第二十四番攻略拠点 勇士の館

 勇士の館の玄関をくぐると、脳髄を掻き回す大音声が、波濤のようにのし掛かってきた。吹き出す蒸気からは猛烈な油の臭気が立ち込め肺腑を汚す。

 リーンズィは反射的に足を止めて、身を強ばらせた。本能的な忌避感からか、手で行き先に蓋をして、ミラーズの歩みを阻んだ。

 ただ、ミラーズの方が余程落ち着いていた。リーンズィは逆に手を掴まれて引かれ、屈まされた。金髪の少女は漆黒のベレー帽が落ちないよう抑えながら、少しだけ背伸びをして大鴉の少女にそっと口付けをして、髪に手指を絡ませて撫でた。


 リーンズィは慣れ親しんだ芳香の中で落ち着きを取り戻した。

 ブランケット姿のファデルは半ば呆れた様子で二人を眺めていたが、口を差し挟むことはなかった。


 リーンズィが怯えたのは、自分が集合住宅のふりをした機械仕掛けの怪物の腹、さもなければ侵すことを禁じられた領域に入り込んでしまったような気がしたからだった。

 それは床に書かれた進入禁止の警告の語句や様々な方式で描かれた同様の意味のピクトグラムからくる暗示だったのかもしれない。

 少なくとも、首輪型人工脳髄に収録された曖昧模糊とした記憶を参照した限りにおいては、勇士の館なる建造物の実像は、古ぼけた集合住宅の外観から想像した風景とは、些か以上に食い違っていた。


 一階から二階までがぶち抜かれ、組み替えられ、あるいは組み上げられ、住宅はまさしく工場の如くに変容していた。

 部屋を仕切る壁という壁は打ち壊され、天井は丸々取り払われ、二階分のフロアが広大な空間として連結されており、あちこちを灰錆びた金属の管材が這い回り、そしてひと目では用途を理解出来ない奇妙な機械が、至る所で名状しがたい作動音を上げている。

 例えば、原始的な圧搾機と思しき装置には蒸気機関オルガンが連結されており、そこから漏れ出す蒸気からは濃縮された花の香りがした。不死病患者の血肉がどのようにしてか利用されているようだった。

 ユイシスが『推測:人間の血液を熱媒体とした交換機』と、からかうような口調で囁いてきたので、内心で少女は言い返した。そんな趣味の悪い機械があるだろうかと。しかし重外燃機関は緊急発電のとき大量の血液を吸い上げている。あれは良いのだろうか?

 むむむ、と少しだけ悩んでいると、『アルファⅡモナルキアという機体の非人道性がようやく分かってきましたね。良い傾向です。我々は人道の真逆を進んでいるのです』と嘲笑された。


 その倒錯的に機械化された領域では、つい先ほどまでファデルの蒸気甲冑を整備していたスチームヘッドたちが、しきりに行き交っている。

 無数のレンズの反射光、蜘蛛の如く広げられた無数の腕、無数の声が、組み上げられ、分解された銃火器、強化外骨格、パペットのパーツの上を渡り、壁に設けられたバルブを操作して、蒸気機械に対して微細な調整を加えたりしている。

 フロアは古い時代のどこかに存在した工場生産拠点の影法師であり、そういった意味においては、実体としての人間が居住する環境では無かった。


 無制限の労働、無制限の奉仕、無制限の苦闘。永遠に朽ちぬことを約束された生命、その呪わしい生涯に相応しい、永遠に消えることの無い労働の灯、あるいはもはや行き先の無い哀れな技術者たちの魂を祀るための祭場。


 そういった無為な営みを支えるための無謀な改築で生じた構造上の荷重を解決するためだろう、フロアのあちこちに出鱈目な支持具が挿入されていた。それらの大抵は、コンクリートで外形を整えられた、主無き大型蒸気甲冑の残骸である。技術者と生産物の形骸が行き交う空間を支える、魂までも使い捨てられた兵士たちの成れの果て。

 リーンズィは勇士の館とは戦闘用スチーム・ヘッドの待機所なのだろうと漠然と考えていたが、死ぬことを許されぬ憐れな者どもが創造の真似事をし、不死であるべき息絶えた者の骸があたかも名も歴史も無い器物の如く扱われているのを見て、分からなくなった。そこには全てがあった。生産工程の全ての循環と生産物の終点が押し固められていた。全人類の果たす大任の全て。何の成果にも繋がらない底無しの空漠へと捧げられた供物たち。


