ファデルとロジー②
だが、恐ろしく気がかりなことがある。
攻略拠点の郊外、野戦病院として利用されている廃教会に現われたというスチーム・ヘッドたちのことだ。
ファデルの真剣な眼差しに、ロジーも神妙そうに瞳を揺らめかせながら、応じてくれた。
「……昨晩から言いたいことがあったのだけど。それに、さっきも言いたいことがあったんだけど。今は、それどころじゃないみたいね。ねぇ、わたしに思いの丈をぶちまけて?」
「ありがとよ。その……今日、新入りの連中が、修理受けたうちのやつらと一緒に、来る予定だろ」
「新入りって言うと、フリアエ様に恩赦を授けられ、四番目の御使い様に導かれてやってきた、例の三人よね。彼らのことが気になるの? あまり聞いたことのない組織の。ちょうてー……あなたの昔話に時々出てくる……最高の兵士だっていう、シィーさんの……」
「調停防疫局だよ」
「そう、それです。わたしも彼らは気にしているわ。隊長格らしい人が、よりにもよってケルビム・ウェポンみたいな武器を背負っていて、しかもアルファⅡって名乗っているらしいのもそうだけど、それが最後の旅に出たはずのマザー・キジールと、行方不明になっていた使徒ヴァローナに、首輪を付けてやってきたのでしょう? 尋常の出来事ではないわよ」
「やっぱりアルファⅡモナルキアってのは只者じゃねえよな」
ファデルの不安げな声に、ロジーはベッドの上で片足を曲げて抱え込みながら、「そうね……」と物憂げに頷いた。アイスブルーの視線が虚空を彷徨っている。すらりとした脚をまざまざと見せつけるような挑発的な動作だ。ファデルは美しさに感心する態度を隠さないが、さほど注視をしない。
過負荷で暴走した兵士を誘導して、自分を襲うように仕向けるときにも見せるポーズではあるが、実際のところは沈思しているときに特有の仕草だ。
プライベートを知る人物ならば、自室に保管している大きな兎のぬいぐるみの代わりに、自分の脚を抱いているだけだと分かる。
「わたしたちでも、あなたたちでもない、新しい軍団が一つ増えるようなもの、だものね。フリアエと
「ウンドワートの旦那とはむしろ会わせたくねぇなぁ」
「そうよね? ウンドワート卿はつまらない争いを起こしそうだものね。ううん、必ず争いを起こしますね 。ファデルとしては、そこも心配なんでしょう?」
「心配だぁな。まぁ新入り連中も、シィーの旦那と同じ調停防疫局なら、喧嘩ふっかけられてノされちまうタマじゃないと思うが……俺ぁよ、調停防疫局には昔散々世話をしてもらったからよ」
ファデルはしばし瞼を瞑り、二刀を携えた一機のスチーム・ヘッドの背中を思い描く。
「聞き飽きた名前だろうが、“ローニンの旦那”だ。シィーっていうんだが」
「剣だけで黙契の獣も
「俺が知る中でも五指に入る兵士だった。副官みたいに扱ってくれて、実の子供みたいに可愛がってくれた。俺は戦うとき、いつでもあの人をイメージしてる……」
脆弱な装備で常に最前線を進み、あらゆる敵を容赦なく斬り倒した。
おぞましいカースド・リザレクターも暴走したスチーム・パペットも死者の軍勢も、彼の前では問題にならなかった。
ミフレシェットだった頃、その背中は、いつまでも遠いような気がした。
ファデルとして経験を積んだ今なら、少しは彼に追いつけているだろうか?
