都市焼却機フリアエ④

 ミラーズは、あの、と尋ねた。


「墓守のフリアエお姉様。困りごとは、ありませんか?」


「あは。本当に良い子を連れているね、リーンズィは。良いなぁ」僕も誰かと一緒にいるべきだったのかな、いたかったな、と寂しげな声が風に霞む。「困りごとだったね。そうだねぇ。まぁ、あり得ない想定だけど、仮に不死病が根絶されて、みんな死体になってしまったとしようか。僕は可能な限りそれを埋葬するつもりでいるけれど、この僕も最後にはただの死体になる。でも、僕を埋めてくれる人はどこにもいないから、それで困っているよ」


 フリアエは、仕えるべき者もない赤土の荒野に一人きりだ。

 その影は赤く大地に伸び、これまでに流した涙の総量と同程度に、深く、忌まわしく土を濡らしている。

 あれだけ恐ろしかった存在に、今では憐れみを感じていることにライトブラウンの髪の少女は気付く。


「……君は、救われるべきだと私は思う」


 嘘偽りの無い言葉に、リーンズィ自身が疑いを持つ。こんな言葉が本当に出力され得るのだろうか?


「今日は身を案じてもらえることが多くて嬉しいね。その肉体はスヴィトスラーフ聖歌隊だよね? やっぱり、体を乗り換えると、考え方も変わるのかな」


「そんなことはない。私の本心さ」とヴァローナの声音を借りて、自身の動揺を隠す目的でおどけて肩を竦める。「何がどうなっても、私の願いは変わらない。うん、ミラーズの言葉を借りるなら……信じたいんだろう、世界を」


「……君、それは僕の真似では無いんだね。さっきのは肉体の持ち主の真似? 元からそういう口調の肉体なの?」


「それはどうでも良いだろう。君はそもそも、この肉体の通過も見過ごしたのでは無いのか? この肉体は、彼女は森からやってきた。君の前を通ったのではないか?」


「通ってないよ、こんな子は。あるとすればまた<時の欠片に触れた者の>の差し金かな。つくづく全部が組み替えられているみたいだね……」


 話しているうち、ミラーズが意を決した様子で口を開いた。


「……もしも、もしも不死の恩寵が世界から消えてしまったら、その時は私たちがここまで戻ってきて、フリアエお姉様を埋葬しましょう」


 少女の鈴を鳴らすような宣誓が、一瞬でその場を支配した。

 誰もが呆気に取られている間に、ミラーズはフリアエの手に触れながら立ち上がり、流れるような動きで侍女服の首に手を回した。

 背伸びをする。

 そっと口づけを交す。

 メイド服の少女は切なげな吐息を漏らした。


「……ああ、こんな感触なんだね。聖歌隊にはそういう風習があるって聞いてたけど……僕にこんなことをしたのは君が初めてだよ」


「私の愛を示しました。ふふ、ほんの挨拶程度ですよ?」ぺろり、と己の唇を舐める。「私たちは絶対に、フリアエお姉様をたった一人で神の御許へは送りません。フリアエお姉様は、こんな寂しい荒野ではなく、私たちの愛と、賛歌の中で、穏やかな気持ちで目を閉じるのです」


「……それは嬉しいね。だけど、それはそれで問題だよ。だって、今度は、君たちだ。君たちが、埋葬されないままになってしまうじゃないか」


「我々は埋葬されることなど望んでいない」リーンズィが言葉を挟む。


「私もです。この身は救世を果たすために、神の御国の扉を通る資格を再び得るために使うのです」


「君たちの信条は分かるよ。でも、これは、僕が望むんだ。最初から君たちの意思は聞いてない。君たちが何を望むか、じゃないんだ。僕がやりたいんだ。何もかも諦めた僕でも、それぐらいはしたいんだ。君たちみたいな立派な輩は、しっかり弔われるべきだと僕は思考する。不死病を何とか出来るとは思ってない。でも必死に頑張って、身も心も魂も捧げて、その果てで墓も作ってもらえないなんてのは、あんまりな話だとは思わないかな?」


