軍神強襲③
実際問題として、ウンドワートからの積極的な攻撃は、実は一切無いのだ。
ただそこに立っているだけ。
リーンズィの損傷にしても全て迎撃された時に受けたものだ。
余力があるどころか、遊ばれていると言って良い状況で、表層的な通信の秘匿性を重視しても効果は薄いのではないかと少女は考え始めた。
アルファⅡモナルキア本体まで交えた戦術を構築する上で、言葉を使わずに意思疎通するのは限界がある。
『通信を封鎖する必要性を感じない……。ユイシス、これから無声通信を解禁する』
ミラーズから重ねて通信があった。
『どうするの、リーンズィ。顔の怪我も酷いし、降参しても良いんじゃない?』
『問題ない。痛みはない』
『見ているあたしがつらいのよ』
逃げる? リーンズィはその発想に少なからず動揺した。
蓋然性が高い選択かも知れない、と一瞬でも思ってしまった。
ヘルメットの兵士のバイザーに映る黒い鏡像の世界。互いの尾を追うようにして駆ける少女たちの機動は輪舞にも似る。撹乱を狙って加減速を乱数化しており、通常なら対応は難しいはずだが、これもとっくに見切られていると考えるのが妥当だ。
しかも、アルファⅡやユイシスに管制可能な範囲では、新たな策はどこからも浮かんでこない。
元来、複数機を従えて正面から戦闘が出来るようには作られていない。
アルファⅡモナルキアは所詮は戦闘用の機体ではない。
どれだけ知恵を絞っても、通常時はこの程度の戦術を取るのが限界だ。
滑空する二羽の鴉の如く、円弧を描いて駆ける二人の中央で、獣人じみた形状の純白のスチーム・ヘッドは微動だにしない。
攻撃を受けていることなど全く気に掛けていないようにさえ見える。
あるいは、全力で走れば、逃げ切れるかもしれない。きっとアルファⅡウンドワートは、私たちのことなんて、きっとどうでもいい存在だから。そんな迷妄が脳裏を過ぎったが、彼の攻撃的な態度を考えれば有り得ない選択だった。
『……ダメだ。仕掛けよう』リーンズィは白く長い息を吐いた。『まともな相手では、たぶんない。逃げても降伏しても無駄だと思う。何としてでもあちらを行動不能に追い込むしかない』
何より、宣言されたとおりのことをミラーズにさせるわけにはいかない。
それで死んでしまうわけでもあるまいが、彼女が苦しむ姿は、もう絶対に見たくない。
『……ほう、まだ考える頭が残っておるようじゃな。小突いたせいで人格記録までグズグズになってしまったかと思うたわ』
百分の一秒間に、実に一〇〇〇回もの周波数変動を行うアルファⅡモナルキアの通信網に、せせら笑う老人の声が割り込んでくる。電子戦能力でも引けを取らないというユイシスの予測は正しかったようだ。
『よかろう、思うがままにするが良いぞ。どうせ勝つのはワシで、負けるのはオヌシらじゃ。臓物をぶちまけて、犬畜生の如くに這いつくばって、憐れっぽく慈悲を請うことになるのじゃから』
犬畜生、という単語に少女は過敏に反応した。
ミラーズではない。
嫌悪感を露わにしたのは、リーンズィのほうだった。
『誰を犬みたいに這いつくばらせるって……?』と唸るように吐き捨てる。
その感情の乱れを感知して、アルファⅡモナルキア本体が攻撃を開始した。
左腕のガントレット。
その五指に固定された多目的投射器から、加速用の蒸気流が噴出した。
射出された弾頭は急ごしらえながら高純度の不朽結晶で被覆されている。
所詮は蒸気加圧の弾丸であり、戦闘機動に突入したスチーム・ヘッドならば平然と目で追えてしまうような速度だが、命中すればアルファⅡウンドワートの装甲も無傷では済むまい。
リーンズィの敵意と同調してアルファⅡモナルキアの深層レベルで戦術が構築され、それに従ったミラーズが金色の髪を揺らしながら小さな肉体を躍動させて飛び出す。亜音速弾の軌跡を塞いで、己の身体の破損を前提とした