重ね重ね、記憶に焼き付けられた理想像をなぞる。完璧にほど遠い装備で、完璧に近い結果を出していたという点では、極めつけに優秀な兵士だ。過去を思い出すことは無い。シィーについても思いだすことはない。
何故なら、いつでも心の中にある。
ファデルが理想とするのは、彼のような勇猛な指揮官だ。
不死病の災禍が世界を覆った後、未熟な少女の肉体で蒸気甲冑に放り込まれ、それでもミフレシェットとして正気を持ったまま戦うことが出来たのは、ひとえに出逢えたシィーが公正な勝利というものを味合わせてくれたからだった。
他の兵士から二段も三段も下に見られていたミフレシェットの実力を見抜き、指揮系統を是正し、全てが円滑に回るように整えたのもシィーだ。
勝利に次ぐ勝利……。天井のシーリング・ファンをチラと見る。こんな不規則な楕円とは違う。永遠に終わることの無い完璧な輪のように思えた。
いつわりの魂に居場所を与えてくれたのが大主教リリウムなら、消えかけていた魂の炎に息を吹き込んでくれたのがシィーである。
彼が他のスチーム・ヘッドたちと一緒に<時の欠片に触れた者>に飲み込まれて姿を消してしまった後も、彼と駆け抜けた激戦の日々を忘れたことはない。
熱のこもった少女の語り口に、ロジーは栗毛を弄りながら、何かもの言いたげに耳を傾けていた。聞いていて面白い話ではないだろう。ここらで話はやめておこう、とファデルははにかんで首を振った。
「とにかく、俺は前と変わっちまったんじぇねぇかなって、不安になるんだよ。俺ぁ、ローニンの旦那のことが大好きだった。心の底から尊敬してた。たぶん、父親みたいな人だった。ちょっとでもあの人に認められたい、追いつきたい、遠すぎる背中に触れてみたいって必死だったのさ。ローニンの旦那がいなくなっちまった後も、俺ぁずっと努力を続けてきたつもりだ。でもよ、分からなくなったんだ。俺はマジにそこまでやってこれたんだろうか。あの人に恥じない自分になれたのか……ダメなやつになってないか」
そもそも調停防疫局のエージェントを名乗る兵士たちの素性は知れない。シィーや彼の部下だった何体かのスチーム・ヘッド以外にその組織の所属員とは遭遇できていない。
鏡像連鎖都市に流れ着いてからは、まったく、一人も見ていない。<時の欠片に触れた者>を追跡している異形の騎士団のほうが「よく見る」という意味では身近なほどだ。
だが、記憶の中にいる彼らが、全員が特異な技能を備えた凄腕の兵士だったのは確かだ。
今回現われた三人も、きっと図抜けた力を持っている。
ファデルにとっても畏怖すべき存在である都市焼却機フリアエ、そして忌まわしき<時の欠片に触れた者>にまで存在を承認されている。
どれほどの実力者か底が知れない。
もしかするとシィーよりも、もっと上位の立場という可能性もある。
「あの新入りどもと会うのがよ、本当のこと言うと怖いんだ。みっともないし、情けないよ。でもさ、シィーが育てたのがこんなロクデナシなのか、失望した、なんて言われたらと思うと、怖くて、怖くて……」
「なんだ、そんなことで怯えていたのね」
ロジーは溜息をついて、胸を反らした。
「その時は、わたしがビンタします。三人ともビシバシです。マザー・キジールでもヴァローナでも、アルファⅡでも、あなたに心ないことを言う人にはお仕置きです」
優しく小麦の肌に触れてくる手を受け入れながら、「いや、ビンタて……」と驚いてしまう。
「だって当然のことじゃない? わたしはファデルがどれだけの努力を重ねてきたのか、息の掛かる距離でずっと見てきたわ。ファデルは変わりました。本当に変わったわ。ずっとずっと、より輝かしい方向へと変わり続けてる。わたしは聖歌隊の一員として、このクヌーズオーエで何百ものスチーム・ヘッドと心を重ねて、内奥に触れてきました。それでもファデルが一番輝きを増してるって確信してる。だから断言するわ、ファデルは最高の蒸気甲冑兵士よ。わたしが大好きな、わたしが心から大切な、わたしたちの騎士様。だいたいね、わたしの言葉は神の息吹なの。それをあしざまに否定する人は、盲目の葦、主の教えに背く者です。だからビンタです、ビンタ。制裁です」
