都市焼却機フリアエ②
給仕服の少女は、割れ裂けたような笑みを消した。
拍子抜けした様子で元の曖昧な微笑を再構築した。
「岩とか山とか。なるほど。そう。それじゃあ、そういうことで良いよ」
「あの上に教会があるのですか?」
「あるよ。でも、見えないだろうね。ごめんね、意地悪をしたんだ。見えないと分かっていてそう言ったんだ」
「そうなのですか」
「僕に悪意が無いことは分かってくれるかな?」
「はい、存じております」あまり存じていない調子でミラーズは頷いた。「フリアエお姉様が私に悪意を持つことなど、どうしてありましょうか」
「つまり、分かってないんだね、君は」
「分かっていません。それは本質とは関係が無いからです」
リーンズィは不意に理解した。
フリアエと名乗る懐かしい顔の(エラー。認知機能をロックしました)初めて見る得体の知れない少女についてではない。
ミラーズについてだ。
――彼女にとって、存じている、分かっていると言うのは、あなたに悪意が無いことを信じていますという態度の表明に他ならないのだ。
ただ信じているから、相手に会話を成立させる気が無いと分かっていても、平然としていられる。
ユイシスが半ば機能を停止しているせいで思考を共有できないが、この墓守の給仕が調停防疫局に属する存在ではないということぐらい、とうに理解しているに違いない。
だが、信じると決めているのだ。
だから、何を言われても、何を見ることになっても、動揺しない。
相手が善なる人であると見定めて、ひたむきに言葉を重ねるのだ。
「ミラーズ、ミラーズ。君は善き人だ。可哀相なぐらい純真だ。僕は、ただ、データが欲しかったんだ。こんな場所にいると色々と気になってしまって……いつも戦争のことを考えているからこんなことになるんだろうね。暇さえあれば敵のことを考えている。敵を殺すことばかり考えるなんて善くないよね?」
「戦は、常に私たちの心を蝕みます。墓守様は、人間同士の終わらない争いに心を痛めていらっしゃるのですね」ミラーズは慈母のように頷いた。「どうか、あなたの魂に安らぎがありますように。あなたの魂に御国の祝福がありますように……」
十字を切って祈る金色の髪の幼い少女を、フリアエと名乗ったその全自動戦(エラー。認知機能をロックします)少女型の端末(エラー。認知機能をロックします)少女はじっと見つめた。
そして、ははっ、と嘲るように小さく笑った。
「お祈りだなんて。この僕にお祈りだなんてね! ああ、スヴィトスラーフ聖歌隊は、これだから傑作だよ。よりにもよって、僕たちを祝福するなんて。ごめんね、馬鹿にしているわけじゃないんだ。僕たちのために祈ってくれる人はあまりいないから、可笑しくてね……」
「存じております。私の祈りで少しでも墓守様が癒やされるなら、嬉しく思います」
「そうなんだね。そっか。でも、何に祈っているの? 何を? 君に何か理解できるのかな? 僕たちの一体何を? 何について祈っているのかな? ねぇ、教えてくれる? ……僕が何をすると思う?」
静かな言葉の波濤。
責め立てるような問いかけに、リーンズィは殺気を感じた。
正確には、排除するための意思の気配を感じた。
アルファⅡ本体はその少女を背にして重外燃機関を起動させ、血色の煙を吐いている。
リーンズィは直観している。誰も事態をコントロール出来ていない。
破綻はすぐそこまで迫っていると感じられた。
しかし、金色の髪を靡かす少女は、全てを愛すると決めた者の微笑で、その切っ先を迎えた。
「何も、何も分かりません」
憚るでも無く首を振る。
「何も、分かることはありません。だから、祈るのです。私には祈ることしか出来ません。祈りは届かないのでしょう。それは分かります。祈りは届きませんでしたから。願いだって叶わないのでしょう。それも分かります。願いは叶いませんでしたから。でも、だからといって、祈りと願いが消えることはありません。鼓動がまがいものでも、魂が作り物でも、信じる心だけは不滅の光として輝き続けます。あなたもそうではないのですか、フリアエお姉様、敬虔なる私たちのお姉様。あなたにも、祈りと願いがあると私は信じます」
フリアエは表情を消して、身震いした。
そして朽ち木の洞のような瞳でミラーズのことを見た。
白いホワイトブリムの下にある、何者も覗いていない魂の窓。
今度こそは、電源を抜かれたディスプレイのような完全な無表情だった。
そしてまた微笑んだ時には、人間の顔をしていた。
漂う感情は、ある種の哀しみの色をしている。
