都市焼却機フリアエ⑤
癖のある金髪からふわりと芳しい香りを漂わせ、少女は世界を振り返った。
アルファⅡモナルキアたちが止める間もなく。
だが何も起きなかった。オーバードライブは起動しなかった。どのような危険も感知されなかった。
驚きを隠せないリーンズィたちに、事も無げに答える。
「だから、移動式の大型火葬場でしょ? フリアエお姉様もそのようなものと仰っていたじゃない。言われてみれば、そんなシルエットにも見えます」
「うん……そうとしか見えないのなら、それで良い」
『ミラーズ、あれは正確には火葬場ではなく、火葬をするための機械です。ひとたび戦闘状態で起動すれば、数kmの範囲が一瞬で根こそぎに灰になります。不死病の感染者であろうと何であろうと焼き払って消滅させるのです』
「そんな怖い兵器聞いたことないけど」
「だが実在する。我々調停防疫局は、あれが起動した後の地獄を知っている。あの墓守は地上に灼熱地獄を呼ぶための機械だ。彼女は地獄の使者にも等しい」
「……地獄の使者だなんて、嘘よ。あんまりあの方を悪く言うと、いくらリーンズィでも怒りますよ」
ミラーズがあからさまに不服そうな声を出したので、リーンズィは唖然とした。
「怒るのは、何故だ。全自動戦争装置自体には否定的なのに、やけに彼女に肯定的だ」
「だって、見た目が好みです。貞淑で落ち着いているのに、人を惑わす魔性がある。心がくすぐられます」
『ミラーズ……? ああいう筐体が好みなのですか?』複雑な感情が押し込められたユイシスの声に、ミラーズは「あはは。あなたの真似をしただけですよ、ミラーズ。フリアエお姉様の真似でもあるわ。本当のことを言うと、彼女を否定すると神の愛までも否定することになるから、二人に同意は出来ないの」と返した。
リーンズィはむむむ、と首を傾げた。
「何故、
「良いですか、リーンズィ。あなたには分かっていません。善悪の区別がついていないのです」
ぴしっ、と人差し指を立てて、ライトブラウンの髪の少女の唇に当てる。
「確かにフリアエお姉様は、神様なんて信じてない、と言いました。なのに、何百年もお墓を掘っているのは、何故でしょうか。それは神を信じる人々を愛しているからです。最後に彼らを救うのが、他の誰でも無く、ハリストスだと間接的に認めているからです。それならば、彼女の行いは、神を愛するのと同じではないですか。あのフリアエお姉様の本性が殺戮の地平へ導く悪魔の手先だったとしても、少なくとも今は違います。ただ神を愛する人々を信じて、その身を捧げている。我らが王国の主が、その行動に善を見出さないだろうと考えるのならば、それは誤りというものです。いっそ悪だと斬り捨てるなら、もうハリストスへの反逆と言って良いでしょう。本性の善悪と存在の善悪は全く別なのですよ、リーンズィ。神はたとえ悪魔でも相応しきものをお救いになる。祈りの有無だけで、御許に招く魂を選びません。彼女は救われるべき存在です」
「都市焼却機フリアエに救われる魂など無い」
「それがあの人の真の名前?」
「そうだ。都市焼却機フリアエ。大都市一つを灼熱地獄に変えるための機械、何十基と生産された、プシュケ・メディア搭載式の大量破壊兵器だ。人格記録の関与は僅かで、運営自体は機械知性が行っている。召されるべき魂などありはしない」
「そうですか。ならば、彼女を救うための魂が、改めて主により与えられることでしょう。神は祈りでは無く、心とその行いが適うかを見ておられます。きっとフリアエの名前はハリストスに迎えられるでしょう」
「……理解が難しいのだが、どうも上手く飲み込めない。黙契の獣と戦えば誰でも天国に迎えられるという思想もそうだが、君たちの考え方だと最終的に全人類が救われるのでは?」
「えっと……はい。最初から、スヴィトスラーフ聖歌隊ってそういう教義なんだけど……伝わってないのね」
ミラーズはリーンズィの胸の中で項垂れた。ふわふわとした金髪を所在なさげにいじる。
