第二十四番攻略拠点 開門②

 だしぬけに我に返ったリーンズィは、事前の警告無しに、ある種の負荷試験に晒されているのだと理解した。

 自己定義すら曖昧なままミラーズに縋り、ぎゅっと抱き返す。

 和毛の少女は優しくそれを受け入れる。

 彼女の肩を借りながら姿勢を戻す。

 二本の脚で踏ん張ったのは、意地だった。


「ユイシス、私を何かの実験に使ったな! 無断でよくもこんなことを!」


『全プロセスの停止を確認。アルファⅡモナルキア・リーンズィ、ホットスタート。やはりまだ自我境界が安定していませんか。計画は一時中段します。さて、初めて理解を超えた無加工の現実に衝突した感想はどうですか、モナルキア無しでも頑張れるリーンズィ?』


 これほどユイシスの声が冷笑的に聞こえるのは初めてだった。

 少女は憮然として返す。


「意志決定の主体である私も、所詮は上位個体であるアルファⅡモナルキア総体に従属している存在に過ぎない、というのは、承知した。だから、唐突に負荷試験を始めるのは、やめてほしい」

 カリ、カリと自分の首輪型人工脳髄を指先で搔く。

「こんなのは酷すぎる。気が変になりそうだった」


『だ……大丈夫なのか?』とファデル。『発狂する寸前みたいに見えたぜ』


「大丈夫だ。何時になったら門は開くのだろうか」


『頭の中がキツいならちゃんと言えよ、人工脳髄の調整なら、ヘカントンケイルにレーゲントに、手助けしてくれるやつは山ほどいるからよ。あと、ここの防壁の仕様は煩雑でなぁ。まぁ一度都市を閉鎖したら、二度と開くことはないのが普通だ。おいエルモ、まだなのか? こいつ、具合悪いみたいだし、さっさと放り込みてぇんだが』


「もうすぐだって! 初回こそプロトコルは踏むべきだ、住民登録だってやらなくちゃいけない。焦っても仕方ない」


『否定するわけじゃないが、こんなわけのわからねぇ防壁の前にずっと立たせるのはどう考えても健康によくねぇよ。あんまり時間掛かるようなら城壁登って直接入るぞ』


 リーンズィはやや躊躇いながらも、アルファⅡモナルキアとのリンクを再確認した。

 演算能力の割譲を要求して承諾を得て、自我の安定にリソースを注ぎ込む。

 ほぼ完全な心身の安定を得て、懊悩する。


 何故、このタイミングで、こんなことを?

 自身の本体は何を考えているのか。差異が芽生えつつあるというのは承知しているが、それだけでここまで断絶が生まれてしまうのか。そんな疑問は後回しにして、リーンズィは突如として5m程の巨人に投げかけるための問いを考え始めた。

 ……自然な思考の流れでは無いことをリーンズィは自覚している。おそらくアルファⅡモナルキアから思考に干渉を受けているのだ。

 逆らえることではないので、興味関心は自動的に第二の疑問へと焦点が向けられた。


「……どうして君たちが、この壁の詳細を知らない? ここは、二十四番目の攻略拠点なのだろう。君たちがそう名付けた。君たちが攻略拠点として二十四番目に設定した土地と私は解釈した。ならば当然、これも君たちが設置した防壁なのでは」


『気になってたのはそこなのか? 推論エラーで演算が乱れて人格が不安定になってたんだとすりゃ、自然な反応だわな。そんなのでウンドワートの旦那と渡り合えるってのも変だが……』


「それで、どうなのだろうか。どうなの」


『ああ、期待を裏切るようで悪いがよぉ、こりゃあ、最初からあったんだよ』


「最初からあった?」釈然とせず復唱する。「どういうことだ?」


『どういうことだって言われてなぁ……』


『ファデル、クヌーズオーエのこと何も知らされてないんだろ、この子ら』


 ポーキュパインが武装パペットの肩にアームを乗せて、助け船を出した。


『いいかリーンズィの嬢ちゃん。分かり易いよう説明するとだな、第二十四番攻略拠点というのはここの地名なんだ。ちなみに実際は三番目に発見された攻略拠点だ』


「……? すまない、理解しない」


 ノイズが頭に残っているのを無視しても意味不明な説明だった。

 順当に理解するとまず『第二十四番攻略拠点』という施設があり、それを後から発見して利用していると言うことになるが、これほど防壁の充実していた施設が放棄されていたという事実が理解しがたい。


