衛星軌道開発公社の末裔たち①

 合成音声の音質は劣悪で、単語の発音は明瞭でなく、欠落した情報をユイシスが類推・補完しても人語とは解することは出来ない。これまでに地球上に存在した如何なる言葉とも文法が異なる。

 しかし、奇妙なことに、ただ音の連なりを意識するだけで、文意を汲み取ることが可能だった。

 その独特の抑揚の付け方、時折挿入される奇妙な韻律には、覚えがある。


「『原初の聖句』……?」


 リーンズィの呆然とした呟きに、得体の知れない声の一語一語に耳を傾けていたミラーズが、平然とした面持ちで首肯する。


「そうね。聖句と言っても、意味伝達に特化した基礎的なものみたいだけど。要所要所を押さえているだけだから、感情までは届けられない。頑張れば意外と出来る人が多い業です」


「そういうものなのか? 思想汚染や肉体操作の機能は?」


「その辺りからが奇跡の領域なの。誰でも出来るなら、キジール聖歌隊指揮者レーゲントだなんて祭り上げられていませんでしたよ」


 少女は肩に行進聖詠服をかけたまま、得意げに慎ましやかな胸を反らした。そして自分の着衣が乱れているのを発見し、ややあっておずおずと手で裸身を隠した。

 リーンズィが肩に掛けただけのインバネスコートの裾を差し出してくるのに対し「ありがとう、リーンズィは優しいですね」と礼を言う。


 そしてリーンズィの体が殆ど裸になっているのを見て「あなたは恥じらいがあるのかないのかどっちなのですか?!」と小さく悲鳴を上げた。


「君のためなら恥ずかしくはない」


「みだりに露出をしないようにと……言われたことが、あるはずないですね。無理を言いました! 前を隠しましょう、前を!」


「私は見られても構わないので問題ない。ミラーズを見られる方が嫌だ、と思う」


「嬉しいことを言ってくれますね、でもあなた、あたしよりも肉体の発育も良いってこと忘れてない? 幼女? 心が幼女ですか?」


『肯定。幼女みたいななものですよ』ユイシスが口を挟む。『本体のアルファⅡ自体が起動後数日なので、分岐知性体であるリーンズィも、羞恥等の感覚はそれほど理解していないと予想されます』


「そうでした、幼女みたいなものでしたね、シィーにも聞いていました、忘れていました! とにかく前! 前を隠して!」と焦った調子で、身振りでしきりに伝えてくる。


 リーンズィはよく分かっていない仕草で、とりあえずそれに従った。


「私の使っている肉体なのだから、君が焦ることは無いのでは?」


「子の貞節を守るのもあたしの務めよ。リーンズィ? いくら不滅の恩寵を受けているとしても、あくまでも身だしなみには、配慮をですね。……人間らしい生活の経験がないせいで、分からないのかなぁ。あのね、何のために永久に朽ちることのない聖衣を与えられているのか、よく考えることです。みだりに己を晒さないこと。あなたの、ヴァローナの肉体は、黙して隠されるべきものなのです」


「そういう……ものか?」


「そういうものです! はい前を隠す前を隠す……とにかく、今は、原初の聖句の話です! えへん、彼らの聖句は聞き手の肉体や思考をめちゃくちゃにするような特異なものじゃないから、何も心配はいらないわ」


「待ってほしい、原初の聖句……? ええと……」

 リーンズィは呆としながら首を傾げた。

「何の……どうして……そんな話になったのだったか……服はちゃんと着たけど……」


「リーンズィ? また具合が悪いの? 認知機能のロック……というやつのせいかしら」


『否定します。これはリーンズィの身体機能の異常によるものです。むしろ何故ミラーズは無事なのですか? 当機の予測診断では、リーンズィと同等の損害を受けているはずですが』


「言ったことがなかったかしら。あたしは、あたし自身を治癒することが可能なの。これこそが上級レーゲントの聖句が奇跡と呼ばれる由縁ね。たとえば聖父様が見出して下さったあたしの力というのは……」


