街道を歩む巨人の肩で②

 詳細は不明だが、極めて安定した状態で長い年月を過ごし、限定的ではあるが対等な形で共存が実現したコミュニティを築いているらしい。

 ただ、これもやはり、リーンズィが四六時中不調に苛まれていたこともあって、情報収集は進まなかった。


 リーンズィはその現実を考えて、不意に目が覚めてしまったような気がした。

 そうだ。自分のせいで、リーンズィのせいで、あらゆる行程が滞ってしまったのだ。

 のぼせていた気分が不意に沈降を始め、全ての風景が途端に色褪せてしまった。

 何もかも、ただのつまらない冬景色に見えた。

 自分があの時、<時の欠片に触れた者>に向かって突撃しなければ。

 冷静になって、無抵抗で空間転移に巻き込まれていれば。


 ミラーズにはきっと頼りなくて幼い、力の弱い娘だと思われているだろう。失望されているに違いない。望まない言葉が次々に人工脳髄から出力され、ささくれだった言葉の本流に胸が押し潰されそうになる。涙腺から熱い液体が滲み始めたのを自覚する。

 ポーキュパインに見られないよう、顔を背けながら、無言で巨人の肩から他の取っ手へと飛び乗る。

 そのまま、宝物でも運んでいるかのような、巨大な手の上に収まった。

 甲冑の掌で目を拭いつつ、ミラーズの隣へ腰を下ろす。


 胸にベレー帽を乗せて目を閉じていた少女は、途端にぱちりと瞼を開き、「もういいのですか、リーンズィ」と何を掴むでもなく手を伸ばしてきた。「まだまだヴァローナが泣き出してしまいそうな歌声でしたが、あなたの良き心の純粋な喜びが伝わってくるようでした。元気になって良かった」


 袖から覗く白い肌に見とれながら、リーンズィは「だけど、浮かれすぎていた。私の不手際で私たちに迷惑をさせたというのに」


 手を取って、許しを請うように緩く手指を絡める。特に意味のない無作為な動作だ。荒野での一件とヘカティ13による施術を受けて以来、美しい金色の髪をしたミラーズの熱を無意識に求めてしまう。


「リーンズィの手甲、冷たくて気持ち良いわ。もう体の熱は取れましたか?」


「疼きが取れない。冷気が服の下に入ってきて、変な気分だ。とても苦しくて、とても肌寒い」ライトブラウンの髪の少女は照れた様子で少女の手の甲に口づけをした。「許されるなら、温めてほしいぐらいに」


 ミラーズは、リーンズィの手を掴んで己の体を引き起こし、軽く口づけを返した。

 親猫に甘える猫のように、ライトブラウンの髪の少女は積極的に受け入れる。


『え、仲がおよろしいのは構わないんですがね、そこ俺の手の上ですよ? まずいんでは?』


 戸惑ったように抗議してくるポーキュパインの足取りは、早足ではあるが慎重だった。

 先行して出立した他のスチーム・パペットや、巨大な鉄輪が自走しているとしか表現しようのない奇怪な機体が通ったあとの轍を、転倒しようのないぐらいの確実な歩みで、しかし可能な限り急いで進んでいる。

 しかし、接吻を繰り返す二人の少女の儚い熱情の交換に、どうしても気が削がれてしまうらしい。時折足取りが乱れるようになった。

 そして何か言いあぐね、左肩に掴まるアルファⅡモナルキアにカメラアイを向けて、それから空中を浮揚しているユイシスへと問いかけてきた。


『ユイシスの姐さん、ちょっとお尋ねしたいんですがね、この人らは、何で思いっきり俺が見てる前で、っていうか俺の手の上で、平気でイチャコラしてるんですか……? そういう文化圏なんで?』


