vsアルファⅡウンドワート

 雪面に飛沫を上げながら突っ込んだ二人の少女。

 堰き止められた時間をゆっくりと渡っていく雪と土の入り交じる暗色の波を背にしながら、互いを支えにして起き上がる。

 泥から芽吹いたばかりの花のように実を反らし、二人して兎の大鎧、ウンドワートを見据える。

 虚ろな魂を宿した少女達の四つの瞳には、まだ戦意が息づいていた。


『二〇〇〇ミリ秒経過。バッテリーの枯渇に注意してください』


 ユイシスの戦力評価は、アルファⅡモナルキアの完全劣位で決着していた。


『撤退するならば、ここが限界点です』


『そんなものはとっくに過ぎた。このまま攻撃を続行する』


 アルファⅡモナルキア本体の緩慢な攻撃動作を目の当たりにしてどこか躊躇したような気配を漂わせていたウンドワートが、リーンズィの決然とした声に両の腕を広げ、哄笑した。


『ウワハハハハ! まだ諦めぬのじゃな。正しい判断じゃ、ワシからは逃げられぬゆえ。しかし、弁えておるのう、戦闘能力で敵わんのなら、最後に賭けるのは己の命以外にはあるまい。それをようく分かっておる! 必死の抵抗を見せてみよ。手向けにワシも全霊の一撃で……』


 ウンドワートは凶器を満載した両腕部をだらりと垂らし、あたかも拳法家のような構えを取った。

 危険を察知して、ライトブラウンの髪の少女が斧槍を杖にして体を持ち上げた。

 そして、まだ膝部の再生が終了していない金髪の少女を庇い、前に出る。

 ウンドワートは興味深げに動きを止めた。


『ほう、この期に及んで自己犠牲か? オヌシらがどういう関係なのか知らんが、格好を付けるのが大事な局面とは思わんのじゃがな』


 侮られ、嬲られているのは明々白々だった。

 だからこそこの期に及んで一瞬で戦局を決するような電子攻撃は仕掛けてくる危険性は低いと踏んで、ミラーズの損傷が回復するまでの時間稼ぎを選んだ。


『アルファⅡモナルキアから、アルファⅡウンドワートへ。仲間をカバーしようと考えるのは当然の感性だろう。それとも、君は味方を盾にしてでも勝てば良いタイプか。だからこそ、先ほどのような発想が出てきたのだろう?』


 露骨な挑発に対して白兎の大鎧は、忌々しげに舌打ちをする。


『鬱陶しいことを言いよる。いかにも、非力なデコイと本体の不完全な装甲ゆえ、そのような戦術しか残されておらんと考えた。いかにも、こればかりはオヌシらに反論が出来ん。……これは、おそらくワシが求める闘争では、最初からなかった』


 声のトーンが低くなる。そして純白の重装甲の兎が、重外燃機関から吐く血煙に隠れかけた直後、逆関節の具足が撓んだ。

 ウンドワートの獣の如きその純白の機体が、リーンズィたちの眼前から掻き消えた。


 オーバードライブで加速した視覚でも捕らえきれない速度での瞬時の移動。

 一拍遅れて移動方向に斧槍を向けたリーンズィに、『不意打ちはせん。オヌシらが如き雑兵が、ワシの全力に値すると思うな』と失望し果てた様子で言い放つ。


『血煙が邪魔になってきたから、ちぃと移動しただけのことよ』


『……残像しか見えなかった』


『見えはするか。では、ヴァローナの面妖な眼球は健在か』

 大兎は僅かばかり感心したように頷く。

『あやつの胆力までは残っておらんにしても、駒としては有用じゃな。どうじゃ、リーンズィとやら。後ろの能なしヘルメットを捨てて、ワシの軍門に降るなら、串刺しにしての晒し首は許してやらんでも無い』


『の、能なしヘルメット……』少女は憮然として復唱した。『前にも似たような酷いことを言われた気がするし、そうかもしれないという感じはするが、やはり言われると若干腹立たしい』