『応答を請ウ。言語は、通じているか?』


 返事が無いことに疑問を持ったのだろう、姿すら見えない不明な知性体から、同じ問いがもう一度飛んで来た。

 すぐさまミラーズが代わりに返答しようとしたのを制し、ややあって、リーンズィは疑問を覚えた。

 何故私に断りもせず、ミラーズが先に動いたのだろう? アルファⅡモナルキアの意思決定の主導権は、まだ、自分にある……そのはずなのに。

 声を整えて、無線に言葉を乗せた。


「通じている。通じている……」

 舌が回り始めれば、滞っていた思考が、演算領域からするりと流れ出した。

「君たちは誰だ? ここで何をしている? 生存に適する環境とはとても思えないが」


『適してはイナイ。事実、この受信局は半ば放棄されてイル。保守ノシヨウガナイシ、そのせいで、我々の作業進捗はトテモ遅れている。資源採掘も思うように進んでいない。……それでも我々は衛星軌道開発公社だ、生存圏の際限ナイ拡大という社是の元、邁進シテイルと……敢えて応えよう。たとえ、ソレガ先に続かない道ダトシテモ、進み続けるシカナイのだ』


 意味の分からない単語ばかりであったが、所属に関してだけは聞き覚えがあった。


「衛星軌道開発公社……。ユイシス、私の聞き間違いだろうか」


『否定します。彼らは確度の高い意味羅列で、所属を表明しています』


 リーンズィは沈思して首を傾げたが、ミラーズに背中をぐりぐりとされて居住まいを正した。「初めてお会いする方です、挨拶は大事ですよ」などと耳打ちされ、咳払いを一つ。


「こほん。あいさつは大事。申し遅れた。我々は調停防疫局のエージェント。ここまで荒廃した世界では、もはや目的を語っても意味はないだろう……。だから、とにかく都市焼却機フリアエからの紹介でやってきた、という説明で理解してほしい」


『理解する。ふりあえは、我らと提携していル。ショクンラとも形式上の提携が成立していルと言えル』


「そちらは、今どこにいる? 可能なら実際に顔を合わせて交渉したい」


 彼方に見える枯れ木のような変異体たちが、わさわさと体を震わせた。


『我らは、ココにいる。ふりあえのいる、ナツカシい時代から来たのなら、残念ながら、道ヲ間違えテイル。二四〇周期前の余剰エネルギィ受信放散のとき、既存の接続面は、力場の変動で移動してしまった。えーさっぷで軌道修正データを送る』


「失礼、君たちはどこにいる? よく見えない」


『ココにいる。ショクンラは我らを視認している。我らも、ショクンラを視認している』


 怪物たちが、再度、枝葉のような手足を振るって合図をしてきた。

 否、怪物ではないらしい。

 リーンズィの人間味の薄い顔に、しばし唖然とした色が浮かんだ。


 目を瞑って状況を受け入れる。

 そして彼らに対して半裸の姿でいるのは恥ずかしいなと一抹の羞恥心を覚えて、それから自分にもそのような感覚はちゃんとあるらしいと知った。

 ミラーズと視線を交し合い、彼らに背を向けて、忙しなく着衣を整え始めた。


『ああ、そノヨウナ被覆の文化がまだ生き残っているのだナ。あまり気にシナクテ良い。我々にはソンナ文化は残存シテイナイ。非礼や挑発とは、認識シナイ。ショクンラは美しいが、標本的な意味での評価となる。特別のキョウミはない』


「あ、あたし、わたしたちが気にするんですよ……!」

 ミラーズが焦った様子で呟いた。

「さすがにあんな遣り取りを最初から最後までずっと見られていたのかもと考えたら恥ずかしいわね。あえては確認しませんが! プライベートなことなのに……もっと先に言ってくれれば……あっ、そっか、あの人……人? たち、アルファⅡと似た価値観なのね、たぶん……」