『おや? どういうことでしょう。当機からの質問を許してください、ポーキュパイン086。聖歌隊の流儀ではこれが普通と聞いていますが』 


 リーンズィとミラーズをほのぼのとしながら見守っていたユイシスのアバターが、空中を移動して巨人と目を合せる。その動きに、ポーキュパインの光学素子群が追従した。

 仮の情報共有ネットワークを開設しているため、彼にもユイシスの視認が可能だ。


『いや、まぁ、ある程度はね。それにしたって、聖歌隊のレーゲント同士でも場所は選ぶって言うか……大主教リリウム直轄の部隊は方針として奔放ですけどね、うちみたいな攻略拠点だと、その辺はある程度計画的に、上手いこと解消させるようになってるんで……。むしろ個人的な関係性は保護しようっていう機運もあるんで、さすがにこんな他人の手の上で見せつけてくる人はあんまり、いないですね。眺めは良いですが、眺めてるのは居心地が悪いって言うか』


『そうなのですか。ふむふむ、認識のアップデートが必要ですね』


 ユイシスは無表情に頷いた。アルファⅡモナルキアとそのサブエージェントだけで閉鎖された情報ネットワークを強化、完全に秘匿化。侵入対抗変異演算式ⅠICEー9リミテッドを展開。情報収集用のグループを設定する。

 それと平行して、オープン回線で『聞こえますね、二人とも。スチーム・パペット・ポーキュパインが混乱しています。人前でのキスは、これから向かう拠点では犯罪行為に当たる可能性があります、直ちに中止してください』と呼びかけた。


「接吻もダメなの?」ぷは、と息をしながらミラーズがポーキュパインを見上げた。「それとも場所が良くないのですか?」


『犯罪行為でも、ダメでもないんですが。レーゲントならそういうのは道ばたでもしますけど、挨拶程度で終わるじゃないですか。でも皆さん方、なんか雰囲気的にもっと先行きそうだったでしょう。元レーゲントなんでしたっけ? 昔基準だと凄かったみたいですが、クヌーズオーエ解放軍は違うんですよ。俺も嫌とまでは言わないですよ。でも俺の気持ちとしてね、俺の手ももう肉じゃないですけど、長年使ってるボディなんで、くつろいでもらう分には構わないにしたって、ベッドみたいに使われると、なんていうか、戸惑うんですよ』


「なるほど。大型の蒸気甲冑を使っているスチーム・ヘッドの感情については、考慮をしていなかった」形式張った声でリーンズィが頭を下げた。「非礼を詫びる、ポーキュパイン」


『まぁ、分かってもらえたんなら構いませんよ。皆さんが普段はそんなじゃないっていうのも分かりますよ』


> 分かっていませんね。

> 分かってないわね。

> でもそういうことにしておこう。


『ぶっちゃけるとね、ヘカティ13ですが、あいつの処置は雑なんですよ。快楽物質使いすぎなんです。誰でもしばらくは混乱しますからね。術後に影響出るんですよ。普通は調整のためにもう何日かあの教会に滞在するぐらいなんで。移送が早まったのは俺らの側の都合なんで、後遺症に口を挟むのも筋が違うんで……』


 後遺症、と復唱して、リーンズィは表情を曇らせた。

 頬、唇を指先でなぞる。それから服の上から胸や腹、下腹部に触れて、悩ましげに思い詰めたような白い息を吐いた。


「そうなのか。後遺症、後遺症なのか……では気分が良いのも手術のせいで、私は本当はそんなに気分が良くないのか。せっかく人間の感覚を拡張できたと思ったのに……」


 またしょんぼりした様子のリーンズィの頭にミラーズが軽く背伸びをして手を伸ばし、よしよし、ちょっとずつ成長していけば良いんだからね、と慰めるように頭を撫でる。

 ポーキュパインは『まぁレーゲント同士で喧嘩してるよりは仲良くしてる方が良いんで、あんまり気にしないでください』とぼんやりとした口調でフォローを入れた。


 リーンズィを落ち着かせた後、ミラーズは巨人の頭部を見上げて、帽子を脱いで会釈した。行進聖詠服の足下を開き、白い素足を覗かせたままの奈落の花のような笑み。淫靡と退廃、清楚と明朗の入り交じる表情に、多眼の巨人は一瞬だけ引き込まれて視線を過度に集中させた。だが、興味は間もなく霧散したようだ。

 そうした観察結果に基づいて、アルファⅡモナルキアのネットワーク内で、三人が情報解析のために意見を交した。

 議題はクヌーズオーエ解放軍についてだ。

 敵対的勢力ではないという確証は得ているが、全容がはっきりとしていないこの組織について、少しでも理解を進める。


> うーん、クヌーズオーエ解放軍では身体的接触に特別な意味が残っているみたいね。

> ポーキュパインの視線は不純でした。クラッキングして焼き切りますか?

