第七世界のヘカトンケイル①

 目覚めたとき、リーンズィは焼け落ちた天井を見上げていた。

 冬の空が、少女の翡翠色の双眸を覗き込んでいる。鬱血したような暗い雲が今にも目の奥に流れ込んできそうだった。

 起き上がろうとして、自分の手が錆びたパイプに固定されているのを見つけた。


「え……? あ……?」


 頭をくらくらとさせながら、何度も手を動かして、拘束から逃れようとする。

 そうしているうちに全身が動かないことに気付いた。自分の肉体が、パイプの露出した粗末な寝台に、何か拘束具のようなもので押さえつけられているのを発見した。

 周囲を見渡すと、何か関節を備えた鉄の棒のような機材が無数に生えている。

 視界に浮かんだ『解析:不朽結晶連続体』の文字と、外気に晒された自分の裸の肌を認めて、息を呑んだ。


 無理に力を入れようとして、頭のどこかから血が噴き出して飛び散り、乳房を濡らした。自分自身の血に異様な熱感を感じたとき、ようやく初めて自分が装備の一切を剥ぎ取られている事実を飲み込んだ。寒空の下でリーンズィは一糸纏わぬ姿だった。血は湯気を上げて花の蜜の香りを蒸発し、部屋のそこかしこに散っていった。冷え切った体からさらに熱が失われたのを感じた。


 奇怪な機械が群生していることを除けば、荒廃した寝台に似つかわしい、荒廃した部屋だった。

 壁紙が剥がれているばかりか、腐食した建材が部屋の内側に向かって倒れている。床のいたるところに木桶が放置されているのが奇妙だった。何か透明な液体が入っているらしく風に吹かれて水が波打つのがわずかに見える。


「ミラーズ……? ユイシス……?」


 ミラーズやアルファⅡとのリンクを確立させることが出来なかった。視界中に詳細なエラー表示が出ているが、擬似人格演算が混濁しているせいで、意味の理解が進まない。

 雪の森林を想起させる冷たい空気が無遠慮に素肌を撫でて、体から刻一刻と熱を奪っていく。

 ……どうしてこんなことになっているのだろう?

 <時の欠片に触れた者>に相対してオーバードライブを起動したところでレコードが途切れていた。


 喉にも圧迫感があった。苦鳴を漏らしながら顔をどうにか持ち上げる。

 足元に、異様に大きな鏡が置かれているのを見つけた。複数の固定具で垂直に立てられた鏡面に映されているのは、潔癖そうな美貌を青白くした、しなやかな少女の裸体だった。ただ首輪だけが残されていて、赤いランプが点灯している。その動作状態の怪しい人工脳髄と首元の隙間には、細い鎖状の器具が通されている。

 まるでこれから拷問にかけられる囚人のようだった。


 混濁した意識で情報を求め、ヴァローナの人工脳髄にアクセスすると、状況からの連想で、屈辱的な状況を想起させる記憶の断片が浮かんできて、しかし結局は像を結ぶ前に霧散してしまい、危機の気配だけが残留した。

 鏡を見ているうち、頭に見知らぬ小さな筒状の機械が突き立てられているのに気付いた。

 危機感は爆発的に増大した。

 見知らぬ人工脳髄を新たに埋め込まれていた。パニックを起こして拘束から脱出しようとするが、そもそも殆ど力が入らないことに気づく。

【医療用人工脳髄作動中】の文字が視界の片隅に明滅する。

 そうしているうちに、吐血した。

 胸元へ黒ずんだ血が飛び散って流れていきところどころが不自然にへこんだ白い腹を汚した。


 首輪型人工脳髄に処理できる限界まで神経が昂ぶっている。

 熱い息を白く吐きながら、明滅する視界に、逃げ道を、敵を、あるいは味方を探す。

 ベッドの四方八方に林立する棒状の機材は、どうやら幾つかの関節を持つアームらしい。それらの先端に回転鋸やナイフ、鉗子、鉤爪、ユイシスの支援無しでは名前が分からない何かなど、様々な器具が取り付けられているのを、はっきりと視認した。

 体が緊張にさらに強張る。そうして拘束具の正体を知った。手足を押さえ付けているのは、まさしくそれらのアーム群の一部なのだ。

 リーンズィは個別の道具ではなく何かの一塊の設備によって寝台に磔にされていた。


 無声で首輪型人工脳髄にコマンドを入力して、強制的に筋出力を上げて拘束から脱しようとした。するとその出力上昇に応じてアームから蒸気が吹き出して、拘束を一層強固なものに変えた。