『弾道の欺瞞か。まだそのような程度の低い策に縋るか。理解に苦しむのう……何の意味がある? このワシが、出し惜しみをして届く相手ではないと、分からんのか?』
アルファⅡウンドワートがしわがれた声が何事かを問いかけてくるが、実態としては電子攻撃に近い。
単なる通信への割り込みでは無い。ミラーズとリーンズィ、そしてアルファⅡモナルキアのリンクを切断するための精密ジャミングに音声データが載せられただけの代物。
それがウンドワートの声の正体だった。
ユイシスによる電子対抗措置は千年掛けても突破出来ないだろうが、意味情報の解析を強要するその攪乱は、アルファⅡモナルキアという群体のネットワークに予想外の負荷をかけてくる。
そのようにして処理能力自体を削ぐことが狙いなのだろうから、迂闊に問い返せば、開かれた回線に対してさらなる電子攻撃があると見て良い。
老いた兎は嘲るようにさらに語りかける。
『その矮躯で何が出来る? その細腕と、見窄らしい刀で、何が斬れるという。そもそも何じゃ、そこのサムライ気取りの聖歌隊崩れ。何故行進服の下を開いておる。娼妓らしくワシを誘惑しておるつもりか?』
惑わせるための問いかけに、だから金色の少女は応えない。
躊躇なく跳躍し、加速し、斬撃のタイミングを見計らう。
踏みしだかれて黒泥と化した路面をブーツで蹴った。
舞い上がる雪花を風景の背後へ追い越して、燕尾服のように開かれた行進聖詠服の裾を翻す。
アルファⅡウンドワートの防御能力は確かに要塞じみている。
だが観察可能な範囲においては、武装は腕部に集約されており、攻撃手段は専ら打撃や斬撃に限定されている。
銛や電磁投射砲に警戒する必要があるものの、腕部のパーツと一体化しているせいで射角の設定は不自由。予備動作さえ見逃さなければ回避は容易だ。
もしも凡庸な迎撃用の兵器、例えば機銃や光学兵器があれば、全身甲冑型と比較して防御の脆弱なリーンズィたちには不利に働く。
レーゲントが纏っている不朽結晶連続体は繊維状に編まれているため、衝撃を殺すことは出来ないのだ。通常弾頭であっても直撃すれば生身の部分が損傷し、動けなくなるだろう。
だがウンドワートにその手の凡庸な兵器は積まれていないと確信していた。敵は明らかに完全装甲されたスチーム・ヘッドと戦うことを念頭において建造されている。装甲の甘い雑兵にしか通じない兵器など搭載していないだろう。
故に、接近しても勝ち目は薄いが、接近自体は難しいものでは無い。
そして接近しなければ勝機も無い。
回避の蓋然性が高い軌道を選択しながら、金色の髪を翼の如く棚引かせる。
ミラーズは、白兎の大鎧の長大な両腕、二対五連の刃が立ち並ぶ恐るべき領域へと飛び込んだ。
生身の不死病患者が収められているバイタルパートや、アルファⅡモナルキアと似通った形状の頭部は、敢えて狙わない。シィーの遺した鋭利なカタナも、超高純度不朽結晶の前ではさしずめ糖蜜を固めて作った
攻撃目標は、常人の倍以上の長さに拡張されたウンドワートの腕部。
その関節目がけて、金色の髪を靡かせながら両手に携えた不朽結晶の刃を鋭く滑らせる。借り物の戦闘術理に従っているミラーズ自身は、自分が何故そのような行動を取っているのかあまり理解していなかったが、比較的構造が脆いと期待される肘部関節へ衝撃を与えることでダメージ蓄積を狙うという現実的な択を取っていた。
しかし、それすらも適わない。
巨体に見合わぬ繊細な動きで振るわれた一本の腕と五本の爪が、シィー、かつてローニンと仇名された戦士の技巧で繰り出されたそれらの刃を、難なく弾き、軽く受け流す。
もっとも、そこまではミラーズも織り込み済だ。
『腕の一本だけでもあたしの相手になってよね』と嘯きながら跳躍し、右の白い膝による蹴打を繰り出した。
対するウンドワートは全く躊躇なく腕部の側面装甲をぶち当ててくる。