「……そこまで言われると照れちゃうよ」ファデルは熱弁に小麦色の肌を赤らめていた。「違う、照れちまうな。照れちまうよ……」
「無理をして荒くれ者の真似をしても、あなたの光輝に満ちた精神をくすませるだけです。むしろ、心をそこから退かせた方がいい。そもそも、シィーさんという方のことを、意識しすぎよ。出遭った頃の淀んだ目をしたミフレシェットはもういないのです。わたしの愛しいファデルがいけないというのなら、誰だって不合格の失格者なんですから……だから、もっとわたしを見て? 記憶の中にしかいない人なんかじゃなくて、いま目の前にいて、触れられるわたしを見て……」
恥じらいも衒いもなく言い切った栗毛の少女は、息をついて、ファデルと深く口づけを交した。
「……少しは落ち着いた?」
「うん。おかげで、きっと大丈夫だって自信が湧いてきた。ロジーは俺の星空だよ。空にある航海図だ。いつも行き先を教えてくれる……」
そして、手が届かない。
永久に、見上げる星として輝き続ける。
自分が如き卑しき兵士では、天使のようなこのロジーと、本質的に魂の交歓を迎える未来はやってこない。
せめて、あの人と並べる未来にこれただろうか。
あの人の仲間に認められる力がついただろうか。
しかし、しかし。どの言葉も、本質には迫っていない。
本音を曝け出すなら、調停防疫局のエージェントたちの言葉を通して、エージェントたちよりもロジーに失望されてしまう未来。
それこそが、より差し迫った恐怖だった。
シィーの仲間たちに見限られるのはまだ耐えられる。でもロジーが自分から興味を失ってしまったら、精神は一挙に瓦解する。
城壁が堅硬なのは守るべき美姫や宝玉を内に宿し、守り抜くという誇りに支えられているからだ。それが抜け落ちてしまえば、自分はどうなってしまうのだろう
そこまでの恐れは、とても口に出来ない。
そんな臆病な姿を、赤い白百合の少女には見せたくなかった。
「それじゃあこの話はここまで。いいわよね。良い。はい、異論は受け付けないから。それでね、えっと……」
少女性の権化とでも言うべきその少女は、途端に落ち着きを失った。ワイシャツの裾を無意味にぐいぐいと引っ張って身だしなみを整えたようとした。どうやっても太股を大胆に晒した姿が変わることは無い。
怪訝そうな顔をしているファデルの前で、宝石から切り出したような光を湛える美しい髪を指で梳かし、壁掛けの時計を気にしながら、焦って言葉を紡ごうとした。
不意に、ファデルの両手を握り、緊張した様子で持ち上げた。
降ろした。また持ち上げた。
ふにふにと揉みながら、耳までを赤くして視線を彷徨わせた。
目が合った、と思った瞬間に目を逸らし、何か重大な決断をしたような大儀な動きで、ゆっくりのまた視線を合わせてくる。
ごく稀にしか見せないロジーの狼狽した行動に、ファデルの鼓動までもが乱れ始めた。これまでにベッドの上で向き合い、抱き合い、いくらでも空々しい愛の言葉を囁きあった仲だ。
こうした極端な感情の発露の有無が、大主教リリウムとロジー・リリーの最大の差異ではあり、可愛げという名の魅力でもある。
いざ目の当たりにするとこちらまでドキドキしてしまうのが問題だが。
「それでね、あの、わたしがさっ、昨晩から、えっと、あなたの不浄を晴らしてる間も、気持ちを確かめ合ってる間にもずっとずっと言いたくて、言いた、かったことなんだけど、でもファデルはすぐに記憶領域の最適化に入っちゃうし、それでね、それで雰囲気が、その……」
「あ、ああ」