 

 また鏡を見た。解体される寸前の被験体のような惨めな姿。

 リーンズィは泣き出しそうになった。

 不安に由来する感情ではない。

 ここにミラーズがいないことに思い至ったからだ。


 私たちは未知の敵に捕縛されたのだろう、とノイズだらけの脳髄でリーンズィは悲観した。

 自分だけが囚われて、ミラーズが同じ状況になっていないはずが無い。同じような辱めを受けて、それでも毅然として耐えているに違いない。そしてミラーズがそのような責苦を味わっているのは、自分の力が足りなかったせいなのだ――そのような迷妄が少女の脳髄を支配している。

 私さえ頑張っていれば、そんなことにはならなかった。私はまた、何も出来なかったのだ。


 リーンズィの感情が、とうとう決壊した。

 外見相応の少女のように上ずった声を漏らした。


「……あれっ、どうしたの、泣いてるの? 完全に起ちゃったみたいだねぇ、神経締めが甘かったかなぁ? 寝ている内に始めたかったんだけどねー」


 状況に場違いな、朗らかな声が、突如として鏡の向こうから聞こえた。

 鈴を鳴らすような少女の声だった。


「だ、誰だ。私に何を……」


「ほとんど何もしてないよー、これからするの。大丈夫、僕は名医だからね! 今まで患者を死なせたことは一度もないよ。だってみんな、死なないから!」

 姿の見えない少女はさも愉快そうだった。

「とは言ってもさ、免許も何にも無くて、しかもボランティアなんだ。分かるよ、ちょっと怖いよね。でも、本当に、こういうのは得意なんだ、安心して良いよ。なんと言っても、あのフリアエよりも、こうした修理仕事は得意なのさ!」


「フリアエの仲間なのか? いや、敵だろう! 君は継承連帯の敵対勢力に違いない、ミラーズ! ミラーズをどこにやった?! ミラーズを……」


「落ち着いて落ち着いて。ミラーズってあのふわふわした金髪の可愛い子だよね。知ってるよ。でも今は君の治療が大事だから。あーもうダメだよ動いちゃあ、そんなに暴れたら、変なところを切っちゃうよ? どうせすぐ塞がるけど、切られて嫌なところぐらいあるでしょ。無いのかな?」


 アームの一本が蒸気を吐いて動き出し、地面から鎌首をもたげた。その先端をリーンズィの頭にあてがう。リーンズィは、為す術も無く寝台に押さえつけられた。

 そして不明な人工脳髄へと何やら操作が加えられ、少女の肉体はいよいよ人形のように脱力し、今度こそ身じろぎ一つ出来なくなった。


「みらー……ず……」

 リーンズィは自由になる僅かな息で、喘ぐようにして名を呼ぶ。

「どこ……に……」


「うーん、事前にサンプルでもらった性格傾向と、演算されてる人格が、大分ズレちゃってるなぁ。これワタだけ直して治るのかな? ま、でもそこまで頼まれてないもんね。ちゃちゃっと済ませよっか! 始めるよー始めるよー。ちょっと辛いかもだけど、覚悟しても無駄なので楽にしてね?」


 乱立する無数のアームが、一斉に蒸気を噴いて稼動を開始した。

 小刻みなエンジン音が破滅の狂想曲のように部屋中を打ち震わせる。どこかで蒸気機関スチーム・オルガンが運転されているらしく、狭い室内から穴の空いた空へと黒煙が噴き上がった。

 リーンズィは翡翠色の目を弱々しく開いた。

 アームの先端で輝いているのは、外科手術用のメスだろうか。その切っ先が、穢れたところの一つも無い滑らかな腹の皮膚を、カーテンでも裂くかのような軽さでスウと通り抜けていったのを見た。

