第七世界のヘカトンケイル②

 リーンズィは鏡を見て、思わず目を見開いた。

 映し出された裸体は完璧に修復されている。ヴァローナの肉体にあるべき、少女の愛らしい柔和さと少年のような潔癖な凜々しさが同居するアンビバレントな美貌に曇りは無かった。


「おつかれさま。やー大手術だったね! スチーム・ヘッドとして治療メンテを受けるのは初めて? これ評判悪くてねぇ、やるのは楽しいけど、僕もさ、これをやらなきゃいけない状況は困るんだよねぇ。悪性変異が進行してカースドリザレクターになる一歩手前のところまでいったら、内臓を片っ端から取り替えるしか無いんだ。相当無茶したんでしょ。これからは加減をしなくちゃダメだよー、人工脳髄をダウンさせて完全に意識ない状態でやるのが一番楽なんだけど、そんなことしたら生命管制もダメになっちゃうから、意識ある状態でアレコレしないといけなくなるの。恥ずかしいし苦しいしで、良いことないよね。医療用人工脳髄義脳の脳内麻薬放出で変なクセがつくのも良くないからねー。案外と夢中になっちゃう子も多くてさぁ困っちゃうよね」


 よいしょー、という気の抜けた掛け声が聴こえて、五指を備えた特に巨大なアームが鏡を脇に退けた。

 鏡のあった場所の、真後ろ。

 そこに、一人の幼い少女が、座っていた。

 左右対称に近い目鼻立、真意の読み取れないアルカイックスマイル。

 黒いショートヘアを傾けながら、明るさ以外には何も感じさせない明朗な声で語りかけてくる。


「搬送前に顔は合わせてたんだけど、覚えてないかな? 覚えてないよねぇ、義脳を刺すまでめちゃくちゃ暴れてたもん。仕方ないよ」


 座っていた、というのも厳密ではなかった。

 彼女は自分の脚では立てない。おそらくその機能が無い。というのも、不朽結晶連続体で構成された大型の車椅子にちょこんと行儀よく腰掛けているためだ。これこそが、まさしく彼女の脚なのだろう。


「目ははっきり見えるかなー?」と丈の合っていない白衣の袖をひらひらとさせて振った。

 驚くべきことに、まさしく白衣であるという点以外何の意味も持っていないらしいその服は、不朽結晶連続体で構成されていた。

 手指は袖で隠れていたが、金属質の糸のような線が袖先から伸びており、それと連結されているらしい無数のアームが少女と連動して手を振った。


「首についてる人工脳髄のランプも正常状態。もう何の心配もないよー」


 拘束は次々に解放されていき、リーンズィがライトブラウンの髪を触って放心している間に、アームがどこからか、大鴉を思わせる例のインバネスコートと手甲を運んできてくれた。

 ミラーズが以前に語っていた加熱式のクリーニングを受けたらしく、汚れ一つ付着していない。


「今回は危ないところだったね。あの子と違って『癒やしの聖句』も使えないのに無茶をしすぎだよー。ここに今日僕がいて本当に良かったね。良かった良かった! 次は無いようにね!」


 だぼだぼの白衣の下には、聖歌隊のレーゲントが着るような複雑な意匠のゴシック調のドレスを着ているようだったが、不朽結晶製ではなかった。短い裾とソックスの間に見える生身の肌がやけに眩しい。


「あ、この服良いでしょ。服屋さん出身の継承連帯製蒸気甲冑スチームパペットがいてね、色々取引して、準不朽素材で作ってもらったの。服屋さん、もう発狂しちゃったから、もしもこれ壊れちゃったら直せないんだけどね!」


 そう言いながら艶のある黒髪を掻き上げる。後頭部と車椅子を繋ぐ大量のケーブルが露出した。どうやらその大型車椅子は、蒸気甲冑と一体型の人工脳髄であるらしい。

 少女の肉体自体はこの無数のアームを備えた蒸気甲冑の、単なるインターフェイスか、追加の機材であるようだった。肉体と甲冑の主従が逆転しているため、分類上はスチーム・パペットに近いのかもしれない。


