衛星軌道開発公社の末裔たち②

 それは人間の形を借りた炎だった。こちらに背を向けて、緩慢な速度で遠ざかりつつあるように見えた。かなり遠い位置に存在しているようだが、距離感を侵食して、まるですぐそばにいるかのように誤認させてくる。

 平面の荒野を進むと言うよりは、何か目に見えない階段でも登るかのような素振りだ。背中からは不定形の引き裂かれた翼のようなものが伸びていたが、それこそが炎の全容で、他の何かではない。こちらの認知を狂わせてくる以上には何の干渉もしてこない。

 無意識のうちにシィーから取得したレコードを参照したせいで、生理的な恐怖感に肉体が強張るが、リーンズィの知性は脅威を検出しない。

 シィーが見た破滅、全てを飲み込んで再配置した、あの極彩色の渦が現われる兆候もない。


『警戒は不必要。アレハ励起状態にナイ。仮に全出力を投入されれば世界変容はこの程度で済まナイ』


「よく現われるのか? 他にも沢山いる?」


『肯定。この受信局は、恒常性維持の力場が不安定だカラ、干渉がしやすいのダト思う。恒星炉心からのエネルギー送信も盗める。我々としては迷惑ダガ、手出しが出来ない。いいや、かつてなら、出来たのかもしれないが……現在の我々では、誤った未来にいる我々では……』


 嘆く声に、リーンズィは憂いて目を細める。

 陽炎の向こうで、かつて不滅の肉体で宇宙を目指したものどもの亡骸、枯れ木の怪物たちは嘆かわしげに揺らめいていた。

 体組織に日光からエネルギーを取り出して電気に変える機関があるのかもしれない。

 こうして無線通信を行えるのはいかなる機構か。電磁場を形成し、そこから電波を飛ばしているのか。

 いつわりのものかもしれないが、知性も確かにある。

 自律稼動を可能とする動力源と、複製され、演算され続ける模造品の魂。

 姿形は違えども、彼らはやはりスチーム・ヘッドの遠い末裔なのだろう。


「違う、それを考えるときではない……」


 駄目だ、そうではない、とリーンズィは思考を補正する。今はそのようなことを考えている場合ではない。

 <時の欠片に触れた者>がすぐそばにいるのに、この思考はあり得ない。きんきゅうじたいだ。

 首輪型人工脳髄に触れて、破損が無いことを確認した。破損はない。だが、異様に発熱している。生命管制だけではこうさならない。

 おそらく、擬似人格演算に負荷がかかりすぎている。


「とししょーきゃく……都市焼却機フリアエとはひさ、ひさし……した、親しいのか?」


 舌がもつれる。再生と適応は進行しているはずだが、どうにも意識が明瞭では無かった。

 いよいよ不安に思い始めたらしいミラーズがインバネスコートの裾を引き、手指を絡めてきた。


「リーンズィ、私が代わりに情報交換をしましょうか? もう、準備は出来ていますよ」


 発声は明瞭で、肌も艶美な色合いを宿している。

 消耗の色濃いリーンズィとは異なり、ミラーズはほぼ完全と言って良いレベルまで持ち直している。


 時折唱えている原初の聖句と関係があるのかもしれないと考え、リーンズィは思考が途切れてしまう前にアルファⅡ本体との共有記憶領域にメモを貼り付けて、意固地にも申し出を断った。


 不合理な行動だという自覚はある。

 申し出を断ったのは、リーンズィという名の少女の胸に燻る焦燥によるところが大きい。ユイシスからの助力を拒絶したと同じく。

 リーンズィは装甲された掌を開き、額から落ちる汗を視線で追いながら、自身の思考を解体する。

 ……何故これほどにエラーが出てしまっているのか? あまりにも非合理的な行動が多すぎる。


 そのとき、目の奥で火花が散った。

 単純な回答が、天啓のように訪れた。

 

 私はミラーズに失望されることを恐れている。

 役立たずで、無価値だから。


 あの灼熱の朝焼けに、自分は何も出来なかった。

 きっとアルファⅡとユイシス、そしてミラーズの三人だけで問題を対処できたに違いない。

 だが自分は何も出来なかった。

 いてもいなくても、大差は無かった。


 この、ヴァローナという美しい少女の肉体に閉じ込められた自分には、特別な機能が何もない。無力なのだ。

 真なる不滅の甲冑も、己自身ですら全容の知れない高性能な人工脳髄も、強力な重外燃機関も、高度な生命管制を司る支援AIも、備わっていない。ヴァローナが本来持っていたのであろう様々な技巧にも正確なアクセスが出来ない。