 意識に熱感が迸る。

 やいばの影のように、腹に血の筋が浮かんでいく


「う、あ……あ!」と声を漏らすのも無視して事態は進行する。


 意識が逃走の信号を強烈に発したが逃げる方法などどこにもない。鉤爪が傷口を強引に開き始めた段になって、鏡の向こうの誰かが明るい声で囃し立てる。


「血圧の上がり方がすごいねー! 手と足とか飛ぶのは平気なのに、手術となるとみんなこうだよね! 視界とか感覚とかにマスクをかけるよー」


 途端に感覚が曖昧になる。

 冷たさも熱さも感じない。五感も遮断された。

 絶望のやり場を喪って、何とも言えぬ呼気を吐き出したのは一瞬のこと。

 擬似人格演算の精密性が低下し、無機質な切っ先が肉体を切り開いていく感覚がおぼろげに伝わってくる。リーンズィはしばし糸の切れた操り人形のように世界を受容した。

 作業は淡々と進められた。皮膚感覚は遮断されているが、何かをされている感覚は常にあり、視覚も喪失したわけではない。仄かに現れるイメージが脳髄に曖昧な像を結ぶ。無数のアームが黒く変色した肉片を荒っぽく引き千切って掻き出し、血を吸い上げる。そして何か得体の知れない肉片を部屋の隅にある木桶から引き出してきて、水も切らないままリーンズィの体内に取り付ける。

 まさしく修理作業だ。私は工業製品ではない、とリーンズィは弱々しく思考を紡ぐ。だというのにこんな得体の知れない機械に体を良いようにされて、腹の中をまさぐられている。

「……あなたの、ヴァローナの肉体は、黙して隠されるべきものなのです!」ミラーズの声のレコードが無意識のうちに再生される。

 ミラーズが触れてくれた時の、全身の緊張を溶かすような暖かさとは真逆の、強引に尊厳を簒奪される引き攣るような怖気がある……。


「や、やめ……て……」


「どうしたのー? 大丈夫? 怖いかな、怖いよね。こんなことされるのがもうショックだよね、怖がらせるつもりなかったんだけどさ、もっと気丈だと勘違いしてたかも! 今、手術用の布で隠してあげるからね。視覚をマスクするよりも物理的に完璧に見えないほうが安心だね? 怖くないよ怖くないよー」


 部屋の片隅から埃まみれのリネンのカーテンが取り上げられて、リーンズィの体に被せられた。

 その下で無数の金属の腕が尚も蠢く。蒸気を布の隙間から吹き出して、誰の視界にも入っていないように見えるのだが、適切に動作しているようだ。

 機械仕掛けの藪医者どもはせっせと休みなく働いて、体内の空洞へ生体部品を詰め込んでいく。そのぎこちない一挙動ごとにアームがぎこちなく体内を掻き乱し、接合させ、周囲の臓器を無造作に掴んで退けて、位置を整える。


「あ、しまったしまった。順番が違うね、これもっと奥かな……いったん切って、掻き出さないと!」


 肉体が揺れた。ぶちん、と手術オペにあるまじき音が響いた。

 何か大切なものが奪われた。そんな喪失感。

 ぞろりと一揃いの何かを摘出されて悲鳴をあげそうになるが、呼気とともに微かな声が出るばかりだ。そもそも現在のリーンズィには横隔膜もない。

 自分の肉体がと理解した時には、リーンズィの潔癖な少年のような端整な顔立ちは、敗北感に押し潰されそうになっていた。

 特にコントロールせずとも不死病患者の肉体は恒常性に従って自動的に再生を開始するものなのだ。上半身と下半身に別れても、継続的な破壊に晒されていない限り、不死病患者は容易くそれらを治癒してしまう。例えば初遭遇時のキジールのように、腸管や血管、神経束がそれぞれに独立して再生を始める。

 だというのに、現在、リーンズィの肉体は、損傷に適切に反応していない。


 サイコ・サージカル・アジャストの許容値を超えたストレスに、ライトブラウンの少女は本格的に涙を零し始めた。

 無力感と恐怖。自分の体が自分のものでなくなっていくような感覚。ミラーズとあの焦熱の荒野を生き抜いた思い出まで取り替えられていく――恐ろしくてたまらない。


「んん……んー……!! や、やめ……!」


「あ、こらこら、騒いじゃダメだよー。大昔の罪人だって、処刑場で堂々としていなきゃバカにされたそうだよ。後で恥ずかしい思いをするのはキミなんだからね? でも初めてこんなことされたら泣いちゃうよねぇ、分かるよ。感覚鈍麻は効いてるよね、でも痛くなくても、こういうのされると辛いよねぇ。僕も生きてた頃はさ、治療の一環で、生きていく上ではいらない内臓を全部摘出されて、その日は泣いちゃったなあ」と鏡の向こうにいる誰かは暢気に話を続けた。「まぁその時の僕はそれをお医者にやってもらわないと死んじゃう体だったし、普通に痛かったんだけどね? 君たちは痛くないし。怖くない、怖くない。それに君たち、体は特定条件下なら丸ごと変えられるでしょ。スチーム・ヘッドなんだから。それを思えば、ね? 怖くない、怖くない。でも初めてだもんね。その気持ちは僕にもわかると思うよー」