「君たちは、人間なのか?」


 隙間を埋めるように、リーンズィが問いかけを投げかけた。

 斧槍を地面に突き刺し、下腹部を隠すための留め金を戻そうとして、そこで思うように体を動かせないことに気付いた。

 それを気取られないよう、さらに問いを重ねる。


「不死病のステージ2、即ち悪性変異体のように見えるのだが」


『似ている。だが、違う。ショクンラ、スチーム・ヘッドに近しい。ワレワレは衛星軌道開発公社のスチーム・ヘッドであると認識してくれて問題ナイ』


 居心地が悪そうに留め金をかけながらミラーズがぼそぼそと耳打ちしてくる。


「えいせいきどうホニャララ……というのは、あの人たちですよね。あの、宇宙とかが好きな変な人たち。世界中で爆弾が爆発した後も平気で遊ぶのを続けて、スチーム・ヘッドになって、月を生身で歩いて帰ってきたと聞きました」


「そう、衛星軌道開発公社『セブンス・コンチネント』。彼らは君たちの歴史でも彼らは発生していたのだな。どんな時代でも人は……夢を……すまないミラーズ、服を着るのを手伝ってくれないか。体が……おかしいんだ」


「どこか疼くの? 我慢できない?」


「ち、違う。ただ上手く操作できないだけだ」


 水分に転換した筋肉と臓器を再生させるために、恒常性が過剰に働こうとしている。全身の重量バランスにも異常が生じていた。首輪型人工脳髄に過剰な負荷が掛かっていた。

「ふふ。まったく、手間の掛かる子ですね」とミラーズが手早く処置をしてくれるのがありがたく、そしてその動作の滑らかさが不可思議だった。

 ユイシスも指摘していたが、熱波による損傷はリーンズィと同程度か、それ以上なはずなのである。

 

 だというのに、たましいのない小さな体は、いかにも健康そうで……。

 そう、熱波だ。リーンズィは天を仰ぎ、汗を拭った。汗。肉体は不死病患者なのに汗をかいている、という事実に困惑するが、サイコ・サージカル・アジャストを起動して封殺する。


 死に果てた空。

 灼熱の色を湛えた大河。

 雲の向こうでは、今もあの発狂した太陽が輝いているのだろう。


「……ここは彼らの歴史なのか? ついぞ上手くいかなかった彼らが、何か作り上げたのだろうか……」


 不死病患者の歴史において燦然と輝くのが、衛星軌道開発公社という『政治的なイデオロギーが全くなく、誰からもさほど重要視されていなかった』技術者集団だ。

 最も純粋で、平和的で、人類の趨勢に無関心な組織だったと言っても良い。

 彼らは不滅の肉体を純粋な『人類の拡張性』として扱った。

 この滅びの風景は、あるいは彼らが造り出したものなのだろうか。

 リーンズィは、そうした推測は一旦忘れることにした。


「はい、終わりましたよリーンズィ。……顔色がすごく悪いわ。お化粧もしてあげましょうか?」


「……あまりからかわないでほしい、私でもからかわれていると分かるぞ」


「ふぅん、分かっているのですね?」


 ちょいちょいと手を振ってリーンズィを屈ませて、ミラーズは金髪を掻き上げた。

 そして不意にライトブラウンの髪の少女と唇を重ねる。


「ん。善い顔色になりました。ふふ、今のは分かったかしら?」と囁き、衛星軌道開発公社の方へと向くように促した。


 頬を赤らめたまま、リーンズィは呼びかけを再開した。


「……公社の使者たち、待たせてすまない」


『そのツガイとの会話はもう終わったか?』


「ツガイではない、忘れてほしい」


『そうですよ! ミラーズは当機のパートナーなので!』


「ユイシスも割り込んでこないように」


『ツガイという言い方は良くなかっタ。コチラデはそのような文化もトダエテ久しい。適切な単語が出てこず謝罪スル」


『謝罪は不要です。文化圏同士で齟齬が起きるのは仕方の無いことですから』


 公社の機体と当然のように会話を始めたユイシスに、じゃあ最初から君が通信に対応していればよかったのでは……と言わなかったのは、自分の腹膜が焼けたように痛んでいるのを発見したせいだ。