 だからミラーズを焦熱の苦しみから救うことも出来なかった。

 この先もきっとミラーズを助けられない。

 だが、そうではないと、助けになれると、自分は必要なのだと、信じたかった。この無力な少女の体でも、アルファⅡモナルキアの一人、リーンズィは、世界を調停し、疫病の時代を征することが出来るのだと証明したかった。


 そして何よりも、ミラーズだ。覆い被さったときの、貪りつきたくなるような微笑が脳裏を過ぎる。彼女を支えられる存在になりという思いが、悪性の腫瘍のように首輪型人工脳髄のどこかに根付いていると自覚する。


『調停防疫局。聞こえていルか。我らは貴君の不調を補足している。魂の駆動体に無理をさせルべきでない』と未知のスチーム・ヘッドまでもが諫めてくる。『道を行くことは可能だロウ。だが、当座の移動は他の機体に任せるベキダ。くぬーずおーえの主任医療技術者が変わりなければ、彼女ラの治療は、とても危険ダ。脱走者を何度も収容シて送り返した実績があり、皆恐れていた』


「……あとのことは、あとで考える。それで、フリアエとの関係は良好なのか」


『後悔しては、遅いノダゾ。忠告はしタ。……ふりあえに関しては、正統な手続きによる同盟を結んでいる。クヌーズオーエは危険で、トオカラズ破滅の井戸に繋がる。イザとなれば、共に滅ぼすために、手を組んでいる。ソレマデハ、溢れたアフター・ワーズ、ケモノを、我々が確実に駆除スル。ふりあえは適宜技術提供をする。ソウイウ取り決めだ。だが、クヌーズオーエにまつわる状況はコウチャクして久しい。あの都市を消滅サセルために、シシャは我々をハサミの代わりに使おうトシテイル。あの都市は重くなりすぎたから、実のなった枝ごとキル。切らせようとしている。比喩が、通じテイルカ。古い言語の理解が、完全デない』


「つまり、世界ごと無かったことにしようとしている? あの、<時の欠片に触れた者>は」

 警戒を続けているアルファⅡ本体の視覚を借りて、燃える天使の後ろ姿を眺めた。

「あの変異体たちが、君たちにそれをさせようとしている? 世界を……世界ごと無くす仕事を」


『肯定スル。我らは必要性に応じて枝をマビカザルヲ得ない立場にあル。不可能ではないが、タヤスクもない。オシツケられた。迷惑キワマリナい』


「意図自体は理解できる、と考える」ほつれそうになる思考を結びながら返信する。「都市焼却機フリアエは、クヌーズオーエは他の時間から隔離されつつある、整序されつつあると語っていた……」


 彼女の予想が正しいとしても、とライトブラウンの少女は首元、首輪の周りの汗を拭い、風を取り込みつつ、言葉を連ねた。


「切り落とすと言っても、切断するための鋸は現地調達というか……隣り合う世界が、対象の世界を滅ぼすために何かしらのアクションを取るしかない、そういう状況を整えて、仕向けるだけ……なのだろうか。具体的な手法にはまるで理解が及ばないが、随分と遠回りで、煩雑なアプローチに思える」


『アレの、時空間を操る権能は、我々にも理解がオヨバナイ。しかし、自由に行使デキテイルようにも見えなイ。不完全なのだロう』


「同意する。繋ぎ合わせて間接的に操作するだけというのは……」


『少し違ウ。万能ナラバ、こんな事態にはナラナイという事実が先にあル。ソモソモ、先のなイ、自由度の低い可能性世界が発生していル時点で……』


 異形のスチーム・ヘッドたちが唐突に押し黙った。

 そして言った。


『見よ、見よ。渦動ノ破壊者が、手招きをしている。ショクンラは、招集される。我らは、ショクンラを今後関知しない。援護できない。祝福も、祈祷も送らない。ただ、真なる速度への到達ゴッドスピードを信じる』


