完全架構代替世界触媒式先進的破壊事象干渉①
勝負は一瞬で終わった。
「……約束通り、
ウンドワートの十爪が――
かつてヴァローナと呼ばれていた少女の胸を、背後から貫いていた。
不朽結晶連続体で編まれたインバネスコートは、禍々しい切っ先を呆気なく体内へと侵入させてしまっている。純白の
心臓を破壊されてもスチーム・ヘッドは数秒と経たずに再生する。だがオーバードライブ環境における『数秒』は永遠に近い。ライトブラウンの髪の少女は、致命傷を受けたというのに、まだ状況に気付いていない。
潔癖そうな美貌を維持する右の顔面にも、無残に損壊したままの左の顔面にも、変化はない。尋常外の機動で荒れ狂っていた悪性変異の蔦の群れも、前方、正確にはウンドワートが一刹那前までいた地点へと伸びきった時点で、完全に停止していた。
当然の光景だった。
ウンドワートは地球上で最速のスチーム・ヘッドだった。全機能を解放しての一動作は、心筋の一度の痙攣、眼球の振動する一瞬、網膜に映じた像が生体脳へ伝わるまでの時間よりも速かった。もっとも、生身の人間に付き纏う物理的制約は、スチーム・ヘッドにとってはさほど意味のあるものではない。
人間は超音速で肉弾戦が出来るようには作られていない。通常の神経伝達速度では、そもそもオーバードライブに対応できないのだが、不死病による再生と強化の恩寵がことごとくを解決する。この自己破壊的な戦闘機動においては、絶え間ない破壊と再生の中で神経系がオーバードライブに適応していき、当人も自覚しないうちに知覚能力は指数関数的に跳ね上がっていく。それでもなお処理しきれない情報については人工脳髄が補完を行うため、通常の人間を遥かに凌駕した高速戦闘が可能になる。
だが、そのような超常の加速能力すら、所詮は生体脳の存在に囚われた二流のスチーム・ヘッドの領域だ。
アルファⅡウンドワートの真なる戦闘機動は、戦闘用スチーム・ヘッドであっても補足困難だった。多くの場合はこの白兎が移動したという事実さえ認識することが出来ないだろう。
否、不朽結晶連続体で構築された
大兎の騎士は、まさしく戦闘用スチーム・ヘッドの究極点に到達した機体であった。
アルファⅡモナルキアをもってしても、アルファⅡウンドワートの速度には追従出来ない。そのことは、動作を一度だけリーンズィたちの目前で披露することで、確認している。血煙が邪魔になったと虚偽の説明をしての一跳び。
ヴァローナの遺した奇異なる眼がその移動を僅かに捉えただけだった。
彼女の眼球には『見たいものを見る』機能がある。それゆえに意志決定の主体であるリーンズィが見ようとしたのであれば、無意識のレベルで知覚されてしまうが、リアルタイムでは意味ある情報として処理できない。
『目で追った』という認識も、人工脳髄や生体脳が事後的な情報として擬似人格に与えているものであって、実際には『何も見えていない』のと同じだ。
ウンドワートは最大戦速を維持したまま、リーンズィなるスチーム・ヘッド、アルファⅡモナルキアの戦闘用端末と思しき機体の無力化を開始した。
胸の突入部から無造作に左右へと十本の爪を開き、突撃聖詠服ごと少女の柔肉を左右に引き裂く。この時点でリーンズィの肉体はほぼ完全に上下に分かたれた。筋組織、骨格、神経系、幾つかの臓器。スチーム・ヘッドとしての戦闘活動に必要な全てを、最小限の動作で確実に破壊して、体外へとばら撒いた。
続けて慎重に爪を操作して、視覚野に滲むほどに毒々しく咲く青い薔薇の異形、未知のカースドリザレクターへと変貌した少女の右腕を、未変異の肩口から切断して放って捨てた。さらに彼女の全身に巻き付こうとしていた蔦を肉体と聖詠服ごと切り離してやり、無力化する。寄生・同化型の変異体は宿主から切り離されただけで簡単に失活する。