「ん? どうしたの? 僕に一目惚れしちゃったかな?」と無機的なフレンドリーさで身を乗り出してくる、見目麗しい細面の少女。


 その顔かたちと声には、明らかに都市焼却機フリアエと似た部分がある。

 姉妹、あるいは年齢の近すぎる親子と表現しても過言では無いだろう。

 ただし、年齢は遙かに幼い。

 ミラーズと同程度かさらに下だった。

 少なくとも二次性徴を終えているようには見えない。


「君は……君は、誰だ? ……私に何をしてくれた? 助けてくれたのなら、感謝は、するが……」


 思考は未だ混乱しているが、肉体は快調だった。

 インバネスコートを肩にかけ、寝台から立ち上がり、何度か軽く跳ねて床を軋ませる。

 裸身を鏡に映して確かめるが、異常箇所はやはりどこにも無い。

 首輪型人工脳髄も正常で、加熱もしていない。

 エラーメッセージのログを辿ると、自分が極めて危険な状態に置かれていたことが知れた。

 最後に記録された悪性変異進行率は90%。

 アルファⅡモナルキア本体なら問題の無いレベルだが、端末であるヴァローナ、そしてリーンズィでは事情が異なる。

 全身が連鎖的に変異するまで幾許もなかったはずだ。


「僕が何をしたって? それはもう手術だよ、手術。公私はしっかり分けるから、エッチなこととかしてないよ。スチームヘッドの肉体部分なんて、擬似人格を演算するための道具みたいなものだから、生体部品を取り替えただけっていう言い方もできるね!」


「……見解に相違がある。意識がある状態での施術は、人道に反する。たとえ不死でも、機械の脳髄でも、守られるべき尊厳はある……」


「そんな大したものあるわけないよ。だって不死病患者なんてただのゾンビじゃん。いや、宗派によるのかな? 気を悪くしたらごめんね! だけど生体部品の交換修理ってことで割り切った方が良いよー? ほらほら、服を着ようね。ここも患者を裸で歩かせるほど風紀は乱れてないよ」


 リーンズィがインバネスコートを着て、小型蒸気機関を腰に取り付けるのを見届ると、少女は白衣の袖をくるりと回した。


「じゃあ畳むねー。そのまま動かないでね、アームに挟まるからね」


 警告の意味を理解する前に無数のアームが排気を始めた。

 互いに噛み合い、絡み合い、複雑に折り畳まれ、車椅子の背面に存在する支柱へと集合していく。

 やがて、それらは上半身だけの巨人のような形状に押し固められた。多腕無頭の怪物は少女の腰掛ける車椅子の背もたれの上方に固定され、守護天使を象った石像のように鎮座している。


「あと、他にも何か聞かれていたっけ、なんだっけ? 応える応える応えるよー」


 五指を備えた大型アームが蒸気を吹く。

 その巨腕で車椅子のオフロード仕様の車輪をギィギィと回しながら、フリアエに似た少女は、微笑みながら接近してくる。

 か弱い少女と相対しているはずなのだが、背負った巨大な蒸気甲冑のせいで異様な圧迫感がある。きっと、ゆらゆらと揺れる白衣の袖の中で、彼女が人差し指の一本でも動かそうものなら、無数のアームが敵対者に殺到するのだろう。


「そうだそうだ、僕が誰かだっけ? フリアエの仲間っていうのは本当だよ。僕は都市焼却機フリアエ直属のワンオフモデルのスチーム・ヘッド、多機能型技術支援用蒸気甲冑ヘカトンケイル。ご覧の通り作業用でね、知らないとちょっと怖いかもね、ごめんね。素性と言えば飛び級で大学を出てたりしてます。スチーム・ヘッドになったのは13歳の頃だけど、活動時間だけで言えばかなり古株かな。あ、もちろん見た目通りの年齢じゃ無いからね。仲間内ではヘカティ13で通ってるし、そう呼んで。僕、13機目のヘカトンケイルだからねー、ワンオフなのに変だよね?」


「その……まずは礼を言う、ヘカティ13。私は、悪性変異体になりかけていたのか?」


「危なかったよー? ギリギリで担ぎ込まれたんだ。丁度良く君のお連れさんに生体部品を提供できる人材がいたから助かったけど。<時の欠片に触れた者>とやりあったんだって? それで人間の形を留めてるなんて奇蹟だよ。頭の中身は変になっちゃったかもだけどね。あとで話を聞かせてね」