『そうだなぁ、ベルリンが東西に分割される前から存在していたチェックポイント・チャーリーというか……』


「え、ベルリンって分割されたの?」ミラーズがぽかん、と口を開けた。「チェックポイント・チャーリーって何?」


「東西ベルリンを分けていた国境検問所のことだ。君は君で、なんだか私たちとは滅茶苦茶にズレた世界の出身なのかもしれない」


「うーん? ちょっと待ってね。エコー・ヘッドになってからそういう歴史のこと全然分からないんだけど……一応聞くけどベルリンって全部ロシア領よね?」


「ど、どういう経緯で? なんだその歴史認識は」ライトブラウンの髪の少女は困惑した様子で首を傾げた。「いっとき半分をソ連が占領していたのは事実だが……」


 ポーキュパインは、ミラーズとリーンズィの、混迷とした、月明かりの無い夜に石の形をなぞって品評をし会うような不毛な遣り取りを無視しながら、より理解の容易な喩えを探しているようだった。


『ええとだな、そう……そうだなぁ、もっと卑近に言うなら、駅が出来るずっと以前から何故か存在していた駅前ショッピングモールみたいな……そういう……なんか良く分からんやつだ。駅が無い時から、名前が駅前なんだな』


 合理的理解がまたしても阻害されたので、リーンズィは困ってしまった。

 そもそも駅前ショッピングモールという概念が分からない。それは駅が出来る前から存在していてはいけないものなのだろうか?


「君はさっきから自分が何を言ってるのか理解していないのでは? よく分からない例を出さないでほしい。この通り、現在の私は心が弱い。あんまり虐められると泣いてしまうぞ。ウサウサ卿もそうだが、皆私にやけに不親切じゃないか?」


『そんなつもりじゃなくて、単なる事実を言ってるんだがな。ここは最初から第二十四攻略拠点っていう名前なんだよ。俺たちがピョンピョン卿って呼ぶより前からウンドワート卿がウサウサ卿だったのと同じく……』


『待て待て、気のせいかもしれねぇが、ヴァローナの後釜に、ウンドワートの旦那の渾名が一般名称として記憶されてるっぽいぞ。それはマズいって』


 ファデルは巨体を屈ませてリーンズィの顔を指先で指した。

 そして指を立ててゆっくりと左右に振った。


『いいかあんた、あの人の目の前で、絶対そんな変な呼び方するんじゃねぇ。目の前で言ったら、普通に怒られるからな』


「有益な情報に感謝する。今度見かけたら大声で言ってやろうと思う」


『何で怒らせるんだよ?!』


「何故なら私はあのスチーム・ヘッドが嫌いだからだ」


『子供か!?』


『リーンズィに警告。何故貴官は、稼動時間の増加に従ってどんどん退行していくのですか』


 巨人と支援AIに叱責されながらも、ライトブラウンの髪の少女は不満げに眉を潜めるばかりだ。


「あんなことをされて、和解しろというほうが非合理的なのだ。そう、私は怒っているのだな。人間的だ。人間性が増えると良い、みたいなことをモナルキアも言っていたはずだし、これは進歩だ」


『認知バイアスも急激に変化しつつあるようですが、当機には最悪の場合、貴官の擬似人格演算を停止する権限が与えられていますよ』


「何とでも言うが良い。ミラーズまで傷つけようとしたのだ。やはり許されるわけがない」


「喧嘩は駄目ですよ、リーンズィ。罪と罰とを定めるのはあなたではありません。悪心や敵対の心だけで接するならば、返ってくるのは同じ悪意だけです。それに『この疫病の時代を制圧し、全ての争いを調停するものだ』。これはあなたの言葉です。率先して争いの種を蒔いてどうするのですか」


「ミラーズがそう言うなら、我慢するよう努力する」リーンズィはすんなり頷いた。「確かにアルファⅡモナルキアだった頃の私もそんなことを言っていた気がする」


『ははぁ、その小さいレーゲントの言うことだけ聞くのか……』


『ポーキュパインへ謝罪します。彼女はまだ子供なのです。まったく、モナルキアからの演算支援がなければ自我境界線の策定も曖昧な機体が息巻いて、恥ずかしくないのでしょうか』


「さっきからなんのコントだ?」

 エルモは少し呆れた様子だった

「風、やんだみたいだ。今度こそ開けるぞ、危ないから近付くなよ」


 がこん、と鈍い音が響いて、ついに不朽結晶の防壁が開門した。

 何かが食い違ったような有様だった。

 扉は、真っ直ぐに上へ開いた。

 推定50m四方の黒い板が、鈍い音を上げながらゆっくりと上方へと巻き上げられていった。

 死刑判決を受けた罪人を向える断頭台のその刃のように、するすると、いっそ気味が悪いくらいの気軽さで上昇していく。


 呆気に取られていたリーンズィだが、すぐにユイシスからの解析情報を読み込み始めた。

 光学情報からは何も判然としないし、音紋解析を使っても壁の向こうに何か機械装置があるらしいというごく当たり前の推論しか引き出せない。

 もしかするとこれを引き上げる専門の係の者、それも高出力の機体が存在するのかも知れないが、生産に莫大なコストを必要とする全身甲冑型スチーム・ヘッドをこのためだけに使用しているという事実はにわかには受け入れがたい

