街道を歩む巨人の肩で④

 ユイシスが傍受した通信の内容は、このようなものだった。


『……けてくれー、助けてくれーファデル軍団長、新入り連中に押されてるんだー』ポーキュパインは弱り切っているようだった。『レーゲントみたいなのが二人いる時点で厳しい戦いだったのに、危険思想のAIがめちゃくちゃ言ってくるんだよ。早く来てくれよー、三対一は無理だってやっぱり』


『……向かってるからピーピーわめくな。誉れある<不死鳥のアレックス>だろうが。そうだろう? 元対空銃座の分際で、カースド・リザレクターとも真正面から殴り合う勇士! それが情けない声出すんじゃねぇ』と粗野な男の声が応じた。『辛抱しろって、俺ももうすぐ合流できるからよ。しかし、ただの護送だろ、どうしたってんだ? レイヴンのボディを使ってるスチーム・ヘッドが、誘惑でもしてくるのかよ。あの人はたぶん<暗き塔を仰ぐ者>に掴まって、精神を壊されちまったんだ、ボディだけでも無事に帰ってきて良かった、って自分でも言ってただろが。ショックでもよぉ、もうちょい耐えろや』


『いや、新しい中身は割と話が通じるよ。そこは安心してる。ヴァローナさんの人工脳髄も見た目は無事っぽいし、ヴァローナさん復帰もマジであるかも』


『じゃあ良かったじゃねえか』


『でも元レーゲント二人が、俺の手の中でイチャつき始めたりして目に毒なんだよ……どうリアクションしたらいいんだ。口笛吹いて囃すのも何かノリ違うしさぁ……』


『そりゃ……辛いな。ロジーに聞かされた昔の聖歌隊っぽいかもしれねぇ』


『挙げ句の果てにAIが女の子だけの帝国を作るとか意味分からんこと言い出すんだよ、助けてくれー……』


> 私も助けてほしい。


> 帝国ではなく庭園なのですが……。


> そこはどうでも良い。


> 通信相手はファデルという名称のようですね。軍団長という呼称から察するに、攻略拠点の責任者の一人でしょうか。


『よーしアレックス、こっちではもうあんたのシルエットを捉えてるぜ。ぼんやりとだが。あと何分か、頑張れ頑張れ』


 アルファⅡモナルキアがその音声に反応した。バイザーの黒い鏡像世界の下で青い燐光を発している二連二対の不朽結晶連続体製レンズが、最大倍率での遠隔望遠モードに変形。

 街道の遠方に新しい機体の影を発見する。

 巨大な円筒状の頭部を持つ継承連帯製甲冑スチーム・パペットだ。


 各部から蒸気を噴き出す巨体は、ポーキュパインよりやや小さい。しかし戦車に脚を生やして砲台を手持ち式にし、無理矢理直立させたようなその歪な姿には十分な迫力がある。

 背負っているのは分厚い刃だが、何かを切断するよりは歩兵役をカバーするための盾として利用するのでは無いかとリーンズィは想像した。


 何にせよ、純戦闘用ではないらしい不死身のアレックスポーキュパインよりも、攻撃的で禍々しい姿だ。

 ややあって、アルファⅡに共有された映像に、「ん?」リーンズィは首を傾げる。

 ユイシスもミラーズもほぼ同質の反応を示した。

 映像や音声を解析・検討し、何度もアルファⅡモナルキアのレコードと照合し、すぐに同意に達した。


> これは、シィーと昔行動を共にしていた、あの『ミフレシェット』では?


> レコードの中に姿がありましたね。でも<時の欠片に触れた者>に変異させられたんじゃなかった? 相乗りさせられてたあたしの印象だと、シィーの気持ち的にはかつて死んでいった仲間Aぐらいの感じだったし、もうこの世にはいないと思ってた。


> シィーのレコードを解析した際に、ミフレシェットの秘匿通信用回線のパスワードを入手しています。記憶領域までの接続を許す高度な許可です。通信の試行を提案します。


> 通信してどうする? そもそもパスワードが違うかも知れない。あずかり知らぬ時間の中に、接点があったことを仄めかして、得られる物があるとは思わない。


> 残念ながら投機的実行中です。


> また許可を得る前にそんなことを!


