都市焼却機フリアエ③
「それは……」ミラーズは寸時躊躇い、しかし決然と口にした。「フリアエお姉様の箴言には、返す言葉もありません。私たちスヴィトスラーフ聖歌隊が、不死病の感染を拡大させたのは事実です。ですが、ですが、私たちは……」
「ああ、違うよ。そういう意味じゃないんだ」あはは、とフリアエは疲れたように首を振る。「スヴィトスラーフ聖歌隊による全世界制圧なんていうのは、所詮はね、無数にある不死病感染拡大のルートの一つに過ぎない。大して重要じゃないんだ。僕はあの七つの目を持つ悪性変異体にあちこち飛ばされたから、誰も悪くないのに勝手に不死病が蔓延してしまった世界も知ってる。ああ、君たちは大罪人なんだろうね。かつての僕ならきっと滅ぼしていたよ。でも残念ながら、もはや罪にすら意味がない……君なら分かるよね、リーンズィ」
「分からない。容赦して欲しい、仮定に仮定を重ねただけでも認知機能をロックされてしまうみたいなんだ。私に水を向けるのは推奨しない」
「あはは。知ってるよ、さっきみたいにオーバードライブが発動しちゃうもんね。ちょっとした意地悪さ。だけど聞いて欲しいんだ、後になれば意味が分かるから……僕たちは大層な期待を背負わされていたのに、結局は役立たずでね、たった一つのことを除いては、たいした力が無いんだ。苦しんでいる人々のために出来ることは何にも無くて……それが虚しくて、使われることが無い墓を、こうしてずっと掘ってるわけさ……」
お手上げだよ、というジェスチャーにさえリーンズィは過敏に反応した。
フリアエは一層苦笑の色を強める。
夕焼けの雲に手を伸ばし、綿雲の切れ端を掴もうとして、白い手は空を切る。
「あんなものにすら手が届かない。花束みたいな雲だ。あれを掴んで、ふわふわの花束にして渡せば、君もきっと安心してくれるはずなのにね」
「大丈夫、謝罪する、私に敵対の意志は無い、ただ、心身適応に異常が……」
「そう警戒しなくて良いよ。あの森に、毛皮を被った誘導端末がいたよね。識域下では理解しているんだろうけど、あれを設置したのはまさに僕なんだ。どうにも<時の欠片に触れた者>は、あの鏡像分岐宇連続体に隔離防壁のようなものを築いているみたいで、普通は突破出来ない。僕ほどの知能構造体なら抜け道を見付けるぐらいはわけないけどね」
「では、私が森の外で、こうして君と話しているのは……」
「僕が導いた結果ということさ。我々を記憶している機体なら、あの誘導端末の存在にも気付くことが出来る。あれも大昔にうちが使っていたモデルだからね、分かる人には分かると言うことさ。そういうわけだから、君たちはまさしくお客様なんだよ……量子通信機はシリアル被りで弾かれるから、僕たち同士ではもうまともに使えない。衛星通信は一度も成功したことが無い。
言っていることの大半が理解出来ない。
支援AIたるユイシスが機能していない状況では自分はこれほどまでに思考が覚束ないのかと内心で狼狽しつつ、リーンズィは恐る恐る問いかける。
「……この先に、都市はあるのか? まだ活動している都市が……」
「あるよ。最後の都市、『名も無きクヌーズオーエ』という名称で認識されることが多いみたい。例に漏れず、時と場合と人によって変わるけど」
「クヌーズオーエ……? 私はその、クヌーズオーエのある方角から来たはずだが。クヌーズオーエ操車場という名前だった。完全に朽ち果てた都市だ。それとは違うのか?」
「リリウムたちも……私の娘たちもそこにいるのですか?」
「その二つの質問には応えられない。僕も現状の詳細は知らないから。僕の端末が現在通行可能なのは、ここと、あっちの森の二箇所だけなんだ。外側なんて知るもんか」
どこか自暴自棄な顔でメイドは肩を竦めた。
「不正確で構わないなら、まずリーンズィへ。同じかどうかは知らないけど、でも『名も無きクヌーズオーエ』が存在するのは確実だよ。最初はそっちも覗けたからね。探索のための機械も何機か送り込んだよ。でも、事象が入り組みすぎてて、分岐の枝から脱落しかけてるみたいでね。あまりにも位相が異なるから、接続面で遮断されて、司令電波が入らなくなってしまうんだ。この可愛らしい女の子の体では、僕はもうどこにも行けない……」
十字架にもたれかかったまま、少女は力なく笑う。
「あはは。本当に何にも出来ないんだ。立派なのは名前と機体だけ。戦争なんて起こす余力は無い。何と戦えば良いのかも分からない、だって全部無駄だった。戦って、戦って、戦って……何も起こらなかった。全部焼き尽くしても、無意味だった」