 視線を巡らせていると、唐突に生気の無い枯れた青空と死んだ灰の建物が現れる。外壁の一面までもが、物資の搬入出の都合であろうが、跡形もなく取り払われているのだった。機械仕掛けの胎内、機能しているのか否かすら判然としない様々な機械と不死であることを約束された生身の技術者が蠢く場所を、晴天に晒された寒々とした冬の廃墟群が覗き込んでいる。

 脈絡の無い風景が途切れることなく外側に繋がる様は、いっそ現実離れしていた。


 ファデルもミラーズも先に進むよう促してくるが、リーンズィにはこの歪な風景に飛び込んでいく勇気が無かった。

 あたかも植物園に立ち並ぶ木々に怪物の影を見る幼子のごとくに。

 すると、背後に柔らかな感触が寄りかかってきた。ミラーズかと思ったが違った。アバターを展開したユイシスだ。


『報告。展開しているスチーム・ヘッド部隊から、動的な反応を検知できませんでした』怜悧な声音で走査の状況を告げる。『特定方向からの侵入者に対して認知機能を制限されているものと予想されます。なお、本発言は、現在の貴官にこれの意味するところが理解可能かのテストも兼ねています。勿論分かりますよね』


 どういうことか、と尋ねる前に、ファデルがリーンズィたちを見て閃いたようだった。ようやく合点がいったという顔で手招きをして、技術者たちを完全に無視しながらすたすたと歩き始めた。

 何もわからないまま恐る恐る付いていくと、技術者たちは無意識にか反射的にか、巧みにリーンズィたちを避けて通り抜けていく。


「こういうことだからよ、こいつらに気を遣わなくたって良いんだ。勇士の館は攻略拠点の外で活動してる連中のホームだ、神聖にして侵すべからずってな。最近はプライバシーだって大事にしてほしいやつが多い。だから、誰がいつ出入りしたか記録しないように、技術担当官どもは自分たちの認知機能にロックをかけてんのさ。その上で自動回避のプログラムを組んで、無意識のレベルで俺たちを避けてくれる……」


 言いながら、しかしファデルは足を止めて、ハンドサインでリーンズィたち三人に制止を促した。がちゃん、がちゃんと喧しい足音を立てながら、大きな鉄板を担いだ技術者が、ゆっくりと目前を通っていく。


「無視しても良いという話だったのでは?」


「助け合いだ。無意識にどうこうって言っても限界があらぁな。見たまま大変そうな仕事をわざわざ邪魔すると、大抵は良くない結果になる。こんなところで無駄にデッドカウント増やしても良いことはねぇ。邪魔になるだけだ。譲れるときはこっちが譲るんだ」


 どこでだってそうさ、とファデルは付け加えた。これが人類文化なのだと。


 フロアの片隅には、隔離された区画が存在しており、そこが目的地のようだった。

 エレベーターシャフトへの入り口。単なる工場見学だったのか、あるいは勇士の館というものを知らしめるための旅程なのか、とリーンズィは曖昧に思案する。

 受付机の代わりのティーテーブルの前には、黒髪の女性のスチーム・ヘッドが腰掛けていた。

 戦闘服を着た若い女性だった。黒髪は瑞々しいが伸びきっていて、どこかで見たような美しい顔立ちには、生来のものであるのであろう整った顔貌ゆえに、飾り気の文脈が自然に生起していた。

 それにしてもとにかく俯きがちで、ヘッドギア型人工脳髄が酷く目立っている。

 背負った中規模の蒸気機関からしゅんしゅんと蒸気が噴き出している。

 ただし、運動補助用の強化外骨格以外には、装備が見受けられない。


「彼女は何をしている?」


『検出中。床下に磁気反応を確認しました』


 ユイシスが床を透過して、存在が想定される物体の形状を、赤い輪郭で視界に投影した。

 この建築物の送電用のケーブルのようだった。

 女性の蒸気機関はこれらのケーブル群と接続しているらしい。


 リーンズィは無害な機体だと判断したが、どうにも彼女の所作が気に掛かった。

 ティーテーブルの上。擦り切れたカードを組んでは並べている。

 三つの山札、十枚ほど横に並べられた絵札の群れ。

 視覚に納めた時にユイシスが『遊興目的のタロットです』とアナウンスしたが、リーンズィが絵柄を視認した途端に『不明なカードゲームです』と訂正を行った。


 リーンズィには理解が難しかった。ミラーズも不思議そうに盤面を覗いていた。

 カードの絵柄は無数にある。棍棒、剣、貨幣、家屋、豚、人、歯車、十二個の墓。何らかのプレイング・カードであることは確かだったがタロットでもトランプでもなかった。あるいは幾つかの種類の異なるカードを混ぜ合わせた結果なのかも知れない。