「……理解するよ。それしか出来ない。それしか出来ないんだ。あはは。遭って数分で、よくも見抜けるものだね。もう僕には祈って願うことしか出来ない」
「何も見抜いてはいません。私は、あなたについて想うだけです。あなたを信じただけです」
メイド服の少女は、その時ようやく人間らしい感情を見せた。
笑みに、一筋の涙は伝い落ちた。
乱れつつあったリーンズィの呼吸が、急速に安定する。
……何か致命的な瞬間をやり過ごしたという確信があった。
給仕服の少女が、この無人墓地の最果てに佇む黒髪の少女が、ミラーズの言葉を通して、一体何を理解したのか定かではなかった。
だが決定的な破局の波が彼方へと引いたのをリーンズィは悟った。
「調停防疫局らしくない考え方をするんだね。彼らは祈らないし願わない。何故ならそれらは無意味だからだ。祈りと願いを利用することはあっても、決して信じることは無い」
「どんな題目を掲げても、どれだけ現実が悲惨でも、私たちには、世界の終わりではそれしか出来ませんから。不滅の恩寵に与ろうとも、聖なる言葉を与えられようとも、リーンズィのように悪魔と戦う力を持っていても、最後には祈ることしか出来ません。何故なら、何も分からないからです」
「うん。そう。そうだよね。理解した。君が、僕を理解したと、理解したよ」
「私は……私は理解しない」
リーンズィは世界の左側を意識しないように努めながら言葉を挟んだ。
給仕服のフリアエの、威圧感のある無機質な視線にも耐える。
「僕は君と話していないよ、アルファⅡモナルキア。ええと、君はリーンズィだったかな」
「ああ、だから、今から話さないといけない。私の人工脳髄には純正のエージェントの意識が転写されている。ミラーズとは異なる人格だ。君が認めたのはミラーズだけだ。だから君と改めて交渉を行わなければならない……」
リーンズィは思考を巡らせる。この存在は何かを納得した。人間的な思考をしているとは思えなかったが、確信された真実は何よりも力を持つ。
彼女は交渉のテーブルに降りてきた、と感じられる。
そう簡単にはトラブルにはならないはずだ。
「へぇ、君は僕たちを理解しているの?」
「理解しない。だが……何かが、君に何かがあるのは、分かる」
フリアエは上機嫌に、風にそよぐ毒花のように笑った。
「嘘は善くないよ。嘘は善くない。善くないよね? 君は僕が何なのか理解している。僕たちも、君たちが何なのか把握している。君が、必死に、理解しないようにしてる、ということもね。そして君の努力はあまりにも意味がない。ヘルメットの機体はしっかり理解してるね。だから絶対に僕を見ない」
「そうだ、私には分からない……何か、細工をされている。どうやらそうらしい。だが戦意が無いというのも真実だ。どうか、どうか見逃してくれないだろうか」
「リーンズィ、どうしたのですか? さっきから言っていることが変よ、無理をしてはいけません」
ミラーズは心配そうな顔をして、甲冑の手をぎゅっと握った。
「大丈夫だ。でも、いざというときは、君一人でも逃げるんだ」
「何を言ってるの? 危ないことは何も無いのに。墓守のフリアエお姉様は、善い人です。それとも、この人が突然目にも止まらない動きで、私たちの心臓を抉り出すとても言うの?」
「あはは。ううん、ミラーズ。誓ってそんなことはしない。我らが中枢、ターミナルコアに誓ってね。リーンズィ、あまり彼女に負担を掛けないようにね。心配なのは分かるよ。僕たちと君たち、本質的にはそんなに仲は良くないからね。でも、何度も言っているじゃないか、見逃すって。だって、そうじゃなきゃこんなことはしていない。僕にはもう、墓を掘るぐらいしか出来ないんだ。そう、それしか出来ない」
少女の頬に、幾筋もの涙が不意に伝った。
「あは……あはは。あははははは。酷い冗談だよね。何も出来ないんだ。こんなところまで来てもらって、僕たちは君に魚の一切れもあげられない。ただ墓を掘るだけ。情けないよね。みっともないよね。でもこれぐらいしか出来ないんだ。今の僕には……」
ぶつぶつと念仏のように同じ言葉を連ね始めたフリアエに、ミラーズが歩み寄る。今度はその冷えた手先に指を絡めた。
給仕服の少女は「ああ、ごめんね。とても……とても長い時間を過ごしたんだ。一人で。誰にも分かってもらえなくて」と笑い、「終端が訪れるのをずっと待ってる。待ってたんだ……」と首を振った。
「墓守様が、このお墓を全部用意したのですか?」
「うん。君は良いね、とても良いよ。傍にいてくれないかな?」孤独なメイドの長い指先が、ミラーズの唇を愛しげになぞった。「ずっとずっと……この世界が終わるまで……」
