第二十四番攻略拠点 駐機場①

 ミフレシェットと名付けられた大鎧が開放型の駐機場で停止すると、集合住宅の下層階の窓から上半身を六本腕の蒸気甲冑で覆った技術者たちがゾロゾロと這い出してきた。

 いずれも検疫所にいたスチーム・ヘッドと同型で、頭部は多眼の潜水服じみた風貌をしており、多腕であることも含めて、俯瞰分岐宇の傍流に位置する空漠、認知宇宙の外側の淀みに潜む……認知宇宙の……?


「外側……潜む……何?」


 リーンズィは首を傾げた。認知宇宙の外側の淀み? 自分自身が何を演算しているのか理解が出来ない。ライトブラウンの少女は髪を指先で巻いて己の思考を精査した。認知宇宙の外側の淀み認知宇宙の外側の■■■■■■■■「 もう、意味など無いというのに 」【生命管制より通達:認知機能を再度ロックします。指定した記憶ログを消去してください】いいいいいいずれいずれいずれも。



 リーンズィは命令に従い、何を考えていたのかを忘却した。



 リーンズィは眩暈を覚えた、と認識した。人工脳髄からの人格転写にエラーが出たのだろうか。

 改めてスチーム・ヘッドたちを観察する。頭部は多眼の潜水服じみた風貌をしており、多腕であることも含めて、海洋の大深度で暮らしている甲殻類をリーンズィに想起させた。

 全ての腕部が工具と結合されており機械を整備する以外の機能を持っていないように見えた。


『脱ぐのに時間が掛かるのが、大型蒸気甲冑の面倒なところだぁな。面倒なところを言い出したらキリがねぇけど』


 溜息交じりに語るファデル。その巨大な金属甲冑の兵士に、四本腕のスチーム・ヘッドが群がり、各所に設けられたメンテナンスハッチの開放を始めた。

 不朽結晶製の螺旋には、不朽結晶製の螺旋回しが必要であるらしい。

 ポーキュパインはと言えば、別の住居を根城にしているようで、彼とはそこで解散となった。

 下ろされたリーンズィが、去っていくポーキュパインに向かって手を振ると、彼はどうしようもない過ちを見逃された、裁かれることを望んでいる罪人のように、どこか躊躇いがちに手を振り返した。


「彼はどうしたのだろう?」

 リーンズィは首を傾げてミラーズに尋ねた。

「どう言うべきか。後ろめたいことでもあるみたいだ」


「考えるまでもありません。大きな戦争の鎧を着て寄り添っているくせに、アカフィスト不死病患者たちで子供みたいに遊んでいるところを見られて恥ずかしかったのでしょう」


 返事はどこか侮蔑を含んでいた。リーンズィは目を見開いた。その金髪の、どこかあどけない面持ちの、慈しみ深い少女が、そんな声音で物を言うとは思っていなかった。


「……君は感染者たちに商経済の真似事をさせていることに関して、そこまで否定的なのか?」


「良いかしら、神はこのように法を修めていらっしゃいます。『人を誤った行いへ導く者は、如何なる理由であれ、死を以て罪を償わせるべきである』」


 人形のような目鼻を微動だにさせず、腕組みをして己が身を抱きしめる。


「継承連帯と言いましたか、人類の文化を守っているつもりかも知れませんが、彼らはあれほど多くの魂無き者たち、既に神の御国に招かれた人々を、神が不要と定められた悪徳の文明、その虚栄の再現に、投入しているのです。どうしてこれを罪と見做さずにいられましょうか」


 そこまで一気に言い切って、すぐにリーンズィの応答を遮った。

 咳払いを一つ。


「大丈夫よ、分かってるから。私の言ってることは、まともではないのでしょうね。だいたい、それじゃあ聖歌隊はどうなのかって聞かれたら、そこでもうこの非難は意味がなくなっちゃうんだから」


 これは「問え」と言外に求められているのだな、とリーンズィは非言語的に直観した。請われたとおりの質問をした。


「スヴィトスラーフ聖歌隊はどうなる? 原初の聖句で不死病患者たちを操っているのでは?」


「……聖歌隊の再誕者レーゲントはね、苦しみ嘆く者のために己自身の純潔を与える献身と、死の苦痛を永劫繰り返すことを償いの一つとして数えるの。あと、不死を約束された世界で、敢えてもう一度失われる命として蘇った点が言い訳になるのよ。あらゆる禁忌は不滅の世界にあって、再度失われる生命によって償われる。だから、救世のために全てを捧げた再誕者による一切の罪は、楽園からの追放を前提として神の御国で赦される」