『ねぇリーンズィ、これ気のせいじゃないと思うんだけど、あたしたちの攻撃、本当に全然通じて無くない?』

 和睦の気配でも誤検知したのか、脚を治し終えたミラーズが立ち上がりながら問うてくる。

『こういうの専門外だから分からないんだけど、なんかこう、何度繰り返しても斬れてないわよね、あの兎さん』


『……オヌシ、今更か? 電磁装甲を知らんのか? 刃が接触しておらんのとか、分からんかったのか。あとワシは兎ではない』


『手応え変だなとは思ってたけど、こう、いくら強い兎さんでもえいえいって頑張れば何とかなるのかなって』


『まるで素人じゃな、太刀筋が見事だから歴戦の機体だと思ったのじゃが? あとワシは兎ではないとさっきも言ったが』


『警告。通信も完全に傍受されています。やっぱり電子戦でも及ばないかもしれません』とユイシスが若干の弱音を吐いた。


『自信があるのかないのかはっきりせんか、オヌシら……。どの機体が全体を管制してるのか知らんが、オヌシらとて、ワシのジャミングを完璧に解析しとるじゃろうに。電子戦能力では、ワシは口惜しいことにオヌシらを上回っておらん。あんまり卑下されてもワシは面白くないぞ……まぁいい』

 大兎の騎士は妥協点を見付けたと言った調子で声のトーンを和らげた。

『アルファシリーズのスチーム・ヘッド同士ならば、この程度はあろうというものじゃ。電子戦闘能力は上の上、及第点よな! そこのヘルメットのトロい機体が、この女の声の主か? 完全破壊はその点を以て、免除してやろう』


 リーンズィはウンドワートを無視して仲間たちとの意思疎通を進めた。


『ミラーズ、ここまでの戦闘を考えると、敵の動きを封殺することには成功している。現に今の今まで、敵は動くことさえ出来なかった』


 自分でも信じていない返事をするのに合せて、純白の大兎は面倒そうな素振りで片手の爪を上下に振った。


『しとらん、何にも成功しとらんぞ。動く必要が無かったから動いていなかっただけじゃ。何回攻撃に失敗したら気が済むんじゃ。子供かオヌシ』


『最近それはよく言われる』


『……拍子抜けとはまさにこのことよ、殆ど回避機動もせんまま攻撃を全部捌けてしまう程度とはワシ自身思わなんだ。リーンズィとか言ったか、オヌシはヴァローナよりも動きが悪いのう。ヴァローナもワシの敵ではなかったがの……』


 言葉に込められた敵意に反応したリーンズィが、腰部のスターターロープに手を伸ばしたのと同時。

 純白の獣が右腕の電磁砲の砲口を向けた。


『リミッターを解除してもたかが知れておるぞ。このまま適度に嬲られて敗北するが良い。安心せよ、先ほども言ったが人工脳髄や人格記録媒体アイ・メディアを破壊するまではせん。アルファⅡを名乗る無礼は、外装を引き剥がし、ひとそろい臓物をぶちまけることで禊ぎとしてやるゆえ』


『あなたとあたしたちは初対面でしょ』ミラーズが、ゆるく咎めるような口ぶりで何度目かの問いをぶつける。『どうしてこのような行いをするの? 諍いの理由が私には飲み込めません』


『その問いも、くどいわ。このワシ、アルファⅡウンドワートはクヌーズオーエ解放軍にて最強よ。そこに不遜にも同じアルファⅡを名乗る屑鉄どもがやってきおった。オヌシらがごとき低性能機が、ワシの名を穢すことがないよう、芽は摘んでおかねばなるまい? 辱めて、晒しあげて、ワシとは異なる、取るに足らん機体だと知らしめねばならん。それが道理じゃ。抵抗は諦めよ、慈悲はかけてやるゆえ。再生を邪魔する程にはバラまかん。安心して我が刃に身を預けるが良い』


『大丈夫だミラーズ。確かに敵は強大だが、打ち倒せないわけでは……』


『アハーハッハハハ!』

 機械仕掛けの兎の怪物が耐えかねたように哄笑を上げた。

『この期に及んでまだほざくか。自惚れるでないわ、手加減するにも限度というものがある。ワシの寛容さとて無限ではない。それとも本当に股から口まで串刺しにされた状態で街に放り込まれたいか』