> 気持ちは分かる。でも焼き切るのは良くないと思う。


 アルファⅡモナルキアであれば、その点に関しては絶対に同意など示さなかったはずだ。

 ミラーズとユイシスは別回線で意見を交した。リーンズィを少しでも安定化させることがミラーズとユイシスの間でのみ共有されている目的としてあった。理由は不明だが肉体がライトブラウンの髪の少女となって以来、リーンズィの擬似人格演算にはノイズが現われるようになってきた。

 奇妙なことに、アルファⅡモナルキア側でもそれを補正しようとしていない。

 おそらくはなのだろう。ユイシスも事情を把握してるのだろう。現状のままでは可哀相だというミラーズの意見はあまり尊重されていない。


 三人の議論は極めて短い時間で、とにかくポーキュパインには多少なりともいやらしい感情が存在している、ということで総括された。若干不名誉な扱いをしていることをおくびにも出さず、ミラーズは可憐に微笑んでみせる。


「そんな風に言ってくださるなんて、お優しい方なのね。重ねて非礼を謝罪します、ポーキュパイン様。どうか許してくださいませ、私たちはまだ何も分かっていないのです。クヌーズオーエ解放軍の価値観は、私たちの物差しとは少し違うのですね」


『事情もあるんでしょう。長いこと……三人? 四人? で旅されてたんでしょうし、その時の気分が抜けきらないのは仕方ないですよ』


「いいえ、一週間ほどの付き合いなのですが、リーンズィにそういう教育をしたのは私なので、少し責任を感じているのです」


「違う。私が子供っぽく求めすぎたのが誤りだった。今、情動の補正パッケージの作成を進めている。クヌーズオーエ解放軍の風紀にもすぐに馴染めると思う」


「勢いの良いことを言って後悔するのはあなたよ、リーンズィ。部屋が割り当てられたら、ベッドだって別々にするからね」


「……ユイシスと一緒が良いのだな。どうせ私はユイシスには勝てない。覚悟はしていた……」


「いいえ、いいえ。風紀の問題です。それに、親離れは早く済ませないと」


『え、一週間とかの割にめちゃくちゃ意気投合してますね……』


 ポーキュパインには表情が存在しない。何も読み取ることは出来ない。だが、声音やリアクションから価値観を推し量ることは可能だ。


「これから沢山のスチーム・ヘッドに出遭うのだろうな。私に上手く出来るだろうか」


「リーンズィが頑張れる子だというのは、あの荒野と教会の手術台でちゃんと見届けたわ。あなたが本物の勇士だって、きっと皆認めてくれる。あたしを色々と心配してくれている見たいだけど、あなたこそ本当に起きていて大丈夫なの? 無理してない? 不浄を受け止めるのは出来ないけど、膝枕ぐらいならしてあげられるわ」


 リーンズィは無言で、しかし躊躇うことなく横たわり、自分よりも一回り小さな少女の膝に頭を乗せた。ミラーズはクスクスと笑いながら髪を指で梳き、文法と単語の崩壊した子守歌のような歌を発し始めた。