ミラーズの右足が粉砕され、赤い血肉を空中へと散らした。
まさしく狙い通りだった。加圧された血液が一気にウンドワートの頭部付近まで噴き出し、バイザーに付着した。
ウンドワートの視界が、幾らかこれで遮られた。
時を同じくして、煙幕がわりの黒い排気からまろび出て、ウンドワートの仮想された視界の外から、リーンズィの斧槍が突き出された。
純白の機械の獣の反応は緩慢だった。
遅れたわけではない。
最初から知っていたと言わんばかりの動作で死角からの一撃を爪で阻み、切っ先を絡め取って、武器を握り締めるリーンズィごと捻り飛ばした。
『……ここまで無様だと不安になるのう。何なんじゃ、オヌシらは。不意打ちのつもりか知らんが、ワシに通じるわけがあるまい』
追撃を仕掛けようとした獣の腕は、しかし、跳ね上げられたリーンズィがまともに防御姿勢を取れていないのを視認するや否や、所在なさげにふらふらと揺れた。
真っ当な戦闘であれば、その恐るべき五本爪が顔面に叩き込まれていたところだ。頭部を欠損した状態ではさしもの不死病患者も満足に活動できない。リーンズィ程度の生命管制では、復帰には長い時間を要する。
だが、ウンドワートは、確実に、意図的に、それをしなかった。
やはり弄ばれているのだ、とリーンズィは『苦々しい』の感情を理解する。
サイコ・サージカル・アジャストがそうした情動を即座に切除。
戦闘への没入を己に強制し、思考の細糸を辿って次の手を探し続ける。
そうしているうちに、とうとうアルファⅡモナルキアの放った不朽結晶製骨芯弾が到達した。
ミラーズとリーンズィの撹乱攻撃によって飛翔位置を欺瞞されていた弾丸は、しかしその射線と着弾時間を看破されていた。
ウンドワートは蠅でも追い払うように弾体を横合いから手で払い、直撃軌道から反らしてしまった。
大ウサギの鎧は、二連二対の赤いレンズを、骨針弾が向かう先に向けた。
理由は分からないがその先の空間に何も無いことを確認したらしい。
そして、たっぷりと時間を取って、自分は攻撃可能な状態にあるが敢えてしないのだという猶予を演出して、それから武器ごと捻って放り投げたリーンズィが、未だに完全にバランスを失ったままなのを確認した。
リーンズィは、歯がゆさよりもまず、違和感を覚えた。
正面視界はミラーズの飛び散らせた血液が封じているはずだった。
だが、現実として、そうはなっていない。明らかに『見えている』動きをしている。
付着していたはずのミラーズの血液は、常ならぬ速度で煙へと変わっている。
装甲を濡らすことさえしていなかった。
否、装甲が極度に加熱されているせいで、液体としての相を保てていないのだ。
リーンズィは逆さまの視界に呻き声を上げる。
『電磁装甲――そのサイズの蒸気甲冑で!?』
悲鳴じみた独白に、『気付くのが遅すぎる』とウンドワートは声だけで溜息をついた。
『あの手この手で目くらましをしたつもりじゃろうが、どれもこれも最初から通じておらんのじゃよ。その程度の性能で本当にアルファⅡを名乗っておるのか? 笑わせるでないわ。笑い殺すつもりなら、しかしユーモアが足りておらんな』
それから獰猛なる大兎の騎士は、空中で膝を粉砕されたまま静止しているミラーズの下着をしげしげと眺めた。
『おお、このようなものを穿いておるのか。……やはりおかしい。戦闘用であれば、生命管制の破綻から来る下血や失禁で汚損を恐れて、こういったものは着けないはず……鹵獲レーゲントを転用したと仮定すれば、それらしい感性か……』
ぶつぶつと呟いていたが、やがてミラーズの薄い胸に逆関節の具足の足裏を押し当て、軽く蹴飛ばした。
『きゃん?!』と悲鳴を上げながら吹き飛んでいくミラーズに対して、ウンドワートは爪を振りかぶる。
『どうれ、このままその腹を捌いて、中身を掻き出してやろうか!』
だが実際には追撃しない。