 ミラーズの言わんとするところを察して、ライトブラウンの髪の少女は首を傾げた。


「そして、その理論はそっくり他の勢力のスチーム・ヘッドにも援用できてしまう、ということか」


「そうなのよ。敵をも愛し最後には救済を与える、というのがスヴィトスラーフ聖歌隊の教義だったんだもの。気に入らない相手には当てはまらないって一概には切り捨てられないの。神命を盾に軽重はつけられても、本質は変えられない。目指した場所、選んだ道がちょっと違っただけってことで、受け入れるしかない。だから、ただあんまり気に入らないかなっていう気持ちを、理屈で丸める前に、とりあえず言葉として吐き出したの。意識も無い、見も知らない人たちの体を使って、おままごとみたいなことして弄ぶだなんて最低でしょ。ええ、ええ、分かっていますよ。人のことは言えないのよね」


「私は彼らは赦されるべきだと思う。君たち聖歌隊と同じく」


「そうね」ミラーズは溜息をついた。「私も赦します。ハレルヤハ、みんな幸せになりますように」


 話し込んでいるうちに、技術者の一人が強化外骨格の下肢でコツコツとアスファルトを叩きながら近寄ってきた。


「我々も議論に参加しても?」


 ミラーズは誰が見ても余所行きの笑顔だと分かる表情で首を振った。


「残念ながら話は今終わったところですよ」


 技術者は淀みなく言葉を繋いだ。


「それでは数秒前に特定のある一面においてのみ切断された会話でなく諸君らの意識活動に沿って継続されてきた時系列としての重層的価値を付与された意味総体を参照する会話系統、それに連なることについての許可を願いたい。いかがか?」


 ミラーズは応じない。金色の和毛の下で、翡翠の瞳が困惑した調子で揺れていた。ネットワーク上で『この人の言葉はどこの何語ですか、ユイシス』などと質問をしている辺り、技術者の発した言葉を正確に理解できていない様子だ。


「私たち調停防疫局に用があるのか?」


 代わってリーンズィが応じた。

 意味を理解する必要はほぼないという素早い判断だった。


「感謝する。正確には、諸君らの得たと思しき情報について関心があるのだ」


 そのスチーム・ヘッドは、己の重量を長期間支えることに特化した下肢部を折り畳んで、枯れ木のような縦に長い体を屈め、リーンズィだけでなくミラーズにも多孔のヘルメットが見えるよう頭を下げた。


「睦まじい会話に割り込もうとした非礼を許してくれるだろうか、調停防疫局のミラーズ」


「……良いでしょう」


 ミラーズは神妙な面持ちで首肯する。未完成であるが故に完成している、退廃の筆を添えられた整った顔貌。漏れる吐息すら魅力的だったが、リーンズィにも分かり始めたことがある。


 ミラーズはよく分からない事態が起きたら神妙そうな顔をすれば良いと思っているのだ。


 自分ほど整った容貌をしていると、ただ困惑を押し殺して息をしている、それだけ絵になるのだと確信しているらしい。

 そしてそれはまさしく事実なのだなと密かに感心する。


「でも、私たちの知っている言葉だなんて、些末事ばかりかと存じます。私どものような浅学な者では、あなたがたのように賢い御方を満足させられないのではありませんか?」


 頬を薄く染め、心のひだをくすぐるような媚笑を作りながら、受け手を焦らす素っ気ない声を出す程度は造作も無い。それでいてブーツの足先を摺り合わせたり、緩く腕を組んで薄い布地に僅かに体躯をなぞらせたりと、その気になれば容易く手折れる花であることをアピールする微妙な所作にも気が回っている。

 今にも接吻を始めそうなほどの距離感に、リーンズィの心臓は奇妙なほど揺れ動いた。思考を同じ機体、アルファⅡモナルキアという筐体の上で極めて低い深度で共有しているため、天使の翼のような波打つ金髪を持つこの少女の動作の意図が非言語的に理解可能だった。


 これは自身と同格程度と見込んだ存在を相手にする時の、特に衒いの無い、殆ど息をするように発せられる演技である。

 こうしたミラーズの仕草を観察する見るのは初めてだったが、そうしてリーンズィははたと気付いた。


 初対面の時も、即ちミラーズが未だキジールという名称だったときも、このようなテクニックを駆使していた可能性はどの程度あるだろうか。

 ユイシスに回答を求めれば、即座に統計として整理されたデータを入手出来るだろうが、リーンズィは敢えてその思考を、己が転写されている少女の脳髄だけで完結させようとした。