「だが我々は構わないと言っている」


「それはそれとして、僕は墓守として自己を規定している。それしか寄る辺が残されていないから、そうしたいんだよ」


「しかし、皆のために働いているのは、フリアエお姉様も同じではありませんか。あなたこそ、神の御国に運ばれるべきです。安楽の棺で、眠りにつくべきです」


「あ、は、は!」侍女姿の少女は耐えかねた様子で笑いを演じた。「神なんて。僕は、神様なんて信じてないよ。信じてたら、こんな風に十字架にもたれたりしない。僕が信じるのは神様ではなく、神を信じて死んでいった人々さ。それに、墓自体は、もう背負ってるからね。とびきり大きなお墓をね……」くすくすと喉を鳴らす。「不朽結晶で出来た蒸気機関は不滅だから、墓標としては最適だよ。僕がその辺でくたばったって、何千年か経って土の下に埋もれてしまうまで、聳え立っていることだろうね。ああ、そういう意味では、スチーム・ヘッドってのは、みんな生きながらにして埋葬されているんだ。僕たちは移動する墓場みたいなものだよ……」


 フリアエは、ぼそりと最後に言葉を付け加えた。


「まぁ、僕の蒸気機関スチームオルガンは、墓場というよりは火葬場だけどね」




『フリアエの傍受可能範囲からの離脱を確認しました。精神外科的心身適応、解除不能。認知機能のロック解除を試行中。いずれも不能。深刻なエラーが発生しました。生命管制よりアルファⅡへ要請。処理の指針を提示してください。意思決定の主権たる貴官の判断が必要です』


「君が黙りこくっていたせいで、不安でしかたがなかった」


『その代わりミラーズが弁舌を振るってくれました。格好良かったですよ、ミラーズ。当機の人選は間違っていないようですね』


「ありがとう、ユイシス。でもどうしてずっと黙っていたの?」


『様々な情報のマスキングで手一杯だったのです。当機と個体識別名<フリアエ>が接触してしまった際の影響も不明でした。直接的な支援が出来ず申し訳ありません。リーンズィ、先ほどのやりとりの記憶は、どう処置しますか』


「どうもこうもない。覚えていても忘れてしまっても問題だ。あれは、私の手には負えない」


 リーンズィは深く息をつく。反射的に背後を振り返りそうになる。溜息をもう一つ。

 前方、赤土の荒野を進むヘルメットの兵士を追うことに専念することに決めた。


「ねぇねぇ、全然話が分からないんだけど」


「あんまり意識していると、またオーバードライブが暴発する。後ろを振り向かないように。あれほど脅威度の高い存在がこの地上にどれほどいるだろう?」


「脅威度が高いだなんて、そんなことあるわけないでしょ? あの墓守様は善い人ですよ」


「フリアエはさも無力であるかのように言っていたが、どう考えても我々を消し飛ばす程度の攻撃能力は残っている。万が一にも敵対的だと理解されたら我々は終わりだ。我々そのものは滅びないにせよ、こんなところで本当の最終戦争が始まることになる。私は、何も見なかった。何も認識しなかった。それが一番良い。今後もあの端末を見かけることがあるなら、同様の処理を行うべきだ。ただし、認知機能ではなくまず視覚をロックしてほしい。見えているのに認識できないというのは、やりににくて仕方ない」


『要請を受諾しました。改善課題は山積していますね』


 大股で歩を進めるリーンズィに必死で追従しながら、ミラーズが困惑の声を上げて繰り返した。


「さきほどの墓守様は善いお人でした、遣わして下さったことに感謝すべき素晴らしい隣人でした。そんなに警戒する必要があるとは思えませんが。何か気になることでもあったの?」


 赤光に髪を濡らした少女は、疲れ果てた様子で首を振った。


「ようやく非常停止措置が解除されたから……口に出来る。私は、アレに関して、気にしないように、警戒しないように注意を払っていたのだ。あの端末を、アルファⅡモナルキアの誰か一人でも正確に認識すれば、それでお終いだった。圧倒的脅威に対抗するために、我々のオーバードライブが自動的に起動してしまう……そしてオーバードライブの一方的な発動は、言い逃れのしようが無い敵対行動だ。そうなれば、あちらもただの墓守でいてくれた保証が無い。それを分かっていて、あちらも事前に警告を送っていたのだ。そうしてみると、あの森の誘導端末は、警告装置でもあったとも言える。確か、協定とか言っていたか……最初から戦意がないというのを、信じるべきだったか?」