 視覚野にユイシスからのメッセージが表示される。


『警告。悪性変異進行率の減衰は緩慢です。活動の継続は非推奨です。貴官を訓練する意図で対応を任せましたが、撤回します。当機もしくはミラーズとの交代を提案します』


「わたし、私がやる……」リーンズィは少し意固地になって、ちらりと目線をミラーズに向けた。「ええと、その……私たちの関係は、私たちの関係で、ええと、見世物では無くて……そう、我々は……我々は『クヌーズオーエ』という場所を探している。心当たりがあれば教えてくれないだろうか」


『報告。座標は受信済みです』とユイシス。


『手続き上の問題を整理しておく。諸君らは法律上は不法侵入者なのダガ、同盟者ふりあえの縁者ゆえ、コレを咎めることはナイ』


「へえ。法律って、また古式ゆかしい単語が出てきたわね、主の教えもまだ生きてるのかしらね」


『古式ゆかしいAIなのでコンプライアンスには敏感です。こうした認可は大変助かります』


『しかし、隣接境界世界のふりあえも、意地が良くない。くぬーずおーえは、確かに我らにも因縁深き地。ソレガタメニ、我々はこの(不明な単語を検出しました。『不採算生産設備』と推測されます)をタヤスクは捨てられない。永劫繋ガリツヅケルしかない。しかし、ふりあえの領地には、そもそも別にゲートが存在する。くぬーずおーえへと侵入するのに、ココを経由スル必要はない』


「つまり直通ルートがあるのか。嫌がらせをされていたのか……? いや、私たちと君たちの顔合わせをさせたかったのかな」


『だろウと思う。ふりあえも、思考形態が特殊だが、不要な行為は、少ない。ちょっとは、アルガ』


 枯れ木の如きスチーム・ヘッドたちの所作が、溜息をついているようにリーンズィの目に映る。


『シカシ、たいみんぐ次第では、ショクンラは炭化していた。危ないことをする。ああ、空の黒雲が見えるだろう。あれも、我々衛星軌道開発公社の、かつての同志ダ。<灰色の巡礼者>。もう意識はないが……しばらくはワレラの誘導に従い、ここに留まル。ゲエェーーーートは、不安定ゆえに、我らでも容易には特定出来ない。ショクンラでは、探索もままならないだロウ。ショクンラが、壊れる前に援助できたことに。感謝する。また、せずに済んだことを、感謝する』


 言葉に不穏な気配を感じ、リーンズィは敵意が滲まないよう注意を払いながら問うた。


「私たちが悪性変異体になっていたら、君たちはどうしていた?」


『ン? ン? 悪性変異体。類似語彙を検索中。光無き世界に来たる者アフター・ワーズノコトカ。ケモノだな。問題ない。駆除は、ナレテイル。そうナラナカッタコトに感謝する』


「お礼を言うのは、きっと私たちの方なのでしょう」

 ミラーズはベレー帽を頭に乗せて、ユイシスに無線の使い方を教わりながら、ふわりと微笑んで礼を述べた。

「助けてくださりありがとうございます、糸杉キパリースの皆様。あなたがたの魂に安らぎのあらんことを」


『祝福に感謝スル。我々はタマシイを知らないが。しかし、アルイハ、諸君らには、別段の救いなど必要なかッタ。運ばれているからだ。おそらく使者も来ていることだロウ。いや、もう、その存在が、在る。既に現われている……見たまえ、渦動ノ破壊者が訪れた』


 枯れ木のごとき怪物たちは、夜明けが起きたのとは真逆の方角を指差した。

 リーンズィたちが振り向く。

 気付かぬ間に地平線の彼方に小さな炎が現われていた。

 かつてエージェント・シィーの記録で垣間見た災厄の化身。

 <時の欠片に触れた者>だ。


 

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