 ヘリの機上でユイシスに指摘された『ユーモアの欠如』は、つまりお前は自分自身で考える能力を持たないという指摘では無かったのか。とにかく、状況から判断して自力で結論を導き出せるようにならなければ、アルファⅡモナルキアの子機以上の存在にはなれない。


 それにしてもミラーズから学習すべきことはまだまだあるようだ、とふわふわとした髪を蠱惑的に掻き上げる目下の少女に熱っぽい視線を向ける。所作の一つ一つが魅力的で、従わずにはいられない、さもなければ力で従わせずにはいられない、そんな相反する引力を伴っているように感じられる。

 しかし、と疑問が生じる。

 熟練のスチーム・ヘッド相手にこのような表面的な誘惑は通用するのだろうか?

 門番のスチーム・ヘッド、グリエルモなどは、男女両方の肉体を使っていたようだが……。


 リーンズィは自分自身のことを忘れて、現状とは全く関係ない思考に没入しそうになった。


「それでは、改めて調停防疫局のエージェント、アルファⅡモナルキアが同位体、リーンズィに問う」


 技術者のスチーム・ヘッドに、ミラーズの誘惑は全く通じていないようだった。

 冷静な声で呼びかけられて目を覚まし、自分はいったい何を考えているのだろう、と首輪型人工脳髄の不調を疑った。

 特に発熱などしている気配は無いが、明らかに思考から連続性が剥離しつつある。戦闘による慢性的な肉体の疲労か、統合支援AIが事務手続きに処理能力の多くを割いているためか……。


「調停防疫局のエージェント、我々が知る一つの名を問う。衛星軌道開発公社セブンス・コンチネント。この企業に関連する記憶は無いか?」


 ぴくり、と身震いして、リーンズィはブラウンの髪を揺らした。ミラーズに魅了されていた精神が現実の深度にあっという間に引き戻される。

 何故その名を、とは言わない。

 参画を表明するにあたって、アルファⅡモナルキアは、廃協会のスチーム・ヘッド、蒸気車椅子のヘカントンケイルへと、見聞きしてきたものを余さず報告している。

 この技術者はおそらく彼女から情報を得ていたのだろう。


 照会を拒否する権利も、拒否する必要も感じなかった。

 リーンズィはただ義務と善意によって記憶の開陳を決定した。そのような行動を取った方が最終的に利益が大きくなる、といった打算が演算から抜け落ちているのを、外部化した自己像を参照した段階で発見して、慌ててそのような意図を付け加え、だから女児だ、幼女だと言われるのだ、と内心で叱責する。

 本体たるアルファⅡモナルキアから転送されてくる記憶は、数日前に放り出されたあの灼熱の荒野だ。

 命を繋ぐために土埃の中でミラーズと血の交歓を行い、<時の欠片に触れた者>の襲来を迎えた。


 その途中で遭遇した、奇妙な形状のスチーム・ヘッドたち。

 彼らが、確かその名を肩書きとしていた。

 セブンス・コンチネント。

 衛星軌道開発公社だ。

 地の豊穣ではなく、星の海を願った夢追い人どもの末裔。

 第七の大陸、存在しない大陸セブンス・コンチネントは、宇宙にある。


「……都市焼却機フリアエに誘導された先の時間枝で、セブンス・コンチネントの所属だと名乗る個体と遭遇した。その時間は、どうやら彼らによって運営されているようだった。君は公社の所属なのか?」


「ああ。我々は衛星軌道開発公社セブンス・コンチネントの所属技術者だ」


 六本の機械腕を小さく広げながら技術者は言った。


「勿論、現在は異なる。私の認知宇宙では、世界の趨勢は、人類文化継承連帯が完全に掌握した。公社も諸君らの前身団体と同じく早い段階で解体されて、彼らに加わったのだ。私にしても主任技術者であるヘカントンケイルとともに、継承連帯へ合流した身分にすぎない。もっとも、当時はヘカントンケイルは一人しか存在しなかったが」


「……今は複数いるのか?」


「肯定だ。私も正確な数は把握していない。ある時間枝では量産されているらしい。……しかし、それは現在の会話とは関係ない。諸君らが観てきたことを知りたいのだ。調停防疫局のリーンズィ、重ねて問う。その世界では我々の計画はどの程度まで進行していた? 恒星の収容と環天体の形成には成功していたか。揺籃拠点として地球環境の保全はどうか?」

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