「気のせいか、神の加護がありますようにゴッドスピードという言葉に具体的な速度の定義が重なっているように感じる……」


『ショクンラの単位系で換算するナラ、ゴッドスピードは秒速17キロメートル程度を指ス』


「え、本当に定義されているとは」太陽圏から飛び出してしまう速度であった。「……お別れなのだな」


『遭うこともあるかも知れない。その時はまた礼を交そウ。。だが仮に我らでナク、我らの統帥に出会ったなら……我らが枢機卿、アルファⅢヘルメス・トリスメギストスに出遭ったなら……』


「アルファⅢだと?」

 予想していなかった単語にリーンズィは過敏に反応した。

「あり得ない。か、完成なんて、していないはずの機体なのに……アルファシリーズの命脈は途絶えた! わたし、この私が最後のはず!」


『そうだ。完成していない。だから、彼女を止めてほしい。世界は、もうあの機体を望まナイ』


 そのとき、虹色の渦が視界を包んだ。

 虹色は七色ではなく、赤、青、黄、緑、■の五色であり、定義を狂わされた虹色の闇に触れた大地は氷に、炎に、土に、空に、海に、硫黄に、影に、夜に、肉に覆われて歪み、いずこかの一点で変異をやめて霧散していき、それとは脈絡のない別の時間、別の土地、別の形で唐突に固定される。

 ユイシスが無数にエラーを吐き出して機能を一時停止した。

 スタンドアロン状態に移行したリーンズィは険しい表情で斧槍を下段に構え、状況を観察した。ミラーズを守れる自分自身を空想した。後ろ腰につけた小型蒸気機関スチーム・オルガンはいつでも起動できる。ミラーズを燃える異形から背に隠し、スターターロープを指に絡める。

 いざとなればオーバードライブで一太刀を加えられる。内臓組織で悪性変異が進行しているのは否定しようがない。これ以上の損耗は、本来推奨されない。数秒間でも激烈な負荷を与えれば、おそらくそれらの変異は致命的な身体の再編成を開始する。


「大丈夫、ミラーズ。私が守ってみせる。今度こそ……」


 たとえ刃を直撃させても、効果があるとは、少女自身、信じていなかった。

 一方で彼女が励まそうとした相手は、逆に斧槍に手を触れて、静かな声音で咎めてきた。


「御遣いを疑ってはなりません。何故ならば、あれなるは真なる奇蹟、恩寵の証なのですから」


 言葉の意味を問うより速く、認知機能が現状を正確に捉えた。

 風景が撓み、伸張し、縮小する。

 時空間の操作は『土地の省略』という形で実行されたようだった。

 まさに、目前に、炎上して火を燻らせる人型の影が歩いている。

 信じがたいことに、アルファⅡを先頭にして隊形を組んでいたまま、その地点まで一瞬で引き寄せられたらしい。


 振り返る、という動作も無いままその怪物は振り返る。

 燃え上がる七つの眼球が一行を射すくめた。

 敵意は伝わってこない。

 他者を害するもの特有の、血腥い気配はない。


 なのに総毛が立って震える。逃走か闘争か、軽量化のために不要な重量を排出しようとした肉体が、破損の著しい臓器の分解を自動的に開始した。


「 どうしてそのような疑いを心に持つのか 」


 声がした。

 理解の及ばない時空からの声が。

 根源的な脅威への反射がリーンズィにスターターロープを引かせた。

 蒸気機関オルガンが唸りを上げて黒煙を吐く。

 感覚が加速し、泥のように鈍化した時間の中で、腹部の猛烈な違和感に抗い、喘ぎながら、リーンズィは<時の欠片に触れた者>が同速でオーバードライブに突入している事実に気づいた。

 七つの燃える眼球が瞬きをして、自分を見据えている。

 他の誰でもなく、自分を。

 調停防疫局ではなく……?

 混迷する意識で、辛うじて唇に言葉を紡ぐ。


「私たちをどうする気だ。君は……何者だ?」


 溶解した内臓の破片を口から血を吐きつつ、眼前の異形へと、少女の肉体が問いかける。

 <時の欠片に触れた者>はアルファⅡモナルキアへと言った。


「 どうしてそのような疑いを、心に持つのか。■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■? だが■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■に記されていた通り、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■は既に終了している。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■? ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■? 答えは■■■■■■■■■■■■■■■■■■■だろう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■もう、意味など無いというのに 」


 そして世界から光が失われた。




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