 まじまじと観察していると、訪問者の接近にようやく気付いたのか、女性がふいと頭を上げた。

 そして会釈した。言葉は無かった。ファデルは「よう」と気さくに挨拶し、リーンズィとミラーズは、顔を一瞬だけ見合わせてから、控えめに挨拶を返した。

 それで終わった。

 受付のスチーム・ヘッドは、またルールの分からないカード遊びに戻った。

 何も見ていないし、何も聞こえていないと言った素振りだった。

 ひょっとしたら自分が何をしているのかと理解してないのかもしれない。


 エレベーターの管理係というわけでもないらしく、呼び出しの操作は、最初から最後までファデルが実行した。

 遊んでいるカードゲームのルールが気になったリーンズィがミラーズと一緒になって背後を振り返っていると、ファデルが不意に頷いた。


「言いたいことは分かるぜ。あんなスチーム・ヘッドは珍しいってんだろ」


 小麦色の少女は洞察力に優れるらしい。

 大鴉の少女は、素直に目を丸くした。


「私の考えていることが分かるのか?」


「ああ。戦闘用の蒸気機関なのに武装してねぇのは奇妙って顔だな」


「ん? うん……」


 言われた内容が、気になっていたことと全然違ったので、リーンズィは思わず生返事をしてしまった。

 リーンズィは成長しつつある自我を懸命にコントロールして、相手の内心を尊重するよう務めた。

 肩越しに振り返って「ん? そうだろ?」と疑いもせず笑いかけてくるファデルの心情を慎重に吟味し、端正な顔に無表情を装って、こっくりと頷いて返事をした。


「うん……なんというか……奇妙かもしれない?」


「だろうな。あの規模の蒸気機関ならオーバードライブ積んで装甲板も貼り付けてるもんさ」


 そういうものなのか? とユイシスに問いかけると、十分なデータ蓄積が完了していないため判断は保留しますという素っ気ない返事が来た。

 リーンズィは今後ユイシスの意地悪ポイントを記録して累積していくことに決めた。


「あいつは特別なんだよ。伝令用のスチーム・ヘッドでな、電磁嵐が吹き荒れたりしたときには、電波が通じなくなるだろ。そしたら、あいつがオルガンを弾いて、情報伝達のためにそこいら中を走り出すって寸法だ」


 操作盤のスイッチが点滅し、ドアが開いた。

 促されるままエレベーターに乗り込み、カード遊びを続けるスチーム・ヘッドを格子戸の向こうに見送って、つらつらと言葉を続けるファデルの話を、興味深そうな態度をどうにか維持して聞いた。


「世界がこうなる前じゃ考えられない贅沢な使い方だ。クヌーズオーエ解放軍の攻略拠点は、どんなトラブルにも対応できるよう万全に備えてるってことだぁな。スチーム・ヘッドの数が揃ってるから、こうやって通常軍ならあり得ないような分担も出来るんだ」


「色々工夫があるのだな」リーンズィは色々工夫があるのだなと思った。「ところで彼女は何をしていたのだろう?」


 今度はファデルがきょとんとする番だった。

 しばしの沈黙。

 設備が悪いのか、エレベーターの上昇は酷くゆっくりとしていた。唸り声を上げるモーター。ファデルの頭に突き刺さったプラグ型簡易人工脳髄がコイル鳴きを起こしている。


「何って、そりゃ……待機任務だ。起きてるように見えるが、あれは半分寝てるような状態だぜ」


「半自動モードというやつですね」ミラーズが視線を虚空に向けながら呟いた。「あれが眠りなら、目を開いている間こそ悪夢だわ」


「聖歌隊のレーゲントが暗いこと言うなんて珍しいな! それで、さっきのあいつに関してだが、ここの電気供給も仕事と言えば仕事だな」


「情報提供に感謝する。いや、しかし、私が気になったのは現在従事している任務のことではなく、カードで、こう……」


 甲冑の手でパラパラとめくるジェスチャーをする。

 ミラーズも小さな手でそれに追従した。


「そうそう、これよね。タロットなら聖歌隊にいたころに嗜んだけど、そうじゃないみたいよね? ルールがかなり違うように見えたわ」


「何にせよ、一人で長時間やる遊戯でもないだろう。どういう意味がある?」


「……前にはあいつにもカード仲間がいたんだよ」

 ブランケットを被った少女は言葉を濁して、首を振った。

「どうしても気になるなら、自分で訊いてくれ。クヌーズオーエで他人の趣味の話を聞くってのは、それなりにデリケートなことだ。ましてや他人のなんて、特にペラペラとは喋れねぇわな」


「仲間がいた……ですか」とミラーズが小さく目を細める。

 