最後に少女の髪をかき上げるようにして首筋に爪を這わせ、一筆を加えるように、浅く、しかし確実に頭部を切断した。
その間も、リーンズィなる少女の肉体はぴくりとも動かなかった。
苦痛の呻きも、驚愕の呼気もない。
装甲代わりの衣服ごと己の肉体が襤褸切れのように刻まれ、もはやどのような手段を用いても、指一本動かせない。その現実をまだ認識していない。
もっとも、ウンドワート自身の不死病筐体、
いずれの動作も、生体脳を介しては処理不可能な速度で実行されているのだから。
ウンドワートの生身の身体感覚は、行動の計画を立案して、その実行の意思決定を行った時点で途切れている。アルファⅡウンドワートという意識が現実に観測できるのは結果のみ。
血の通った思考も独白も存在しない世界で、暴力という過程は終了する。
「君はこれから二度目の死を迎える。不本意だろうが、その機能の邪悪さには相応しい末路だ」
ウンドワートは言い訳がましく独白した。
首から下を細切れにされたライトブラウンの髪の少女をしばし眺め、人工脳髄と思しき首輪に爪を突き入れた。
ウンドワートも、口ほどに破壊を好む性質では無い。相手が馴染み深い顔をしているなら尚更だ。
だが、リーンズィのような危険思想を持つ
「さて、他の機体はどう始末するか」
全てが精巧な写実画のように完璧に静止した色鮮やかな冬景色に佇み、ウンドワートは思考する。
大兎が静止した世界で振り返る。
バッテリー切れで行動を停止した金色の和毛の少女に狙いを定め、下顎を巻き込む形で最大出力の右腕電磁投射砲を撃ち込んで、首輪型人工脳髄を破壊する。
そして美麗な目鼻立ちの上顎と胴体の間に生まれた不自然な空白という形の呆気ない死を見る。
人工脳髄と人格記録媒体を破壊してしまうことには、良心の呵責はあった。
実を言えば、ミラーズなる機体には特段の脅威は感じていない。戦闘に際しても、最初は不快感をぶつけてきたが、鋭敏な嗅覚で以てこちらに完全破壊の意志がないことを途中で察したらしく、以降は闘志に欠けていた。
しかし仮にリーンズィと同程度の危険思想を抱いているのだとすれば、こうまでしなければ仕方がい。顔立ちが軍団の主たるリリウムに通じているのが気に掛かるが、どんな事情があるにせよ、解放軍の仲間たちには、理由を話せば納得は得られるだろう。
不死の恒常性の暴走によって発生する理性なき怪物、知覚した全ての脅威に無差別攻撃を仕掛けるカースド・リザレクターは、人類文化継承連帯にとっても脅威だ。スヴィトスラーフ聖歌隊も黙契の獣と呼んで、これを強く敵視している。その跳梁と拡散を許すことは、絶対の禁忌である。
不死病患者が絶対に至るべきではない、悲劇的な結末。
アルファⅡモナルキアはその酷たらしい未来を、易々と招き寄せてみせた。
自分から進んで、その悪夢を受け入れたのである。
隠されていた戦力としては、なるほど、想定していたよりも高いものだったとウンドワートは納得する。悪性変異体を自由に作り出せるスチーム・ヘッド。
駒として使いこなすことが出来ればさぞ優秀な働きを示しただろう。
だが、受け入れられない。
クヌーズオーエ解放軍に取り込んではならない異分子だ。
あるいは心臓などの臓器にさらなる変異の種を隠しているかも知れないと予測し、金髪の少女という形象が完全な過去形になるまで、徹底して弾丸を撃ち込んで破壊する。肉塊と成り果てても不死病患者だ。再生時には不純物は取り除かれ、人格は蒸発し、美しい肉体と漂白された生体脳が戻ってくるだろう。
「何も見えない。何も感じない。そのまま終わりを迎えられるのは幸運だ。君たちは幸運だ。このウンドワートの慈悲に感謝しながら、滅びるが良い」
大兎の鎧は音すら聞こえない世界をぐるりと見渡す。
質感に乏しい箱庭のような街道。
