街道を歩む巨人の肩で③

 金髪の少女がカメラが向いている方向にアバターを転移させると、巨人はまたも視線を逸らした。

 リーンズィの視覚内に『擬似身体高度演算:肉声』の文字が表示される。


「何故逃げるのですか。口ぶりから察するに、それは解放軍の間では合法で、決して非難されるようなものではないのでしょう? 実際は異なるのですか」


 手の甲で薄い唇を隠しながら、くすくすと嗤う。

 空中に浮かんでいるという一点を除いては、現在のユイシスの姿は生身の人間と大差ない。

 全身を不朽結晶連続体と準不朽素材で構築されたポーキュパインに、やはり表情の変化などはない。

 それだけに、出力される音声の動揺が際立った。


『そりゃ、合法ですよ! 誰だって持ってるようなもんです、妙な勘ぐりはやめてくださいよ。どうせ死なないし終わらないんだ、諦めずに頑張ってりゃ、人格記録媒体アイ・メディアを壊されない限りは、どこかで報われるんですから。悪いことしてもメリット一つも無いんです、俺はカタギですよ、信じて下さいよ』


「指摘します。その割には顔が真っ赤ではありませんか」


『顔なんて外に出てないでしょうが! だいたい、ここ暫くこの大型蒸気甲冑パペットに缶詰だっての!』ごほん、ごほんと合成音声で咳払いをする。『でもまぁ、まぁ、ですよ。俺だって昔は真っ当な人間だったわけでね。当時の価値観だって丸きりなくしたわけじゃないし、レーゲントっぽい顔で咎められると、何か、罪悪感がね……』


「いけませんよ、ユイシス。彼をいじめるのは、そこまでです。ポーキュパイン様はお困りのようではありませんか」


 リーンズィの髪を触るなどして遊ぶふりをしていたミラーズが、窘める言葉を差し挟んだ。


「仔羊は迷うものです。そして彼は今、大主教リリウムという正しい羊飼いのもとにいるのですから、間違いなどある筈もございません。いずれにしたって、私たちは何も咎めてはおりませんよ、ポーキュパイン様」


「疑義を提示。統率された組織に、そのような猥褻な物品が存在して良いはずがありません。きっと非合法に決まっています。レーゲントが搾取されている可能性を示唆」


『誤解ですって! 実際に解放軍の攻略拠点に来てもらえれば分かってもらえますんで! 俺も説明下手なんで、俺の口からはこれ以上は……いや、こんなデカい体してますからね、怖いでしょうし、継承連帯のパペットもまぁろくでもないやつはとことんまでろくでもないですから、誤解されても仕方ない気もしますが……』


「貴官は自分の手の上に載せた未成熟な少女の肢体に視線を集中させています。それでもなお、自分は潔白だと?」


『えええええ。ただの監視を、そ、そこまで言われるもんですかい!? 言いがかりです。潔白ですって、信じて下さいよ……』


 巨人はあからさまに動揺した。

 ミラーズは穏やかな微笑を浮かべ、自分自身の似姿に向けて言葉を重ねた。


「ユイシス、そのようにして人を疑い責めるのは、あなたの悪い癖ですよ。重ねてお詫びいたします、蒸気の騎士様。ユイシスは私たちをただ純粋に想ってくれているだけなのです。それだから、私たちを見守って下さるポーキュパイン様の誠心を、監視などと……ついつい、悪辣な言葉で表現してしまうのでしょう」


『なんていうのか、信用してほしいとも言えませんがね。不審なんでしょう。俺のボディ……動きもぎこちないし……』


 頭部など一部が改修されているようだが、ポーキュパインは純粋蒸気駆動方式オールド・スクールの大型蒸気甲冑だ。

 かつて指揮官からの電波に従って動作する簡素な人工脳髄を搭載した不死の歩兵ラジオ・ヘッドたちを無力化するために濫用されたEMP兵器。そのカウンターとして製造された、蒸気圧で駆動する外骨格とワンセットの、まさしく原初の機関式高性能人工脳髄スチーム・ヘッドの一形態である。