「あ、ああ……そう、ミラーズ」隣の寝台に目をやって、そこに寝台など無いということに気付いた。「ミラーズは?」


『謝罪します。先ほどの映像は貴官の神経を安定化させるための欺瞞映像です』事務的なアナウンスが脳裏に響く。『ミラーズは現在、当施設の外部で、奉仕活動中です』


「ユイシス、今まで何故支援を放棄していた!?」


『修正を求めます。しなかったのではなく、不可能だったのです。貴官の人格モデルの変容が、他の機体にも及ぶ可能性がありました。隔離モードにせざるを得なかったことは、大変遺憾ですが。……貴官の暴走は当機の責任でもあります、管理不行き届きで減俸ですね』


「ミラーズはどこに……」


「ああ、ミラーズってあの金髪の可愛い子だよね? みんなに支払いをしてるところじゃないかな」


「支払い……」


「言ってなかったね。ここは人類文化継承連帯の勢力圏内だよ。商取引の概念がまだ生きてるわけ。だから、無償では君たちを助けてあげられない。そこで取引さ。レーゲントが支払えるものっていったら、それは、あれだよね。分かるでしょ」


 組み伏せられたミラーズの姿がありありと想像された。あるいはそれはシィーやヴァローナがどこかの時間で見た真実の光景なのかもしれないが、リーンズィは吐き気を覚えた。


「どこにいる? 助けに行かないと!」


『精神外科的心身適応に異常。リーンズィ、呼吸を整えてください』


「普通に教会の外にいると思うよ。うるさいし、特別な催事でもなければ野外でやってほしいものだからね。ところで助けるって何から助けるの?」


 リーンズィは部屋を飛び出した。

 廃教会の礼拝堂。並べられた木椅子には不死病患者たちが魂の抜けた顔で並んでいる。

 さらに足を速め、大扉を開け放った。


 ――暗澹たる空の下、風に翼の如き金髪を預けながら、少女は聖なる歌を高らかに歌っていた。

 魂は無いのだろう。

 祈りなど無いのだろう。

 だがその声は、小高い丘の上に立つ教会、その斜面に立ち並ぶ巨躯の継承連帯製蒸気甲冑スチーム・パペットの胸を、確かに震わせているようだった。


 怪物じみた威容を誇る戦闘兵器たちが頭を垂れて、一様に少女の歌に聞き入っている様は、新しい救世主の来訪を言祝ぎにきた戦士たちにも見えた。


『……思考能力に影響が出ているようですね。奉仕活動とは、慰問のために原初の聖句による歌唱を捧げることです。貴官の連想能力は異常を来しています』


 いてもたってもいられず、「ミラーズ!」と声を上げながら、リーンズィは自分よりも頭一つ分以上も小さな少女を抱きしめに向かった。

 恍惚として歌っていた少女ははっとして、声のする方を振り返り、愛し子の抱擁を受け入れた。


「リーンズィ! 良かった、回復したのですね!」


 金色の髪の少女は喜悦の声を上げ、目をぎゅっと閉じたリーンズィに口づけをした。

 蒸気甲冑の兵士たちはどよめいた。


「歌が止まったぞ」「あれ誰だ?」「ああ? ……もしかして行方不明だったヴァローナじゃね?」「そうらしいが別人なんだと」「キジール庇ってエグい壊れ方をねぇ」「キジールって誰だ?」「ほらリリウムの」「レーゲント同士が仲良いとほっとするな」「さっきの悲鳴あの子のかぁ。ヘカティのメンテきついもんなぁ」と口々に所見を述べ合った。


「リーンズィ、ああ、私のリーンズィ。傷は癒えたのですね?」


「ミラーズこそ、大丈夫だろうか、こいつらに酷いことをされたりは……」


 永遠に不滅であることを約束された巨人の一機が不機嫌そうに唸った。


「おい! こんな野戦病院でそんなことするわけないだろう、落ち込むぜその発言。俺らのイメージ良くないのは知ってるけどよ」


 リーンズィがびくりとすると、また別の蒸気騎士の一人が、仕方なさそうな様子でリーンズィを庇った。


「いやいや、この子を責める場面じゃないぞ。どうせヘカティ13がまた余計なこと言ったんだ。そこのレーゲント! 何だっけ、レンズちゃん?」


「あいさつは大事……」少女は頭を下げた。「私はリーンズィです、はじめまして」


「お、おお。はじめまして。礼儀正しいな……。リーンズィちゃんよ、考えてもみてくれよ。俺たち、この甲冑の中に閉じ込められてるんだぜ? ナニも出せねぇよ。何か出来るようには見えないだろ。まぁクールタイムは鎧脱ぐが、昨日今日来た新参を囲んで嬲るほど飢えてないよ」