「あのね、あの、他のレーゲントやリリウム様やヘカティから賛同はもらっていて、あとはファデルさえ首を縦に振ってもらえれば全部手配が終わるんだけど……や、あの、手配が終わるって言っても、そんな事務的な、味気ないものじゃなくて、その、それは便宜的なものでね、あの、あのあの、あのね、何も決まってなくて、ファデル次第なの。ファデルがわたしのことどう考えてるか、知ってるのよ、でもね、そうじゃなくて、そうじゃないってことを証明する機会が、あの、ううん、ファデルはもしかしたら嫌がるかも知れない、でも、でもね、でも、もしもそうじゃないなら、ファデルがね、ただ、うんって頷いてくれるなら、なんだけど……」
まくしたてるような饒舌と、つっかえつっかえの間を往復する、ロジーの全く意味のわからない言葉の羅列に、それを聞かされる淡い褐色肌の少女までわたわたとしてしまいそうだ。愛らしい頬を真っ赤にしながらベッドの上で無意味に右往左往するロジーなど見るのは初めてだ。
「……お、落ち着け落ち着け。どうしたってんだ? そんな大事な話なのか」
「わたしにとっては、とっても大事なことなの!」食いつくようにぎゅっとファデルの手を握り、打って変わってしょげてしまって、手を緩める。「でもファデルには、どうでもいいのかもって、怖くて……」
「どうでもいいわけない。ロジーの頼みを断るもんかよ、何でも聞いてやるよ」
ファデルが逆に手を強く握ると、ロジーはいっそ泣き出してしまいそうだった。
「頼みじゃないの。頼みじゃないの、ファデル。……ファデル」苦しそうに熱い息を吐く。何か一世一代の大勝負に出るような落ち着きのなさだ。「これはね、リリウム様の発案なんだけど、継承連帯と聖歌隊の団結を、あっ違う、そんなじゃなくて、それは建前でっ。でも、リリウム様が新しい機密を独学で習得なさって、だ、第一号として、もしもファデルが良ければ、……ファデ、ファデルと、わたし、で……」
涙を浮かべ始めた少女が、感極まった様子で、最後の言葉を口にしようとしたとき。
コンコン、と部屋のドアがノックされた。
返事をする前に、じっとりとした目をした黒髪の少女がいきなり部屋を覗き込んできた。
ゴシック調の行進聖詠だが、実態としてはレオタードに近い。準不朽素材のフリルや薄布の飾りで裾を仕立ててドレスに偽装しているだけだ。鎖や飾緒などを中心にした飾りの数々。
胸元には不朽結晶連続体のプレートがぴったりと張り付いており、豊かな胸の形をこれ見よがしに浮き上がらせている。鼠径部の肌まで露出した扇情的な意匠は、時として春を鬻いで喜捨を促すスヴィトスラーフ聖歌隊のレーゲントとして、負の方面で極めて『それらしい』ものだ。
「ロージー。時間が来た。あら、ファデル……まだいたのね。かわいそう」
愛想というものが完全に欠落した、冷めた顔立ちの少女が呼びかける。
左の顔面を白と赤の花が覆い尽くしているのが不吉だった。感情の希薄な掴み所の無い声が響く。
「……まだ早いわ」
「早くなったの。時間は早くなるの。ヘカティ13が予定を切り上げて来るぐらいの事態になったのよ。他にも応援が来るけど、次の『勇士の館』では貴女一人で五人もメンテナンスしないといけない。例の『首切り兎』が出たせいで、十五人も重欠損者が出たから。小隊の生き残りも皆、激情と破壊衝動で狂いそうになっている。担当のレーゲントたちは重労働ね。兵士たちを正気に戻すのは骨が折れるわ。ええ、ええ、ロジーお姉様も調子は良く無さそうね、見れば分かる。でももう待てない」
「……分かったわ、シァカラーテ。はぁー……わたしって、きっと星に愛されてないのね。それとも、これも試練なのでしょうか」
「それで? お姉様、あと十秒なら待つけど」
「雰囲気が大事なんです! 十秒なんて無いのと同じ! 皆も心配だし、すぐに着替えてわたしも向かうわ。首切り兎の被害は? 全損した人はどれくらい?」