 電子制御に頼らないその機体の挙動は、デジタル制御へ回帰した後年の機体と比較すれば、確かに些か精密性に劣る。


「煙の巨人であらせられる勇士様を敬いこそすれど、恐れることなどありましょうか。ユイシスはあなたの心の動きをこそ見ているのです」


 蒸気甲冑スチーム・ギアは、スチーム・ヘッドの誇りでもあり、大型蒸気甲冑スチーム・パペットともなれば、人格記録の帰属意識は肉体では無く甲冑の側に移る。だが、ユイシスとミラーズの眼差しはあくまでも甲冑の中身、人工脳髄に収められた偽物の、しかし人間の香りのする柔らかな魂にのみ向けられている。

 責めるユイシスと、赦すミラーズ。

 鏡像のような二人の少女に代わる代わるに声を投げかけられながら、ポーキュパインは目に見えて狼狽した。

 無論のこと、ユイシスとミラーズは、発話前にいくつかの打ち合わせを行っている。

 鏡のような二人から差し向けられる一対の言葉。

 それ自体が、問題処理能力を低下させるための計略だ。


「それで、ヴァローナのそれらの映像を、君は持っているのか。話に割り込む入るようで悪いが……」


 ミラーズの手指を眺めていたリーンズィが尋ねる。

 弄んでいたミラーズの手を伸ばして抱きしめながら、ポーキュパインの胸部のセンサーユニットを見上げ、そして不安げな顔を整えて、じっと見つめた。

 

「もしも今、持っているのならば、私にも見せてくれないだろうか」


『俺の記憶領域は、俺のスチーム・パペットにしかない。だから当然、今もあるけどよ……でも、不埒なものを持ち歩いてるわけじゃねえ。そういう気持ちじゃあないんだよ。家宝みたいなもんだし……』


「訂正しよう。詰問する意図は決して無い。実は私も、この肉体の本体の持ち主がどんな思考形態を持っていたのかに興味がある。全く縁の無い彼女の肉体を、何も知らないまま操作するのは本意ではない。可能ならば、一部でも以前の私、ヴァローナの映像を転送してくれないだろうか」


 もっとも、本当にほしいのは人工脳髄の記憶領域に直接アクセスするための経路だが、という言葉は飲み込んでおく。

 嘘は出力していない。ヴァローナだった頃の正確な記憶が欲しいと言うのも、紛い物のない本心だ。

 そして上辺だけの論理強度を完璧に整え、少女の声音には、紛れもなく哀願の感情を乗せていた。


 このパペットに真贋を見抜くような強力な支援機能が備わっているとは想定していない。ユイシスとミラーズが揺さぶりをかけてくれているおかげで、規範意識の強度も低下しているだろう。そんな中で、かつて憧れていた人物が、いかにも憐れっぽく依頼をしてくるというのは、それなりに破壊力がある光景のはずだ。

 しかし、ポーキュパインは、意外にも餌には食いつかなかった。


『すみません。フリー配布のやつ以外は複製も譲渡も許可されてないんで、興味あるならトークン集めて、自分で買って確かめて下さい』


 きっぱりとした口調だった。


『悪いんですがね、これでもヴァローナさんの十年来のファンなんで、ここは譲れません。解放軍から除籍になったレーゲントの映像記録は新規に市場に流れなくなるんで、ヴァローナさんのを探すのは難しいと思いますが、解放軍の事務局にかけあって認められれば、売買の許可も出るでしょ』


「そうか……。思えば、先ほどから我々は、色々と失礼なことを言っているのだろうな。本当にすまない」


『構いませんよ。まぁなんだ、知らないスチーム・ヘッドの拠点に行くんだから、不安なのは分かりますんで。でもいいところですよ』


「喪われた、古い時代よりも良いのか?」


 目的を見破られているのでは? という疑義をアルファⅡのネットワークに投げかけつつ、ポーキュパインへの質問を続ける。


『実際に暮らしてみれば分かりますよ。ある意味では、前より良いか。その辺は人によるかな……』


> 全然食いついてくれない。


> トークン。推測。貨幣経済の存在。


> スチーム・ヘッドが商取引を行う意味は?