 しかし、ファデルことミフレシェットの対電子戦装備は、ポーキュパインとは桁外れに強固だった。ポーキュパインにはハッキング可能な場所を検索させるだけの甘さがあったが、ミフレシェットの場合は、不用意に接触した時点で、こちらの動向を気取られてしまいそうだった。

 いや、とリーンズィは違和感を覚える。

 揺さぶりをかけてみることにした。


「ポーキュパイン、どうかしたのか。さっきから無言だ。ここはもしかして敵地なのか?」


『え? いいや、味方の拠点のすぐ近くだ。無言なのは、少し疲れてるからだ、俺も最近休み無しだから』


「誰か増援が来てくれているのでは?』


『……誰も傍にはいねぇよ』


 そうか、気を揉ませてすまなかった、と返事をして、ヴァローナの真似をしてミステリアスな笑みを浮かべて手を振って見せた。


> 接近中のスチーム・パペット、ミフレシェット……軍団長ファデルか? 彼は我々を警戒している。


 それがリーンズィの得た確信だ。


> 自陣でここまで本格的に電子戦装備を稼動させる理由が無い。調停防疫局のエージェントが電子戦を仕掛けてくるのかを理解していなければ、ここまでの電子防御は展開しない。そしてポーキュパインのこの発言も奇妙だ。自分の存在について秘匿するよう事前に指示をしていたのでは。


> ミフレシェットの敵対の意思については判断しかねますが、正攻法での情報収集は不可能です。ここはアルファⅡモナルキアの、意識の空白を不可視化する機能を利用しましょう。意思決定の主体に協力を要請。


> 何をする気だ。


> アルファⅡモナルキアには、肉体が死亡した際、生体脳への情報入力の断絶を避けるため、全ての規定を無効化してプシュケ・メディアへとアクセスし、メッセージ・データを再生する権限が備わっています。これを利用します。


> 抑圧されている記憶を一時的に解放するだけでは?


> 肯定。しかし、読み込むメディアについて、仕様上の制限はありません。理論上、人工脳髄と直接接続していないプシュケ・メディアであっても、アルファⅡとの間にネットワークさえ構築されていればアクセス可能だと推測されます。


> つまりアルファⅡモナルキアに仕様外動作を利用して、ミフレシェットの人格記録媒体にアクセスしようということか。非常時の読み込み先をミフレシェットにすると。


> 追加報告。当機らを護送中のポーキュパインの視聴覚のハッキングは終了しました。現状では記憶領域まではとても手が出せないにしても、この程度であれば問題ありませんね。


 ふぅ、というエモートを表示しながらユイシスが告げた。

 音声の情報量も下がり、合成音声と分かるレベルにまで荒くなっている。


『二人とも、簡易の人工脳髄で高度に暗号化された会話は疲れるでしょう。ここからは肉声で問題ありません。演算負荷でアルファⅡのバッテリーも減ってきました』


「本当に聞こえていないのか?」


 ヴァローナの口調を真似をしながら「ポーキュパイン、大好きだよ」などと口にしてみるが、反応は無い。

 ただしミラーズには「さすがにそれは不謹慎です」と怒られてしまった。


「……反省する」


「そうです、いっぱい反省しなさい。今のは良くない行為ですよ」


「いっぱい反省する……。すまないポーキュパイン。あ、聞こえてないんだったか……。本題に戻ろう。ユイシスのプランは、つまりこうだな。私の本体、アルファⅡモナルキアを死亡させて、デッドカウントを故意に進ませて、意識の空白を埋めるための機能を使って、偶然を装ってミフレシェットのメディアを窃視すると」


 いかんともしがたいという気持ちで、口をむにゃむにゃとさせる。


「さすがに人として悪辣なのでは……」


『ユーモアレベルの評価を上方修正します。破壊された人格の非言語的記憶のコピーで愛を囁いておきながら、今更になって個人を尊重するという暗いユーモアを高く評価しますよ』


「さ、さっきのはそこまでいけないことだったのか……してはいけないことリストにちゃんと書き込んでおく……」


 ミラーズはと言えば、同意の首肯をしながらも、やはり難色を示す。


「他者の思い出を同意なく覗き見るのは、あたしとしても看過できない。だって彼らは、この終わらない世界に取り残されてるのよ? 再誕者ってそういうものよね。頼りに出来るのは、一人一人が大事にしてる、ちょっとした思い出だけでしょう。つまり、思い出は最後の道標なの。宝物って言っても良いわね。不用意に盗み取って良いものでは無いわ」