「……あのね、カルトにしか見えないだろうけど、別に世界を滅ぼしたいわけじゃないの。全人類に不死の恩寵を授けて、皆で天国に行きましょう、神の御国に入りましょう、というのがお題目なの。ただびとの生は、過酷です。例外なく、冷酷で誰の助けもないまま滅び行くもので、それ故に世界の終末は、不死ではなく、不死から遠ざけられることによって訪れる。そのような終わり方だけは避けないといけない、みたいな……そういう感じ?」
「そうだったのか。全く興味が無かった」
「うーん、まぁ……ヴァローナも聖歌隊の教義にあんまり興味なかったし、あの子に宿った人格として、それっぽいと言えばそれっぽいかしら……でも、あたしの親機をやるのなら、それぐらいは理解して欲しいです」
「教義だけ聞くとさほど悪いものとも思えないな」
「あっそれはダメよ! キラキラしてるからって無闇に飛びついちゃいけませんよ。ああもう、そんなところまであのカラスッ娘と同じのなのね」
むにゃむにゃと言い淀み、溜息を一つ。
「あたし……えへん! 私しか年長者がいないので、忠告しますが……地獄に落ちるような行いをさせてから、許して差し上げますと囁く、これは不信心者を転向させる際の基本中の基本ですからね、気をつけてくださいね」
「分かった。気をつける」
「そういうの抜きにしても、フリアエは善良な人だと思うけど、本当に何を警戒してるの?」
ミラーズは信じると決めたら、徹底的にその感情を通すようだ。
リーンズィは、思考を共有し、代理演算で性格の骨子を把握していても、思うようにコントロール出来ないものだなと嘆息する。
あるいは、アルファⅡモナルキア本体が彼女には特別な権限を与えているのかも知れないな、と思い至る。
「逆に君がそこまで平然としていられるのが不思議でならない……いや、おかげで、フリアエとは友好的に離れることが出来たのだから、万事がよい方向へ転んだと考えるべきだ。何も知らないというのも財産だな。君の理解が真実に近いのも確かだ。実際、あの端末には都市焼却を実行する気はないと推測される」
大鴉の少女はうんうん、と自分の考えに賛同し、思考を紡ぐ。
「都市を鎮圧するための後詰めか、待機せよという命令を愚直に守っているか。本気なら暢気に墓守の真似事などしていないはずだ。あるいは、実行した後かもしれない」
「都市の焼却……確かに嘆かわしい蛮行です。跡形も無く焼き尽くされた肉体では、さしもの不死の恩寵と言えども……」
「いや、それは問題ない。再生する」
「……再生するの?!」
「不死病患者の肉体は、分子レベルで分解してもやがて再生する。正確には言詞構造体と呼ばれる不可視の要素が恒常性を修復するのだ。長時間拷問されるよりは、一瞬で焼き尽くされた方が変異の可能性も低いぐらいだと言われている」
「でも核爆弾で塵にされたあたしの仲間たちは戻ってこなかったわよ」
「情報の不足から来る事実誤認だろう。おそらく君たちの観測範囲外、もしかすると何千キロも遠くかも知れないが、安全が確保できる場所で再生したはずだ。調停防疫局は無力だったが、不死病の研究に関しては一日の長がある。たとえプラズマガスで蒸発させられたとしても、最終的には再生をするという事実だけは確認した。相応に時間は掛かるようだが。つまり、不死者を都市ごと蒸発させても、それ自体は有効ではないということだ。ハレルヤハ」
「ハレルヤハはそんな『やれやれ』みたいなニュアンスで使う言葉じゃありませんよ」ミラーズは眉根を寄せた。「えっと、じゃあ本当に街を火葬しちゃったんだとして……でも煮ても焼いても不死の恩寵は消えないんだったら、別にそれで、良いことも悪いことも起こらないと思うんだけど」
「君は『不滅の青薔薇』を知らなかったな。あれが都市一つを飲み込んだと言うことを。ならば我々の世界で実際に行われた浄化のための都市焼却作戦も知らない」
「そうね。私たちはそもそも全自動戦争装置なんてもの自体、知らないし。都市焼却というのは核爆弾よりも酷いの?」
「もっと酷い。彼女の炎は全てを焼き尽くす。完全に灰に変えるまで……永久に消えないのだ」