 巨人は、そんな二人にじっと視線を注いでいる。


『どうかしましたか、ポーキュパイン086?』


 ユイシスの淡々とした問いかけに、光学素子群が一斉に移動する。


『いや。この人、本当にレイヴン……ヴァローナさんじゃあないんだなって……』


 発話中に現われた単語をピックアップして、アルファⅡの共有領域にユイシスが所見を列挙していく。


> この機体はヴァローナを知っています。ヴァローナとリーンズィが全く違うことを看破しており、しかし抵抗感をそれほど示していません。

> 解放軍では、ある程度は身体の乗り換えが許容されているのだろうか。

> スヴィトスラーフ聖歌隊の基準だとあまりない事態なんだけど。聖歌隊の再誕者は基本的にプシュケと肉体が一対一対応ですし。

> ヘカティ13は生殖細胞を欲しがっていた。肉体のクローニングが出来るのかも。

> そんなはずは……前例はあるけど、そんなことが出来る子が他に現われたのかしら。ちょっと気になるかも。


 三つの異なる視座の討論を統合しつつ、統合支援AIユイシスは保護者のように振る舞いながらポーキュパインと会話を続けた。


『あなたと当機たちも、出遭ってそれほど時間は経過していないはずですが。この短時間でリーンズィとヴァローナの差異を検証可能なのですか』


『そりゃ、全然動きが違うんでね。リーンズィさんの慣れてない感じのパフォーマンスも新鮮で良いんですけど、もうヴァローナさんではないんだなと実感すると、ショックがね……』


> ヴァローナにはそんなに人望があるのか……。


> 綺麗で落ち着いた子でしたから。リーンズィが肉体を操ると、ちょっと可愛い系になってしまうけど。


> 聖歌隊は性的接触が基盤の組織だと聞いていたが、ポーキュパインからはそうした前提をあまり感じない。しかし、前情報では性行為には意味があるらしい、と。そうなると、娼館のような施設があるのだろうか。我々もまさかそこに?


> ふふ、殿方が怖いのですか? 


> むしろミラーズを取られたくない。


 膝枕をしていたミラーズが顔を赤らめて、「そういう不意打ちは悪い子のすることよ」と耳打ちすると、リーンズィは「冗談だ。君はそもそも私のものではない」と素っ気なく返した。二人の視界にユイシスからのメッセージ。『あまり調子にのらないように!』。


『ヴァローナとは親しかったのですか?』


 不意に水を向けられてポーキュパインは狼狽えた。『まさかまさか。大主教リリウムの護衛ですよ、雲の上の人ですよ。ただのファンです。でも、電子ポスターを部屋に張ってましたし、聖歌隊の連中が公式で売ってる映像記録も、トークン注ぎ込んで全部購入してたぐらいで……』


『その映像記録というのは、説法や聖書朗読の映像ですか』


『そういうのも含めて全部ですよ。ああ、もしかしてボディを譲渡されただけで、スヴィトスラーフ聖歌隊の、以前の具体的な布教活動はご存知ない感じで? 俺のいた時間枝にも聖歌隊はいなかったんで、実際は知らないんですけど、昔はこれから攻略する都市をハックして、色んな……そういう映像をアップロードしまくるサイバーテロをやってたそうで。その残品とかが、今は嗜好品として流通してるわけです』


『なるほどなるほど。質問です。その具体的な内容は?』


 すす、とユイシスのアバターが巨人の顔に近寄って耳を傾けると、巨人の光学素子が揺れながら違う方向を向いた。


『何故目を逸らすのですか? もしかするとモラルに反するようなやつですか? 生身の人間しかいない旧世紀で配布したら犯罪になる類の?』


『いや。その。映像記録は、映像記録ですよ』


> 推測。ポルノでは?


> ミラーズ、ポルノなのか?


> 失礼ですね。神聖な映像です。迷える仔羊が、私たちレーゲントによって、不滅の楽園へ迎えられる……その一連の手続きを収録した内容ですよ。かつてのあたし、キジールが映っているのもあるかもしれないわね。


> どういうことですかミラーズ。そこのところもう少し詳しく教えてもらって良いですか。見たい……いや許せない。ミラーズがそんなことをされているなんて粛正でしょう、これは粛正です。電子攻撃を行ってクヌーズオーエ解放軍とやらのスチーム・ヘッドを全て破壊することも検討しましょう。 


> 髪の匂いを嗅いだだけで変態っぽいと言っていた君はどこに? ロケットに乗って宇宙に飛んでいったのか? いつ帰ってくる?


> それはそれとして、この機体からは追加の情報を取得できそうですね。


 ミラーズが邪悪な笑みを浮かべた。

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