「何を言ってるの? ねぇ、本当に疲れているんじゃない? オーバードライブってあの、切り札の、なんか速くなるやつでしょ? 相手は真摯に埋葬のための穴を掘っている善良な墓守ですよ。どちらかというと、ああいった善き人を守るための力でしょう。そんなのが勝手に動くはずないわ」


 行動ログを開示し、森から荒野へ移行した瞬間の動作を指摘する。


「実際、君のオーバードライブも一瞬だが発動してしまった。ユイシスが認知機能をロックするよりも前に、私の目があの存在を補足してしまったからだ。彼女は墓守などではない。……北米経済共同体の、全自動オートマチック戦争装置・ウォーマシンの端末だ」


戦争装置ウォーマシン?」


「……君が大鎧の集団と呼んでいる、あの人類文化継承連帯の統率者と考えて良い。君たちで言うところの聖父スヴィトスラーフに相当する存在だ」


「聖父スヴィトスラーフに相当する存在などこの世にいません」


「君は今も昔もそうは思っていない」


「そうね。思ってないわ。そう思いたいときはそう思うけど。でも、一応そういう教義の宗教やってたんだから、気安く比較のために名前を出さないでよね」


「え、宗教を越えた真なる教えではなかったのか……? とにかく、そういうものなんだ。あるいは全自動戦争装置は、戦争という神を崇める司祭だと考えても良い」


「そんな人には見えなかったけど」


「人では無い。特異点到達級の人工知性だ。我々が会話していた少女は、おそらくただのインターフェイスだろう。ああして、如何にも従順そうな姿を借りることで、交渉を円滑化するつもりなのだ。そもそも人間だったかどうかも怪しい。自動人形という可能性は?」


『解析結果を提示。体温や脈拍を検知していました。ほぼ生身の人間であったと推定されます。報告、同系列と思われる不死病筐体に関する記録あり』


「とにかく存在を卑小化して、対話可能だと思わせるレベルにまでスケールを落とすための入力端末だ。墓守などでは断じて無い。事実を理解できるようになっても恐ろしい、早く離れよう、ミラーズ。私は不安を感じている。とても平静ではいられない。北米経済共同体の永世中立を、世界を滅ぼしかねないレベルの軍事力によって保証する、自律移動型シンクタンク……。その端末装置の一基。人食いの暴風雨が人間のフリをしているに等しい。ここはあまりにも危険だ」


「シンクタンク……溺れる貯水槽? 待って待って、速いわ、リーンズィ。あたしはずっと走ってられるほどタフじゃないんだけど」


 リーンズィは足を止めて、ユイシスに指示を出した。


「分かった。理由を理解しないまま逃走するのは、確かに納得がいくまい」


 そうして、ミラーズに己のイメージを共有した。

 全方位に砲台のようなでっぱりを備えた、いかにもちんまりとした多脚兵器が、のそのそと金髪の少女の足下を歩いていく。


「何これ。蟹かしら」


「蟹に見えるのか?」


「小さい蟹に見えますね」


 多脚兵器のスケールを彼女の身体感覚を基準に、実在のものと同程度に拡大した。

 ミラーズは、やはり正確には理解しなかった。

 ただ、何か見上げても全容の掴めない得体の知れぬ怪物の鼻先にでも立っていることには気付いたようで、色を失った顔で、周囲を落ち着き無く見渡した。


「さっきの小さくて可愛い蟹みたいな機械はどこに行ったの?」


「目の前にある」


「この壁みたいなものがそうなの?」


「それは『さっきの小さくて可愛い蟹みたいな機械』の爪先だ。本来のスケールならば、このサイズになる。ただ、私は拡大前も拡大後も全く可愛いと思わない」


「えっ、でも、ヤドカリとか可愛いでしょ? あの延長線上なんだけど……」


「ユイシス、ヤドカリは可愛いのか?」


『ヤドカリは可愛いですよ。波打ち際をとことこ歩いている動画があるので、後で三人で見ましょう』


「……何故そんな映像が我々のライブラリにある」


『私物ですよ、私物。当機の私有財産です。それとも、支援AIには私有財産権が無いとでも? ただ、当機としても全自動戦闘装置を可愛いとは感じられませんね。おそらく前提となる知識が異なるために発生した感性の差異です』