『などと誘えば、たやすくかかりおる。おぬしらの浅知恵は見飽きたわ、本命は常に死角に回り込もうとする。そうじゃろう、リーンズィとやら!』
ウンドワートは具足でステップを踏んでくるりと振り返り、四枚の赫赫たるレンズの視線で長身の少女を射貫いた。
まさしく、視界外で密かに姿勢復帰を完了させ、斧槍を構え直していたリーンズィが、インバネスコートの翼を広げて突撃しようとした、まさにその矢先のことだった。
『やはり私の動きも予測済みか!』
エージェント・シィーの見様見真似。重心移動に微細な変化を与え、実際の身体運動速度を誤認させるという古典的な視覚欺瞞だ。
リーンズィは吹き飛ばされたふりをして、自分が有利な姿勢と場所を確保できるように立ち回っていた。露見してしまっては何の意味もないにせよ。
何であれ、ここで攻撃を停止するという択は無い。
リーンズィは思い切り勢いを付けて斧槍の刃を叩き込もうとした。
ウンドワートはしかし、その巨体で舞踏でも踏むかのように機敏に反応した。
斧槍の切っ先の速度と身体運動を合わせ、この一撃を最小限の動きで回避。
逆にリーンズィの背後に回り込んで、爪で胸部を貫こうとするかのような素振りを見せて、『何とも情けない』と嘲笑った。
胴体を貫く代わりにまたも逆関節の具足を持ち上げて、そろり、と足裏で背中を押した。
ミラーズと同じ方向へ、ライトブラウンの髪の少女を蹴り飛ばす。
『まったく、まったく! 読めておるぞ、どうせこの娘も囮じゃろうて!』
ウンドワートは、アルファⅡモナルキアが意識外からの攻撃をさらに重ねてくると予期していたらしい。
両腕部を交差させ、生体CPU代わりの
右腕下部に設けられた砲身は、既に反撃のために電光を纏い始めている。
雪面に叩き付けられた二人の少女、その後方で射撃姿勢を取っているアルファⅡモナルキアへと、勝ち誇ったように高笑いして、ジャミング用の電磁波と共に捲し立てた。
『完璧に読めておるぞ、アルファⅡモナルキア! もはやオヌシ、などと呼ばずとも良いか。無力なレーゲントを盾にするこの下郎が! 貴様の姑息な戦法はとうに見越しておる! そこの哀れな二機のスチーム・ヘッドは……あくまでも攪乱要員じゃな! あえてワシに先手を取らせ続け、油断した一瞬をかすめ取る。そういう算段じゃろう。浅はか、浅はかであるぞ! その装甲の仕様から考えて、おそらく貴様の本領は遠距離からの狙撃戦! ここいらで、その鉄砲から、電磁加速した本命の不朽結晶装甲弾頭を打ち出すつもりじゃろうて。通じぬ通じぬ! 逆に撃ち返して貴様の骨董品の頭部を破壊してやるわ! フワハハハハ! 雑兵の浅知恵でこのアルファⅡウンドワートの裏をかけるとでも……』
アルファⅡウンドワートの哄笑を聞いているとき、リーンズィは「まさかそうだったとは……!」と驚いた。
近頃の不審な挙動を考えれば、自分にも認知不可能なレベルで、本体が密かに行動を進めている可能性は確かにあったからだ。
リーンズィも泥だらけの雪の街道を転がりながら、本体たるアルファⅡモナルキアに視線を向けた。
しかし、誰がどう見ても、次の攻撃の準備が終わっているようには見えなかった。
棺のような重外燃機関から血の煙を吐き出しているそのヘルメットの兵士は、タイプライターめいた過剰装飾の施されたガントレットからようやく次弾を生成して、呑気なほどゆっくりと取り出している最中だった。
そもそも電磁加速砲なんて積んでいないし当然なのだな、とリーンズィは現実を改めて直視した。
ある意味ではアルファⅡウンドワートの予想の裏を搔いた瞬間だった。
彼の予想を遙かに下回るという形で。
『ワハハ……ハハ……。あれぇ……思ってたのと違う……』
ウンドワートは防御姿勢を解除し、脱力した様子で黙り込んだ。
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