「す、すまない、無礼を働いた、ごめんなさい……」リーンズィはまた頭を下げた。「彼女が、ミラーズが心配で、心配で、たまらなかったんだ」


 リーンズィの顔は見る間に涙で濡れ果てた。戦士たちは頷いて、状態の悪い巨大な手甲で、気にするなとジェスチャーを送ってきた。


「大変だったんだろう。それに、好きな人のことは心配だよな」と誰かがぽつりと零した。「オレも相手が生きてた頃はそうだったよ」


「……ミラーズ。私は、私はどこか、おかしいんだ」ライトブラウンの少女はミラーズに抱きつき縋る。「何だか変な方向に思考が固まってしまって……奉仕活動をさせられていると聞いて……その、そういうことかと」


「そういうことですか。全く、あなたは本当に乙女なのですね。それもむっつりさんな感じの。言いそびれていましたが、私は『治癒』の力を持つ原初の聖句を操れるのです。歌うだけで人々を癒やせる本物の奇跡の力です。その力を歌に乗せて皆様に提供し、それを疲弊した皆様に届けることで、対価としていたのですよ」


「でも、君の体は? 君も手術を受けたと……」


「悪いところはどこにもありませんよ? 内臓はいくつか摘出されましたが、その間ずっと歌っていました。聖句の力とヘカティ13様の処置で、すっかり元通りです」

 慈母のように微笑みながら、ミラーズはリーンズィの服の上から腹を撫でた。

「今、私の一部は、あなたの中で息づいてますよ」


 移植された臓器は、全てミラーズのものだったのだ。

 リーンズィは後悔と愛慕に胸を締め付けられ、息を詰まらせ、いっそう強く、小さく、そして偉大な少女を抱きしめた。


「良かった。本当にすまなかった。また、君を守れなかった。<時の欠片に触れた者>から守ろうとして、また失敗した。私は、私は……」


「大丈夫ですよ、リーンズィ。大丈夫、最も新しい我が娘。あなたは元々戦う人ではないのですから。本当に、心から、私を愛してくれているのですね」


 戦士たちが眺める前で、恥じらいもなく、金髪の少女とライトブラウンの髪の騎士は、抱擁に抱擁を重ね、互いの愛を確かめ合う。


「それを嬉しく思います。あたしを守ろうとしたその気持ちは、きっと神もお認めになる真なる行い。そして何より、私が嬉しかったので、大丈夫です」


「あい、している。愛しているんだ、ミラーズ。私はきっと君を愛している」


「あたしもよ、リーンズィ。愛していますよ……」


 蒸気機関の兵士たちは、囃し立てる言葉も無くそれを眺めていた。

 その時間の神聖さを、戦士たちは承知していた。


 切れ目の覗いた空から僅かばかり光が降りて、風に流された帯のように地表を照らしていく。

 神の息吹が、廃協会の軒先で愛を囁きあう二人の聖詠服をはためかせた。

 神話の時代から名を借りた半人半機械の兵士たちは、思い思いに、草木の生い茂る道に腰掛けたまま、二人の少女が互いの愛のために呼吸する姿を、失われた時代の明暗調の絵画でも見るかのように、ただ沈黙して眺めていた。


 芸術は死に絶えた。美しいものはことごとく忘れ去られつつある。

 では、彼女らはいつまで保つか。

 そうして気を取り直して、再び歌い始めた異邦のレーゲントの前で、何人かの戦士は目を閉じた。

 祈った。

 ただ、その麗しさと平穏が永久でありますようにと。

 どうか、この狂気の鏡像連鎖都市『クヌーズオーエ』の狂気に呑まれないようにと、信じてはいない神に祈っていた。

 ――これ以上、幸せを踏みにじらないでくれと、神を罵った。



 スヴィトスラーフ聖歌隊と人類文化継承連帯の合同部隊、『クヌーズオーエ解放軍』による目標設定と攻略の開始から、既に数百年が経過していた。

 不滅のはずの兵士は闘争の中で壊れ、死に、永遠に歌い続けるはずの少女たちも幾らかは動かなくなった。

 壊滅はしていない。その結末には、まだ遠い。

 だが、倦怠と疲弊は着実に積み重なる。


 狂えるこの疫病の都市の果てを、未だ誰も知らないままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る