声を震わせながら少女は笑い続けた。
「何度も何度も頑張ったんだ。そのうち、こうして話をしてくれる人さえいなくなって……。あはは。燃料も、あと全兵装を一回動かせるかどうかだよ。<時の欠片に触れた者>がどこまで知能を持っているのか知らないけど、あいつにとって僕は高級な案山子みたいなものというわけさ。君たちにとって幸いなのは、この案山子は、問えば応えるんだ」
十字架を椅子代わりに、仕立ての良い給仕服の胸を広げ、心臓のある辺りを手で触れる。
「だから、もしも聞きたいことがあるなら、遠慮無く聞いてくれて良いよ」
「……対価は?」
「いらないよ。元はといえば、僕たちはみんなに奉仕するために創られた存在だからね。従僕が主人のために応えるのは当然さ。調停防疫局を主人と呼んで良いのかは微妙なところだけど、細かい理屈は、もう良いんだ」
「じゃあ……私の他に調停防疫局のエージェントを知らないか?」
リーンズィは斧槍の旗を広げた。剣に巻き付く二匹の翼ある蛇。
「この図柄に見覚えはないか。仲間がいるなら協調したい」
「ないね。君にとっては残念な話だけど、調停防疫局のエージェント自体、どの時間枝にもあんまりいないんだ。身分を伏せてる場合も多いし」
ちら、と視線を傾けて、背後、ヘルメットに図を彫り込まれた兵士を垣間見る。
「アピールしてたとしても、だいたいは後ろの彼の、あの程度かな。紋章が彫り込んであるぐらいさ。旗を持って歩いてるエージェントなんて、なおのこと知らない。防疫局の純正の機体を最後に見たのは、うーん、随分前に、一団だけだね。貧相な装備だったから、もうとっくに壊れてるだろうね。ああでも、旗を掲げてる連中は何度か見た覚えがあるよ。旗の模様も似てると言えば似てるかも。ウェールズ王立渉猟騎士団っていう集団なんだけど」
「ウェールズ……王立渉猟騎士団? どこかに国家が存続して、そこでエージェントが活動しているのか……?」
「してないんじゃない? 旗だって、本当に図柄が少しだけ似ているだけさ。うん、改めて検証すると、赤い竜が描かれているところしか共通点は無いかな。彼らが何という組織なのかも、本当は知らないんだ。騎士っぽい姿をしていて、ウェールズの国旗みたいなものを掲げて歩いてるから、僕たちが勝手にそう呼んでるのさ」
「だが、相似は重要だ。我々の関係者かも知れない。どこに行けば遭える?」
「それは君たちがどこに行きたいのかによるね」
思わせぶりな顔をするフリアエに、ミラーズが二歩、三歩と歩み寄る。そして、とうとう膝立ちになって、黒髪の侍女の手の甲に唇を当てた。
ぴくり、と少女が反応するのを潤む翠玉の瞳を見上げ、吐息で言葉を紡ぐ。
「フリアエお姉様。私たちは、スヴィトスラーフ聖歌隊の大主教リリウムを探しているのです。今こそ組織間の諍いの歴史に終止符を打ち、手を取り合い、この世界に安寧をもたらすべきだと、我々アルファⅡモナルキアは考えています。私の記録では、あの子もこの森を抜けて進んだはずなのです。ご存知ではありませんか」
「ああ、リリウムちゃんたち」フリアエは手にうっすらと汗を浮かべていた。「知ってるよ、それなら、クヌーズオーエに行けばそのうち会える。あの子は凄いね、誘導に頼らず森の出口を見つけたみたいなんだ。僕たちに挨拶をして、 『名も無きクヌーズオーエ』から争いを止めると言って、平然と出て行ったよ」
「あの子なら、それぐらいはするでしょう。いつ頃のお話ですか?」
「えっと……二〇〇年ぐらい前かな?」
「二〇〇年も? じゃあもう、リリウムは、その都市にはいないのでしょうね……」
「そうとも言い切れない。分岐宇連続体同士の間に大規模な断層が出来ている以上、こっちとあっちでは時間の流れが致命的に異なってるからさ」
言いながら、フリアエは地の果てに黒い袖の手を伸ばした。
口づけを受けた手の甲を、興味深そうに眺める。
「……キスされるなんていつぶりだろう? みんな怖がって手も握ってくれないのに」
「ご希望なら、私の体で暖めて差し上げましょうか」
「いらないよー。君には恋人がいるね? アルファⅡモナルキアのところのあの忌まわしいユイシスがずっと君を気に掛けてるのを検知してる。いくら僕でも、同族の恋路を邪魔するほど冷酷じゃない。ええと、リリウムちゃんだったね。まだ向こうでは三ヶ月ぐらいしか経ってないんじゃないかな。ううん、待って、どうだろう、半年、一年、いや十年……? 二五〇年前、最後に断層を通った時の経過時間のスケール差が、五千倍ぐらいで……とにかく、そこまで絶望的な時間は経ってないと思うけど」