『盗み取るのではありません。不慮の事故によって偶然にも我々はミフレシェットの記憶へアクセスしてしまうのです。道義性を問われる事案ではありますが、露見する可能性は低く、あくまでも事故なので問題は有耶無耶になるでしょう。直接的な接触まで時間がありません、ここからは多数決を提案します』


「あたしは反対よ。これは年長者として当然、反対しないといけません」


「私はどちらでもいいが、不確実だし面倒なことになりそうなので意思表明を放棄する」


『当機は実行を推奨します』


「はい勝ち」ミラーズは頻りに頷いた。「多数決だと実行はしないということになりますね?」


『私は実行する』


 黒い鏡面のバイザーの奥で、調停防疫局のエージェントが告げた。

 アルファⅡモナルキア本体だ。


「え?」ミラーズが唖然としてそちらを見た。「誰?」


『これで二対一だ』


 それきり、アルファⅡはまた黙り込んだ。

 ミラーズは釈然としない様子だった。


「なんでアルファⅡが喋るの。リーンズィとの自己連続性とか同一性とかの確保はどうしたのよ」


「私とあちらとには、少し差異が出てきているようなのだ。その点で連続性を無視できるらしい。たまにあのようにして勝手に動く」


「ズル! ズルです! もー! どうせあたしの言うことなんて聞いてくれないつもりなんでしょ、分かってるわよ。それじゃあ、あたしが率先して汚れ仕事をやってあげる、とりあえず死んでみたらどう!」


 ユイシスが不愉快そうに形の良い眉を顰めながら立ち上がり、カタナ・ホルダーから折れた刃を引き抜いて、振りかぶった。

 その姿勢のまま硬直した。

 本体を加害する兆候を見せたため、システムによって機能をロックされたのだ。

 ポーキュパインの歩みに合せてがくんがくんと体を揺らすだけになってミラーズが滑落しないよう注意を払いながら、リーンズィは平然と疑問を投げかける。


「しかしユイシス、こうなるのだろう? 我々ではアルファⅡモナルキア本体を攻撃できない。アルファⅡモナルキアに攻撃的と評価される行動を取った瞬間に認知機能がロックされ、遡及的に攻撃を実行する意識の演算が削除される」

 

 ミラーズはそれまでの敵意を完全に失って、腰を落として姿勢を安定させ、何事も無かったかのように返事をした。


「そうなの? あたしの人格演算って、そういうレベルで干渉を受けてるわけ?」


 投擲しようとしていたカタナをホルスターに戻していたが、その動作は彼女の思考に一切の痕跡を残さない。


「うん。付け加えると、今まさにそういう動作をしている」


「全然自覚ないけど……でも、それってあまりにも一方的じゃないかしら。自分の体を好きなように使われるってことよね。物騒な機能だし、ちょっと試してみます」


 諦めたように溜息をつきながら、また短いカタナを抜き、投擲姿勢に入り、振りかぶる寸前に攻撃的行動に纏わる全ての思考ログを改竄されて、行動の意図ごと全てを忘却した。

 ホルダーに刃を収める。

 きょとんした顔でリーンズィとユイシスを見遣る。


「どうしたの、二人とも?」


「君は何をしていた?」


「あたし? あたしは……ユイシスのこと考えてた。あとリーンズィの歌のこととか?」


『ありがとうございます、ミラーズ。でも今はミフレシェットへとハッキングを仕掛ける算段を立てている最中ですので』


「そうだったかしら。そうだったわね。そうそう。そうでした。私は賛成しませんし、手も貸しませんからね。さっきみたいなズルは認められないわ」

 ひらひら、と両手をはためかす。

「敵だって傷つけたくはないし。仲間の血で我が手を染めるなんてもっと嫌だもの」


「思考の方向性が変わるまで改編が終わらないのか……。私がやろうとしてもこうなるのか?」


『差異が生じつつあるとは言え、意識の同位体と言って差し支えないデータですので、ミラーズほど徹底的な思考洗浄は行われません。ですがアルファⅡモナルキア本体を意図して傷つけることは不可能です』