 リーンズィはふむ、と頷いてイメージを消去した。


「今の戦闘機械が先ほどの少女、フリアエの本体だ。対象はこれほどまでに巨大で、圧倒的だ。それさえ分かれば良い。君も確実に目にしていたはずだが、あまりにも常識外れに巨大なので、兵器だとは理解できなかったのだろう。無人で動く要塞があると知らなければ、山嶺の類だとしか思えない……それは道理だ」


「あの大きいのが、大きいって言うか、何だかよく分からないのが、自分で考えて、自分で的を狙って、自分で勝手に敵を撃つ銃……みたいなやつなのですか?」


「そうだ。まさしく、全自動で戦争を遂行する機械だ。似たような高度演算装置は世界各地に存在していたが、物理的実体としての戦闘能力を大々的に与えられていたのは、北米の演算装置群だけだ。だから特に『全自動戦争装置』と呼ばれている」


「あたしに教養がないせいかもしれないけど、それって危なくないの? 自己判断で戦争を起こす機械、ということよね?」


「その点に関しては教養と言うよりは思想の問題になる。……実際には戦争勃発の回避を第一目標として活動していたから、もしも名前の通りに戦争を開始することがあるとすれば、それは世界、ひいては自分たちの管理する地域がどうしようもなく危機に直面した時だ。彼らは人類の滅亡を決して認めず、そして世界を滅ぼそうとした者に決して容赦しない。元々は『経済戦争』を軸にした知性体だと聞いている」


 人類が滅びれば経済も無くなる。人類を存続させなければ、彼女たちは己らの存在意義を失うことになるのだ。

 とことこと荒野にブーツの痕を残しながら、少女は仄暗い笑みを浮かべた。


「つまり、あれの正体は、聖歌隊みたいな存在の敵だったというわけね。馬鹿みたい、あんな大きな、敵を滅ぼすための機械を作ってる暇があったら、あたしたちを助けてくれたら良かったのに。不朽結晶精製のメカニズムを使っても、きっと建造に何年もかかるわよね。あたしたちがどん底で辱められ、それでも必死に歌っていた間にも、外の人たちはあんなどうしうもない機械を作って、喜んでたのね」


「その認識は間違いだ。彼らは、むしろ君たちのような存在を救うためにあれを建造したんだ。敵では無い。善き隣人であるはずだった。……認識の擦り合わせはいずれ行おう。今は逃げる。敵対する意図がお互いに無くても、一緒にはいられないんだ。我々は戦うために作られた。だが、その通りに機能してはいけないんだ。戦っては、いけない」


 アルファⅡ本体がコンバットモードで待機していたので、手信号で合図を送って進軍を再開させる。やはりかなり歩幅が広い。


「じれったいな。君を抱いて進む」


 足取りの覚束ないミラーズを抱き上げて足を速め、ユイシスから共有された情報に目を通す。

 そして、アルファⅡモナルキアがアポカリプス・モードの起動準備を進めていた事実に、天を仰いだ。


「何のつもりだ、私は!? 戦って勝てるとしても、勝つことに意味などないと分かっているだろうに……!」


「な、何だか知らないけど……」急に抱き上げられたのが余程気になるのか、頬を赤らめながらミラーズが言葉を紡ぐ。「もう三〇〇年も経ってるなら、お互いにぜんぜん、もう敵では無いんでしょ?」


「どうだか分からない。あれは国家という枠組みが滅びても単独で国家間の戦争を可能にする。そしてその直属の端末は、一機一機が戦略兵器に等しい。都市一つならあっという間に灰と鉄骨の群れに変えられる。そういう機械だ。もはやスヴィトスラーフ聖歌隊も調停防疫局も彼女の敵とは見做されていないようだが、仮にも人格があるのだ、気が変わると言うこともあるかもしれない」


「それだと、あの墓守さんが破壊の権化のような言い草ではないですか」


 ミラーズの声音は先ほどまでの怨嗟に満ちた声とは丸きり逆だった。リーンズィは訝しげに首を傾げる。


「ならば、あの鉄の塊が何に見える。君はあれを何だと認識している……今ではどう見える?」

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