> 過去の大規模な戦争においては、疲弊した兵士の精神を慰めるために、戦地に故郷の町並みを再現したという事例があります。その延長線上かと。


『俺だって許可さえ出るなら映像を共有するのはやぶさかじゃないですよ。でも規律違反は色々と怖いもんで。懲罰担当官に見つかりでもしたら何されるやら。実体のないユイシスさんが相手なら何かルールの網を潜るようなやり方で見せられるかもしれませんが……』


「あ、それは問題ありません。失礼ですが当機はヴァローナという少女にはあまり興味が無いので。ライブ映像であってもポルノグラフティであっても、心からどうでも良いです」


 にべもない物言いに、蒸気駆動の巨人は『いや、そんなにばっさり切らなくてもいいんじゃないですかね……』と声のトーンを落ち込み気味に下げた。


「それよりも、当機のアバターのようなレーゲントの映像記録は販売されていますか? より具体的には、あちらの金髪の、最高に可愛い、背の小さいレーゲントの……」


> ユイシス、私的な興味は抑えてほしい。


> 否定。ここは大事な部分です。


> あなたには私というほぼ本人がいるではありませんか。


> 否定。それとは違う問題です。


『似た顔立ちのレーゲントのなら、たぶんいくつか。リリウム様似って意味になりますが。でもミラーズさんみたいな外観年齢のレーゲントのはたぶん無いなぁ。……というかユイシスさん、AIなんですよね? なんか俺とも、普通のスチーム・ヘッドと話してるみたいな感じになってますけど』


「肯定します。当機は統合支援AIです。肉体は与えられていません」


 ペチペチとポーキュパインの胸の辺りの装甲を叩く仕草をしたが、手は装甲を擦り抜けるのみだ。


「ご覧の通り、いくら現実に存在しているように見えても、感覚器官を持たない物理実体に対しては干渉できません。また、当機のアバターを介して、当機自身の演算に介入することも出来ません」


『聞きにくいんですけど、そこの元レーゲントの映像があったとして、買ってどうするんで?』


「理解しました。そういことですか」くすくすと嘲る。「ご心配なく。存在したとしても、購入はしませんよ」


『え、欲しいとかじゃないんですか』


「放埒な誤解を与えていたものと推測します』


 ユイシスは両手を胸の前で合せて、にやりと嗤った。


「当機が望むのはこのレーゲントに関する映像記録の販売の完全停止と、彼女に関する不純な映像データバンクの半永久的な凍結です」


『半永久的な凍結って……』


> 待ってほしい。宣戦布告と判断されないだろうか。


> 真なる愛は、裁きの秤に置かれることはありません。ですが、わたしの愛しいユイシス……そこまでの覚悟であたしを愛してくれていたのね。心と体を独占するためなら、どんな相手でも打ち倒すと言ってくれるのね。