「三人だけ。ヘカトンケイルと上級レーゲントを集めれば皆復元できるからそれは安心して。ああ、たぶん現場入りしてすぐ奉神礼になるわ。丁寧に身支度をして」
「うん、分かった。……そういうわけだから。ごめんね、ファデル。大事な話がしたかったんだけど、それはまた今度。明後日の夜はまた非番よね? そのときに、その、続きを……」
「あ、ああ」
シァカラーテは何の熱も無い声でスラスラと言った。「おやおや、かわいそうなファデル・ミフレシェット・キャンピオン。でも、これは嫌がらせや妨害では無いから、安心して。私も愛しい姉には嫌われたくないし。賛成してる。あなたとお姉様がこんや……」
「待って待ってまだ何も言ってないのラーテちゃん待って」
シァカラーテこと、上級レーゲントのラーテに縋り付いたロジーが、そのままぐいぐいと胸を押して、自分より背の高い年上の妹を、ファデルの私室の外へと追いやる。
そして、錆びた音が聞こえてきそうな動きで振り返って戻ってきて、自分の行進聖詠服をソファから取り上げて、焦りを満面に湛えた、引き攣った笑顔を向けてきた。
「ちょっと、行ってくるわね」
「が、頑張ってな」
最後にキスを交わそうとした二人を、顔の左側を人工脳髄の花で埋めた美女がまた覗き込んできた。
「ああそうだ、ヘカティ13の到着が速まったのに合わせて調停防疫局のエージェントたちの合流も早くなるから。軍団長ファデルにも準備をおすすめしておく。生身で会うの? それとも着ぐるみを着て?」
「あ、そりゃそうか。もちろん蒸気甲冑で行く。とっとと暖機しないとだな……」
「ああもう! これ以上わたしたちの時間の邪魔をしないで! 行くわよシェカラーテ!」
黒髪の上級レーゲントは、冷たい声のまま花に覆われた顔の片側に手を当てて、「アデュー」と気の抜けた平坦な挨拶をし、ロジーに押されるがままに出て行った。
「……大変な一日になる気がしてきたなぁ……」
かくして、甘く流れるべき爽やかな朝は、混乱の渦に呑まれて過ぎていった。
それにしてもロジーは何が言いたかったのか。いかにも重要な話なのだろうが、ファデルにはまるで見当がつかない。
『勇士の館』の駐機場では、ファデルのために設けられた専用スペースに円筒状の頭部を保つ巨大な蒸気甲冑が鎮座していた。ファデルは衣服を一切纏っていない。あられもなく裸体を晒したまま向かったが、作業用スチーム・ヘッドたちはそれを日常的な風景として受け入れ、事務処理や機体のチェックを滞りなく終わらせた。
不死の肉体ならば適応さえすれば無視できるリスクだが、こうした合理性を追求したせいで露骨になってしまったアンバランスさも、
タイミングを見て、少女は頭に突き刺された遠隔操作式人工脳髄からハッチ開放の信号を送信した。5mの巨人の胴体が音を立てて開く。あらかじめ設定された動作の通り屈んで手を差し出し、足場を形成した。
少女の儚い体はひょいと飛び乗って素早く装甲を登り、バイタルパートへと肉体をねじ込んだ。
途端、元より少女の肉体を収める程度のスペースしか無い空間で全身があらゆる器具で拘束され、ヘッドセットが強引に頭に被せられる。息を吐く暇も無く四方八方から人工脳髄のプラグが掘削機械の回転音を上げながら頭蓋骨に迫り、貫通して生体脳髄へと到達した。
電流を流し込まれ、児童向けの棺桶のような狭苦しいバイタルパートで少女が短く押し殺した悲鳴を漏らしたときには、その肉体は蒸気甲冑に全てを侵奪されていた。
己の手を動かすよう意識するだけで三倍以上にスケールアップされた人体=蒸気甲冑が蒸気を吹き、金属質の五指にもはやこの世に存在しない己の肉体が蝕まれているかのような錯覚が起こる。数千の臓器を押し込まれたかのような不快感が脳髄を痛ませる。
不朽結晶連続体で構築された破壊の巨人、蒸気駆動とデジタル制御をミックスして、動作の精密性と機械的なパワーの両方を高次元で纏めたハイブリッド型スチーム・パペット『ミフレシェット』。