『我々がそんな脅しに屈するほど弱いとでも?』


『弱いとも! 弱い、弱い、弱い! 弱すぎるわ! 非力なのに加えて速度も足りん。ワシに勝る部分がどこにあるというのだ!』


 純白のスチーム・ヘッドはいよいよ苛立ちも露わに吐き捨てた。


『話にならんのじゃよ、まだ分からんのかの?』

 二連二対のレンズが敵意に満ちて輝く。

『勝負にすらなっておらん! オヌシらという存在を、そのような機体など無かったということになるまで粉砕してやるつもりでここまで来たが、この有様では興も削がれるというものじゃ。だからこそ解体して蹂躙し、永世の隷属の誓約で、平たく落着にしてやろうというのに。この慈悲の心が分からんのか?』


 畳みかけてくる老人の言葉には、肌をひりつかせるような真実の殺気が込められている。

 鈍化した時間ごとバラバラに引き裂かれそうな重圧に、リーンズィは引き下がらない。

 ミラーズがそばにいるからだ。

 彼女をこの悪漢の手には渡せないから。何故そうまで思えるのかまでは、まだリーンズィには分からない。愛を知るにはまだ幼すぎる。

 泥濘から身を引き剥がし、かすかに声を荒げる。


『……慈悲も何もあるものか。だいたい、一方的に敵対してきたのは、君のほうだろう、アルファⅡウンドワート。最初は我々をぶちまけてやると宣言していた。未だに出来ていないのだ。それは、君の力が及んでいないということだ』


『力不足か、言い得て妙じゃな、確かに想像力が及んでおらんかった。自分と同じアルファⅡを冠する機体が、こんなに脆弱だとは……』


 せせら笑う年老いた声には、どこか聞き覚えがある。

 しかし、一体どこで聞いたのか、リーンズィには分からない。


『それにつけても、やはりワシと同じ意匠のヘルメットを装着した後ろの腰抜けが気に食わん。そいつが真のアルファⅡモナルキアかの? オヌシらの親玉は未完成なのか、子機を操作するだけの木偶の坊なのか知らんが、全く情けない。どういう事情があるにせよ、ワシには遠く及ばぬ。それだけは確かじゃな。ああ、失望した……失望しておるよ、ワシは』

 ウンドワートはいっそ不安げな声を出した。

『背負っている蒸気機関オルガンも、ケルビム・ウェポンではないのじゃろうな。てっきりワシと同じ戦闘用スチーム・ヘッドかと思ったのじゃが……とんだ出来損ないじゃ。恥晒しじゃ。他は許すにしても、やはり貴様だけは潰さんとならんか』


 兎の耳のような形状のセンサーユニットをがっくりと垂らしながら、面倒そうな仕草で、長大な両腕を前に出した。

 一本一本が調停防疫局製不朽結晶刀剣に匹敵する爪を外側に反らし、掌を向けながら、押さえつけるようなジェスチャーをする。


 リーンズィとミラーズは、その一瞬を攻撃の機会と捉えた。

 果敢にも刃を鳴り散らしてぶつかっていくが、全て爪で防御されてしまう。

 刃の軌跡が装甲の関節をなぞることさえ許されない。


『ほうれ、九分九厘の力を抜いてもこの通りじゃ。抵抗はやめよ』


『あ、そうなんだ。ここまで差があるのね?』


 ほとんど他人事のような感覚で戦っていたらしいミラーズが不意にぼやいた。


『ミラーズ、おそらくは理想の型で斬り込んでも受けても傷一つ入らないと思う。あえて爪で弾いているのは、力量差を自覚させるための示威行為だ』


『ああ、そういうこと? あたしたちの刃が欠けてないのもあちらの計らいなのかしら。いざ目の当たりにするとちょっとショックかも』


 どこか緊張感の欠いた遣り取り。ウンドワートはまたも興が削がれた様子だった。


『……まぁ、戦闘用でない割には頑張ってはおる。しかしワシから見れば丸きり無価値で、敵対者としては、どうでも良いレベルじゃ。ほうら、だから、諦めよ。さっさと跪くのじゃ、苦痛は与えぬ。そしてアルファⅡモナルキアではなく、このアルファⅡウンドワートに服従を誓え。失うにはそれなりに惜しい娘らじゃ』


 リーンズィとしては、聞けない話だった。

 そもそもリーンズィもミラーズも、アルファⅡモナルキアに擬似人格演算の本体を持つ機体だ。首輪型人工脳髄にも、短時間の独立した行動を保障する程度のデータは収められているにせよ、どのような形であれ軍門に下ることなど不可能なのだが、そうした仕様を並び立てて反論するような余裕はない。