 リーンズィは、返事をしなかった。

 親からはぐれた子供のように、掠れた声でユイシスとミラーズを呼ぶリーンズィを無視して、施術は着実に、無機的に進行した。

 ある側面では大がかりで凄惨だったが、客観的にはヌイグルミから詰め物を取り替えていく作業に近かった。傷んだ部品を摘出して、代わりに新鮮な部品を詰め込んでいく。

 リーンズィはこの世の終わりのような顔色をしていたが、実態を理解しているためか、アームの群れの主は鮮血で先端を濡らしながらも異様に能天気だった。


「でもねぇ、ミラーズちゃんはねぇ、泣かなかったよ」


「みらー……ず……?」リーンズィは辛うじて息を繋いだ。


「あまり知らない顔だったけど、スヴィトスラーフ聖歌隊の幹部なのかな? 僕より若そうな見た目だった。なのに、精神的にはずいぶん立派でね、すごかったよ、絶対に痛いとか苦しいとか言わなかったの。感覚マスキングも最低限で耐えてさ。だから、君も頑張らないとね」


「……ミラーズも、私と同じ目に……」


「君と違って取り替えのための手術じゃなかったんだけど。やったのはついさっきだよ。今はもういない。うーん、君の方は、実際に触って診察した感じだと、思ったより色々ダメになっちゃってるね。本番はここからかー。余分にパーツ取りしておいて良かった。……悪性変異体進行率、変化無し! 安全ヨシ! あはは、何も良くないけどね? 良くないよね、辛いよね。でも安心して良いよ、僕が全部元通りにしてあげるから! オールドスクール純粋蒸気駆動方式だからって侮るなかれ、磁気嵐の中でも作業が出来るし、これでも精密作業は得意なんだ。腕のそれぞれが、10240段階を越える調節が可能なのさ。古くさく見えるかもだけど、僕はとっても最新式なわけ」


 がつん、がつんと異音を立てながらギグシャクと関節を可動させるアームが、また一つシーツの下に潜り込んでいく。いくら多機能でもこの動きを見て安心する者はいないだろう。

 ファイバースコープのようなものが先端に付いており、腹腔の内部状況を精査しているようだった。


「はぁー。いいね、この腹膜の下……やっぱりこうでないとね。刺激に反応して蠢くはらわた! ダメじゃない臓器は全部綺麗! うんうん。元気な不死病患者の証だよ、手遅れにならなくて本当に良かった。今日は良い日だなぁ、新入り相手に仕事が出来て僕も嬉しいよ。綺麗で可愛い内臓。君の顔にぴったりだ。あ、生殖細胞とか採取して良い? ヴァローナは特殊な事例だからねー。出来れば培養したりして実験に使いたいんだけど。聞こえてるかなー?」


 無言で微かに首を横に振る。

 これは本来の私の体では無いので同意できない、というところまでは、発話出来ない。息が続かない。


「そう? そうだよねぇ、嫌だよね。分かるよ! 知らない間に自分を量産されるのとか嫌だもんね。リリウムも許さないだろうし。あの子、娘とかいっぱいいるのに、そういうの厳しいんだよね。あ、苦しそうだから脳内麻薬おくすり増やしておくね。こういうメモリ調整するの久々だなぁ。君みたいな高性能スチーム・ヘッドって基本的にここまで容態悪くならないからね、色々させてもらう機会、最近はなくてさ。あー楽しい、人間が一番だよ本当に。人間が一番好き。可愛い女の子はもっと好き。大丈夫だよー、絶対元気になって帰ろうねー。はい、じゃあもうちょっと感覚を曖昧にしていくよー」


 蒸気が渦巻き、人体を切開する機械音が響くその廃屋の片隅で、無闇矢鱈に明るい少女の声が生体脳髄を揺さぶる。アームの一つがガチン、ガチンと機構を噛み合わせながら伸びてきて、ライトブラウンの髪の頭に突き刺さった未知の人工脳髄を操作した。