 リーンズィは「なるほど、確かに直接聞けば良いのだった」と一人で納得し、それ以上は追及しなかった。


 ……誰かが囁いている。エレベーターは軋み音を鳴らしながら上昇を続ける。ただ定められた地点へと向かって、ロープは巻き上げられていく。そこに人間の意思は無く、目標はなく、夢想はなく、願望は無い。エレベーターとスチーム・ヘッドの違いは一つだけ。エレベーターは上下にしか動けないが、スチーム・ヘッドはどこにでも行ける。大きな差に思えるかもしれないが本質的には全く同じだ。どこに辿り着いても何も起こらないし何かが変わるわけでもない。その程度の違いしか存在していないのだと、リーンズィの背後で誰かが囁いている。

 お前たちはどこに辿り付くわけでもないのだと。


 ライトブラウンの髪の少女は自分自身の本体を見遣った。囁き声の主が他にいるとは思えなかったがアルファⅡモナルキアは不動の姿勢を維持していた。

 その黒いバイザーの下で息をしているのかすら判然としない。


 かつて自分がこの精強な男性の肉体を操っていたという事実がリーンズィには信じられない。リーンズィはヘルメットのバイザーに顔を近づけて自分自身を覗き込む。見知らぬ惑星に漂着した不安な宇宙飛行士のような無表情なヘルメットの黒い鏡面世界に、自分がどこにいるのか尋ねたくて仕方がないといった面持ちの少女が佇んでいる。

 迷子の少女だった。


 七階でチャイムが響いてエレベーターの扉が開いた。

 ちょうど、粗雑な仕事で貼り付けたらしい壁紙の前を、自動小銃を肩にかけた、兵士と思しきスチーム・ヘッドが通り過ぎるところだった。自動車の残骸から引きずり出したものを再利用しているらしいバッテリーを腰部に取り付けていて、そこから人工脳髄に給電しているようだった。


「む!」リーンズィの鋭敏な嗅覚が異臭を捉えた。

 鼻先を掠めたのは、煙の香りだ。リーンズィが嗅ぎ慣れぬ香りにダメージを負い眉根を寄せている間に、ユイシスが目前の兵士のヘッドギア型人工脳髄に『解析:不朽結晶連続体』の文字を表示する。

 兵士は、装甲されていない口元に包装の草臥れた煙草をまさに咥えており、手にはオイル式のライターを握っている。火はつけていないようだった。


 一度エレベーター前を行き過ぎてから立ち止まって振り返り、口から煙草を離して、エレベーターから降りてきたファデルたちに手を挙げて挨拶をした。


「ようファデル。昨夜はロジーで、今度は知らない美人、それも背の高いのと低いのとで二人ってか。また女か? 仕事の荷が勝ち過ぎて欲求不満か? 清廉なる導き手の信者らしくなってきたな」


「何の話だよ、マルボロ。っていうかあんたこそ、また煙草か。嗅ぎ回る野郎と煙臭い野郎は嫌われちまうよ」


 森林迷彩の兵士はにやりと笑って肩を竦めた。


「これだって文化だろ。滅びゆく儚く美しい文化だぜ。それに、だ。今持ってるこれが、俺の人生で最後の一本さ」


 小麦肌の少女は唇を尖らせた。


「何回も聞いたわなそりゃ。昨日も最後、一昨日も最後だった。最後の最後はいつ来んだよ。とっとと煙草やめろや、兄弟」


 上下関係はあるようだが、ファデルに軍団長なる役職者としての威厳はなかった。どちらかと言えば、だらしのない兄を叱りつける妹めいていた。

 ただ、リーンズィにもミラーズにも、二人が浅からぬ関係であることは知れた。よほど付き合いが長いのだろう。


「まぁまぁ。生前に比べれば禁煙家だよ俺は。毎晩禁煙してるし。もうこれで何万回ぐらい禁煙してんのかね。俺ほど禁煙してるやつは他に知らないぐらいだ」


「知らないもクソもねぇだろ。まだ煙草をやってるのは、あんたと、他にはもう一人ぐらいだぁな。そもそもスチーム・ヘッドが煙草吸っても意味ねぇじゃん、ニコチンだってまともに効かねぇのに」


「違いない。でも中毒だ、これは。魂が煙草の煙に巻かれてるのさ……。死ぬか世界が滅ぶかすれば俺も煙草をやめられると思ってたけど、どうやらそうでもないんだ。まったく恐れ入るぜ、俺は何が好きでこんな臭いだけの葉っぱに縋ってるのやら」


 言いながら兵士は、ゴーグルと一体化したヘッドギアを、リーンズィとミラーズ、そしてアルファⅡへ向けた。

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