「ではどうすれば……」


 巨人の左肩に掴まっていたアルファⅡ本体が、不意にガントレットの左腕で胸のケースからナイフを引き抜いた。

 勢い良く投擲された白刃。 

 リーンズィは視界の端で確かにそれを捉えた。

 飛来したナイフの柄の部分を難なく掴んで受け止め、くるりと手の中で回す。


「いや、別に道具に何を使うかで悩んでいたわけでは無いぞ、本体の方の私。貴重な兵装を気安く手放すのは関心しない」


 そしてナイフを投げ返した。殺意無く、ゆっくりと。

 アルファⅡのガントレットの左腕が飛んでくるナイフを追う。

 追うだけ追って、掴み損なった。


 放たれたナイフは、アルファⅡの準不朽素材のタクティカルベストを貫いて、深々と胸に刺さった。


「なるほど。結果的に攻撃になったとしても、君の『失敗』のせいであれば許容される……の……か……」


 リーンズィはすとんと座り込んだ。アルファⅡモナルキアの機能停止に伴い、リンクが切断されてしまった。代理演算されていた意識がシャットダウンする。

 意識が消える寸前、お互いの姿勢を安定させるためにミラーズに抱きつき、ぎゅっとしがみつく。


『アルファⅡモナルキア、およびサブエージェントの擬似人格演算一時停止。全電子欺瞞を解除』


 アルファⅡモナルキアの、心臓を不朽結晶連続体の刃で貫かれた肉体が脱力し、装甲されていない右手から力が抜ける。

 そして巨人の歩みから振り落とされて大地に墜落した。背中の重外燃機関のせいで重心が崩れに崩れ、受け身も取らなかったせいで、非常に危険な落下となった。何度もバウンドして、頸部を不自然に捻らせて止まった。衝撃で旗を括り付けた斧槍をマウントする固定具も外れて飛んでいった。


『3、2、1……エージェント・アルファⅡの擬似人格演算を再開しました』


 アルファⅡの頸椎が再生され、痙攣する生身の右手が心臓から刃を引き抜く。


『サブエージェント・ミラーズ、サブエージェント・リーンズィ、再起動します』


 首輪型人工脳髄からの電流に生体脳を刺激され、二人の不死病患者が意識を取り戻す。


『計画の成功を確認。ミフレシェット、正式名称<ファデル・ミフレシェット・キャンピオン>より、直前六時間分のレコードを取得しました』


「う」と涎を拭いながらミラーズ。「ロジー……ラーテ……? この名前って……」


「うーん。至って普通の記憶だったというか、あまり覗いてはいけない記憶だった気がする。ミラーズ、大丈夫?」


 リーンズィが身を離すと、ミラーズが真っ青になっているのに気付いた。


「ミラーズ?」


「ロジー……え、ロジー? あの子、これから向かう先にいるのね……ええ、じゃああたし結構とんでもない現場を後を覗き見したってことにならない? これはいくらなんでも……う、うわー……うそぉ……」

 

 ベレー帽を掻き抱き、どうしようもないといった表情で、癖のある髪の毛をさらにくしゃくしゃにする。


「ど、どう言い訳しよう……」


「何か問題が……? 君の倫理に反していたか?」


「ちょ、ちょっと待って、気持ち、気持ちの整理がつかなくて……」


「全く敵対的な内容の無い記憶だった。それを窃視したのだから気持ちは分かる」


「そうじゃなくてね……個人的に……」


『センサーがなんか変だな。あれ? アルファⅡモナルキアはどこ行っ……ウワアアアアアアアアアアアアアア?!』


 アルファⅡモナルキアの落下に気付いたポーキュパインが悲鳴を上げた。

 背面カメラでアルファⅡの姿は捉えているはずだが、よほど慌てているのか、わざわざ全身で向き直る。


『お、落ちてる?! いつの間にこんなことに?! しかも胸から血が出てるし! 何で?! 攻撃されたのか?! まさか……ウンドワート卿がもう来てるのか?! あーーーーーーもうそりゃ来るよなぁ! おんなじアルファⅡだもんな! ほっとくわけねぇもんあの人! どこだ?! 分からん! 分からーん! あの人が本気で隠れてたら俺には分からないんだよう! ファデル! ファデルーーーー! 助けてくれー!! 俺もう疲れてるんだよ、今日は巻き添え食らって死にたくないー!』

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