 あるいは壁という名前を付けられた怪物が、黒々とした顎の内側を晒すために唸りを上げているようで、リーンズィは酷く落ち着かない気持ちになった。

 ミラーズはそれとは別の理由でしょんぼりとした。


「こ、これが開門なの…………?」


『疑問を提示します。何も開いていないのでは?』


『いや、でもこれ、開門と呼ぶしかないんだよぁ』とポーキュパインがぼやいた。『他にどう言えば良いんだよ。そういうこと言うやつ前にもいたけど、他の言い方は全然定着しなくてよ……』


 やはり地中に埋まっていたらしい25m分の壁面が地上に現れた。

 さらに10m程上昇したところで、齟齬のある開門は終わった。


「前に倒れたり後ろに倒れたりはしないの?」と不満げなミラーズ。


「ああ、これで終わりだよ」まさしく木組みの枠だけになった門の小部屋でエルモは頷いた。


 リーンズィも思ったことを言った。


「開くというか持ち上げているだけでは……」


 ファデルは溜息のジェスチャーをした。『しょうがないだろ、元々は閉鎖が完了したら開放は無いっていう設備みたいなんだから。初見だと多少驚く開き方かもしれねぇな。よーしエルモ、早いとこ検疫を終わらせてくれ』


「あ、なるほど。進入すれば即検疫所になるのだな」

 リーンズィはふむふむと頷いた。

「衛生観念がしっかりしている。おそらくは先進的な検査設備や専用のスチーム・ヘッドがいるのだろう。これは調停防疫局の事実上の精神的後継が存在していると認識しても……」


 存在しなかった。待ち受けていたのはやはり予想外の光景で、リーンズィはまたも絶句した。


 50mの正方形の平面を潜り抜けた先にあるのは鉄骨で組まれた巨大な空間であり、床には経年劣化の進んだアスファルトが敷き詰められていて、天井の鉄骨には投光器が大量に取り付けられ、照らされた路面には既存の文字と似ているが意味の分からない奇怪な文字の路面標識が並び、射殺された人間が倒れたあとの輪郭をなぞってついでに加工したとしか言いようのない不審なピクトグラム等が無数に散らばっている。


 錆びた鉄の匂いにリーンズィは鼻を鳴らす。

 廃墟、それも打ち捨てられて長らく放置されていた施設に、あとから多少なり手を加えて、どうにか使えるようにした。そういう気配を感じた。

 遙か上方、20m程の場所に見えるのは天井か屋根だろうか。

 ユイシスが解析したが不朽結晶も準不朽素材も使われていなかった。ところによってはビニールシートが貼ってある場所があるように見えた。石綿が零れている点からしてもかなり年代が古い施設のようだ。

 ファデルが『スライドレールの油圧が切れたらあの扉落ちてきやがるぞ。ほら、入れ入れ』と催促するので、ミラーズの手を握りながら恐る恐る踏み込む。

 清潔で、整備の行き届いた施設……とはお世辞にも言えそうに無い。


 不審そうにミラーズと顔を見合わせていると、中程に設けられた詰め所と思しき小屋から、作業用の多腕スチーム・ヘッドを引き連れたスーツ姿の女性がやってきた。


「クヌーズオーエへ第二十四番攻略拠点へようこそ」と女は言った。「分かるか。俺だよ、城門のグリエルモ。こっちの体はラジオヘッドだがね」


「男性だと思っていた」


「スチーム・ヘッドも長くなれば性別なんてどうでも良くなんのさ」


「そういうものか……検疫所、というよりは屋根のついた大型ガレージの廃墟に見える」


 率直な感想を言うと、スーツ姿の美女は忍び笑いを漏らした。


「見えるというか、屋根のついた大型ガレージだよ。外の城壁はほとんどハリボテみたいなモノだし。実際の所、攻略拠点の外縁部を薄い不朽結晶障壁で囲ってるだけなんだ」


 エルモの端末は、人差し指を立ててニヤリと笑った。

 ファデルたちスチーム・パペットは駐機スペースらしき場所で停止し、技術者らしきスチーム・ヘッドや荷物運搬用ラジオ・ヘッドにあっという間に囲まれてしまった。


「そして検疫って言っても、やることは機体に悪性変異体カースドリザレクターの破片が付いてないか、生体部分が変異を起こしてないかチェックするだけ。しかも基本は嗅覚便りだ。悪性変異の兆候があれば、匂いで分かる。ほれ、さっさと服を脱げ。こんなしみったれたガレージは通過点なんだから」

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