立ち並ぶ木々の色調には味気がなく、実存する世界に根付いた実体としては些か現実味に欠け、事実としてそれらは、
戦闘に巻き込まれまいと、防御姿勢を取っている同胞、ポーキュパインにしても、それは同じだ。
装甲にはのっぺりとしたテクスチャが貼り付けられ、よくよく観察すれば細部の造形は省略されている。
白い兎を追いかけるアリスはこのような違和感のある光景を見ていたに違いない、とウンドワートはたびたび思う。
目覚めたまま見る、現実感のある虚構で構築された、白昼夢のような――。
それは時空間という概念の
アルファⅡウンドワートの構築した、もう一つの世界。これは確実に到来する現実であり、
蒸気甲冑の全身に分散配置された三十名分の
それがこの世界の正体だ。
シミュレートされた全ての動作は、この虚構世界での検討の後、現実において、アルファⅡウンドワートの蒸気甲冑によって不可知の速度で即座に実行される。
次世代型先進的超高機動制御。あるいは、オルタネイティブワールド・カタストロフ・オペレーション。様々な大仰な仮称が与えられているが、どれも正式名称ではない。名付けが終わる前に、世界が終わってしまったからだ。
完全架構代替世界触媒式先進的破壊事象干渉というのが最もそれらしいものだった、という記憶が朧気にある。
ただ、大袈裟すぎた。ウンドワート自身はもっとシンプルにデイドリーム・ハントだとか、
自身は二度と眠ることの出来ない擬似人格に過ぎないにせよ、使用したときの非現実感が、生前に昼寝をしたときに見ていた、ある種の明晰夢に近い。
もっとも、結局このクヌーズオーエなる魔境を擁する時間枝に迷い込んでも、同じ機能を搭載した機体とは出会えていないので、自分の感覚が正しいのかどうかは、検証が出来ていないのだが。
先進技術検証機試作二号――アルファⅡウンドワートだけが、世界の外側ばかりを真似たこの虚構の狩り場を、己の意志によって自由に動き回ることを許される。ウンドワートは、究極的には、この機能の検証を行うためにだけ作成されたスチーム・ヘッドだった。
「あなたは……貴様は確か、一手先んじた、と言っていたな」
若干の感傷を込めて、己の手で細切れにしたライトブラウンの髪の少女の生首に呼びかける。
出血に類するものが一切無いのは、演算を簡略化するためと、ウンドワート自身にスチーム・ヘッドの完全破壊に対する引け目があるからだ。
現実にはまだ破壊されていないし、現実で蒸気甲冑が動き出したときには、ウンドワートはそのような発声を行わない。独りよがりだと嘲りながら、言葉を紡ぐ。
「しかし、一手では足りないのだ。貴様のような……哀れな、おぞましい怪物どもを駆除するためにこそ、私は製造されたのだから。このレベルでの加速と予測演算は本来推奨されないが、貴様らのような異物に対しては、いくらでも行使が容認される。もちろん、不死病患者でもこの加速には耐えられない。仮想空間での行動を現実で実行すれば、鎧の中が血反吐だらけになってしまうが……それは、これからアルファⅡという得難い鏡像を破壊してしまう私への罰としよう」
実際のところ、ウンドワートの武装自体には、特殊な部分はあまりない。
未熟なリーンズィたちにも察せられていたが、むしろシンプルに纏められている方だ。武装は両腕部に集約され、拡張性も低い。
行使可能なケルビム・ウェポンはしばしば特別視されたが、ウンドワートからしてみればそれも他の機体と比較して多少高性能なだけであり、武器種としてはウンドワートが属していた時間枝では有り触れたものだった。
この蒸気甲冑兵士の真髄は、『超高度演算装置の前線での復権』という時代錯誤なコンセプトにこそある。
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