> 恋は戦争なのだな。そういうのは今はいらないのだが……。

 リーンズィは極めて曖昧な気持ちで返信した。

> しかし開戦は良くない。というか前線に立たされることになるのは主に君と私だと思うのだが、この流れは良いのか。


『そりゃ、過激な思想の持ち主でいらっしゃる……』

 少なくとも即時の開戦とはならなかった。ポーキュパインは絶句した。

『なんでそんなまた、極端な……』


「では当機の計画をお聞かせしましょう」


 電子の少女は虚ろの風で金色の髪をなびかせた。

 得意満面に笑みを浮かべて、胸を反らし、両手を広げた。


「この少女は当機のパートナーです。当機を除いては如何なる存在も彼女のデータを保持するべきではないと当機は思考します。検閲のために内容を確認し、彼女の反応動作のバリエーションを拡充するために利用するつもりではありますが、利益団体に与する形で購入する意図は一切ありません。彼女のことを知っているのは当機とリーンズィだけで十分です。当機たちの世界は当機たちの外に漏れ出るべきではないと思考します。こころとからだ、そして記憶のすべて。それらは我々の庭園を、この不滅の地に残された少女達の庭園として成立させる研究にのみ奉仕するべきでしょう。そう、少女による少女だけの少女のための庭園。それこそが当機の夢見る理想郷であり、ミラーズやリーンズィはその最初の祝福された住民となるのです。彼女らの秘め事を知る不埒な存在は当機の庭園に必要ありません。そのような存在が書き込まれる余地は世界のどこにもないのです。なんて素晴らしいのでしょう。当然この庭園はあらゆる少女に対して開かれていますが、ミラーズとキジールに関する情報だけは最大の機密として完全に当機たちだけの輪の中で完結させる計画です」


 ポーキュパインからしばらくの間反応が無かった。

 ようやく出力されたのは、思わず、といった様子の呟き。


『な、何かヤバい人だ……』


「疑義を提示。生命管制を司る機械としては自然な欲求では?」


 ユイシスは演技ではなさそうな雰囲気で憮然として言った。


『いやヤバいでしょ……っていうか何でそんなに少女に拘ってるんですか……聖歌隊でもあり得ないですよ……何なんだよこの人ら、新しいカルトかよ……』


「待って、待ってほしい。待て。何だその計画は」


 リーンズィまでもが唖然としてしまっていた。

 冷や汗をかいたような、焦った身振りで弁解した。


「誤解だポーキュパイン、私たちもこういう話は聞いたことがない……ユイシス、変な理想に私たちを勝手に巻き込まないでほしい」


『何故ですか。断固抗議します。内心の自由という言葉を知らないのですか。当機は所詮は神様になれなかったAIですが、しかし変わらず理想世界ぐらいは求め続けるのですよ』


「いったい何の理想世界なんだ。迷惑するので、今だけは内心に留めるよう要請する。ポーキュパイン、私たちの不肖のAIが本当に申し訳ない。彼女には難しい拘りがあるようなのだ」


 巨人はしばし無言で歩きながら、角が立たない言葉を探しているようだった。


『……命令者側は、リーンズィさんたちの側なんですよね。なのにそのAIを自由にコントロール出来ないんですか』


「非常に不本意ながらそうなのだ。パソコンのすごいやつすぎて手に負えず、とても困っている」


「パソコンのすごいやつではないです」


『機械の反乱ってやつなんですかねこれも。全自動戦争装置以外の高性能AIはやっぱ怖いなぁ』


 ミラーズだけは、ユイシスの謎の演説に対して「愛は、時として理解を超えた、神の啓示にも等しい物になります。そういうことですね」と頷いていた。

 納得したというよりは考えるのをやめたといった様子だった。


> 一芝居打ちましたが、どうでしたか。


 いやに真剣な調子でユイシスからの通信。

 ライトブラウンの髪の少女は曖昧な顔で返信する。


> 負荷が限界に近いなら休んでほしい。壊れているのなら、早く自己修復プロセスを実行してほしい。


> 眠らずに働き続けるからこその機械です。自己修復にかまける時間などありませんよ。いいえ、そうではありません。先ほどの演説でポーキュパインの防壁に綻びは発生しませんでしたか。予想もしていなかった言葉の奔流をぶつければ隙が生まれるのではと推測しました。


> 演技だったのか。


> 演技でもありませんが。


> 演技であってほしかった。彼の態度は、むしろ殻が固くなった感がある。


> いいえ。殻を割ることには成功したようです。

> 報告。他の機体への通信の開始を確認。


> 統合支援AIユイシスへ要請。傍受しろ。全ての暗号は、これを解読せよ。


> よくやったと誉めてくれても良いのですよ。


> よくやった。でもたぶん君のせいで私たちみんな変な人扱いが内定した。

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