リーンズィは胸の下で腕を組み、頬杖を突いた。
「『名も無きクヌーズオーエ』は、危険ではないのか?」
「危険さ。あの得体の知れない<時の欠片に触れた者>が枝ごとこの宇宙から切り落とそうとするぐらいね」
「それでは、大主教リリウムがまだ無事である、という保証も無いのでは」
「保証は出来ないけど、無事であることの蓋然性はそれなりに高いよ。彼女にはファンが多い、最後に見た時もそこそこの軍勢だったし、何より<時の欠片に触れた者>が彼女を追跡をしている。クヌーズオーエには、どこぞの軍隊もまだ相当数いるはずだから、合流に成功すれば、物理的にもそう簡単に壊滅しないはずさ」
ミラーズの細面がわずかに翳る。「リリウムがあの御遣い様に魅入られていると……?」
「あは、心配ないよ」フリアエは疲れた様子で笑った。スコップを杖代わりに、悪戯っぽく目を細める。「あの
リーンズィは、フリアエがにやにやと笑いながら口にする不思議な単語を、全て無意味な言葉の羅列として処理した。
一々理解しようとすると思考が無闇に掻き乱されてしまう。
そしてこの侍従を自称する少女にすら、世界が終わったのが真実だとは考えていないのだと推定する。ただ遊んでいるだけだ。そう信じ込む。
そうしないと、何故だか、やっていられない。
「それで、王立渉猟騎士団とやらと、聖歌隊のリリウムに、何か関係が?」
「そうそう、彼らはどうも<時の欠片に触れた者>を追いかけてるみたいなんだ。さっきも言ったけれど、大主教リリウムは、あの得体の知れない再生者に目を掛けられてる。だから、あの綺麗な銀色の娘を探すなら、必然的にあの騎士団とも鉢合わせになるだろうね」
「そうか、騎士団とやらが我々の関係者だと良いのだが……。僅かでもポジティブな判断材料がほしい。旗以外に特徴はないか?」
「うーん。難しいね。近寄って『これは近付かない方が良いな』と思ったら彼らだよ。僕の後ろにいるヘルメットくん以上に不審かな」
「危険な集団なのか」
「刺激しない限りは害になるような存在じゃない。でも、臭いし、汚いし、汁が飛ぶし、僕はあんまり仲良くなりたくないね……」
言いたいことを終えたらしく、少女は貼り付けた笑みのまま、ぱんと両手を合わせた。
「ここまで言っておいてなんだけど、君たちには二つの道がある。このまま進んでクヌーズオーエに向かうか、森を引き返して別な場所に向かうか」
リーンズィとミラーズは顔を見合わせた。
「引き返せるのか?」
「案内出来るんだから、当然逆も可能だよ。ただその場合、君たちが追いかけてるのであろうリリウムとは、絶対合流できなくなるけどね」
「じゃあ進むしかありません、リーンズィ」
「そう……そうだな」少女はライトブラウンの髪をくしゃくしゃと搔きながら溜息をつく。「基本的に道標になる物がないんだ。我々の行程には導いてくれる者が何も存在していない。危険だからと行って回避していては意味がない。彼女と親しいという、このヴァローナの体を借りている義理もある」
それなら、と給仕服の少女は微笑んで荒野の果てを指差した。
「クヌーズオーエへの道程はシンプルだよ。ここを真っ直ぐ、ずっと真っ直ぐ進めば、境界面に到達する。それから暫く歩くと……見えてくるはずさ」
「情報に感謝する。都市は、ひと目で分かるような規模という認識で間違っていないな?」
「うん。幾つか境界を越えるまでは全貌は見えないだろうけど、『来るべきじゃなかった』って思ったら、それがクヌーズオーエ。まぁ、リリウムちゃんの頑張り次第で形は変わってるかも知れないね。……ところで、君たちは何のために旅をしているの? もう何もかも手遅れだって、動けなくなることは無いの?」
「作戦目的は決まっている。旧WHO事務局の安否確認、ポイント・オメガへの到達、そして遭遇した全ての戦闘行為の調停だ。安否確認は難しそうだが……せめて世界を少しでも平和にしたい」
「そっか。君は強いね。失敗した実例が目の前にいるのに、全然平気で頑張れるんだ」
「……君もまだ失敗していない」リーンズィは頷いた。「それは誰にも決められない」
「成功も決められないけどね。うん、君のこともそこそこ好きかな。アルファⅡモナルキアだなんて、とんでもないものが現れたと思ったれけど。精々頑張ると良いよ。それで、適当な場所で二人で隠居しなよ。この僕みたいにね。……さて、僕にしてあげられることは他にはもうないけど、まだ何か聞きたいことはある?」
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