限り最高の盾で受け止めることにしたのだ。
弾丸はガントレットの手の平で呆気なくひしゃげた。ただの鉛玉だ。モナルキアは潰れた弾丸をそのまま自分のポケットにしまった。
「ちょ……コルト……それにリーンズィ! 何やってんだあんたら?!」
ファデルは叫んだ。
「お前ら、ちょっとでも穏便にやっていこうっていう意識はねぇのかよお!」
「同じにしないでほしい、ファデル。私はコルト少尉の自害を止めただけだ」
黒髪の女の背後でリーンズィが低い声を出した。
「……コルト少尉、それ以上何かすれば、生命保護のために頸椎を粉砕する。……これはジョークなので、ごあんしんなのだな」
矛盾したその言葉に、コルトはくすりとも嗤わない。
「悪かったね、リーンズィ。ああ、君にも謝罪するよ、ファデル軍団長。色々なことについてね。君の立場を蔑ろにするわけじゃないけど、ここは<一人軍団>の権限、そして解放軍の立法に携わった一人としての権限を行使させてほしい。私はこのアルファ型スチーム・ヘッドと話がしたい」
大鴉のスチーム・ヘッドに背後を取られても、拳銃を握った黒髪のスチーム・ヘッドは平然としていた。
「君もやっぱりあの子、ウンドワート軍曹と同じ規模の未来予測が出来るんだね」
言葉はあくまでも淡々としていた。
黒髪のコルトは一連のアルファⅡモナルキアの尋常離れした機動に対して、別段驚きもしていなかった。
このようにアルファⅡモナルキアが行動することを予測していたのだろうが、敵対者に死角を取られた人間にはあり得ない表情だった。
死の気配にも銃声の爆轟にも震えない、永久に満たされない完全なる空虚。
「……君は、本気で自分の頭を撃ち抜くつもりだったな」
「うん、その反応だと予測演算された未来で僕はしっかり死んでいたみたいだね。ちゃんと再生しながら陸に打ち上げられた魚みたいにのたうって苦しんでたかな? その光景を憐れんで、この件は手打ちにしてくれないかな」
コルトはそっと自分の首輪型人工脳髄に触れて、倦怠感に満ちた笑いを笑った。
「もっとも、私を演算しているのはこっちの非侵襲式の人工脳髄で、総体としての本体は別にいるんだけどね。頭を撃ち抜いても本質的には意味はないのだけど。でも、私はあんまり死んだことがなくてね、再生も遅いし、痛覚もしっかり残ってる。本気で自分を苦しめようとしたんだってことは信じてほしい」
「嘘だと判断する。痛覚を敢えて明瞭に残しているスチーム・ヘッドなんていない」
「いいえ、リーンズィ、この方は嘘をついていません」
コルト少尉に注がれていた陶然とした視線は、今や冷え切ったものに変じていた。
「あの目を見なさい、あのような暗い目をするのは、一つの信仰も持たない者だけです。この方は真実しか口に出来ません。……だって、神も、誰も信じていない。偽証すべき相手がいないのだから」
ミラーズはこの黒髪の女性をある種の思想上の敵と見定めたようだった。
リーンズィは、敵とまでは見なしていなかったが、脳内の危険リストの上位、ウンドワートの次の位置にコルト少尉の名を書き加えた。
「分かってもらえたようで嬉しいよ」
平坦な笑みを浮かべたままコルトは言った。
「分かり合えるって嬉しいよね」
「この分かり合い方は嬉しくない」
リーンズィは溜息をついた。
コルトの目が真っ直ぐに覗き込める位置に移動して、意図して大袈裟に表情筋を操作して、端正な顔を不愉快の色に染めた。
「苦痛を伴う自傷行為は許容されない。たとえそれが贖罪のつもりだとしても、二度と私の前でそんな行為をしないよう要請する。全ての生命は安寧のうちに保護されなければならない」
「安寧のうちに保護されなければならない、か」
黒髪の女はライダースーツの腕を緩く交差させながら、少しだけ愉快そうに表情を崩した。
「調停防疫局らしい物の言い方だね。調停防疫局。とても懐かしい響きだ」
「コルト少尉、その口ぶりは……我々を知っているのか?」
ライトブラウンの髪の少女は気色ばんで目を見開いた。
「調停防衛局を知っていて……その拳銃、考えてみれば不朽結晶の火薬式拳銃なんて他の組織では……君も……私たちと同じ、エージェントなのか?」
ライダースーツの女は月の無い夜に輝く上弦の月のように目を細めて、あは、と密かに笑った。
「おかしいね、まだ分からないのかい? お互い、大差はないデザインだと思うんだけど」
コルトはおもむろに補助演算用人工脳髄が仕込まれた不朽結晶連続体のヘルメットを被った。
頭部を装甲し、腰に拳銃を吊るした、西部開拓時代の騎兵のようなその出で立ちを、兵士と表現しない者はいないだろう。そして選択的光透過性の黒い鏡面世界の奥で、白い燐光を放つ不朽結晶連続体のレンズにリーンズィたちの姿を捉えた。
リーンズィの瞼の裏に幾つかの情景が浮かんだ。だがそれらの記憶をリーンズィは事後的に消去された。しかし、リーンズィは、初めて自分の記憶にある誰か、生まれる前から知っていた何者かのシルエットを認知した。
その知覚活動に連動して、玄関に控えていたアルファⅡモナルキアが前進してきて、その白いヘルメットのスチーム・ヘッドと対峙した。
コルトは見知らぬ土地を彷徨う騎兵隊員に似ていた。
アルファⅡは見知らぬ星に不時着した宇宙飛行士に似ていた。
即ち、ここに存在するはずが無い者ども。
あり得ざる、という一点で繋がる、人間性に背を向けて平穏を望んだ愚者たちの末裔。
「……私は、君を、君の影を見たことがある……?」
リーンズィは呆然として呟いた。
「君は……アルファⅠだな? アルファⅡモナルキアの祖にして正当なる姉妹機。アルファⅠサベリウス……!」
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