 承服しがたい事態だったが、アルファⅡウンドワートの戦闘能力は明らかにアルファⅡモナルキアを圧倒している。


『二九九五ミリ秒が経過しました。バッテリー、枯渇します。ミラーズ、機能凍結の準備を』


『リーンズィ、ごめんね、先に休んでいるわ。あたしとしては、大人しく降参した方が良いと思うけど。あのウサギさんの、完全に潰しはしないという言葉を、私は信じます。ねぇ、あたしの可愛いリーンズィ。あなただって大変な怪我をした後。まだまだ病み上がりなんだから……』


 ミラーズは胸元をかきむしる仕草で、喘ぐように息を吐いた。

 それきり動かなくなった。

 加速された知覚の中で、彫像のように少女は停止した。

 その瞬間、金色の和毛を持つ少女は、天使像のような美しさに囚われて凍結した。崩壊した臓器から漏出した血が、手先足先を伝っていく。それだけが生命の証明だ。


『お仲間はもうお眠りのようじゃぞ? ふむ、外部機関オルガン無しでどうやってオーバードライブしとるのか疑問じゃったが、その首輪にそこまでの蓄電機能があるのか。そういう形状のただの人工脳髄じゃと思っておったが。どういう容量があればこの加速倍率で三〇〇〇ミリ秒もオーバードライブを維持出来るんじゃ? 先進的なんだか、単に無茶苦茶なんだか、よく分からん仕様じゃな……オーバードライブ時の演算を全部本体に投げてるとも思えぬから、このサイズで人格記録媒体アイ・メディアまで内蔵しとるのか? ふむ、興味が湧いてきた、バラして確かめてみるのも良いか』


『やはり私は負けるわけにはいかない』

 リーンズィは斧槍を構え直す。

『彼女を君の好きにはさせない』


『腰部のオルガンが止まるまで、か? 苦しみが長引くだけじゃぞ。アハーハッハハハ……こうもいちいち単純に真に受けられては、ワシも挑発がやりにくい。やりにくいタイプだ……』


 兎の如き怪物が肩を竦める。


『おほん。しかし何がそこまでオヌシを動かす? ワシもこれで、<暗き塔を仰ぐ者>のイカレどものように、そこの金髪のレーゲント崩れを気が狂うまで虐めるつもりでもないのじゃがな。どうしてもやる気なら、付き合ってやろう。まだ切り札があるというなら披露するがよかろ。引き続き、蒸気機関スチーム・オルガンを先に弾くことを許してやる。後ろの、そのうすのろヘルメットの始末は、最後にしてやるゆえ、精々ワシを楽しませて見せよ』


『……君にとって、我々は何なんだ。執拗に攻撃して、何が得られる』


 ウンドワートは凶暴に武装された両腕を広げた。

 二連二対のレンズが輝くフルフェイスヘルメットに表情などありはしない。

 だが、汗を滲ませるライトブラウンの髪の少女は、そこに確かな獰猛な笑みを見た。


『何度も言っておろう、我が最強を決定づけるための礎、足場に積まれる取るに足らぬ石ころの一個! それがオヌシらの存在意義よ! アルファⅡの名の騙りは不愉快じゃ。実際、攻略拠点は新しいアルファⅡの話で持ちきりよ。ワシに並ぶ存在が現れたとな! しかし、事前にそれを下せばどうなるか? 最強たるワシの地位はさらに確たるものになるじゃろう。ワシに踏みにじられるのが、オヌシ……あの生意気なヴァローナの肉体を操るオヌシがここまで来た意味じゃよ。それ以上でも以下でも無いわ』


『本当は、私たちをどうする気だ?』


『オヌシらはそこそこに気に入った。我も専用の手駒が欲しかったところじゃ、飼い慣らしてやる……オヌシらの低劣な頭領を破壊し尽くした後でな』


『アルファⅡモナルキアとの敵対の意思を確認した。やるしかない、ユイシス。やはり猶予はない。例の仮設プランを使う』


 エルピス・コアで培養した悪性変異体の萌芽は極力使用しないつもりでいた。

 そもそも弾体を撃ち込む間隙さえ作ることが出来ない。

 だが、もはや活路はそこにしか無いのだ。

 

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