「全てを完全に灰に……永久に消えないって……出来ないでしょ、そんなの、だって、あたしたちは不滅で……」翠玉の瞳に不安の影が過ぎる。「ああ、そっか。だいたい分かりました。一瞬ならともかく、永久の苦痛は、獣を呼び覚まします」
「私のいた世界でも二度目は無かった。一度目で取り返しの付かない大災厄となった。あの全自動戦争装置の端末も、どこから『再配置』されたのか知らないが、不死病の蔓延を前にして、手を拱いていたはずがない。救いたい、終わらせたいと願わなかったはずがない。
「でも、他にもいっぱい武器を持ってるんでしょう?」
「そのはずだ」
「……クヌーズオーエは、そんなすごい機械が、どうしようもないって諦めちゃうような場所なのかしら」
「フリアエにしたところで、所詮は大量破壊兵器だ、壊す以外には能が無い。それを差し引いても、三〇〇年という歳月は重すぎる。軽率に取り扱って良い事実では無い。少なくとも、クヌーズオーエは単純な武力が意味を成さない混沌なのだろう……」リーンズィは溜息を重ねる。「ただ、そこに向かう以外には、我々には道が無い。これも重い、酷く重い事実だ。あの憐れな大量破壊兵器が、墓守として時の最果てまで過ごすしか無いのと同じく……」
『報告。都市焼却機フリアエからメッセージを受信しました』
「……傍受されていたのか? まさか宣戦布告ではないだろうな」
『量子通信機の即時式パスコードのようです』
「パスコード?」
リーンズィは瞠目し、それから表情を綻ばせた。
「そうか、人徳ということか。聖歌隊というのも、存外に道を説くものじゃないか」
ミラーズの頭を撫でる。不可思議そうな表情をしている少女の額に、心からの口づけをした。
「えっ? んっ……えっと、どうしたの? 何か良いことがありました?」
上気した顔で、ぼんやりとした笑みを返す。
「リーンズィ。嬉しそうな顔を、初めて見ましたよ」
「どうやら都市焼却機は君を気に入ったらしい。一度だけなら、彼女と通信が可能だ」
「ええと……?」
『助けてあげる、ということですよ、ミラーズ』ユイシスのアバターがミラーズに囁きかけた。『フリアエは、一度だけならお願いを聞いてあげると申し出てきたのです』
ミラーズは「そうですか」と、当然の報告を聞いたといった様子で、それ以上の反応を見せなかった。
「嬉しくないのか? これは大きな成果だ」
「だって……最初から善い人だって言ったでしょう? 助けを申し出てくれたことに感謝はすれども、予想外な嬉しさはありません。彼女の善性を私は信じます。きっとそういう人だろうなと感じていました。だから……ただそれだけよ」
金髪の少女は最後まで不思議そうな顔をして、それから黙ってユイシスのアバターの接吻を受け入れた。
そのうち意識の演算レベルを落とし、リーンズィの胸にぐったりともたれて、寝息を立て始めた。
荒野の彼方へと少女たちは歩む。
背後には幾千万の墓、世界の全てをやがて収容するための穴蔵。
都市焼却機フリアエは、またここに一人。
永遠の洛陽に見守られた牢獄で、主無き暴力の化身は、花の香りのする少女達の背中を見送った。
あるいは、世界が終わるまで、このままなのかもしれない。
だが論理に頼らない確信があった。
きっと、何かが変わる。
彼女たちと、あの調停防疫局の忌むべき落とし子が、変えてくれる。
だからこれで構わない、僕は構わない。
フリアエはスコップを振るい、墓穴を掘り進める。
もはや世界は人の営みを気にも掛けていない。否、不死病に支配されて、長い年月の果てに地上から文化的活動の形跡が消え失せても、この世界にとってはどうでもいいのだ。これまでも。これからも。
上手くいくことは一つもないかもしれない。
あらゆる希望的観測は、裏切られるかもしれない。
何もかも、無意味なのかもしれない。
それでも自分の信じることを続けると少女は決めた。
理由は呆れてしまうぐらいシンプル。
また、ミラーズに口づけをしてほしい。
そして、よく頑張りましたと、誉めてもらいたいからだった。
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