「ごめんなさい。私はリーンズィ、そして今は姿の見えない、私の幼少期の夢と歩むと決めました。私は彼らをこそ、第一に愛しているのです」
「そうなんだ。これが嫉妬って言う気持ちなのかな。アルファⅡモナルキアが羨ましいね……なら、僕が何故ここにいるのか、昔話だけでも聞いてくれるかな」
「もちろん、悦びをもって」
「ずっと前……ずっとずっと前のことさ。人類文化継承連帯と粗雑な医療者たちが入り交じった一団がここを通ってね。不死病根絶の試作ワクチンをこの先にある都市に撒きにいくって。不死病が治ったら、おそらく患者たちは死ぬだろうと彼らは推測した」
「不死病は救済です。ワクチンなど有り得ません」ミラーズが断言した。
「……そのワクチンが新しい不死病に変異するだけだ」リーンズィが否定した。
「正しくあの病を理解しているね。そう、あの病気はどうしようもないんだ。でも、仮の話。仮にワクチンが期待されたとおりに、願われたとおりに作用したとしよう。そうしたら都市がまるごと死体で溢れてしまうよね。そうしたら変異を重ねた疫病が都市の外に溢れかねない。だから僕に最終的な焼却処分をお願いして、彼らは去っていったんだ」
「それでは墓守様は、不死を剥取られた人々を火葬してから、その灰を埋めるためにお墓を?」
「うん。彼らは、なかなか帰ってこなくてね。だから長い待機時間が出来た。長い時間、考えたんだ。灰を埋めるお墓がいる。きっとあの都市には土葬を望む人もいるだろうし、沢山のスペースがいる。じゃあせめてこの土地を開墾して、土葬用の墓地を作ってあげるぐらいは、しても良いだろうって。意味はないんだけどね。死んでしまったちっぽけな命に対して、僕たちは何も出来ない。だから、暇潰しをしていると言っても、そんなに間違ってはいないよ」
「いいえ、その献身をハリストスは見ておられます。あなたの心からの奉仕に、眼差しを注がれています。そして私も、リーンズィも、あなたの偉業に感服しているのです。死者を真に想うあなたの誠心に。こんなに沢山のお墓を作るのは、さぞや骨が折れたことでしょう」
「うん。大変だったよ。三〇〇年ぐらいはかかってるのかな」
「……三〇〇年、ですか?」
「概算だけどね。何度も<時の欠片に触れた者>に土地ごと移動させられたから、正確な計算は不可能なんだ。でも、三〇〇年は経っているはずさ」
「……ありえない。そんなことが……そんなことが、あるはずが……」
話を聞くだけに徹していた大鴉の少女の両目が、驚愕に見開かれた。
よろめいて後退りしたが、後退りした理由を自分では理解しない。
だが、大鴉の少女に、メイドに身を堕したフリアエを名乗るそれは、無言で頷いた。
フリアエの黒い瞳に映るライトブラウンの髪の少女は、青褪め、神に縋るように呻いている。
「……そ、それだけの間……墓を掘ることしか出来なかった……? そんな……そんなことが……よりにもよって、君たちが、君たち、君た、君、自動……ぜん……」何もかもを忘れた「あれ……?」
唐突に我に返り、汗にまみれた額を拭い、発汗していた事実自体が肉体の生み出した虚構であることに気付く。
息を整えながらヴァローナの人工脳髄の造花を、不安そうに触った。
「あ、あれ? 何だったか……私は何を……私は何を考えていたのか」
「リーンズィ……。具合が悪いのなら、どうか控えていてください。これ以上の先達への無礼は、いくらあなたと言えども見過ごせませんよ」
「ああ、違うんだ、これは、いや……そうだな、全て君に委ねて、私は黙っているのが最善かもしれない」
リーンズィは観念して翡翠色の両目を閉じた。
「良くない状況だ、少しでも思考すること自体が禁忌に触れるらしい。どうか忘れて許してほしい、フリアエ。しかし私は、何故後退りなどした……?」
フリアエは苦笑らしき形に表情を変え、十字架の一つに寄りかかって、スコップを地面に突き刺した。
うん、と伸びをして、それから首を逸らして、それから項垂れて、祈るように目を伏せた。
「エージェント・ミラーズ、仕方ないことだよ。こればかりは、本当にエージェント・リーンズィの態度が正しい。僕たちのことを片鱗でも知っているのなら、三〇〇年も何も出来なかったと聞いて、呆れずにはいられないよ。この僕でさえも、僕を信じることが出来ない。ああ、本当に、どうしてこんなことになったのかな? 僕たちはどうしたら良かったんだろう?」
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