 途端に、酷く歪な安心感と脱力感と多幸感、ある種が全身を突き抜けた。

 悦楽に意識が消し飛んだのは一瞬のこと。

 結果として、リーンズィの不安定な感情は、むしろ悪い方向へと一気に悪化した。

 

 ミラーズ、ミラーズと声にならない声で叫ぶ。ミラーズに守られてあの荒野を生き抜いた。ミラーズがいたから生き抜くことが出来た。それだから、この謎のアーム群に、ミラーズとの思い出を間接的に穢されている気がした。

 しかしリーンズィは嫌悪感に対して抗うことさえ出来ない。


「あー、これ血液も駄目かなぁ。心臓も交換だね。ごめんね、リーンズィちゃんだっけ、ヴァローナの後釜の子。これからもうちょっと、さらに苦しいかも知れないけど、死にはしないから、安心してね! 死ぬほどびっくりするだけさ。死ねたら良いのにねー、死ねないからね、僕たちって。難しいよね人生。僕もまさかこんなことをする側になるなんて思わなかったよ、医学系だと思うでしょ? 出た学校は工学系なんだよね……」


 リネンのカーテン越しに斧のような器具を取り付けたアームが何の警告も無く振り下ろされて胸骨を砕いた。再生の抑制された傷口を、新たなアームが鉤爪で強引に開く。心臓が摘出された瞬間にリーンズィは盛大に吐血した。口腔に吸引器を備えたアームが差し込まれ、逆流してくる血液を窒息する前に吸い上げて蒸気ごと体外へ放出する。

 あまりの事態にリーンズィは思考を停止しそうになっていたが、辛うじて意識を失わなかった。

 隣の寝台にミラーズを見つけたからだ。

 ミラーズが、裸身を、蒸気に煙る空気に曝け出して、浅く息をしながら、それでもぎゅっと、リーンズィの手指を握ってくれていた。

 同じ施術を受けた後のようだ。苦しそうだが、翡翠色の瞳に宿る意思に変化はない。無条件の愛を前提とした、愛する者の瞳をしている。その茫漠たるイメージに心を支えられて、わけも分からないまま、リーンズィは耐えることを選んだ。


 アームが部屋の隅に伸びる。

 木桶から新しい心臓らしきものが掴み上げられ、リーンズィの胸部の空洞に乱暴に押し込まれた。

 虚脱しているリーンズィという意識を余所に、ヴァローナの肉体はそれを受容する。

 電気パルスで恒常性を活性化させられた周辺組織が、他者の心臓を己のものとして取り込んで、同化していく。


「部品交換は初めてかな? よく見ておいた方が良いよー。スチーム・ヘッドの子たち、特に戦闘用の子って、体を大事にしなさ過ぎなんだよね。大抵の損傷は数秒で治っちゃうから仕方ないんだけど。君が無茶をするたびに全身あちこちでこういうぐちゃぐちゃのボロボロな損傷が起こるわけ。いざ視覚化されるとキツいでしょ。でも君が見えてないところで肉体はいつもこれぐらい苦しい思いをしているわけですよ」


 胸郭からアームが出て行くと同時に、リーンズィの新しい心臓は正常に動き出し、呼吸も再開した。

 あまりにも呆気なく、リーンズィのものでない心臓は、リーンズィのものになった。


「はい、はーい。よく我慢したね。治療はだいたい終わったよ。悪性変異体進行率、コンマ05、ヨシ! これで安心だね。えーっと施術痕の再生時間は……五秒ぐらいで良いかな。あんまりずっと色々さ、大事な臓器が剥き出しだと恥ずかしいよね? 分かるよ、僕も嫌だったよあれは……」


 アームが血まみれのカーテンを剥ぎ取り、リーンズィの裸体のそこかしこに針を突き刺し、電流を流した。同時に頭部の不明な人工脳髄も肉体への干渉を強めた。

 抑制されていたらしい再生能力がリリースされ、きっかり五秒後には、傷と呼べる全てのものは、まるで最初から無かったかのように何もかも消え失せていた。

 頭に突き立てられていた人工脳髄も「義脳も抜くからね、動かないでねー」という軽い言葉と共に摘出された。その傷も即座に無くなった。


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