その『怪物』という名前の元となった異形の円筒状のセンサーユニットからは、大凡想定される限りの環境情報を取得可能だが、ファデルは機能を絞って視覚素子だけを有効にした。
金属質の巨大な五指を開いては閉じる。
一挙動ごとに生じる猛烈な違和感とストレスはいつも通り。快調だ。
これこそがファデルの真の姿であり、彼女の人工脳髄の『本体』を格納した蒸気甲冑だった。ロジーと交流していたファデルの生身も、所詮はこの機体から遠隔操作される子機に過ぎない。
人類文化継承連帯の価値観においては、搭乗者はこれら不滅の戦闘機械を構築するシステムの一部であって、尊重されるべき個人では無い。
何せこの大型蒸気甲冑に乗り込んでいる間、演算装置の一部として接続された肉体は、指の一本どころか瞼すら動かすことが出来ないのだ。
他の陣営のスチーム・ヘッドは、まず人工脳髄を備えた不死病患者を第一として、その能力を拡張していくという形で発展していった。
ある場面で全身甲冑型のパワードスーツが登場し、台頭していくのも不自然な流れではない。
だが、人類文化継承連帯のスチーム・ヘッド開発史は、それらとは些か方向性を異にする。全自動戦争装置は、最初に圧倒的な性能を備えた巨大な蒸気甲冑を作成した。システムの中心を不死病患者ではなく蒸気甲冑と蒸気機関に置いたのだ。
この思想の異質な部分は、最初から不死病患者を電子的に破壊される恐れの無い演算装置として扱っているという点だ。そこに装填される人格は使い捨ての制御システムに過ぎない。
戦闘能力は確かに他の追随を許さない次元に達したが、不死病患者の生体脳も、人工脳髄に演算された意識も、スケールアップした身体と、機械に置き換えられて異常な数を追加された臓器のコントロールに長時間堪えられるほど頑強では無い。
限界を超えて稼動し続ければ、遠からず生体脳が発狂し、そのフィードバックで人格記録も不可逆的に損耗する。不滅である筈の精神が破壊されてしまう。
もっとも、破壊されたならば、交換すれば良いのだ。この不滅の時代にあって『魂の尊厳を省みない』。それが人類文化継承連帯の打ち出した方針だ。『いつわりのものであろうとも魂の尊厳までは穢させない』というスヴィトスラーフ聖歌隊とは真逆である。
『さぁて、シィーの旦那……俺ぁここまで、どうにかやってきましたぜ』
蒸気甲冑で合成した音声は、シィーに範を取った男性のものだ。
気弱そうな気配など微塵も無い。蒸気甲冑という丸きりの異物を己の肉体として認識させられるストレスを過剰な脳内麻薬の投入で抑えつけながら、ファデルは平静を心がけた。
接続して活動し続ければ半年で廃人になると言われる機体で、どうにか戦い抜いてきた。そして自分にはもう失う肉体自体が存在しないのだと、理屈ではなく実感で完全に理解している。
ミフレシェットになる以前の自分はもうどこにもいない。
こと戦闘においては、ファデルに怖いものなど何もない。
ただ、愛しいロジーさえ守り通せるならば。
ハンガーから幾つかの武器を取って、各部にマウントした。
ああ、調停防疫局のエージェントたちに実力を示すにはどうすればいいだろう。活性化した蒸気甲冑の支援演算装置が暴力的なプランを無数に提示してくるが、ファデルは高揚しつつも冷静に非現実的な案を棄却していく。
シィーの真似をして作った大剣を握りながら嗤う。
『調停防疫局のエージェント。今の俺にとって、果たして、どの程度のもんなのか……』
脳裏に浮かぶのは、愛する少女の青い色の瞳。
その信頼に満ちた透き通った輝きだ。
『変だな。あんなに怖かったのに、連中に会うのが楽しみで仕方ねぇや』
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